Adoさんが2023年7月10日放送のニッポン放送『Adoのオールナイトニッポン』の中で自身が歌い手となるまでの道のりをトーク。小学校1年生でネットやボカロと出会ってから、ネットに作品を発表して歌い手になるまでを話していました。
(Ado)まあ、そんな私は歌い手として活動してるんですが。「歌い手」っていうのは、いわゆる、なんですかね? 歌手とはまた違う、私が名義してる歌い手っていうのはボカロの曲をカバーして投稿させていただいているっていう、いわゆるネット文化から生まれた、ネット文化の歌い手っていう存在でやらせていただいてるんですが。私はね、本当に子供の頃……小学生の時はもうずっと、ネットズブズブで。そもそものネットのスタートも、何歳ぐらいだっけな? 私、割と早いんですよ。小1。だからもう、すごいよね。自分で言っておいて。すごくない?
だからあれだよ。6、7歳。ぐらい。もうエリートでございます! ガキンチョからネットを使っているという、ネイティブでございます。もう、英才教育を受けています! 勉強はほったらかし。ネットの英才教育はピカイチ。本当に嘘なしで、マジでもう6、7歳ぐらいの時から結構ネットは見ていて。そもそものきっかけも、たしか……いや、この話は間違いじゃないんですけど。これは、うちは割と結構特殊っていうか。いろんなものを見せてくれたり。それこそ、もっと幼い時はディズニーランド、ディズニーシーにたくさん連れてってくれたりっていう、いろんなものに興味を持たせてくれた家庭で。
その中でですよ、小1ぐらいの時に私のパピーがさ、パパンがさ、「ちょっとこんなのがあるんだよ」って言って、パピーのノートパソコンでさ、YouTubeを見せてくれて。その時に。そう。だからド初期の、広告とかもついてない、もう一体何が投稿されてたんだ?っていう時のYouTubeを見せてくれて。もう画質とか、どうなっとるんじゃい?っていうぐらいの、画質粗々の時代。今、4Kとかあるでしょう? でも、そんなのはない。なに? もう比率、何? 3対4とかの、絶対見にくいやつ。だから画質480とかの、そういう時代じゃない?
で、もはや合法か違法かわかんないみたいな動画がたくさん散らばっなってる……もはや転載の転載の転載まで行っていて、粗すぎてわからないよ。もはや8bitだよ、みたいな時のYouTubeを見せてくれて。私からしたらもう未知の世界ですよね。「なに、これ?」って言って。何の動画を見せてくれたかは、わかんないんですけど。「こういうのがあるんだよ」って見せてくれて。「えっ、テレビとは違うの?」っていう。テレビはね、テレビでね、普段見てるアニメとかバラエティとかはなくて、謎の動画……当時からしたら謎の動画。なんか、アニメの動画とか、なんだろう? クリエイターさんとかもその時、参加してたのかな? そういう動画とかが流れてきてて。「すごいな!」って、そこから興味を持ち始めて。
父親に超初期のYouTubeを見せられる
(Ado)で、YouTubeを知ったのはそれがきっかけで。で、YouTubeっていう存在を知りながら、過ごしていて。ある日、いとこの家に遊びに行った時に、そのいとこが……いとこもすごいんですけど。いとこが「Adoちゃん、私、最近これにハマってるんだよ」って見せてくれて。いとこの家のパソコンで、いとこがパソコンを使いこなしていて。このいとこもパソコンを使いこなしてるっていう。だからもう、すごい。それも小1ですよ。どんな血筋?っていう感じなんですけど。いとこもパソコンを使いこなしていて。しかも私より。もう、どうなってるんだ? サイバーファミリーやないかっていう。今、考えたらすごっ! だからそういうサイバーを使いこなしてる、サイバーの波に乗っているサイバー家だったんですけど(笑)。もう、いろいろおかしいんですけど。
それでいとこが「Adoちゃん、これ見て。私、最近これにハマってるんだ」ってパソコンを開いて。「あっ、YouTubeだ」と思って。それでYouTubeを開いて見せてくれたのが、ボカロ曲の『悪ノ娘』っていう曲の二次創作動画で。『悪ノ娘』っていうそもそも曲が結構、なんかダーク寄りなストーリーでして。今、聞いても割とハードだなっていうダークな世界観寄りなんですけど。二次創作動画はそのダークな世界観……楽曲のストーリー的にはちょっとバッドエンド寄りな。
