ZEEBRAさんが2022年12月24日放送のJOY FM『”PRIMECUTS” RADIOSHOW』にゲスト出演。DJ SOULJAHさんと幼少期からラッパーになるまでを振り返り、ニューヨークで見たKRS ONEのパレードをきっかけにMCになることを決めたと話していました。
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(DJ SOULJAH)僕、DJ SOULJAHがお送りします株式会社OONO presents『DJ SOULJAH “PRIMECUTS”』。ここからはランチタイムにぴったりの豪華ゲストをお迎えしてお送りします。本日のゲストは、ソロ活動はもちろんのこと、キングギドラ、KGDRのMC。DJ DIRTYKRATESとしてのDJ活動。はたまた、渋谷観光大使。ナイトアンバサダー。そしてテレビ・ラジオに多数の番組を手がけるプロデューサーの顔も持つヒップホップアクティビストのZEEBRAさんです。こんにちは!
(ZEEBRA)よろしくお願いします。俺、いろんな顔、持ちすぎだよね?
(DJ SOULJAH)いやいや(笑)。ぜひ、よろしくお願いします。逆に今だとジブさんがやってる番組でアーティストにインタビューすることの方が多くて。『LUNCHTIME BREAKS』も見させてもらってますけども。ちょっと今回、時間の許す限り、ジブさんの最初の頃から現在の活動まで、軽く振り返られればと思います。お願いします。ということで、まずそのMC、もしくはDJとしての活動の前のZEEBRAさんの部分から、軽くちょっと……幼少期は、どのような感じの子供だったんですか?
(ZEEBRA)幼少期っていうと、幼稚園とか小学生?
(DJ SOULJAH)そうですね。小、中ぐらいまで。
(ZEEBRA)ええとね、小学校2年生まではね、一人っ子だったのよ。SPHERE、弟が8歳違うから。それまでは一人っ子で。だから意外と1人遊びとか、すげえした子供だったの。ちっちゃい時は。まあ、母親が元々、すげえ遊び人というか。もうひたすら、ディスコに行きまくる人だったんで。そういう音楽はすごく家でよくかかってたし。
(DJ SOULJAH)それは、洋楽ですか?
(ZEEBRA)洋楽。だからレコードも結構、いろいろそういうのがうちにあって……みたいな感じだったかな? 邦楽を全く家で耳にしたことがないぐらい。
(DJ SOULJAH)で、幼少の頃にその当時のブレイクダンスにちょっとはまってみたり?
最初はブレイクダンスにハマる
(ZEEBRA)そうだね、俺はやっぱりマイケル・ジャクソンがものすごいデカくて。マイケルの『Thriller』がやっぱりすごく大きくて。で、とにかく俺は踊りがそのへんから、とにかく興味ができちゃって。ダンスはさ、もうそれこそ当時、エマニエル坊やっていうのがいて。なんか、そういうちっちゃい子が踊りを踊ることが、もてはやされる感じがあって。だから俺とか、家に母親の友達がすごいワーッとよく、ハウスパーティーみたいな感じで家に人が来るわけよ。そうすると「ああ、ヒデ。こっちに来なさい。マイケル・ジャクソン、やりなさい!」って言われて、みんなの前でマイケルの踊りをさせられるみたいな。
(DJ SOULJAH)なんかTwitterの中にジャパニーズヒップホップトリビアみたいなのでそれ、見たことがあって。「ジブさんが幼少の頃、名だたる人たちの前でマイケルダンスを踊れ」って言われてやっていた、みたいな。
(ZEEBRA)あのね、スパイダースっていうグループサウンズのメンバーとうちの母親が仲良かったから。ムッシュかまやつさんとか、マチャアキさんとか。そういう方々がちょいちょい、家に来るわけよ。
(DJ SOULJAH)すごいメンバーの前でやってましたね(笑)。
(ZEEBRA)「おお、ムーンウォーク、できるのか!」と井上順さんに言われて……みたいな感じだったから。なんとなく、その頃からちょっとしたショーマンシップみたいなものに対する興味はすごくあったし。というのは、あったのかな。あとはね、俺は放送委員だったのよ。小学校の時に。で、放送室はもちろんフェーダーもあるし。昼にね、学校のニュースをしゃべるみたいなのがあって。そのニュースも俺はしゃべってて。で、先生に褒められたことはほとんどないんだけど。「ニュースはうまいな」っつって、すげえ褒められてたから。
(DJ SOULJAH)へー! じゃあ、その片鱗はあったんですね。
(ZEEBRA)だからある意味、今俺がWREPとか、そういうラジオやってたりするのは、ヒップホップよりもさらに昔の自分のやりたかったことでもあるというか。
(DJ SOULJAH)DJ目線で見ていくと、その当時好きだったDJってのは誰になるんですか?
