町山智浩『オッペンハイマー』を語る

町山智浩『オッペンハイマー』を語る こねくと

町山智浩さんが2024年3月25日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で映画『オッペンハイマー』について話していました。

(町山智浩)それで今日、紹介する映画は結構ヘビーなのですが。やっと『オッペンハイマー』という映画が日本で今週、公開されます。

(石山蓮華)ついにですね。

(町山智浩)この『オッペンハイマー』はですね、アカデミー賞で作品賞、監督賞他、もう独占しましたけれども。去年の7月に全世界で公開されて、日本だけ公開がやっと今週になりました。どうしてそうなったか?っていうと、このオッペンハイマーという人は原爆を開発した男だからです。で、7月は8月の原爆投下の日に近かったので、公開が非常に難しかったんですけども。その後も、日本で映画を実際に見ていない人たちや、見たんだけど内容を理解していない人たちによるネガティブな批評が飛び交ってですね、公開できない状態になってきました。でもやっと、アカデミー作品賞を取ったので。あと、世界で日本だけ公開されてないっていうのも大問題だし。一番大きいのは、これは原爆の被害者である日本の人が見るべき映画なんですよ。「彼らがどうして原爆を作ってしまったのか?」ということを描いた映画だからです。なので日本人こそ、見なければならない映画なんですね。そんな誤解で公開が非常に遅れたのですが、ぜひ見ていただきたいんですが。

このオッペンハイマーという人についてはあんまり知られてないと言えば知られてない感じがするんですが。この作品ではこの人、一種の超人として描かれています。というのは、核爆弾というのは核分裂とか、そういう現象を起こすわけですね。その、ものすごい微小な原子のレベルで。それを、彼は見てしまうという男なんです。という、すごい描写で核分裂であるとか、ブラックホールであるとか、そういったものを超感覚的に感じる男の物語として作られてるんですよ。この映画は。

(石山蓮華)でも、なんかその超感覚というか、SF的な描写って、クリストファー・ノーラン監督っぽいような……。

(町山智浩)そうですね。この分子レベルの現象を、普通だったらコンピュータグラフィックスで作るんですけど。このクリストファー・ノーラン監督は携帯も持ってないほどコンピューターとかネットが嫌いなんで。全て、特撮で核分裂とかを表現してますけども。昔ながらの特撮ってやつでね。そこもすごいんですけれども。そのぐらい、すごい一種の超人だったオッペンハイマーが原爆を開発するんですが。彼は決して天才としては描かれてないんです。彼が原爆を開発したことが問題ではないんですよ。問題は彼が日本に原爆を投下することを阻止しなかったことなんです。開発したこと自体は問題じゃないんですよ。使わなければよかっただけで。

ただ、これは「作ってしまったらみんなが使う」っていうことを彼が予測しなかったことが問題なんです。で、どうしてそうなるか?っていうと、この『オッペンハイマー』という映画ではオッペンハイマーをキリアン・マーフィーという人が演じて。彼は主演男優賞を取っているんですが。まず最初に出てくるのは、不器用な男として描かれるんです。研究室で実験をするんですが、彼は実験が下手くそなんですよ。ガチャーン!って割ってしまったりするんですよ。で、物理学者なんだから数学の能力も高いのかと思うんですけど、彼を指導してる指導員から「大したことないね。あいつは」って数学の能力について言われちゃうんですよ。

(でか美ちゃん)なんか結構、バカにされた感じの。

オッペンハイマーを天才として描かない

(町山智浩)はい。本人も過去を回想する形で「僕は非常にダメでした」って言っちゃうんですよ。彼はコンプレックスの塊なんです。ところが彼は一種の超能力によって……この描写もなんだろうな?って思いますけど。その、核反応とかを見ることができるんですよ。

(でか美ちゃん)へー! なんか不思議な感じがしますけど。

(町山智浩)不思議な感じなんですけど。でも「実験ができない」っていうのは科学者として、かなり致命的なんですよ。彼は理論だけなんです。じゃあ、一体どうすればいいか? 彼、オッペンハイマーは「世の中にいいことをしたい」ってすごく思っているんですよ。でも、自分にはどうも理論しかない。そこに忍び寄ってくるのが、軍隊なんですよ。「君、原爆作ってみない?」って。それは、悪魔の誘惑ですよ。

