吉田豪 秋元康を正しく批判するために知っておきたい基礎知識を語る

宇多丸 野外フェス『波物語2021』問題を語る アフター6ジャンクション

吉田豪さんが2022年5月9日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中でなにかと批判されがちな秋元康さんについて、実は誤った認識に基づいた批判が目につくという件を紹介。批判をするのであれば、最低限踏まえるべき基礎知識を宇多丸さんと話していました。

(宇多丸)秋元康さん、ご存知ね、AKBなどでもおなじみ……えっ、秋元康さんを正しく批判するための基礎知識ってこれ、なぜこのタイミングでそういうのをやろうと思ったんすか?

(吉田豪)最近、たぶんAKBの勢いが落ちてきたこともあって、秋元康関連のアイドルぐらいしか知らなそうな人とかが「日本のアイドルはK-POPと比べてパフォーマンスも音楽もレベルが低い」的な批判記事をネットで結構書きがちになってきていて。全然それはいいんですけど、「この一言が入るだけで説得力がなくなっちゃうんだよな」っていうフレーズがあるんですよ。

(宇多丸)ほうほう。

(吉田豪)それが「秋元康はおニャン子クラブのプロデューサー」っていうやつで。

(宇多丸)ああー。あの時点ではだって、放送作家で。作詞はしているけど、そんな権力はないですもんね。だってね。

「秋元康はおニャン子クラブのプロデューサー」は誤り

(吉田豪)ブレーンですよね。ブレーンであり、作詞家なだけであって、プロデュースはしてないんですけど。ただ、実はこれ、Wikipediaにもそう書かれてるんですよね。

(宇多丸)ああ、そうなんだ。そりゃ大問題だ。

(吉田豪)それを信じちゃってる人も多そうだし。というか、Wikipedia情報で批判原稿を書いてる人が多そうだっていう。

(宇多丸)ああ、たしかに。まあね。そうかそうか。なんか、秋元さんご自身にたとえばインタビューとかした時も、「俺、これやってないのにな」とか、そういう……。

(吉田豪)そうそう。そういう風にぼやくこと、多いじゃないですか。

(宇多丸)というか、ぼやかれることしかまずないっていうか(笑)。「クソ曲とか、言わないでよ」みたいなね。「一生懸命、作っているんだよ」なんて(笑)。

(吉田豪)そうなんですよ。だから、正しい知識で正しく 批判してほしいっていうね。

(宇多丸)批判するならね、当然ちゃんとした知識でやれっていう。わかりました。では、行ってみましょう。吉田さん、お願いします。

(吉田豪)はい。じゃあ1から、ルーツから説明したいんですけど。AKBやモーニング娘。を筆頭に、今は当たり前になっている卒業とか加入のシステムとか、選抜メンバーでユニットを作るシステム。「そのルーツはおニャン子クラブだ」って言われがちなんですけど、これ正確にはオールナイターズなんですよね。

(宇多丸)ああ、そうか! その前にね。要するにオールナイターズの女子高生版としておニャン子、『夕やけニャンニャン』は始まったんだもんね。『オールナイトフジ』が最初ですよね、たしかに。

(吉田豪)そうなんです。1983年に始まった『オールナイトフジ』が女子大生の番組だったから当然、卒業も加入も当たり前だしっていう。で、その中の人でなんとなくユニットを作ったりとかしてたのが『オールナイトフジ女子高生スペシャル』をやることになって。

(宇多丸)そうだ!

(吉田豪)スタッフも出演者も同じままで、好評だから女子高生版も作ろうっていうことでやったんですよね。85年の2月、3月にやって。

(宇多丸)その後の『夕やけニャンニャン』の爆発がすごかったから忘れられちゃいがちだけど、そうだ。

(吉田豪)そうですよ。くれぐれもベースは『オールナイトフジ』なんですよ。で、あの『オールナイトフジ』でやっていた業界ノリみたいなものをそのまま持っていって当時の業界ブーム的なものにも繋がっていくっていうことだと思うんですよ。

(宇多丸)まあ、とんねるずの時代ですよね。だからね。

(吉田豪)そうですね。業界用語を素人が多用するというね。なので、本当にさっきも言いましたけど秋元康はあくまでも企画ブレーン兼作詞家であって。実質的なプロデューサーはフジテレビの笠井(一二)ディレクターなんですよね。フジテレビの笠井さんっていう人は秋元さんの歌詞へのダメ出しとか、書き直しっていうのも日常的で。メンバー選びもコンセプトも笠井さんによるものだったっていう。

(宇多丸)へー!