たぶんマリー・アントワネットをテーマにしている楽曲なので。元々、そこにインスパイアされたっていう楽曲でもあって。結構、だから本家様の動画は曲調を含めてダークだったんですけど、その二次創作動画はなんかほわほわしている、そのストーリーをほのぼのとしたタッチで描いたよ、みたいな感じで。まず最初に見せられたのが二次創作動画っていう。一次創作、知らないんだけど?っていう状態で見せられたんですけど。
で、その時に「なに、これ?」ってなって。まず、新しい動画で「なに、これ?」だし。「誰が歌ってんの?」っていう。そこで私はボカロと出会ってしまったっていう。いとこ! 私はマジでいとこのおかげで今、こうしてボカロズブズブ女になったっていう。もうサイバーの血がその時から騒ぎ出し、そのサイバーの血によって私はボカロズブズブ人間になったっていう。そう。そのいとこが動画を教えてくれた後にも、父親が私に「使いたい時は使っていいよ。使う時は声かけてくれたら使っていいよ」みたいな感じで言ってくれて。それで私は自由にパソコンを使えたので。
私も帰ってきて「あのいとこが言っていたの、これかな?」って頑張って打って。当時、サイトで調べて。「あっ、出てきた。これだな」って言って、お気に入りとかして。「お気に入り」とか私、その歳で覚えてるんですよ。お気に入りして。それでYouTubeだから、関連動画も右側に出てきて。「えっ、なにこれ、なにこれ? なんか他の楽曲もある。はつおん? はつおんミク?」って。当時、「初音ミク」の読み方なんてわからないから「はつおんミク」とか言って。「あっ、なんか、かわいい! なんかわからないけど、かわいい! あっ、なんか他の曲も出てきた。うわーっ!」って。で、そこからもうボカロの宝に私は沈んでいって。「ああっ……」って、もうボカロ沼に沈んでいって……っていう。
で、そこからいろんな楽曲を聞いて今に至るっていうのがね。そう。まず、父親にYouTubeというのを教えてもらい。で、いとこにYouTubeの『悪ノ娘』の動画を教えてもらい。しかも二次創作の動画を教えてもらい。それで家に帰って自分で調べて。自分で調べるっていうサーチ能力もあるもんだから。カタカタカタッて調べて。で、そのいろんなことがあって現在に至るっていう。
まあでもね、いとことかは知ってたんですけど、やっぱりその時……だってその時が小1だから2007、8年ぐらいで。やっぱり周りで知ってる人はね、全然いなかったんですよ。小1だし。それが小3、小4になっても、当時はいなかったんですよ。で、だんだん……小4ぐらいから「あっ、それ知ってるよ」みたいな感じで。「初音ミク」っていう単語は知ってる人は知ってるみたいな。特にクラスの男子とかは結構……女子よりはその時は男子の方が結構ネット動画とか、今でいうネットミームみたいなのを楽しんでたから、初音ミクみたいなのも知っていて。
だから、なんですかね? 学校全体でボカロが知られてるっていうわけじゃなくて、本当に一部……知ってる子は何人か。本当に少ないもう5人ぐらい。なんだろう? 学校で7人ぐらい? 10人にも満たないぐらい。もっといたかな? 先輩とか、自分よりも年上の学級とかに行ったらきっと知ってたんだろうけど。私の学年では全然少なくて。当時は。もう今じゃ、ボカロ曲はすごい溢れかえってますけど。だからね、給食の時間とかに流れた時はもうマジで自分にとって激熱イベントだったんですよ。「この曲は! こっ、この声は、初音ミク!」みたいな感じで1人で騒いでいたっていう。
「誰が流してんのっ!?」っていう。放送室に走って行って「誰? これ、誰が流したんですか!?」って訴えに行きたいぐらいの。今じゃ、それこそ私よりも年下の人たちはそれこそね、私の曲が流れましたって報告をしてくれる方とかもいると思うんですけども。やっぱり当時にしたら、歌い手の曲が流れることも、ボカロが流れることも大イベントだったんですよ。そんなこと、あるの?っていう、一大イベントだったんで。それが今じゃこんなに人気になったっていうのが、自分としてはよかったっていうか。
