吉田豪さんが2021年6月7日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で少女漫画家の萩尾望都先生と竹宮惠子先生について再び話していました。
(宇多丸)ということで、今夜は前回に引き続き、少女漫画に変革を起こした2人の漫画家、萩尾望都先生と竹宮惠子先生について先月出版された萩尾望都先生の本『一度きりの大泉の話』。私も拝読しまして。まあ、そこを起点にいろいろと前回もお話いただきました。ということで、改めて簡単に……もう言わずとしれたレジェンドのお二方でございますが。2人の先生のプロフィールを熊崎さんから紹介していただきましょう。
(熊崎風斗)はい。まずは萩尾望都先生です。1949年、福岡県生まれ。現在72歳。1969年にデビューをされました。代表作は『ポーの一族』『11人いる!』『残酷な神が支配する』など。日本SF大賞、手塚治文化賞マンガ優秀賞や日本漫画家協会賞。また少女漫画家としての初の紫綬褒章など多々受賞されています。続いて竹宮惠子先生です。1950年、徳島県生まれ。現在71歳。1968年にデビューを果たされています。代表作は『ファラオの墓』『風と木の詩』『地球(テラ)へ…』など。小学館漫画賞、日本漫画家協会賞、紫綬褒章など、多々受賞されたほか、2000年より京都精華大学の教授となり、2014年に学長に就任されました。
(宇多丸)ということで、もう言わずとしれた日本少女漫画を代表するというか、切り開いてきたお二人と言っていいと思いますが。改めて吉田さん。
(吉田豪)はいはい。前回、宇多丸さんの感想をそういえば聞き忘れていたんですよ。教えてください。
(宇多丸)感想……でも、僕は『少年の名はジルベール』の方を読んでいなかったので。やっぱりなんというか、『一度きりの大泉の話』というこの萩尾望都先生の方だけでは、なんというか……ジャッジはもちろんする立場ではないですけども。ちょっと軽率なことが言えないなっていうのもありましたね。で、豪さんのお話を聞いてからだったので。たしかに、なるほど。視点を変えるとそういうことだったのかなって。要するに、竹宮先生的には萩尾先生にずっとコンプレックスがあって。そこで感情のこじれがあったのも事実。で、その『少年の名はジルベール』を書いたこと、そしてそれを送ったことが竹宮先生的には謝罪に近いものだったんじゃないのか?っていうのは、「ああ、それはそうだよね」というような感じでございましたね。
(吉田豪)そうなんですよね。まあ、簡単に説明しますと、2016年発売の竹宮惠子先生の『少年の名はジルベール』という自伝がありまして。ここで描かれた「大泉サロン」という、大泉で共同生活をしていた時代の話をドラマ化したいという話が出てきて。それで「萩尾先生の許可が取れれば」ということで萩尾先生のところに話が持ちかけられたり。対談の話とか、「竹宮先生との関係を修復するように」と言われたりとかしたので、今まで触れずにいたトラウマについてはじめて告白したのがその『一度きりの大泉の話』という本で。
(宇多丸)はい。
(吉田豪)で、前回の放送は実はあれなんですよね。この萩尾先生の本だけを読んで竹宮先生を批判する人が意外と多いことに対する、僕なりの返答だったんですよ。
(宇多丸)やっぱりワンサイド……出た時期も違うから。最新で出た方を読んで「ああ、そうだったのか!」って短絡しちゃう人もいるかもしれないですからね。
(吉田豪)まあ、その気持ちもわかるんですけど……っていう。そうなんですよね。で、前回は僕の立ち位置も説明し忘れていまして。念のために言っておくと、僕自身は萩尾望都作品はかなりの数を読んでいるけども、竹宮惠子作品は代表作程度しか読んでいない。完全な萩尾望都ファン。その上で、竹宮惠子先生の気持ちが痛いほどわかってつらかったっていう話なんですよね。で、ちなみに前回の放送の後、手塚治虫先生の娘さんの手塚るみ子さんがさっきの「その『少年の名はジルベール』は竹宮惠子先生にとっては謝罪の本に近いと思う。そしてそれを送ることは詫び状に近かったと思う」ということについて「豪さん、よくぞ語って下さいました」ってTwitterで書いていて。
”この『少年の名はジルベール』ってたぶん、竹宮先生にとっては謝罪の本に近いと思うんですよ。” ”これを彼女に送ったっていうのは、ある意味詫び状に近かったんだと思うんですけど。”
豪さん、よくぞ語って下さいました??