(吉田豪)ただ、最近になって「当時のこのおニャン子の歌詞はひどすぎる。これはハラスメントだ」的な感じで叩かれ始めてますけど。それもだからたぶん、コンセプトも含めてこの笠井さんが主導してる部分が多いと思うんですよ。そもそも『夕やけニャンニャン』っていう番組名自体がアウトなんですよね。

(宇多丸)「ニャンニャン」ってこれ、説明必要ですけども。「ニャンニャン写真」とかね。

(吉田豪)そうです。いわゆる性行為を意味する隠語であって。さらに言うと本来は『夕暮れニャンニャン』のはずだったんですよ。つまり、当時話題になってた「夕暮れ族」っていう、愛人バンクですね。

(宇多丸)愛人バンク……もう全部、説明が必要だけど。

(吉田豪)そう。説明が必要なんです。完全にアウトなものと女子高生を結びつけるっていう時点で、もうコンセプトからアウトなんですよ。

(宇多丸)でも当時はそういう露悪をなんていうか、テレビ……特にフジテレビのそういうノリが面白がられていたし。そこで別に糾弾もされないっていう時代性があったっていう。

(吉田豪)そうです。そういうおもしろがりがたぶんね、当たり前だった時代だったという前提はあるんですけども。で、これがまあ、『夕やけニャンニャン』が話題になります。で、大爆発して、おニャン子クラブも人気になっていくんですけど。想像以上にあれって短いんですよね、活動期間が。

(宇多丸)2年やそこら?

(吉田豪)2年半ですよ。

(宇多丸)ああ、そんなもんだ。

(吉田豪)それも結構、異常じゃないですか。

(宇多丸)たしかに。逆に今、アイドルグループって昔と比べたらすごい寿命が長いですもんね。

(吉田豪)だから結局、あれなんですよね。『夕やけニャンニャン』の視聴率が低迷して、87年8月に番組が終わって、9月にラストコンサートをやって解散っていうことで。要は番組が終わるともうグループも運命を共にしなきゃいけなかった時代。やっぱりモーニング娘。って『ASAYAN』と切り離されたことが成功のきっかけというか。あそこで舵を切ったのが大きいんですよね。絶対に。

(宇多丸)なるほど。そうか。

(吉田豪)ただ視聴率低迷も理由はシンプルだと思っていて。僕とかも当然、リアルタイムですごい好きで見てたんですけど、とんねるずと片岡鶴太郎が毎日、番組に出てるからこそ、「毎日見なきゃ!」ってなってた人たちが、あの人たちが売れて週1ぐらいしか出なくなったんですね。とか、もう降板したりとかで。やっぱり吉田照美や田代まさし司会だったりとか、パワーズやちびっこギャングだとそりゃあ、おニャン子云々は関係なく、番組としてのパワーがなくなったっていうだけの話で。

(宇多丸)たしかに。やっぱりこっちは「タイマンテレフォン」を見ているわけで。とんでもないことを……(笑)。

(吉田豪)毎週が放送事故っていうね(笑)。そりゃ面白いですよ。で、それができなくなっちゃったから結局……だから番組と切り離していればたぶん、グループは存続できたはずなんですよね。

(宇多丸)なるほどね。でも元々、そこまでグループとして育てるとか、そういうつもりも別になかったろうしね。

(吉田豪)そりゃそうですよね。オールナイターズもそんなノリでしたからね。だから、予想外に売れちゃったっていうことなんだと思います。

(宇多丸)で、そこから単独で生き残ってく人はいたけども……っていうことで。

(吉田豪)そうです。ソロとかでやってたりとかはあるけれども。で、ここからフジテレビがその後もアイドル事業を進めていくんですけど。「そこにも秋元康が関わっている」っていう風に誤解されたりすることも多いんですけど。ここ、実は断絶されてるんですよ。

(宇多丸)関係ない?

(吉田豪)たぶん、これは勝手な僕の予想ですけど。おニャン子はあくまでもフジテレビのコンテンツじゃないですか。なのに、その功績が秋元康のものだと思われすぎたせいなのか、一線を引かれるようになるんですよね。

(宇多丸)ああ、なるほど。

おニャン子クラブ以降のフジテレビ番組系アイドル

(吉田豪)だから87年に『夕やけニャンニャン』が終わって、88年にもまた『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』をきっかけに『パラダイスGoGo!!』が始まって。それで乙女塾が生まれるんですよ。で、これまた期間がすごい短いんですよね。これも1年ぐらいしかやっていない。

(宇多丸)乙女塾もね、いろんな人を輩出はしてるけど。

(吉田豪)そうなんですよ。素晴らしいグループ。音楽的にも最高だったし。CoCo、ribbon、Qlair、中嶋美智代、花島優子とか。で、こちらも笠井プロデューサーによるプロジェクトで。要は、笠井さん単独なんですよね、秋元さんが絡まない笠井さんのプロジェクト。で、いいものをすごい作ってたんですけど……。