それこそ、結構やっぱりアンダーグラウンドなところが原点なので。いわゆる、完全ネット文化なところからボカロとか、歌い手っていうのは始まっているんで。なんかこうして公になってるってのはマジでいいなって思うんですよね。私はね、でもYouTubeもニコニコ動画もですが、そんなにコメントする人間じゃなかったですね。なんかコメントを楽しむ側。流れてくるコメント楽しむ側にいましたね。私は。「あっ、わかる」って心の中で思ったりとか。あと、ニコる機能っていう、いわゆる「いいね」的なのがあって。たまにそれを押すみたいな。
だから本当、基本的には完全視聴者みたいな感じで。で、ネット文化で本格的に私が動き出したのは、それこそ本当に歌の投稿とかで。だからそれが……ネットに歌を投稿するっていうのは、さっき言ったnanaっていうアプリだったり。あと当時はね、私がニコニコ動画に初投稿したのは中2なんですけど。その中2よりも前に、実は私は歌自体はちらほらアップロードとかはしてて。
当時は、3DS……DSの次に出た3DSってやつで。これ、DSの時にもあったんですけど。『うごくメモ帳』ってアプリがあって。自分でアニメーションとかを書けるソフトで。そこにインターネットワールドみたいなのがあって。そこに行くと、いわゆるなんかSNS的な、本当にいろんな、pixiv的な作品が見れるみたいなので。そこになんか、「うごメモ歌い手」みたいな。『うごくメモ帳』のことを『うごメモ』って略されていたんですけども。そこで、ニコニコ歌い手じゃなくて、うごメモ歌い手みたいなのもいて。
まず、その時小6ぐらいの時って、自分のパソコンもないし、機材もなかったから。でも唯一、自分が持ってる機材としては、3DSだったから。「歌い手、やりたい。けど、できない。えっ、うごメモ歌い手っているじゃん! ここからやろう!」ってなって。私、うごメモ歌い手としてちょっとちらほらやっていて。まあ全然、有名じゃなかったですよ。だから自分で絵とか書いたりしてやっていて。
実は3DSを使って……3DSの音質なんてすごい悪いんですよ。ガサガサですよ、もう。全部のノイズを拾うみたいな(笑)。マイクはもう、なんですか? だからもう「ザー、ザー……」みたいな。そんな音がずっと流れている中、無理やり歌ってるっていう。ずっと砂嵐みたいな音質で。それで音源を流しながら投稿したり、みたいなのがあって。それでやっとそこから、自分で知識とかも得てようやく中2で完全歌い手デビューみたいな感じで。だから自分でネットになんか投稿をし始めたのは……だから「ネットに自分を出し始めた」っていう言い方がいいのかな? それは小5、小6あたりの3DSからっていう。そう。意外と踏み出し始めたのは3DSっていう。だから、3DSっていうああいうちっちゃい機械でね、大きいサイバーに飛び出せるっていうのは改めてすごいなって思うし。
なんならそこのうごメモで活動してた人が今ではもう、ネットで有名な漫画家さんになっていたりとか。あと実際にたとえば、いらっしゃるかどうかはわかんないけど、アニメ制作会社とかに……どの会社かはわかんないですけどアニメの制作会社に勤められてたり、みたいな。そう。任天堂さんのあの小さな小さな機械でいろんな才能が育まれていたっていうのもあって。だから本当、私は小1から今に至るまでずっとネット、そしてずっと聞いてた曲もボカロっていうズブズブ女で。ネットズブズブサイバー女(笑)。
3DS『うごくメモ帳』に投稿
(Ado)ちなみに自分のパソコンっていうのだと、私はずっと親のパソコンでやっていて。はじめて自分のパソコンを持ったのは高1とかで。MacBookをありがたいことに買ってもらって。で、頑張って自分で作曲してた時期もあったりしてっていう。意外と、それまで自分のものってなくて。基本的に、自分のものの機材っていったら、3DSぐらいしかなかったっていう感じでもあって。だから意外と親、ありがとうっていうのが多い。
そう。あの時、パソコンでYouTubeを見せてくれてありがとうって。そして、いとこは私にボカロを教えてくれてありがとうっていう。マジで感謝っていうのをめちゃくちゃ伝えたい。そんないろんなものを得て今、私はここでしゃべらせていただいてるんですけれども。
<書き起こしおわり>