吉田豪 萩尾望都と竹宮惠子を語る https://t.co/UzBB1ON938
— 手塚るみ子 (@musicrobita) May 13, 2021
(宇多丸)おおー、やっぱりそういう風に思われていた方も結構いたということですね?
(吉田豪)そして実は竹宮先生のアシスタントだった村田順子さんという方がいまして。彼女のブログで結構なことが書いてあったんですけども。これがちょっと、そこの中の記述が問題で批判されて削除されちゃって。今は読めないんですけども。そこにはやっぱり、「謝罪の手紙を入れて『少年の名はジルベール』を送っていた。それを受け取り拒否されていた」ということが判明して。推測は当たっていたんですけども。
(宇多丸)なるほど。
(吉田豪)で、そのブログには、鍵を握っていると思われる増山法恵さんという方のことも言及されていて。増山さんというのは元々は萩尾先生の友人で、大泉に住んでいて、自宅前の長屋が空いたからということで竹宮先生と萩尾先生を呼び寄せて住ませた人物。で、2人が決裂した後は竹宮先生のブレーン的な存在になって……っていう人なんですけどね。で、この彼女がアシスタントをやっていた時、竹宮先生からポツポツと大泉時代の話を直接聞く機会があって。で、竹宮先生は自分が言ってしまった言葉について「私はこんな風なことをモー様に言ってしまったの」っていう風に言っていたという。
(宇多丸)ああ、悔やまれて。
(吉田豪)で、増山さんは「私はケーコタンとモー様の間に何があったか、よく知らないのよね」と言っていたという。
(宇多丸)あら? ほうほう。
(吉田豪)で、「『そんな、まさか』と思っていたけども、どうやら本当のようで。ある意味で、天然です」っていう風に言っていて。
(宇多丸)その、萩尾さん側からしたら相当ね、思うところもあるということでしたもんね。なるほどな。それぞれに違うんだな。
(吉田豪)で、このブログでも「そっとしておいてあげましょう。竹宮先生は強いのでどんなことも乗り越えられるけど、萩尾先生は無理なんだから」っていう。だから、萩尾先生が打たれ弱いからこそ、そのマネージャーの方が受け取り拒否とかをした。気を遣ってっていうことだと思うんですけども。ただ、これがやっぱり、その記事が削除された後の文章。今も読める文章が僕、すごくグッと来て。
「萩尾先生の悲しみや苦しみを理解したうえで、私が心配していたのは、どれだけ竹宮惠子先生が悪者になるんだろう?ということでした。実際起こったことに対しての批判は仕方がないと思っています。でも憶測や噂レベルで違う風向きになるのは嫌だったので、いてもたってもいられず勢いで私が知っていることをいろいろ書いてしまいましたけど、皆様が「引っ掻き回すな!」とおっしゃるので了解です。もう書きませんので、ご安心ください』っていう。
(宇多丸)うんうん。
ドラマ化オファーの真相
(吉田豪)ということになってしまいまして。さらには、竹宮惠子先生のマネージャーで竹宮先生の妹さんでもある方がやっぱりブログを書いて。それもかなり深い情報が書いてあったんですけども、やっぱりある記述が問題で批判をされて削除されちゃって。なんですけど、そこに書いてあったことがドラマ化についての話なんですよね。「『少年の名はジルベール』の出版以降、二度ほどオファーが来て、私たちも断るのに苦労した」と。
(宇多丸)ああ、そうなんだ。竹宮さんサイドですよね?