(でか美ちゃん)そうか。利用されちゃう。

(町山智浩)利用されちゃうんですよ。で、じゃあオッペンハイマーいなければ、原爆というのは開発できなかったのか?っていうと、決してそんなことはないんです。『オッペンハイマー』というこの映画では、50人ぐらいの登場人物が出てきて。ほとんど説明がなかったり、名前さえ呼ばれなかったりするんですが、それは全員、実在の人物なんですね。で、その人たちの多くがノーベル賞を受賞しています。

(石山蓮華)じゃあ、すごくできる人の中にいた人の弱さってことなんですか?

(町山智浩)みんな、すごい技術者ばっかり……それこそ、アインシュタインとかも出てきますけれども。出てくる人はみんな、実は原爆を開発するための決定的な理論とかを持っていた人たちなんですけど、オッペンハイマー自身はノーベル賞を受賞してはいません。画期的な理論の開発者ではなかったからなんですよ。彼が原爆を開発できたのは、そういった世界中の天才たちを1ヶ所に集めて、ロスアラモスという研究所で研究させたから原爆が開発できたんですね。で、どうしてそれができたか?っていうと、開発に携わった物理学者たちのほとんどがユダヤ系だったんです。彼らの目的は「ナチス・ドイツよりも先に原爆を開発すること」だったんですよ。彼らの親戚はヨーロッパでナチスに殺されていて。彼ら自身も殺される寸前で逃げてきた人たちばっかりなんですよ。で、ユダヤ人がナチスと戦うために作った原爆だったんですが……ナチスが先に滅んじゃうんですよ。そうなったら、もう使わなきゃいいじゃないですか。

(でか美ちゃん)だってもう、目的が……開発はしたけれども、目的はなくなったねっていうのでよかったはずですよね?

(町山智浩)それで、開発に携わった科学者たちはみんな、「原爆を使わないでくれ」という署名にサインするんですよ。で、使わせないようにしようと頑張るんですけれども、オッペンハイマーはその署名を受け取らないんですよ。

(石山蓮華)へー。「なぜ?」って思ってしまうけどな。

(町山智浩)それがずっと、彼の罪になっていくんですね。彼はそれを背負うことになっていくっていう話がこの映画なんですよ。だから今、すごく世間で言われてるような、その間違った解釈に基づいて「原爆を開発したオッペンハイマーを英雄として描いてる」みたいなことはなくて。オッペンハイマーのことをこの映画は英雄ではなく、罪人として描いてるんですよ。

(石山蓮華)じゃあ、真逆ですね。

(町山智浩)真逆なんですよ。今、そういう批判してる人たちが言っていることとは。

(でか美ちゃん)むしろ、そのサインをしなかったことで全部を背負っちゃうことになったわけですよね。

(町山智浩)全部背負うことになるんです。で、これはものすごく微妙な映画になっているんですね。っていうのは、「どうして原爆を投下される人たちのことを想像して、オッペンハイマーはそれを止めることができなかったか?」っていう理由が、非常に微妙な心理描写で描かれてるんですよ。オッペンハイマーは一種、なんていうか人の心は想像できない人として描かれているんですね。

(でか美ちゃん)まあ、言っちゃあれですけど。それゆえの天才とかもあったのかもしれないですよね。才能が、そこが秀でているっていうのは。

(町山智浩)そう。ものすごく研究熱心だったり、夢中なことには夢中になるんだけれども。たとえば、自分の弟が「今度、結婚するんだ。この人が婚約者なんだ」って女性を連れていくんですけども。でも、オッペンハイマーは「その女性は自分には関係ない」と思って、全く無視をするんですね。その人を。で、無視された女性は……だって普通は「おめでとう! いい奥さんだね」とか言うじゃないですか。「素敵な女性だね」とか。自分の弟の婚約者ですよ? でもオッペンハイマーはそんなことを全く言わないんですよ。見もしないんです。で、その描写がなぜ、この映画の前半にあるか?っていうと、それが拡大されてどんどん、ひどいことになっていくわけですよ。

