東野幸治さんが2022年10月21日放送のABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』の中で岡村隆史さんとの『旅猿』が始まったきっかけについて話していました。
(東野幸治)いや、懐かしい話をしてた。たしかに「岡村さん、あれのどこが国民的スターや?」っていう話を……(笑)。
(渡辺あつむ)もうネチネチと……(笑)。
(東野幸治)だから、そう。時系列がちょっとややこしなって。2005年なのよ。すごいね。覚えてるねや。2005年って。さすが作家先生やな!(笑)。
(渡辺あつむ)いやいや(笑)。
(東野幸治)ジャリズムあって、東京行って、解散して、放送作家になる。なってる時に、『めちゃイケ』の作家もやってて。ほんで、岡村と俺と渡辺あつむ、作家先生とゴルフ行って(笑)。ほんで、高校時代、打ちっぱなしの横のレストランでバイトしてたウェイターやからゴルフしたことがあって。「ゴルフ、したことないって言うてたやないか!」「いや、コースは行ってないです」っていうので、そこから岡村さんにネチネチやられる。ほんで、作家先生やっていうこともネチネチやられたんでしょ?(笑)。
(渡辺あつむ)はい(笑)。「なんや、作家先生。なあ? 机の上で考えているだけやもんな? 現場、わからんもんな? なあ? ええな? 机上の空論、ええな?」って(笑)。
(東野幸治)机上の空論(笑)。ほんで、俺がずっとゲラゲラ笑ってて。で、その後にナインティナインと吉本興業が……ナインティナインが吉本興業を信用してない時期があったんですよ。天然素材と吉本興業がなんか信用してない。でも、これは吉本興業としては損やし。「吉本興業の気持ちわかってくださいよ、一緒に仕事をして……」って。だから吉本制作っていう番組と、普通のレギュラー番組があって。で、僕の中で「吉本制作のレギュラー番組を持ってる芸人はレギュラーと数えずに0.5本とする」っていう(笑)。あながち、これは間違いじゃないでしょう?
(渡辺あつむ)素敵なルールやと思います。
(東野幸治)0.5本とするって。で、俺はその時に吉本興業制作の番組を2本やってたから、1本換算やとか。まあ、定期的に吉本興業との距離も近い感じ。でも、ナインティナインさんはやっぱり王道の、もう国民的スターで。『めちゃイケ』をやっていたり、言うたら『ぐるナイ』をやっていたりとか。ちゃんと東京のど真ん中の大きなテレビ局の仕事をやっている。で、自ずとテレビ局の人と向き合うから、なんとなく吉本興業は……って。で、それは吉本としても損やし、気持ちをわかってほしいってことで。それで「吉本興業制作の番組、やりませんか?」っていうところで。
それで「東野幸治がイルカと泳ぐ」っていう企画書を見て。「東野さんがイルカと泳ぐんやったら、見てみたいです」みたいなんで。それが『旅猿』の始まりなんですよね。俺、それを言われたんですよ。楽屋に来たら吉本興業の制作の人やマネージャー、チーフの人が来て。「岡村さんと仕事やってほしいんです」「えっ、何すんの?」みたいになって。で、「イルカと東野さんが泳ぐっていう番組。それを岡村隆史が見る」っていう、そういう企画書で。
「東野幸治がイルカと泳ぐ。それを岡村隆史が見る」
(東野幸治)で、たしかにそれ、俺がなんか言うたんですよ。『やり逃げコージー』の初期の頃にイルカが泳いでいて……みたいな話で。僕、スイミングスクールに通っていたから。「そんな番組もしたいですね」とか言うてたんをなんか、たまたま覚えていて、企画書にして。それが選ばれたんですよ。で、それを言われたけど。その時はそんなにイルカと泳ぎたくなかったから(笑)。
(渡辺あつむ)その時はね(笑)。