(宇多丸)曲、いいっすよね。

(吉田豪)最高です! ただ、やっぱりその前におニャン子クラブがいわゆるヒットチャートを無意味化させたり。これも秋元さんですけど、小泉今日子が『なんてったってアイドル』でアイドル幻想を破壊したり。で、バンドブームが到来して、ベストテン番組が終わったりで、アイドル冬の時代が来てたんですね。

(宇多丸)そうですね。もうちょっと、そのアイドル的な価値が古くなっちゃったというかね。

(吉田豪)そうなんですよ。っていうこともあって、乙女塾プロジェクトが予想外の苦戦を強いられ、番組を早々に終わって、グループはそれなりに続いたんですけど、これもやっぱり93年から94年にかけて、たぶんほぼ同時期にプロジェクトの幕引きが行われるんですよ。ribbon、Qlair、CoCoと。で、続いてチェキッ娘ですよね。これもしょっちゅう秋元さんがね、「チェキッ娘は俺じゃないよ」ってぼやいてるっていう(笑)。

(宇多丸)ぼやいてる(笑)。

(吉田豪)まあ、誤解をされるのもわかるんですけどね。だいぶ近いところがやってたっていうか。これも『夕やけニャンニャン』のADだったフジテレビの水口(昌彦)プロデューサーが「平成のおニャン子クラブ作ろう」と計画して。で、当時秋元さんがセガの社外取締役としてドリームキャストの宣伝担当をしてたから、ドリームキャスト提供で秋元事務所協力による『DAIBAッテキ!!』が98年10月に放送開始。

(宇多丸)それはまあ、そこそこ誤解を招いてもしょうがないような構図ではあったんだけど。なるほど。

(吉田豪)ふわっと関わってはいるけれども、プロデューサーは水口さんであって、秋元康は作詞すらしていないという。

(宇多丸)ああ、そうなんですね。ちなみに秋元康さんは肩書き「作詞家」ですからね。

(吉田豪)「作詞家」とか「放送作家」とかありますけど。そうなんですよ。で、これもまたドリームキャストの人気低迷もあって活動期間は98年10月から99年11月の約1年間。

(宇多丸)ドリキャス派としては大変残念なことですけれども。

(吉田豪)そうなんですよね。これまた音楽的にはものすごい攻めていて、面白いプロジェクトだったんですけど。

(吉田豪)これ、やっぱり97年結成のモーニング娘。に完全に話題をさらわれたっていう。

(宇多丸)だからやっぱり時代はねどうしてもね、1グループとか1作品とかでは覆せないところ、ありますからね。

(吉田豪)あと、まあ大々的な全国ネットの番組とかでもないというか。でも、それを言えば『夕やけニャンニャン』も大阪ではやってなかったとか、そんな状況で。最初の方はやってなくて。だから、つんくさんとかに『夕やけニャンニャン』の話とかを振っても、あんまり通じないんですよ。

(宇多丸)ああ、そうなんだ。へー! 

(吉田豪)放送してなかったから、見ていなかったという。

(宇多丸)それ、関東圏側としてそれは逆にわかんないことです。なるほどね。

(吉田豪)そうなんです。で、これもうまくいかなくて。これが99年に終わって、ちょっと時間が空いてアイドリング!!!が生まれるわけですよね。こちらも秋元さん色はゼロで。もちろん誤解されることもない。これまた長かったんですよ。06年10月から15年10月までの9年間。これも番組終了とともに解散しちゃったんですけど。で、たぶんこのこういうような流れを見ていて秋元サイドとしては「テレビ局のコンテンツとしてアイドルグループを作ると、番組が終わればグループも同時に終わることになるからテレビ局に頼らないグループを作ろう」と計画して。それがAKBだったはずなんですよね。

(宇多丸)はいはい。うんうん。

(吉田豪)しばらくは儲からなくても自力で地道に劇場で活動して。

(宇多丸)劇場という絶対的ホームを持つことで、ビジネスとしての基盤も継続的に持てるもてるしっていうことですもんね。

(吉田豪)で、テレビ局が後から近づいてきたら組むけれども、番組が終わろうが、グループが終わることもなく活動が続くことができるっていう。

(宇多丸)はいはい。一応、論理的にはすごい筋が通っている感じですね。やっぱりね。

(吉田豪)そうですね。で、アイドリング!!!の人たちに話を聞くと、アイドリング!!!はそんなに活動を長年やったんですけど、まあ不遇なグループで。ただ、とはいえテレビ局のバックアップがあったから恵まれてはいたんだけども、「致命的な打撃を受けた」って言ってるのが09年4月にAKBアイドリング!!!っていうコラボユニットを1回、企画でシングルを出して。

(宇多丸)ああ、やってた、やってた。

(吉田豪)「あれでファンをごっそり奪われた」っていう風にメンバーが言っているんですよ。

(宇多丸)ええっ? 持っていかれちゃったんだ! 