(ZEEBRA)うーん。レッドアラートとかなのかな?
(DJ SOULJAH)まさに『真っ昼間』のリリックに出てくるような?
(ZEEBRA)そうだね。そうそうそう。どうしてもそれを味わいたいなってなって、17の終わりぐらいに「ニューヨークに行ってみよう!」ってなって。で、ちょうど同い年の女の子がニューヨークに留学してて。その友達の家がマンハッタンにあって。そこでその17歳の女の子が一人暮らしだったのよ。だから、そこの家に遊びに行ったら「もう、ここにいるしかねえな」ってなって。で、だいたい1月ちょっと、いたのかな?
で、もうその時には俺も学校に行ってないプータローだったら。もうとにかく、なにか吸収したいみたいな。で、その女の子自体も結構、そういうのは興味があって。レゲエが好きだったんだけど。日本でクラブとかも行ってた子だったから。「タンテ、買った方がいいよ!」って言ってタンテとミキサーを買わせて。それでひたすら俺がこうやっていたっていうのがあったかな。
(DJ SOULJAH)その時期ですか? ジブさんのインタビューでよく出るKRSのパレードを見たっていうのは?
(ZEEBRA)ああ、そうそう。それそれ! その時期にちょうど、だからレッドアラートのショーを聞いてたら「明日、アスター・プレイスに集合して『Home For Homeless』っていうパレードをやるから。いろんなラッパーが集まるから、みんな来い!」っていうから、「これはもう、行くしかない!」ってなって行ったら、もう、そうそうたるメンツがずらっといて。
いろんなやつがいたけど。やっぱり、そのタイミングではもうBDPが大好きでしょうがなかったから。「これを追いかけていけ!」ってなって。その女の子と2人で、その連中を追っかけて。なんとなく一緒にパレードしたっていう。
(DJ SOULJAH)それがまた、MCに転換するきっかけですもんね?
KRS ONEから受けた衝撃
(ZEEBRA)そう。その時に「うわっ、すげえな! この人たちって、このニューヨーク……世界のカルチャーのど真ん中。そこをロードブロックしながらメッセージを伝えられてるのか! すげえ!」ってなって。「こういうことを俺もやりたいな!」ってマジで思わされて。で、「リリックを書いてみよう」みたいなことにつながって。
(DJ SOULJAH)ということは、もう本当にその時代に経験したり、見聞きしたことも含めてがもう、今の活動のベースなんですね。
(ZEEBRA)そうだね。完全にベースだね。だから、たとえばその観光大使だのなんだのって、やらせてもらったりもしてるけど。最近だとコロナ禍で、クラブとかそういうところはなかなか補償が出ないってやつも、文化庁に行ったり。小池百合子さんに会いに行ったりだとか、いろんなことをして話を進めていくというか。だから、そういう社会的な活動の一部というか。
(DJ SOULJAH)なるほど。それでは、ここで1曲、かけたいなと思ってる曲があって。今年、僕は結構日本語ラップの中でも特に印象が強い曲で。DJ TATSUKIくんの『TOKYO KIDS』。あれのリミックスにジブさん、この間、参加されていて。なんか、どうもジブさんがあの曲の影のプロデューサーというか、1枚噛んでるっていうのは……。
(ZEEBRA)あのね、やっぱりあの曲ですごい意味のある曲というかさ。やっぱり美空ひばりさんといえば、昭和の歌姫。日本を代表する歌手で。その人の曲が今の音楽として生まれ変わって、今のさらに若い世代のイケてるラッパーが乗っかって……っていうのはすごい夢のある話だなと思ったから。これはもう、二つ返事で「ちょっと連絡してみるよ」って。で、連絡したら「ああ、面白いね」ってなって。「じゃあ、ちょっと1回会おう」ってなって。で、もう意気投合してくれて……みたいな。
(DJ SOULJAH)なるほど。じゃあ、リミックスまで考えて作られたわけじゃないんですね?
(ZEEBRA)そうじゃない。ただ、俺は絶対やりたかった!(笑)。
(DJ SOULJAH)まあ、でもそういう曲ですもんね。あれって。東京賛歌ですもんね。言っちゃえば。
(ZEEBRA)そうそうそう。だから俺も、俺たち世代みたいなやつらがバッと入ったバージョンもあってもいいかもな、なんていうのはうっすらと頭では思ってました。
(DJ SOULJAH)なるほど。じゃあぜひ、曲振りをお願いします。
(ZEEBRA)聞いてください。DJ TATSUKI『TOKYO KIDS Remix feat. Zeebra & 般若』。
DJ TATSUKI『TOKYO KIDS Remix feat. Zeebra & 般若』
<書き起こしおわり>
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