藤波辰爾さんが2022年1月25日放送のSHOWROOM『豪の部屋』の中で吉田豪さんとトーク。17、8歳の頃、猪木さんの付き人としてアフリカに行った際、猪木さんが1人で先に日本に帰ってしまい、自力で帰国する羽目になった話をしていました。
(吉田豪)あと、僕の大好きな話が今回の本にも書かれてましたけど。藤波さんが猪木さんに外国に置いていかれた話、あるじゃないですか。
(藤波辰爾)この本って僕はずっとね、思い出すことを書き溜めていた文をまとめたんだよね。だから、区切って書いてるでしょう? ダラッと書いたらわからなくなっちゃうんで。「この部分、この部分」って区切って書いているから、割と読みやすいんですよね。その外国で、置いてけぼりをくったやつね。
(吉田豪)ひどい話ですよね?
(藤波辰爾)ひどいでしょう? アフリカ。
(吉田豪)アフリカ。
(藤波辰爾)僕が17歳か18歳だったかな? もう海外も……。
(吉田豪)海外も全然わかんないくらいですよね?
(藤波辰爾)わからない時。僕はもう猪木さんに「アフリカに行くから一緒についてこい」って言われて。海外遠征……要するに普通だったらなかなか行けるとこじゃないんで、ワクワクするんでしょうけど。ワクワクどころか、自分は猪木さんの付き人だから。日本での巡業全く一緒。カバンを持ってずっと行って。ジャングルの中でカメラを持って写真を撮ったり……動物とか自然のそういうあれを撮るどころじゃなくて。1枚も写真がないんだから。
(吉田豪)全然楽しんでないですね。
(藤波辰爾)楽しんでない。猪木さんに何をしたらいいかとか、そういう部分だけですよ。アフリカのジャングルに行ってまでも、そういうなんか……クソ真面目なんだよね。だからそれがね、もうちょっと自分でも、何で楽しまなかったんだろうなっていうね。
(吉田豪)で、一緒にアフリカに行ったのに、猪木さんだけ先に帰っちゃったんですよね?
(藤波辰爾)そう。20日間ぐらいいたのかな? 猪木さんは撮影とかロケとかをやって。で、仕事が終わって。
(吉田豪)それって特番かなんかの企画だったんですか?
(藤波辰爾)特番だったんですね。猪木さんが新日本プロレスを立ち上げてすぐの頃で。『野性の証明』じゃないけども、ジャングルの中で猪木さんがそういう……。
(吉田豪)水曜スペシャル的なやつですかね。
(藤波辰爾)で、ある程度仕事は撮ったんでしょう。そしたら、まだ2、3日余裕があるはずなのに「俺、ちょっと急用ができたから先に帰る」って言って、帰っちゃうんですよね。で、僕は「ああ、そうですか」って……普通、そこで「僕はどうなるんですか?」って聞くでしょう? でも、そういうことは聞けない。もう、聞かないんですよね。
(吉田豪)その時点で日本人のスタッフって、いたんですか?
(藤波辰爾)いない。だから一応、中にコーディネーターが……向こうのアフリカにいる人が間にいて。その方が僕に「実は猪木さん、先に帰っちゃいましたから」「えっ、なぜそれを?」って。それからですよ。だんだん、時間が経つにつれて「僕、どうなるんでしょうか?」って。もう我に返って。
(吉田豪)何日か、そこに普通にいたわけですよね?(笑)。
自力で日本に帰国
(藤波辰爾)そう。2日間ぐらいいたかな? それから、また帰るのも自分で……帰りは一応、当時は時間が入ってないオープンチケットなんだよね。自分でまた空港に行って、時間を入れていかなきゃいけない。で、またよりによって南回りの時間がかかるやつでね。アフリカのタンザニアからまずナイロビに出て。ナイロビからインドのボンベイに出て。ボンベイから向こうの今度、バンコクかな? で、香港をずっと回って帰ってくるルートなんだけども。まあ、もうあんまり寝てないね。寝る余裕がない。
(吉田豪)なにかをしくじったら終わりですもんね。
(藤波辰爾)そう。まあ、置いていかれたその日なんか、アフリカのタンザニアでしょう? もう寝てもさめても、目を開けたら横に槍を持ったマサイ族が立っているわけでしょう? 寝れないって(笑)。
(吉田豪)猪木さんは何を考えて置いていったんですかね?
(藤波辰爾)やっぱりね、一応自分がいざ、危ないとかなった時は、誰か猪木さんはコーディネーターかなんかに言っていたんでしょうけども。その人も、猪木さんがまあひとつ、修行っていうか。やっぱり海外でのいろんなことに自分がどう対応するかとか、そういうことを経験させようっていう気だったんだろうね。うん。でも、あれが万が一、俺が日本に帰れなかったら猪木さんはどうなっていたんだろうね?
(吉田豪)でも、そうなっていてもおかしくないレベルの……。
(藤波辰爾)そうですよ。自分にとっては。
(吉田豪)言葉もしゃべれない人間を放置して。
(藤波辰爾)いやー、本当に猪木さんのすごさはね、そこでも経験させられましたよ。それで日本に帰ってね、猪木さんに会って。一応「帰ってきました」って言ったらニヤーッて笑ってね。「おう、帰ってきたか」ってね。
(吉田豪)絶対にいたずら心ですよね(笑)。
(藤波辰爾)でしょうね。今だったらわかりますよ。携帯電話もあるし、いろんな連絡方法もあるし。
(吉田豪)調べようもありますからね。
(藤波辰爾)当時はまず、あり得ないもんね。連絡しようがないし。
(吉田豪)本当によくぞっていう。
(藤波辰爾)よくぞ、本当に。まあ、でもそれがあるからね、まあ僕は後々の海外遠征も、行ったり来たり……日帰りもするんだけど。全く動じない。どこに行っても平気ですよね。
(吉田豪)言葉が通じなくても何とかなるっていう。
(藤波辰爾)通じなくても何とかなる。アフリカのそれを経験をしているからこそ。
アフリカの経験があるから、どこの国に行っても平気
(吉田豪)だって、マサイ族の方々の中でどういうコミュニケーションするかって話ですからね(笑)。
(藤波辰爾)本当ですよ。もしかしたら俺、そのままマサイ族の中に入っていたかもしれないね。槍を持って(笑)。
(吉田豪)藤波さん、『ウルルン滞在記』とかも全部面白かったですもんね。
(藤波辰爾)ああ、見てますね(笑)。
(吉田豪)最高ですよ。大好きでした。
<書き起こしおわり>