(吉田豪)そうなんですよ。

(宇多丸)こういうのってさ、お互いのファンがWin-Winで増えなきゃいけないのに、持っていかれちゃったんだ。

(吉田豪)そうなんですよ。やっぱり接触商法的なものに長けてる人たちと普通に一緒にリリイベをやって並んだりすると、残酷な光景が……。

(宇多丸)ああ、そうだよ! 対客っていうことに関してはもうね、叩き上げなんだから! ああ、ヤバい、それ! でも俺、その生き残り話としては嫌いじゃないな。この話。こういう戦いの話、いいな。面白い!

(吉田豪)だからそのおニャン子でドカンと来た後に距離が生まれ、しかし最終的にはこういう形でフジテレビのアイドルコンテンツに致命的なダメージを与えたのが秋元康だっていう話で。

フジテレビのアイドルコンテンツに致命的なダメージを与える

(宇多丸)そうかそうか。だから「フジとかそういうところと組んでトップダウン型の何かをずっと仕掛けてきた」って思われがちだけど、そんな単純な構図でもないし。なんなら、関わってところも多いし……っていうことだよね。

(吉田豪)ですね。みたいな流れを踏まえて、本当にね、「おニャン子のプロデューサー」とか「おニャン子の仕掛け人」とか書いてあるのを見るたびに「ああ、この人はよく知らないまま適当なことを書いてるな」と思っちゃうんですよ。

(宇多丸)なるほどね。そうかそうか。でも、Wikipediaにまで書いてあるんじゃちょっとその誤りもなかなか訂正されづらいですね。

(吉田豪)そうなんですよ。Wikipediaの問題が結構あって。それこそ少女隊も「秋元康プロデュース」って書いてあって。

(宇多丸)めちゃくちゃだよ!

(吉田豪)めちゃくちゃなんですよ。

(宇多丸)そんなわけあるかい!

(吉田豪)あの世代、あれを見てきた人間だったらわかるじゃないですか。

(宇多丸)そもそも時代感がちょっと微妙にずれてるし。

(吉田豪)そもそも83年に秋元康とは全然関係なく、大金が投じられたビッグプロジェクトであって。それがうまくいかなくて低迷してた85年頃から、作詞やコンセプトでなんとなく参加したぐらいなんですね。

(宇多丸)まだだってそんなに秋元さん、全然ペーペーですもんね。

(吉田豪)そうです、そうです。

(宇多丸)そうかそうか。でもちょっと、それぐらい後の秋元さんの「プロデューサー、黒幕」みたいなね。

(吉田豪)暗躍感がね。

(宇多丸)そう。陰謀論とすごい相性がいい感じっていうか。それがやっぱりありますよね。

(吉田豪)そうなんです。という事情説明をちゃんとしておきたいっていう。

(宇多丸)秋元さんに代わって(笑)。だから批判するならするでいいけども……。

(吉田豪)もちろん。どんどんそれはやるべきですけども。

(宇多丸)でも、なんとなくそのイメージで済まされちゃってる感じがあるってことですよね。

(吉田豪)そうなんですよ。フワッとした批判も多いし。それこそ、最初に言ったような「日本のアイドルはK-POPとかと比べてパフォーマンスも音楽もレベルが低い」的なのって、「いやいや、いろんなアイドルがいるのを見てますか?」っていう。

(宇多丸)そうですよね。「アイドル」っていう言葉が指すものが、現実のアイドルよりもその人の方が狭いんですよ。

(吉田豪)「あなたたち、たぶん地上波で見ているぐらいじゃないですか?」っていう感じの。

(宇多丸)それはそうでしょう。でもそういうのもね、1個1個ちゃんとこっちも発信していかないといけないなということですもんね。それはね。

(吉田豪)そういうことです。全然関係ないこういう説明をしたくなったっていう(笑)。

(宇多丸)いや、俺だから、「いいけど……なんで急にそんなことをやろうと思ったの?」っていう(笑)。ちょっとそういうのがあったんですね。でもまた秋元さんもね、本人に話を聞くとまた面白いから。またいずれ、お話を伺いたいなってのありますけどね。

(吉田豪)ただね、本人が最近明らかにねアイドルへの興味を失ってる感がありますからね。

(宇多丸)本人もそれはね、常に興味の赴くところがあるでしょうからね。

(吉田豪)「今はドラマだ!」って感じでしょうからね。

(宇多丸)ああ、そうかそうか。まあ、でも改めて見取り図を書くということは必要なことだったんじゃないでしょうか。ありがとうございます。

<書き起こしおわり>

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