町山智浩さんが2023年8月1日放送のTBSラジオ『こねくと』の中で亡くなった歌手のシネイド・オコナーさんを追悼。彼女とその出身地アイルランドについて、話していました。
(石山蓮華)町山さーん?
(町山智浩)はい、町山です。よろしくお願いします。
(アンジェリーナ1/3)よろしくお願いします。町山さん、はじめまして。アンジェリーナ1/3と申します。
(町山智浩)ああ、1/3なんですか?
(アンジェリーナ1/3)はい。スペインとフィリピンと日本の3カ国の血が3分の1ずつ入っているという意味で、こんなふざけた名前をしております(笑)。
(町山智浩)アンジェリーナね。「OH アンジェリーナ」ですね?
(アンジェリーナ1/3)ああ、そうです。佐野元春さんの(笑)。「アンジー」と覚えてもらえたら嬉しいです!
(町山智浩)『悲しみのアンジー』?
(アンジェリーナ1/3)『悲しみのアンジー』でおなじみのアンジーです(笑)。「おなじみ」じゃないですけども(笑)。
(石山蓮華)アンジーは年齢は?
(アンジェリーナ1/3)今、21歳です。
(町山智浩)えっ? うちの娘より年下……(笑)。
(アンジェリーナ1/3)娘さんより年下(笑)。よろしくお願いします。
(町山智浩)もう、参っちゃいますね。おじいちゃんで。すいません。はい。
(石山蓮華)町山さん、ようやくご自宅に戻られたそうで。
(町山智浩)やっと帰れました。もう1ヶ月ぶりぐらいでしたね(笑)。
(石山蓮華)本当に長旅、ご苦労様でございました。
(町山智浩)はい。アイルランドで身動きが取れなくなっちゃったんで。パスポートとグリーンカードがなくなっちゃってね。でもね、2週間以上アイルランドにいたんですけど、すごい勉強になりました。全然勉強する気なかったんだけど(笑)。ずっといるから、しょうがないからツアーとか、博物館にやたらと行くじゃないですか。すると、いろんなことを教えてくれるから、ものすごく詳しくなっちゃったですね。アイルランドに。
(石山蓮華)でも、本当に無事戻られてよかったです(笑)。
(町山智浩)全然大丈夫です。ただの不良老人なんで。別に帰らなくても何も困らないので。そこで、アイルランドにずっと行ってたんですが。アメリカに帰ってきてみたら、7月26日かな? アイルランド国民的な歌手のですね、シネイド・オコナーさんが亡くなったというニュースが入ったんですよ。
(『Nothing Compares 2 U』が流れる)
(町山智浩)ああ、この歌ですね。『Nothing Compares 2 U』という、日本語のタイトルが『
愛の哀しみ』という、「うーん……」というタイトルなんですが。これが1990年に大ヒットして。それを歌っていたシネイド・オコナーさんが亡くなったというニュースが入ったんで。すごくね、偶然、アイルランドにずっといたんで、アイルランドでいっぱいね、シネイド・オコナーさんの話を聞かされたんですよ。
で、首都のダブリンにいたんですけど、彼女はダブリン出身なんですね。で、これは1990年のヒット曲なんですけど、お二人とも生まれてないですよね?
(アンジェリーナ1/3)生まれてないです。
(石山蓮華)私、生まれてます。92年生まれですから。
(町山智浩)92年生まれですよね? これは90年のヒットなんですよ。
(石山蓮華)あ、生まれてない! 生まれてませんでした。なんか、この邦題だと『蒼い囁き』っていう、『I Do Not Want What I Haven’t Got』っていうこのCDが家にあったので。シネイド・オコナーさんの。なので、なんとなく聞き覚えというか、イメージはあって。アンジーさんも?