(吉田豪)そうなんですよ。「テレビやドラマ業界では作品のコントロールが出来ないから、独り歩きして表現が変わってしまいそうなので絶対に無理という認識で。ましてや関係者が多数いらっしゃるので……とお断りしたのですが、それがなぜか『萩尾先生がOKならよいです』と。そんな短絡的に無責任な感じで伝わってしまっていたとは……もう驚くしかありません。残念です」っていう。
(宇多丸)要は、竹宮先生サイド的にも当然、扱いは……。
(吉田豪)困難だし、やれるわけもないと。
(宇多丸)そう思っていたのに……まあ、業界の片側オファーする時にそういうことを言うみたいなのはさ。ねえ。
(吉田豪)実際、そういうのは僕らも何度も見てきているし。
(宇多丸)ある話なんだけども。ねえ。それが……なるほどね。聞いてみるとこうだったんだ。
(吉田豪)だから、これだけこじれているとは知らずに、たぶんいつもの調子でそういうことをやっちゃって……っていうことだと思うんですけどね。で、さらに「対談については特にこちらから依頼を持ちかけたことなど過去に一度もないはずです。第一、これまでに当方への対談依頼は各社どこからも一度も来たことがないから、お応えのしようがない。それなのに『萩尾先生がOKなら』と伝わっているとは」みたいな感じで。
(宇多丸)へー。なるほどね。うんうん。
(吉田豪)で、さらにはその当時、決裂したことで「苦しんで目の病気にまでなられたという萩尾先生。同じ頃、竹宮も自律神経失調症となってスランプに陥り、そして増山さんもまた同じように不安定になり、ずっと長く苦しんでおられたとのことです」っていう。増山さんもダメージを受けていたことがここで判明という。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)で、これもやっぱり即……翌日ぐらいですね。「仕事上の誤解を払拭するためでしたが、やはり身内である私が発信するべきではなかったと思いました。争いごとが起きるのは決して本意ではありませんので、昨日のblogは取り下げさせていただきました」という。
仕事上の誤解を払拭するためでしたが、やはり身内である私が発信するべきではなかったと思いました。争いごとが起きるのは決して本意ではありませんので、昨日のblogは取り下げさせていただきました。
読んでくださった皆様ありがとうございました。:#竹宮惠子— 竹宮惠子TAKEMIYA公式! (@trapro2017) May 26, 2021
(宇多丸)なるほどね。
(吉田豪)で、これでやっぱり鍵を握っている増山さんが重要だと思って、僕は増山さんの調査を始めたんですよ。で、増山さんのインタビューが過去、2つぐらい載っているんですね。で、まず1996年、別冊宝島の『70年代マンガ大百科』っていうのがありまして。ここに出ているんですけども。彼女たちにいろんな映画とか本の知識を与えたっていう話がいろいろと書かれていたんですが。
(宇多丸)はい。
増山法恵さんインタビュー
(吉田豪)そこでも言っているんですが。「伝えたいこと、教えたいことがたくさんあったのよね。だって当時のモー様やケーコタンって『こんなに本を読んでいない人たちってこの世の中にいるの?』っていうぐらい、あの頃は本を読んでいなかったのよね。こんなことを言っちゃうと、怒られるかな? あの2人に」とかね。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)「もう何十年も経っているから言ってもいいよね。そう。ヘルマン・ヘッセの『デミアン』とかウィーン少年合唱団とか少年系を勧めたのは私なのです。私は昔から、少年愛にあこがれていたし、パブリックスクールとか大好きなんです」っていうね。
(宇多丸)はい。そういう啓蒙していったみたいなのは書かれていましたもんね。
(吉田豪)そうです、そうです。ただ、その2人が決裂した原因っていうのが、前回はあえてはっきりとは言わなかったんですけども。要するにまあ、「盗作したんじゃないか?」みたいなことを増山さんと竹宮先生の2人に萩尾先生が詰められて。それがショックで……という話で。もちろん、盗作なわけはないんですけども。要するに、同じモチーフを使って、自分よりも先に……それで当時、竹宮先生は好きな作品を書ける段階ではなかった時に、同じモチーフをより完成度の高い感じで。そして、「少年愛を理解していない」と増山さんが言っていた萩尾先生がそれを先に書いてしまうことに対するジェラシーやら恐怖やら、いろんなものが混ざっての、言葉が過ぎた瞬間があったんだろうということではあると思うんですけども。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)だから、モチーフ全て……増山さんの中でもいろんな複雑な感情があったはずなんですよね。で、増山さんが結構、この時に2人に対してキツいことを言っていたみたいなことは本でも書いていましたけども。まあ、読むとたしかにひどいんですよ。「近所に住んでいる漫画家の先生と道で会っても、認めてない人だと挨拶をしない。向こうは『こんにちは』と言うのに。ケーコタンが挨拶をするでしょう? そしたら『挨拶をしたらダメよ。バカが伝染る』とか言っていたの」っていうね。
