星野源さんが2024年5月14日放送のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中でTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』で日村さんのお誕生日に自身の倉庫から発掘された赤えんぴつの未発表曲『色えんぴつ』をオンエアーしたことについてトーク。自身が赤えんぴつに出会い、加入し、脱退するまでの経緯や、『色えんぴつ』のデモをおーちゃんさんと録った際の思い出などを話していました。
(星野源)あの、非常に面白い1週間というか。先週のとにかく金曜日、もうメールも山ほどいただいてるんですけど。恒例のバナナマン日村さんの誕生日回をですね、TBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGold』。こちらでゲスト出演、毎年のようにさせてもらってますけど。なんと今年で15年目ということで。もう15年やってるんだと。最初はだからまだ、あれですよ。だから僕はファーストアルバム出す前なのかな? それぐらいだったと思うんですけど。何人か、日村さんの誕生日をお祝いする人を呼んでいて。「その中の1人として、曲を作って歌ってくれませんか? その曲を作って歌うのがお祝いなんだけど、悪口で。日村さんを怒らせたいんです」みたいな、そういうオファーで。まあ、とにかく日村さんを怒らせたいっていうか。お祝いをコント化するっていうような感じですかね。もちろん日村さんは普通にお祝いされると思ってるんだけど、もうアドリブでどんどん怒っていくみたいな。そういうのがまず、発端で。
だから僕以外に何人かゲストの方もいらっしゃって。で、僕がまず最初に作ったのが、その時に日村さんが38歳って言ったか。だから今の僕より全然ね、もう年下の頃の日村さんで。僕はまだ20代だったと思うんですけど。その頃……あれ、20代だよね、たぶん。で、なんかその頃に作った曲がありがたいことに評判でですね。そこから、なんていうか、たとえばその時はSAKEROCKでもありましたし。自分の弾き語りみたいなのをほんのちょこちょこちょこっとやり始めたぐらいで。
まだ、たしかアルバムを出してなかった時だと思うんで。星野源個人として認識してもらうっていうのが、あんまりまだそんなになかった時期で。で、大人計画の舞台に出させてもらった時に、僕は大人計画の事務所所属で。劇団員ではないんですけど。宮藤さんの舞台とか、松尾さんの舞台に出していただいた時に覚えてくれるとか。あとはSAKEROCKのリーダーとして、ギタリストとして覚えてくれるとか、そういう感じで。あとはエッセイを書いたりもしていたんで、それで覚えてくれるとかっていうのはあったんですけど。
なんか、そこから結構、いろんなところで「あの日村さんのやつ、聞いたよ。最高だね!」みたいな風にいろんな場所で言ってもらえるようになって。なんか、僕の歌っていうんですかね? そういうところも「ああ、この人は歌う人なんだな。歌もやるんだな」みたいな風に思ってくれたひとつのきっかけだったなって。今、思い出すとそういうのがあったと思うんですよね。で、それがもう15年経って。こんなに長く続くとは1ミリも思ってなかったんですけど。で、あれですよ。当たり前のようにさ、ネタとしてディスるっていうかさ。もちろん、おもしろのためにやるわけだけども。それにしても、言うことなくなってくると思うんですよ(笑)。
でもなんか、ありがたいことになんだかんだ毎年、日村さんは面白いことが起きるので、言うことができて。「ああ、今年はもう、これを歌おう」みたいな。だからもう完全に……ありがたいことにっていうか、こっち任せなんですよね。だから毎年、たとえばバナナムーンを聞きながらとか、日村さんにあったこととか、そういうことが耳に入ったり、目にするたびに「ああ、これを歌にできそう」みたいなことをだんだん思うようになっていったという。