(アンジェリーナ1/3)はい。私も子供の頃からずっとお母さんが聞かせてくれていたので。
(町山智浩)ああ、そうなんですか。これね、とにかく全世界で700万枚以上売れたという怪物的な大ヒットしたんですね。このアルバムがね。で、アイルランドに行った時に彼女の歌をね、ちょっと観光バスの人が流してくれて。その時にこう言ったんですよ。「シネイド・オコナーさんはとにかく今、世界中から『ちょっとどうかしている』と言われている。次々と問題を起こして、みんなから『大丈夫か?』みたいなことを言われてる人なんですけど、我々アイルランド人にとってはいつでも彼女は『アイルランドのスイートハート』です」って言ったんですよ。
アイルランドのスイートハート
(町山智浩)「スイートハート」っていうのはね、「国民的恋人」みたいな意味ですね。で、いろいろ言われてるというのはですね、はっきり言っちゃうと、このシネイド・オコナーさんは精神病になってしまっていて。ずいぶん長い間、心の病と闘っていたんですね。で、双極性障害と言われている病気の診断を受けていまして。いろんな奇行とかですね、非常に変わった発言とかをして、結構それを笑いものにする人たちもいっぱいいて、いろいろ大変だったわけですけれども。
ただ、アイルランドの人たちはものすごくこのシネイド・オコナーさんを愛しているってことがすごくわかったことがあって。あのね、別の観光バスに乗った時に……観光バス、めちゃくちゃ乗っているんで。アイルランド中にツアーで行ってましたんで。バスからバスへと、アイルランドを全部制覇してましたんで(笑)。
(アンジェリーナ1/3)すごい(笑)。
(石山蓮華)3週間ですもんね(笑)。
(町山智浩)そう。で、そっちのバスでね、アレックスっていう兄ちゃんがガイド兼運転手をやっていたんですけど。「お客さん、OK。アイルランドについて、ちょっと話したいことがある」って言い始めたんですね。「アイルランドっていうのは昔は人口が800万人いたんだけど、今は500万人しかいないんだ。100万人は死んだ。人口の8分の1が死んだ。そして人口の4分1の200万人はアメリカとか他の国に逃げていった、300万人も失ったその原因というのは、1840年ぐらいにあったジャガイモ飢饉のせいだ。アイルランドの人々は主食をジャガイモに依存してたんで、それでいっぱい死んだという風に言われいて。ポテト飢饉という風に学校で教えられただろう?」って言うんですよ。
で、僕もそういう風に学校で教えられてましたよ。「でも、それは嘘なんだ。大勢死んだ原因は、飢饉じゃないんだ」ってそのアレックスさんが言い始めたんですね。「それはその当時アイルランドを300年ぐらいに渡って占領して、植民地にしていた大英帝国。イギリスが、アイルランドにはその頃、ジャガイモ以外にもあった食料……たとえば牛肉とか。あと周りが海だから魚もいっぱい取れて。それからそれ以外の野菜とか果物もあったんだけども、それを全部イギリスに送ったからだ」って言っていたんですね。
で、イギリスはその頃、産業革命になっていて、農業従事者がみんな工業労働者に変わっていったんで、食料不足が起こっていたんですよ。
(石山蓮華)じゃあ、もう本当に食文化が変わって、加工食品を作るためのその材料とかもどんどん輸入をしていた?
(町山智浩)そう。ソーセージとかも作り始めたんで、そうなんですよ。で、「軍隊まで使ってアイルランドから食料を全部、取り上げて。没収してイギリスに送っていったんで、アイルランド人がいっぱい死んだ」ってそのアレックスさんが言うんですね。で、ただその後、ふと思い出したんですけど。そのポテト飢饉についての話はシネイド・オコナーさんが90年代に『Famine』という歌で歌ってたことなんですよ。ちょっとかけてもらいますか?
Sinead O’Connor『Famine』
(町山智浩)これね、ラップなんですけども。これ、さっき僕が言ったアレックスさんの話と同じことを歌っていて。アレックスさんはたぶん、パクっているの。この話し方とかを(笑)。
(アンジェリーナ1/3)逆に?(笑)。
(石山蓮華)今、聞こえた歌詞と全く同じ……。
(町山智浩)そう。話し方が歌詞と同じだったんですよ(笑)。
(アンジェリーナ1/3)ラップをさらに言葉にしたんだ(笑)。
(町山智浩)そうなんですよ。で、僕はよく考えたら、このポテト飢饉についての実態っていうものを初めて歌ったのがシネイド・オコナーさんだったんですよね。当時。
(石山蓮華)じゃあある意味、その知らなかった、常識とされていたことに対して告発するような歌を作ったってことなんですね?
(町山智浩)そうなんですよ。それで「学校で教えられてることは嘘だよ」っていう歌なんですけど。この歌、後半がすごくて。「それでアイルランドってのは踏みにじられたから、イギリスと戦争して独立を勝ち取った後も、そのひどい虐待を受けたトラウマによって、男尊女卑がひどいし、家庭内暴力もひどいし、喧嘩も多いし、アル中やドラッグ中毒、そして内戦もあったし、ひどいめちゃくちゃな国になってしまったんだ。それは虐待された子供が虐待された後、暴力的になるのと同じなんだ」って歌う歌なんですよ。これは。「心を病んでるから、大人になってからもそれはなかなか克服できないんだ」っていう歌なんですね。これは。歌の後半が。
(石山蓮華)傷が国ごと、人に連鎖していくっていう?
(町山智浩)そうそうそう。まさにそういうことを歌っていて、すごい深い歌なんですけど。これを彼女が歌ったっていうのは、彼女自身が実は虐待された子供だったからなんですよ。
(石山蓮華)そうだったんですね……。
(町山智浩)このシネイド・オコナーさんはまず、『Troy』という歌でデビューするんですけれども。これがすごい歌で。もう絶叫し続ける歌なんですね。
Sinead O’Connor『Troy』
(町山智浩)この歌はね、だんだんだんだんシネイド・オコナーさんの怒りが高まっていって、最後の方は絶叫するんですけれども。この歌はね、自分のお母さんに対して歌っているんですよ。
(石山蓮華)母親に虐待された経験を?
