東野幸治 吉本新喜劇・桑原和男を追悼する

東野幸治 吉本新喜劇・桑原和男を追悼する 東野幸治のホンモノラジオ

東野幸治さんが2023年8月11日放送のABCラジオ『東野幸治のホンモノラジオ』の中で亡くなった吉本新喜劇の桑原和男さんを追悼していました。

(東野幸治)そして桑原師匠がお亡くなりになって。もう本当ショックで。87歳なんですね。僕もすごいお世話になって。22、3歳ぐらいから2年間、3年間ぐらい新喜劇をさせてもらった時に、いろいろ教えてくれたが内場さんと桑原和男さんですから。で、桑原和男さん自身は昔から……お話する機会がたくさんあって、いろいろ聞いてたら、加山雄三さんの『若大将』の映画もちらほら、出てたりとかしてるんですって。役者をやりながら。で、いとし・こいしのお弟子さんだったっていうのは俺、今回で初めて知って。

その後、だから吉本バラエティっていう吉本新喜劇の立ち上げのやつ。それに1961年…から。俺が生まれる6、7年前からそこに出ていた。で、吉本バラエティ、新喜劇の基礎になったコメディなんですけれども。それの脚本とかを書いてたんが、さんま師匠の師匠である松之助師匠なんですよ。

(渡辺あつむ)へー!

(東野幸治)落語家でありながら吉本バラエティの脚本を書いてらっしゃったっていうのは俺、特番かなんかでVTRで紹介されていて。「ああ、そうなんや」と思って。で、ずっと新喜劇をやっていたけど新喜劇が当時、僕らが入る前はいろんな……言うたら野球賭博とか、なんか借金で飛ぶとか、いろんな問題が当時あって。で、なんとなく漫才のトップ出番からトリの漫才師が終わって。で、新喜劇のセットを組んでる間にお客さんが帰るっていうのが続いていて。

ほんで緞帳が開いたらお客さんが減ってたみたいなんが続くから、「新喜劇を何とかせなあかんな」っていうところで、ダウンタウンさんの『4時ですよ〜だ』っていう毎日放送の帯番組をやってて。それが終わってダウンタウンさんは東京に進出する。『夢で逢えたら』とか、いろんな人気番組に出て、スターになっていく時に、今田さんとか、130Rさんとか、石田靖とか、みんなで「新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」っていうところに半ば命令で。だから「入りなさい」って言われて。「ええっ?」ってなって。で、入るんですよ。

ほんで吉本新喜劇を言うたら改革しようってなって。当時の大崎さん。今、万博の方に専念してますけど。それと上司の方の2人が担当になって。その往年の新喜劇の人、全員面接するんですよ。ほんで、「これから若返りしますけど、手伝ってくれますか? 協力してくれますか?」みたいに面接をして。好意的に「頑張ります。やっていきましょう」っていう人と我々が急遽、だから新喜劇を始めるっていう。で、その中には「それはちょっと、できへん」という師匠の方もいらっしゃったし。そこでまた別れたりするんですけど。

ほんで、俺とか今田さんとか130Rさんとか石田靖とかみんなで、チャーリー浜さん、池乃めだかさん、桑原和男さん、竜じい……井上竜夫さんとか。みんなでなんか、やり始めて。そこでよく、その「ベタ中のベタ」とか、なんか基本的な新喜劇のお笑いってなんかいまいちわかってなかったりもするんですよ。で、今田さんが言っていたのがすごい印象的ですけど。めだかさんとかと新喜劇をやっていて。当時、やっぱり漫才ブームに憧れてこの世界に入って。で、ダウンタウンさんがいててっていうから、新喜劇をあんまり学生時代、見てなかった。ほんで、池乃めだかさんっていうと小さい、猫のギャグする人ぐらいの印象やって。ほんでなんか一緒に新喜劇をやってて。

初日、2日目、3日目とやっていくうちにある時、なんかめだかさんが乗ってきて。急に、言うたら新喜劇の女優さんに「ちょっと、ええやないか」ってね、迫るみたいなシーンがあって。ほんで「やめてください」って押されるんですよ。で、ボンと押されて倒れる。ちょっと笑いが来る。「ああ、すごいな。こんな風な笑いの取り方、あんねや」と思って。で、次のセリフ言おうとしたら、もう1回行くんですよ。「えっ、なんでそんなめだかさん、行くの?」みたいなんで。で、もう1回、ドンと押されて。ワーッてまた、体ちっちゃいから、後ろに下がって下がって下がって、ドテッて倒れるんですよ。ほんで、「ああ、笑いになったから、よかった」って。ほんで、セリフを言おうとしたらもう1回、やんねん。

「えっ、ちょっと? なんなん、この人? オチとか、ちゃんとあんの?」みたいな感じでもう1回、その女優さんに言うたら、力ずくでちょっとね、キスでも迫ろうとして。ほんでドーンって押される。でも同じやから、もう笑えへんってなって。ほんで倒れる。ほんで「クソーッ!」って言うてたら急になんか「心臓が痛い、痛い、痛い……」って言い出して。今田さんは「あれ? これ、ギャグなんか? これ、ほんまに……?」って。まあ、言うたらね、みんな日々、酒も飲んでるし。知らない。ほんまに知らんかったから。「ギャグなんか? ほんまに痛いのか?」ってわからへんかって。で、ビタッと止まったんですよ。で、「あれ? これ、どうしたらええの? 急に倒れたから。ボケもなんにもないし。ほら、見たことか……」みたいな感じで。「急に当てずっぽうでやったらこんななんねん」って一瞬、思って。ほんなら女優さんがワーッと走っていったんですよ。

ほんで「大丈夫ですか?」って言ったら急に、ちっちゃい2つの足がピョーン!ってV字になって、その人の胴体に絡ませる。ほんで「カニバサミや!」って言ってドカン!って受けて。「ああ、よかった」と思って。「動けるもんなら、動いてみい!」っていうのが受けて。「ああ、よかった、よかった」と思ったら、なんとなんと、女優さんが動き出して引きずられるっていうのでさらに受けるっていう。それを、たまたまそのタイミングが悪くて見てなくて。今田さん、生で見てびっくりしたって言ってた(笑)。

(渡辺あつむ)フハハハハハハハハッ!

