東野幸治さんが2024年4月12日放送のABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』の中で1990年代ごろの吉本興業・東京所属芸人たちの派閥関係について、話していました。
(東野幸治)メールです。「明石家さんまさんが『ナインティナインのオールナイトニッポン』にゲスト出演し、『明石家さんまのスポーツするぞ!』について語っておられました。第1回の1993年。ナインティナインの派閥とダウンタウンファミリーである今田耕司、東野幸治の派閥の折り合いが悪く……」。さんまさん、なに言ってんの、これ?(笑)。「会社の都合で共演できなかったとさんまさんはおっしゃっておられました」。嘘やん? お酒飲んではったんかな?(笑)。
「一方でそのような派閥の事情とは異なり、ナインティナインと今田さん東田さん同士は共演を望んでおり、そのような状況を解消させるべく、さんまさんが『ほんなら、共演させてあげたらええやないの』ということで『明石家さんまのスポーツするぞ!』の共演が実現したとのことですということです」という。だからそれが、よく言われたりとか。なかなか、派閥というか。だから僕らはダウンタウンさんファミリーみたいな。で、ナインティナインは天然素材みたいな。で、さんまさんがいてて。紳助さんがいてて。っていう感じよね? 東京の吉本興業の感じで言うと。
(渡辺あつむ)はい。
吉本興業の看板の下に小さなプロダクションがいくつかあるイメージ
(東野幸治)で、今は「吉本」ってひとつの大きな会社やけど。当時はこれ、何回もしゃべりましたけども。吉本興業っていう看板はあるけど、ちっちゃいプロダクションがいっぱいあるみたいな感じやったんですよ。だから劇場によく行く人は、そのチーフマネージャーというか。その担当の社員のプロダクション。で、紳助さんとか野沢直子さんは木村プロダクションとか。なんか、天然素材はわからんけど。泉プロダクションとか。で、こっちは大崎プロダクションみたいなところで、お互い切磋琢磨していて。だから当時ね、岡本に言うてたのは……今もやってる『オールスター感謝祭』。紳助さんが司会やられてる時。俺ら、アホやからあれ、見てたら「うわっ、25万もらった! また25万や」みたいな。ピリオドごとに一番早かったら25万もらえて。めちゃめちゃええやん? だから、今の粗品みたいなもんですよ。毎回1位を取るみたいな。
ほんで「うわっ、ええな、これ。一生懸命、クイズ答えて。しゃべらんでもバーッて答えていったら25万もらえるチャンスがあるんや!」みたいなんで。それで岡本が当時、担当してたんかな? 「岡本」「なんすか?」「『オールスター感謝祭』、出してくれへんかな?」って。それで当時、岡本と同期の人。だから、要はライバル関係の人が紳助さんのマネージャーで担当でやってたから。そこもだから、あんまり仲がよろしくないっていう噂っていうか。まあまあ、言うたらお互い、ライバル関係やから。「いや、行かなくて大丈夫でしょう?」「いやいや、話、聞いてる? 『行かなくて大丈夫、大丈夫』じゃなくて。『出たい』って言うてるのに」って言うたら「いや、大丈夫です。出なくて大丈夫です」っていう感じで、出れなかったりとか。そんなん、ありましたけど。
これもだから、よく覚えてます。「うわっ、さんまさんや!」っていうのもあるし。「うわっ、ナインティナインや!」っていうのもあるし。なんか、たまに集まってやれたっていうのをすごく覚えてて。ほんで、だからだからあれですよ。『旅猿』も、前もしゃべったんかな? ナインティナインとか天然素材の人はなんか吉本興業に少し不信感があったみたいな。聞いたことあるでしょう?
(渡辺あつむ)はい。
(東野幸治)あれは、過ぎたこと?
(渡辺あつむ)はい……。
(東野幸治)どないした? 急に。肩に力、入っているな?(笑)。
(渡辺あつむ)あの、東野さんに操られて、ようけめに言わんように気をつけています。
(東野幸治)フハハハハハハハハッ! えっ、ちなみにワチャワチャは……。
(渡辺あつむ)もう、いいじゃないですか!
(東野幸治)いや、違うよ。違うやん。ワチャチャ……千原兄弟、ジャリズムとか、メッセンジャーの2丁目。要は、ダウンタウンさん終わり。ダウンタウンさんファミリー終わり。次、天然素材。それも終わり。その次、ワチャチャやって言って。千原兄弟やジャリズムやメッセンジャーや水玉れっぷう隊。その時は、また違うプロダクションなわけやろ?
(渡辺あつむ)それでまあ、いろんなことがあって。それぞれ何かいろいろなって。で、まあ『旅猿』の話なんですけど。どうしたんですか?
(東野幸治)嘘やん(笑)。こんなこと、ある? 文枝師匠、おたくの弟子……(笑)。「いろんなことがあって」って、そこを聞いてるっちゅねん! 跳ねんやっちゃな!(笑)。しゃべっててもおもろないやっちゃな!(笑)。
(渡辺あつむ)で、『旅猿』はどないなってたんですか?
『旅猿』誕生のきっかけ
(東野幸治)『旅猿』は、だからあれですよ。そもそもはナインティナイン岡村さんが吉本興業をあんまり信用してない関係性。あんまり良好じゃないっていう。だから「僕らのレギュラー番組だけは粛々とやります。吉本さん、どうか僕らの邪魔しないでください」みたいな関係性。ちょっと冷えた関係性の時期があって。「これはあかん。吉本も悪いところがある」って言って。「いや、別に敵味方やないんで。同じ吉本の大きな家の中で楽しく芸人さんに言うたら仕事をさせたいのが我々ですから。一緒に仕事やりましょう」ということで。岡村さんに吉本から、言うたら吉本と懇意にしている制作会社がいくつか、四つ、五つ、六つぐらいの企画を岡村さんに持っていって。
「どうですか? 吉本と吉本制作の番組、しませんか? 1個もやってないので、やりませんか?」って言って。その中で選んでくれたんが、僕です。だから、岡村オーディションで選ばれたんですよ。「やったー! ありがとうな、選んでくれて!」みたいな。なんか、そのたまたま僕がイルカと泳ぐ。それを岡村が見るっていう企画書で。「えっ、ほんまに泳ぐの?」みたいな感じで。それが『旅猿』の始まりっていうことですけども。それで吉本とも仲良くなって、ちょっとずつちょっとずつ距離が縮んでいって。今じゃ、なんやったら岡本としゃべってんのって、俺なんかほとんどしゃべってないけど。ナインティナインとかさんまさんの方がよく、密にしゃべってんちゃうかな?
(渡辺あつむ)へー。
(東野幸治)ワチャチャは?
「ワチャチャのことを面白おかしくしゃべる自信がない」(渡辺あつむ)
(渡辺あつむ)あの、東野さん。すいません。その辺のところを面白おかしくしゃべる自信がないです……。
(東野幸治)フハハハハハハハハッ! 面白いやないか(笑)。なんでや?
(渡辺あつむ)いや、愉快にしゃべれません!
(東野幸治)愉快にスキップしてたら、ええねん!
(渡辺あつむ)もう、ヘドロのような思い出がいっぱいあります……。
<書き起こしおわり>