(町山智浩)そうなんです。で、お父さんとお母さんは別居していまして。そうそう。その頃はアイルランドはまだ離婚がね禁止だったんです。法律で離婚が許されていなかったんで、別居をしたんですけども。その別居した後、お母さんはどんどん心を病んで、シネイドさんを虐待したんですね。で、シネイドさんってね、子供の頃、ものすごい美少女だったんですよ。で、「あんた、男を誘ってんじゃないか?」みたいなこと言って、幼いシネイドさんを性的に虐待して。で、「これはちょっと一緒にいられない」ということで、お父さんの家に行ったんですね。で、お父さんはもう既に別の人と結婚してたんですけれども。
ところが、そのシネイドさんは虐待されていたのと、あとお母さんで万引き癖があったんで。お母さんと一緒に万引きをしてたんで、ここでも万引きをし始めるんですよ。10代で。で、お父さんはそれで非常に困っちゃって、彼女をマグダレン修道院というところに入れちゃうんですね。で、そのマグダレン修道院というのはアイルランドの非常に汚点となっている修道院で。アイルランドはその頃、未婚の母がいたりすると……要するに未成年とか、結婚していない女性が子供を妊娠してしまうと、それを罪として、その修道院に監禁していたんですよ。
(石山蓮華)法律が変わるまでですね。
(町山智浩)法律が変わるまで。90年代に女性大統領が出て、それを廃止するんですけど。そういったものをね。でも、その当時はそこに入れられてて、そこで強制労働をさせられるっていう事態があって。で、その中で年老いて死んでいく人も多いんですよ。で、シネイドさんが入った時は歳を取ったおばあさんがいっぱいいて。10代の頃に子供を妊娠したんで、そこに入れられて、まだ出られないっていう人がゾロゾロいたって言ってますね。はい。そのまま死んで、その修道院の庭にはその人たちの墓がいっぱい残ってるんですけど。そこで彼女は「ここから脱出しなければ!」ってことになるわけですよ。今度は。
(石山蓮華)そうですよ。もう人生がそこで終わっちゃうと思うと……。
(町山智浩)終わっちゃうんですよ。で、彼女はそこで歌を歌い始めたんですよ。で、歌がものすごくうまくて。それでやっぱりその修道院の修道僧の人も「これはちょっと出してあげなきゃ。この子はこれで食えるわ」っていうことで、彼女を出してあげるんですよ。
(アンジェリーナ1/3)だからきっと楽曲もそういうのが多いんですよね。
(町山智浩)そうなんですよ。で、シネイド・オコナーさんのトレードマークっていうと、丸坊主に剃った頭なんですけど。
(石山蓮華)私もそのイメージ、あります。
(町山智浩)あれをどうして剃ったか?っていうのが自伝に書いてるんですけど、二つ理由があって。ひとつはやっぱりお母さんから「お前は男を誘ってるんじゃないか」って言われたりとか。あと彼女は実際にレイプされたりしてるんですね。で、男の子に見えるようにということで剃ったという。それと、やっぱり修道院……昔のカトリックの修道女って、頭を剃っていたんですよね。そのイメージがあって。要するに、修道院の外に出れないようにということですよ。それで剃っていたんで、その関係で彼女は剃っていたんですけれども。まあこの後も、そういった形で自分の身を切るような歌を歌い続けるんですが。
それで彼女が歌い始めた頃、お母さんが彼女が18歳の時に交通事故で亡くなっちゃうんですね。で、今の歌は「お母さんは自分に対して謝ってほしかったのに、謝る前に死んじゃった」っていう怒りの歌なんですよ。だからもう、行き場のない母親に対する怒りを抱えたまま、彼女はその後ずっと歌手として活動し始めるんですけど。そのへんでね、すごく重いものを背負ってる人なんですが。それで、彼女は歌で世界的なスーパースターになったんですけれども。彼女はその後、ピーター・ガブリエルっていう歌手と付き合うんですよ。ピーター・ガブリエルって、日本でも大ヒットを飛ばした、元ジェネシスの人なんですけども。結構年上の人ですけどね。
ところがね、デュエットとかしたり、一緒にコンサートに出たりするんですけど、ピーター・ガブリエルから捨てられちゃうんですね。で、そのことを何曲かの歌に歌ってるんですけれども。そのうちのひとつがね、『This Is a Rebel Song』っていう歌なんですよ。それは別れてから5年ぐらい経ってから作った歌なんですけど。
Sinead O’Connor『This Is a Rebel Song』