(東野幸治)その時は俺、「インドに行きたいんです」って言うて。「はあ?」って言われて。「いや、インドに行くならいいですよ」って言うて。で、岡村に返したら岡村が「はあ? イルカのはずが、インドなんですか?」ってなって。まあまあ、後に「3文字やからええがな」とか「イで始まるからええやん」みたいな感じになったんですけども。その時にふと思い出して。岡村と一緒に旅行をするのもおもろいけど、渡辺あつむくんと3人でゴルフに行った時の岡村のあの粘着質。
だから『めちゃイケ』とか『ぐるナイ』にない、ほんまの岡村隆史の狂気満載の、しつこいぐらいのを……(笑)。「ああ、3人で行ったらずっと渡辺あつむをいびり倒すから。俺、ゲラゲラ笑って楽しいな」と思って、なんとなくそう思ったんすよ。渡辺あつむくん、作家っていう立場でも一緒に行けるやん? 番組ロケもね。で、局に言ったんかな? なんかいろいろあって、その渡辺あつむくんの話が飛んでいったんですよ。飛んでいって、ほんで2人で『旅猿』が始まったんですよ。で、『旅猿』が始まって、それから5年ぐらいした時。
あつむくんとご飯を食べた時に「いや、実は『旅猿』ってこんなことがあって。スタッフにも『渡辺あつむくんが作家で来たら面白いね。この間、ゴルフ場で……』って言って、それでスタッフも笑っていたんですけど。いざ、ふたを開けてインドに行くってなって空港に行ったら、渡辺あつむはいなかったんです」みたいな話をしたら急に「キーッ!」ってなって(笑)。そうなっていたんですよ。
(渡辺あつむ)はい。それはもう『旅猿』の一発目。あの伝説のインド。「えっ、旅行に行って、その土地を貶す? なんじゃ、この番組! 面白いな!」って思っていたんで。
(東野幸治)ほんで、日本テレビが1月2日の午前中に箱根駅伝やってる。その裏でTBSでやったんですよ。で、それがすごく「面白かった」って言われて。で、パッと「視聴率、いくら?」って聞いたら「2.0」みたいな。視力検査みたいな感じで。それでもう終わっちゃったんですよ。で、終わって。でも、それはいい思い出でよかったなと思って。その作った人がいろんな企画書を、いろんな東京の局に持っていく。「こんな番組、吉本でやりませんか?」っていう時に日本テレビに持っていって。「あれ? もしやこの声は……『旅猿』っていう番組、やってませんでした?」「ああ、そうなんですよ」「あれ、やらないんですか? 僕、好きなんです」「いや、もうTBSはやってくれないんですよ」ってなって。「じゃあ、うちでやってくださいよ」って言って日本テレビで始まったんですよ。
その頃は『プライベートでごめんなさい』っていうタイトルで。で、タイトルを付けなあかんということで、まあ岡村くんがお猿さん似てるし、旅行するから。『旅猿』でええんちゃうか? みたいな感じで始まったんがもう、あれよあれよと10何年やってて。だから、4年ぐらい前かな? 華丸さんに「兄さん、ちょっと話があるばい」って言われて。「えっ、なに、なに?」って聞いたら「ゴルフが好きで、ゴルフのギア。ドライバーとかアイアンとかを紹介するゴルフの番組がゴルフネットワークで始まるんです」「ああ、よかったやん」「そのタイトルなんですけど……『ギア猿』なんです。いかんばい!って思ったんですけども、兄さん……『ギア猿』なんです」って(笑)。
(渡辺あつむ)フハハハハハハハハッ!
(東野幸治)「いや、別にええよ、ええよ」って。そもそもを言えば、『旅猿』も『海猿』のパクリやし(笑)。
(渡辺あつむ)ああ、そうや(笑)。全然気づかんかった(笑)。
そもそも『海猿』のパクりタイトル
(東野幸治)「『海猿』っていうのもあるし。俺もパクりやから。それでええんちゃうの?」みたいな感じになったから。「いいよ、いいよ」みたいになって。っていう流れがあるっていう話をちょっと思い出しました。すいません。
<書き起こしおわり>