(でか美ちゃん)そうか。そういうささいなことがきっかけというか。こういうようなことの大きい版がちょっとずつちょっとずつ起きていって。

(町山智浩)そうなんですよ。で、この映画にはもう1人、主人公がいるんですね。それはアカデミー助演男優賞を取ったロバート・ダウニーJr.が演じるストロースという、原子力委員会という原爆とかそういったものを管理する政府組織のリーダーなんですけれども。その人がオッペンハイマーのことを密かに憎んでいて。彼に「ソ連のスパイ」という濡れ衣を着せて公職追放をしようとするんですよ。で、そのストロースのドラマとオッペンハイマーの原爆開発のドラマがこの映画では並行して進みます。それが互いに絡み合いながら進むんで、ものすごく複雑なんですよ。時間軸が二つあるんです。

オッペンハイマーとストロースの二つの時間軸

(町山智浩)それで一応、ストロースの方のドラマは白黒で撮っていて、オッペンハイマーのドラマはカラーで撮っていて、その色で見分けができるんですけれども。それが一体、何年に起こったことなのかというのはいちいち、字幕で「◯◯年」って入らないんですよ。しかもオッペンハイマーの時間軸はオッペンハイマーがそのストロースんのせいでソ連のスパイ容疑によって聴聞会というのにかけられるんですが。その中でオッペンハイマーが質問をされて、回想していく。その中でオッペンハイマーの人生を順番に描いていくっていう、すごいやり方をするんですよ。

(石山蓮華)じゃあ、語っている時間がまずあって。語られている時間がもうひとつ、あって。さらにもうひとつ、ストロースの……?

(町山智浩)で、ストロースの方はストロースの方でその後、1950年代にアイゼンハワー大統領によって商務長官という閣僚に任命されて。その承認のための審問が行われて。それと、オッペンハイマーがソ連のスパイとしていろんな質問されてるのが同時進行するというね。

(石山蓮華)うわっ、ノーランっぽい!

(町山智浩)ものすごい複雑なんですよ。

(でか美ちゃん)これ、映画館では絶対できないけど。相関図とか、時間軸とかを見ながら見たいって思っちゃうタイプのやつですね。結構混乱しそう。

(町山智浩)ものすごい混乱します。実は僕、5回見てます。

(石山蓮華)そうですか! 町山さんが5回見て、どれぐらいわかるんですか?

(町山智浩)5回、見たらだいたいわかります。でも1回見ただけじゃ、わからなかった。

(でか美ちゃん)しかもそもそも、歴史に基づいた知識とか、ある程度たぶん知ってないと……説明をあえてしてないところとかもありそうだから。

(町山智浩)さっき言った、署名を渡すところでも、書面を渡した人が誰なのか?っていう説明がないんですよ。それはシラードっていう有名な物理学者なんですけれども。普通、わからないですよ。何も見ないで、知らないって行ったら。で、さっき言ったパーティーで弟に婚約者を紹介されるシーンっていうのの意味は、2回目に見た時に初めてわかりましたよ。そのぐらい、ものすごく複雑なことをやっているんですよ。この映画は。

「原爆の被害を直接、描いてない」という批判

(町山智浩)で、今すごく問題になってるのは「原爆の被害を直接、この映画では描いてない」っていう。でも、そう言われていることもちょっと嘘で。直接ではないんですけれども、いろんな形で描いています。まず、オッペンハイマーはさっき言ったみたいにその核反応とかを超感覚的に見てしまう人として描かれてるんですね。だから彼は、広島で起こったことを見てしまうんですよ。それで、原爆投下に喜んで、浮かれている技術者たちが原爆の炎で焼き尽くされるのを見てしまうんですね。そういう形では描いてるんですが、その原爆の被害を直接撮った写真を見せられると、彼は下を向いちゃうんですよ。オッペンハイマーは「申し訳ない」と思ってるからです。見れないんです。

で、オッペンハイマーは何度もこの映画の中で……はっきり言うと2度、原爆の炎で焼かれるんですよ、これは広島、そして長崎と2発の原爆に相当するんですよ。彼が2度、焼かれるのは。という、それ以上言うとあれなんですけども。だから、この映画に対して「許せない!」とか言ってる人はいるんですが、これはまさにオッペンハイマーを罰する映画なんですよ。ただ、それを開発した人が罰せられる。それも一種の自己罰的に罰せられていくんですけれども。「それだけで原爆投下を許せるのか?」っていう人もいますが、そういう問題ではないんですね。実際に原爆を落としたのは、オッペンハイマーじゃないんですから。