で、この間、金曜日。あれですよね。日村さんの誕生日自体は今日、火曜日ということで。だから日村さん、おめでとうございます。改めましてね。なんですけど、またお祝いしに行って。で、あれですよ。もうその放送の最初の方では赤えんぴつのお話、思い出話にちょっと花が咲きまして。赤えんぴつ……フォークデュオですね。皆さん、ご存知というか。今年、武道館公演を2日間、成功させまして。2日間、やれる人っていうのは少ないですから。武道館公演を。で、そのVTRの中で僕、参加させてもらったんですけど。その中でちょっと、すごい発表があって。実は僕は赤えんぴつに元々、所属してたんですよね。赤えんぴつって実は3人だった時期があるんですよ。
で、ボーカルのおーちゃんさんとギター、コーラスのひーとんさん。その2人が今、赤えんぴつなんだけども。僕がね、20歳ぐらいですかね? だから、今から20年ちょい前ぐらいに実は、僕は赤えんぴつの一員だったんですよ。僕もギターとね、コーラスをやっていて。で、その最初の出会いは下北だったんですよ。僕はもう、演劇を当時からやっていて。フリーの役者っていうか、劇団員とかには全然なれてなかったので。もういろんな劇団とか、プロデュース公演のですね、オーディションを受けまくって。いろんなお芝居にちょっと出さしてもらったりとか。あとは自分でね、バンドをやって。それでライブハウスのね、ライブチケットを自分でノルマとして買って。それをいろいろな人に配ったり、売ったりしながらお客さん集めるみたいな、そういういわゆる下積み的なことをずっとやってた時期ですね。20代前半というか、20歳、21、22ぐらいまでですかね。
で、そのあたりに下北によく、いるわけですよ。ライブハウスもあるし。あとは演劇もね、よく小劇場に見に行ってたんで。で、もうくさくさしてたわけです。お金も全然ないしね。もう風呂なしの6畳アパートに住んでたんで。お金も全然ないし。もう自分の音楽、この音楽が面白いんだ!って思ってやってるんだけど、なんかこう、それが全然伝わらない。で、お芝居ももっとセリフがほしいし、もっとお芝居がしたいんだけども、そもそも出る場所がないみたいな。で、もうバイトの日々で、どうしようもないなと。「これは俺はどうなっちゃうんだろう?」みたいな時に、たまたま路上で赤えんぴつの2人が歌を歌っていたんですよ。
下北沢の洋食屋マックのあたりで赤えんぴつと出会う
(星野源)あのね、そこです。洋食屋マックってわかるかな? 下北に昔ね、マックっていう洋食屋さんがね、地下に入っていくっていうところにあったんですよ。で、僕はそこがめちゃくちゃ好きで。そこの前でやってたんですよ。赤えんぴつの2人が。で、そこって今、どうなっているのかわからないけども。駅前にマックがあってさ、ミスドとかの方に下りていくところ。昔、ドラマとかが……今、あるの? わかんない。ドラマの古本屋とかがあった、あそこらへんのあたり。うん? 古本屋だったっけ? いや、違う。レンタルビデオの方だ。なんかそういう、いろんなのがあったところで。狭い通りでやってたんで、最初は「すごい迷惑だな。迷惑だな、この人たち」みたいなところから始まって。
で、お客さんは誰も聞かないわけよ。だってあそこ、あんまり立ち止まれない場所だから。で、僕はその洋食屋マックが好きだったんですよ。で、その好きな洋食屋マックに入ろうとしたら、その前で歌っていたんだけど。「こいつら、すごい邪魔だな」ってところからまず始まって。で、ちょっと怖い感じもあったんで。まだ僕も若造だったんで。ちょっとなんか近寄りがたいっていうか、喧嘩とかになっても嫌だなと思って。歌い終わって、どういったら入ろうと思って。そもそもお客さん、誰も見てなかったからたぶん、すぐにどくだろうな、なんて思って。ちょっと離れたところで聞いてたんですよね。