(町山智浩)これはすごい悲しい歌で。英国人、イギリス人に恋したんだけれども捨てられたアイルランド人の女の子の歌なんですね。で、これは普通、ピーター・ガブリエルとの関係から歌われたんだろうなと思うんですけど、タイトルが『This Is a Rebel Song』っていうタイトルで。「これは政治的な反逆の歌なんだ」っていうタイトルなんですよ。
(石山蓮華)じゃあ、その国の、アイルランドの歴史と自分自身のその恋を……。
(アンジェリーナ1/3)かけ合わせたっていうことですね。
(町山智浩)そう。重ね合わせてるんですよ。イギリスに蹂躙されたアイルランドの国としての悲しみを歌ってる歌なんだっていう風に彼女は言ってるんですね。
(石山蓮華)本当に強い方ですね。
(町山智浩)はい。だからアイルランドの人は彼女自身のいろんな人生の苦しみを、アイルランドという国が受けてきた苦しみとひとつのものとして捉えてるんですよ。
(石山蓮華)そうですね……。
(町山智浩)ところが、その彼女に1992年に大変なことが起こって。アメリカのテレビで一番人気のコメディ番組があって。『サタデー・ナイト・ライブ』っていう番組の生放送に出演した時、その当時のカトリック一番偉い人、ローマ教皇のヨハネ・パウロ2世の写真をカメラの前に出して、彼女はそれを引き裂いたんですよ。
(石山蓮華)有名なシーンですね。
(町山智浩)これで大問題になっちゃって。それで、彼女が「本当の敵と戦え」って言いながらローマ教皇の写真を引き裂いたんですけど。それはその当時、カトリックの神父とか、聖職者たちが少年や少女……主に少年なんですが。を、レイプしていたっていう告発が出てきた時なんですよ。そのことをシネイド・オコナーはテレビで訴えたんですけど。そしたら、その当時はまだ「その告発は嘘だ」って言われていて。ほとんどの人は信じていなかったので、その世界中のカトリック信者って10億人以上、いるわけですけど。それを全部、敵に回しちゃうんですよ。で、もうどこに行ってもブーイングで、演奏もできない状態になるだけじゃなくて、レコード会社から契約を切られるし、テレビにも出演ができなくなるし。で、そこで彼女のキャリアがもうほとんど終わっちゃうんですよ。
で、後から考えると、その後にカトリックの聖職者による少年に対するレイプは全部、事実だったということが判明して。それこそ4000人ぐらいの聖職者がそういうことを1万人以上の信者の少年に対してやっていたことがはっきりして。それでバチカン、ローマカトリックは賠償をすることになったんですけれども。ただ、彼女は早すぎたんですよ。
(石山蓮華)そうですね。92年だとやっぱり、児童虐待とかを聖職者がやるわけないって思い込まされてたんですよね。
(町山智浩)そうなんですよ。だから、彼女はそれでだんだん周りから追い詰められていって、のけ者にされていって、精神の均衡が壊れていくんですね。で、かなりもう病院に出たり入ったりとか、自殺未遂を繰り返しとかしてたんですけれども。ただ、2014年にね、彼女は『Take Me To Church』っていう歌で「私はもう大丈夫よ」っていう歌っていて。「もう元気になったから」って歌ってたんでみんな、結構ほっとしてたんですけど……。
(町山智浩)ただ、去年か一昨年かな? なんかそのへんで彼女の17歳の息子さんが自殺をしちゃって。で、おそらくそれが……今回、死因ははっきりしてないんですけれども。発表されてないんですが。おそらく、それの原因じゃないのかなという風に推測されているんですね。で、アイルランドはトラウマを克服して今、世界で2番目に豊かな国になってるんですよ。
(石山蓮華)そうですよね。
(町山智浩)ところがシネイド・オコナーさんはそのトラウマを最終的には克服できなかったのかなというところでね。で、彼女の『愛の哀しみ』っていう歌はね、「歌う時に死んだお母さんのことを思いながら歌っていた」っていう風に言ってるんですけど。今は彼女自身の追悼の歌になっちゃったですね。
(石山蓮華)なるほど。有名な曲ですけど。そうか。なんか、そういう人生を振り返って、また聞こえ方もより一層の重みが感じられますね。
(町山智浩)自分の身をね、刻みながら歌ってた人なんで。ちょっと普通の歌とは彼女の歌は違っていたんだなと思いますね。で、時間がないんですけれども、『愛の哀しみ』を聞く時は、このシネイド・オコナーさんの人生のことをちょっと思い出して聞いていただけるといいかなと思います。
(石山蓮華)じゃあ、町山さんから曲紹介をお願いします。
(町山智浩)では、シネイド・オコナーさんの『Nothing Compares 2 U(愛の哀しみ)』をお聞きください。
Sinéad O’Connor『Nothing Compares 2 U』
<書き起こしおわり>