ベタ中のベタを教わる

(東野幸治)「なんや、これ? めちゃめちゃおもろいやん!」って(笑)。そういう意味で言うと、我々はその新喜劇で桑原和男さんのギャグとか……だから、有名なのは「ごめんください。どなたですか? 桑原和男です。お入りください。ありがとう」って。それもね、本当に家の中にいてる人がたまたまその袖に帰ってもうて、いないから。なんか繋がなあかんから、全部1人2役やって、それがギャグになった。それはわかるじゃないですか。あと、あれですよ。「桑原和子」っていうね、おばちゃん役やってる。ほんで言うたら、さっきのめだかさんのあれとかぶるんですけど。ちょっと女優さんに「ええがな」って言って、力ずくのシーンがあって。

で、その力ずくのシーン、桑原和子やけど、力ずくのシーンがまるで男の桑原和男になって。ちょっとお尻に触ろうとか、隙あらばキスしようみたいな感じになって。で、女優さんが「いやいや、和子はん。何をするんですか? 急に力も強くなって……」って言ったら、「いや、和子やない。今は男や!」って言ってドカンって受けるやつも目の前で見てきたし。あと、神様もね、よう最後の最後に……「なんかこの新喜劇、締まらんな」と思ったら、「神様、よろしいですか? ちょっとやっていただいて……」「ああ、かまへんよ」って言って。なんか上手い芝居を収めてくれるっていうのも目の前で見させていただいたし。

相談すると的確に教えてくれた桑原和男さん

(東野幸治)で、「なんかここ、受けないんですけど、どうしたらいいんですかね?」みたいな相談すると「新喜劇やったらこのパターン、あるで。あのパターンあるで」とか。あれよあれよとちゃんと的確に教えていただいて。そのやめよっカナ?キャンペーンの時に、逆算したらあれ89年。1989年なんですよ。たぶんね、今の僕よりちょっと若い時なんですよ。桑原和男さん。今の俺よりちょっと若い時に22、3歳の右も左もわからん俺とか今田さんとかを受け入れて、一緒にやっていただくっていう。

その、めだかさんもそうですよ。とにかく井上竜夫さんは出番の真ん中ぐらいのね、役で。で、みんな一生懸命芝居してるけど、自分だけ公衆電話で……まだ携帯ない時代。公衆電話で自分だけ肉うどんの出前を頼んで。で、皆汗だくで。舞台で受けても全ても、汗だくで楽屋に帰ってきたら、1人でうどん食べてる。で、「うどん食べたな」と思ってね。その新喜劇の反省会するのかなと思ったら、スポーツ新聞を熟読して。で、読み終わったらそれを掛け布団にして寝るっていう(笑)。

(渡辺あつむ)フフフ(笑)。

(東野幸治)ほんで、2回目の新喜劇。自分の出番が終わったら楽屋に帰って。すぐ着替えて。ほんで髪の毛もね、実はもうめちゃめちゃ剛毛ですから。吉本1の剛毛ですから。カツラを外して、その剛毛を言うたらスプレーでガッチガチにして、尼崎のスナックのオープンに間に合うようにするとか(笑)。「ああ、芸人さんでいろいろいらっしゃるねんな」っていうところの思い出が、たった3年ぐらいでしたけど。めちゃめちゃなんか、ベタを教えていただいた場所で。その桑原さんが87歳でちょっとお亡くなりになったっていうのを聞いて。「ああ、そうなんや」と思って、ちょっと複雑な思いですし。

なんかあんまり前に出てく行くのが好きな師匠じゃないですから。身内だけ、親族だけで葬儀の方もやって、お別れ会もたぶん開かないんかな、みたいな感じでございますけども。ちょっとね、もうこんな桑原和男、桑原和子みたいな、そういう……肌着で、自分で垂れた乳を作って。あれも好きでした。今、思い出した。赤ちゃん。赤ちゃん、捨てられるんですよ。赤ちゃん、捨てられてね。訳があって。一見、最初にシクシク泣きながら、女の人がなんか右に左に見て。ほんでちょっと事情があって、赤ちゃんを捨てる。それで「ごめんね……」って去っていく。

そこの、言うたら子供がいない若い夫婦がそれを自分の子のように育てる。泣いている赤ちゃん。そこで働いてる桑原和子さん、おばあちゃんが「なんか泣いてるで、この子」言うて。ほんで、言うたら面倒見ようというお母さんにミルク作ってあげようってなっても、なかなか出て来えへん。「どうしたもんかな? すごい泣いてるな」って言って、おもむろに自分の長いおっぱいを出して吸わせる。吸わせるけど、桑原和子の言うたら母性と、乳首の刺激で、感じてはいけないけど感じてしまうっていう。あれもよう受けるよね。あれ、ほしいね(笑)あの乳房、ほしいわ(笑)。

ようあれ、日陰干ししてんのよ。日陰干しして。たまにハゲてくるから、乳首のところをね、カラーのマジックで点点点……って。上手にね、乳首を点点点…でね、表現するのよ(笑)。全部自分でやっていらっしゃるっていうのも、今しゃべっていて思い出しましたけれども。喜劇役者、桑原和男さんがお亡くなりになりました。

<書き起こしおわり>

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