そしたら驚いたのが、歌い終わってMC中というか、しゃべるじゃない? 「ありがとうございました。次の曲は……」なんて言ってるうちに、喧嘩をしだすんですよ。2人で。で、喧嘩をしだして。今思うと、そのギターを弾いてるひーとんさんだよね。ギターを弾いてる人の服がビリビリに破かれていくっていう。路上でね。「すげえな!」って思って。で、僕はそもそもその時、すごくフラストレーションが溜まってたってのもあるし。元々、ハードコアだったりとか、パンクミュージックだったりとかを高校の時にやろうとして。そういう楽曲ばかり、聞いていた時期もあって。そういう、なんていうんですかね? 世の中だったり、歌だったりとか、そういうところでたとえばライブ中に喧嘩になっちゃったりとか、そういうライブをよく見に行ってたんですよ。そういうのがすごく好きだったっていうか。「そうするしかない」っていう場所ってあるんですよ。
そうするしかない人っていうのがいて。で、そこに人って吸引されてくっていうか。自分もそのタイプだったから、そこで、なんていうかちょっと今、言葉にすると恥ずかしいけど。なんかね、「生きてるな」っていう感じをたしかめに行くみたいな。「自分は生きてていいんだ」みたいなことをたしかめに行くっていうようなことを僕は当時、してたんですけど。でも、自分の作る音楽は自分にはそれに合わないような気がして。静かな音楽だったり、あとはそのインストだったりとかを作っていたんですけど。なんかその様子を見て、すごく燃え上がるものがあって。「いいな!」みたいな。誰も見てないところで歌を歌って、喧嘩して、ビリビリに服を破かれて、仲直りして歌を歌い出すっていう。なんかその一連の営みみたいな。「そうするしかないんだ、俺たちは」っていうような感じにちょっとグッと来てしまって。それを聞いていたら、だんだんと「この歌もすごいいいんじゃないかな」って。
なんか、もうフォークスタイル、フォークソングなんだけど、ものすごいグロテスクな表現が急に入ってきたりとか。でもなんか、もう小学生の頃の夢の歌みたいな歌だったりとか、いろんなものが混ざり合っていて面白いなって思い始めて。で、ずっと見てたんですよ。で、終わってて帰ろうとした2人のところでなんか、声をかけようかなって。「よかったです」とか「いいですね」みたいなことを言おうと思ったんだけど、ちょっと言えないなみたいな時に、おーちゃんさんが……俺がやっぱり唯一の客だったんで。「おう、坊主」って。まあ「坊主」ってほどの子供でもないんだけど。もう20歳を超えてたんですけど。「おう、メシ、行くか?」って言ってくれたんですよ。それで俺も「はいっ!」みたいな。で、そこからちょっと赤えんぴつとの関係がスタートして。
赤えんぴつとの関係がスタート
(星野源)で、僕は割と瞬発力で未来を決めるところがよくあるので。「今、これをやる。はい、これやります!」みたいな。もう感覚で決めちゃうことがあるので。「何かやらせてください!」みたいな。「曲を作らせてください」はさすがに失礼っていうか。2人の曲だから。「何でもいいから、ちょっと関わりたいな」なんて思って。で、自分もすることもなくて。バイトしかしてなかったような感じだったから。そしたら、「じゃあ、ちょっとカバン持ちみたいなところから始めてみるか」っつって。ギター持ちみたいな感じで。やっぱり、なんて言うんですかね? ひーとんさんが弾いてるギターもアコギで、ハードケースだったりするんで、重いんです。ハードケースって重いんで。それを持っていくみたいな。で、だんだん家まで送っていって、ギターを渡して……とかやって。ギターをその次の路上の場所で、とか。今日はライブハウスで、とかいろいろ持っていったりとか。
あと、結構あれなのよ。ミキサーとかもやってたんですよ。ライブハウスで。ライブハウスの専属のミキサーの人とか、もちろんいるから。最初はそれでやっていたんだろうけど。結構、急におーちゃんさんとか、でかい声を出したりするんで、お客さんが嫌がるんですよ。「うわーっ!」とかいきなり言ったりするから。それのためにバーッと、おーちゃんマイクをグッと下げたりとか、そこらへんをやんなきゃいけなくて。それで結構、出禁になっていたのよ。いろんなライブハウスを。「お前ら、うるせえんだよ」みたいな。「急にでかい声、出してんじゃねえ」とか「喧嘩してんじゃねえ」みたいな。