で、この映画で一番の大きい問題というのは、科学者とかそういった人たちはそれが実際にどういった結果を及ぼすのかを考えないで、それが技術的に可能であるならば作ってしまうっていうことなんですよ。

(でか美ちゃん)その専門職みたいなところがあるから。できるならやってしまうということですもんね。オッペンハイマーの話もだし。

(町山智浩)そういうことなんですよ。じゃあなぜ、今この映画が作られたか?っていうと、もちろん核兵器のことも……今も非常に危険な状態で。はっきり言ってロシアがいつ使うか、わからない状態にありますけれども。もうひとつ。今、たとえばAIが進化していますけれども。AIがどういうことんなっちゃうかってことをみんな、わかってるのかな?ってことですね。今、AIはいろんなものに置き換わってますけれども。「AIが危険になったら、止めればいい」って思ってる人が多いんですけれども。でも、止められないAIが出てくる可能性があるんですよ。

つまり、コンピュータネットワークとか、そういったものをAIが自己制御した場合に、キルスイッチは効かなくなるんですね。それが軍事に関わったら、どうなるか?っていうことですね。AIは、核ミサイル発射することも可能なんですよ。AIには自己保存本能はあっても、人間を保存する本能はないので。ということまでを延長して考えるべき映画なんですよ。それでもね、さらに複雑なトリックをいっぱい仕掛けている映画でもあります。オッペンハイマー自身の恋愛とか結婚が、すごく彼がした原爆開発ということと複雑に絡んでくるんで、一瞬一瞬のカットに仕掛けがあるんですよ。

(石山蓮華)うわーっ! これは何回見たら、わかるかな?

(でか美ちゃん)ああ、そうか。『TENET テネット』の人か。

(町山智浩)『TENET テネット』の人なので。

(でか美ちゃん)そりゃあ、見る前から言うのは失礼ですけど。そりゃ、わかりづらそうだなとか思っちゃいますね。

(町山智浩)たとえばお風呂の絵があって。そこに女の人の髪の毛が浮いていて。そこに黒い手が……っていうシーンがあるんですけど。ほんのコンマ1秒、入るんですけど。それは一体、何なのかとか。そういうことをしまくってる映画なんで、まあ3回は見る必要があるかな?

(石山蓮華)3回……。

(町山智浩)という映画で。1回見ただけで「こりゃダメだ。わかんねえよ」って言ってる人は……1回見ただけでわかる人なんて、誰もいませんから。

(石山蓮華)じゃあ、まず3回。

(町山智浩)来週までに3回、見るのは難しいですけどね(笑)。

(でか美ちゃん)でもこの町山さんの解説聞いた上だと、聞かずに一度目よりはだいぶ、わかる感じしますよね。最初にやっぱり弟の妻を無視してしまうとかも、何気なく見過ごしちゃうかもしれないけど。

(石山蓮華)あとはその時間軸と、白黒・カラーの違いとか。

(町山智浩)でも怖いのは、これだけその精神的に弱い男が原爆を作ってしまうということですね。原爆は、立派な人が作ったわけじゃないんですよ。

(でか美ちゃん)やっぱり見ないとわからないということ……その原爆ももちろんですけど。戦争というものも体験してないわけじゃないですか。蓮華ちゃんとでか美はね。で、その前の『福田村事件』の時にも町山さんがおっしゃっていて、はっとしたのが、町山さんが物心ついた時の「戦後」っていうのはまだ生々しい時代だったっていう。私ら世代はやっぱり「昔のこと」って思っていたりしたから。ちょっと難解かもしれないけど、『オッペンハイマー』は見るべきですね。

(石山蓮華)そうだね。見て考えたい映画ですね。

(町山智浩)とにかくその、世界を滅ぼすような兵器がすごく精神の弱い人によって作られたということの怖さですね。

(石山蓮華)なんか精神の弱い人に権力を与えてしまうシステムって何だろう?っていうのも、すごく考えたいなと思います。今日は今週、29日(金)に公開になる映画『オッペンハイマー』をご紹介いただきました。町山さん、ありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

『オッペンハイマー』予告

<書き起こしおわり>

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