それで「じゃあ源、やってみるか」っつって「やります」ってやったりとか。結構、もう本当にボーヤっていうのかな? 昔の言い方で言うと。なんかそういう感じでいろんなことをやってるうちに、もうひーとんさんの家に一緒に住むようになって。まあ、時間としてはそんなに長くないんだけど。1、2年ぐらいかな? 一緒に住むようになって。いろんなね話もしたし、いろんなことも教わりましたね。なんかもう、おーちゃんさんは……その前の、武道館公演でのVTRでも言ったけど。「マイケル・ジャクソンを聞け。とにかく、マイケル・ジャクソンを聞け」「じゃあ、聞いてみます」みたいな。で、「おーちゃんさん、持っているのかな?」と思ったら、「いや、買って聞け。買わないとお前、聞かないだろう?」みたいな感じで。「わかりました」っつって。もうなけなしのバイト代で。
おーちゃんからマイケル・ジャクソンを教わる
(星野源)あと、バイト代もそうだけど赤えんぴつの2人とメシを食う時はだいたい俺が払ってたんで。だいたい俺が……だんだん、なんとなく払わされるっていうか。「今度な」みたいなことを言いながら、「あ、うっす!」とか言って払っていて。それ、いまだに返してもらってないんですけど。まあ、それもいい思い出っていうか。なんか、そういうのもあって全然お金はなかったけど。「買え」って言われたから買って、聞いて。やっぱりそういうのが血肉になるっていうかね。そういうのも教わったし。あとは、ひーとんさんってものすごい、なんか業界かぶれっていうか。すごいなんか業界のこととか、話したがるんですよね。噂話とか。「あの俳優は実はこうらしい」みたいなこととか。「あのミュージシャンは実はここで繋がってる」とか。
で、それで一番すごい教わったのは「とにかくAPさんに親切にしろ」っていうことですね。「いかにもえらいプロデューサーとかディレクターの人にヘコヘコするんじゃなくて、次にそういう立場になる人に丁寧に接してると、その人がでっかくなった時に仕事で呼んでくれるから」って。「ああ、この人はすごいことを言うな。本当にそうだろうな」っていうか。それで「ひーとんさん、そういう経験、あるんですね?」って言ったら、黙ってましたけど。「おおう……」みたいな感じで。でも、そんな中ですごい仲良くさせてもらって。自分もライブに出るようになったんですよね。サイドギターっていうか。自分もギター、ずっとやってたし。
で、そんな中でだんだん、ひーとんさんの様子がおかしくなっていくっていうか。なんかたまに肩をグンッてやられたりとかね。「あれ? どうしたんだろう?」みたいな。で、僕がギターソロみたいなのをやってる時の、その僕を見る目がね、なんか最初は「イエーッ!とか「フゥーッ!」とか言ってくれてたんだけど。なんか「チッ……」みたいな感じで。「あれ? ひーとんさん、どうしたんだろうな?」みたいになっていった頃に、それでも僕はやっぱり後輩なんで。「なんか俺、悪かったのかな?」っていう感じもあって。僕もすごい生意気だったし。持論みたいな。「俺はこう思うんすよ」みたいなことをぶつけさせてくれる2人っていうかね。そういうところもあったんですけど。
なんかその中で、やっぱりでかい舞台に立ちたいよねっていう。最初の頃はひーとんさんもおーちゃんさんも「セルアウトするな。いろんな人に聞いてもらいたいとかじゃないんだ、俺たちは」みたいなことを言ってたけど。「やっぱりそれは違うんじゃないか。いろんな人に聞いてもらってこそ、音楽自体は幸せなんじゃないか」みたいなことを3人で話し合って。「いつか、武道館に立ちたいね」って。もちろん夢物語なんだけども。「いつか武道館に立ちたい」って。でも、たとえばそれで全然、いつもと違う曲をやるとかじゃなくて。路上とか、いつものライブハウス……高円寺ペンギンハウスとかでやってるような曲をそのままやるんだって。それで「本当、最高っすね!」って。そういうのを夢見てる中で、俺もなんか曲、作ってみたいなってなって、作ったんですよ。