(宇多丸)ご自身の言葉として、こう言っているんですね。96年のインタビューで。
(吉田豪)そうなんですよ。で、2010年に『スペクテイター』22号。こちらにもインタビューが載っていて。ここで、やっぱり彼女が言っていた話が出るんですね。「70年代安保でみんなが『革命だ』って騒いだ時、学生だけで国をひっくり返すのは無理でも、ある一定分野だったらひっくり返せる。プレスリーが音楽史を変えたように、少女漫画革命を起こそうとして19歳の時、竹宮惠子と萩尾望都という才能を見た瞬間に『これは世の中をひっくり返せる』と思った」という。革命のために2人をアジりまくってその気にさせようとしていたんですけども。そのアジがちょっとひどかったんですよね。正直、今の基準で言ったらアウトなレベルでやっていた。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)たとえば「よく泣かせました。私。作品のネームを持ってくるとなんか面白くないんですよ。『どう?』って聞くから『死ねば』って。『よくこんな作品、書けるね。恥ずかしくないの?』って怒鳴ったり、『こんな駄作を書く人なんて私のそばにいないで』っていう感じ。そうするとワーッと泣き出すんですよ。『あなたの力があれば、こんな程度じゃなくてもっといいものを書ける。書き直し』って。で、書き直した作品は本当に優れていて。私は絶対に高いレベルの作品しか嫌だったんです」っていう。
(吉田豪)まあ、それこそ当時、少女漫画の地位が低かったのをなんとか革命しようとした人で。それこそ内容とか、原稿料、印税のこととか。出版社同士の壁を破壊したりとか。重要な役割も果たしているはずなんですけど、まあちょっとこの時の追い込み方……両者とも追い込まれていて。で、萩尾先生側の視点だと、萩尾先生は増山さんの注意を聞かなくなって、竹宮先生は素直に受け入れ、そしてタッグを組むようになるという。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)ところが、竹宮先生の認識だと「ほとんど私にだけダメ出しをされた」ってなっていて。で、この決裂の時の話。まあ前回も言ったんですけども。萩尾先生がその嫉妬という感情がわからなくてという。要は、自己肯定感が異常に低い人で。だから自分に他人が嫉妬する意味もわからなかったし。それがわからないから、理由を探した結果、自分が鈍臭くて空気を読めなくて人間としてよいところが何もないから竹宮先生に嫌われたと思っていたという。
萩尾先生とお母さんとの関係
(吉田豪)でも、これがまたいろいろと調べていくと、萩尾先生とお母さんとの関係というものがたぶん影響をしているんですよね。斎藤環さんの『母と娘はなぜこじれるのか』という2014年、NHK出版の本とかで斎藤環さんと対談とかをしていて。そこでもいろいろと言っているんですが、子供の頃からお母さんにほとんど褒められたことがなくて。で、かなりお母さんが厳しい人で。だからこそ、『イグアナの娘』みたいな作品も誕生したっていう。
(宇多丸)ああ、そうか、そうか。
(吉田豪)だからずっと親子関係とかを描き続けていて。作中で母親がやけに死ぬとか。で、お母さんがキレやすくてしんどかったから、小学3年生の時からずっと家を出たかったという人なんですよね。で、ようやく竹宮先生に呼ばれて家を出ることができた。で、これが萩尾先生の『紡ぎつづけるマンガの世界』っていう、これは2020年のビジネス社の本。これは大学での講義の模様がまとめられた本なんですけども。ここでも書いてあるんですよね。
「試験の点が悪くて人が叱られるのは見るのも嫌だし、自分が叱られるのも嫌だし、褒められたら褒められたで変な気分になる。競争のない世界に行きたいと思っていた。ところが、中には嫉妬したりすごく闘争心を燃やしたり。うちの母も教育ママで『一番になれ』と厳しかったけども、妙なことに私はそういうのがよくわからないんですよ。競争って疲れるし、そんなもので地雷を踏んでは飛ばされています」という。つまり、そういう人がようやく家を出たら、大泉で増山さんに叱られ続けていたわけですよ。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)で、この増山さんもたぶん、やっぱりみんな20代前半で。みんなたぶんコンプレックスを持っていたんですよ。増山さんのコンプレックスというものも見えてくるんですよね。これはさっきの『別冊宝島』の方のインタビューで。「当時、私も読者ページのカットとかを書かせてもらっていた。漫画が好きだったし、漫画家になりたかった時もあった。でも、やっぱりあの2人みたいに創造力がすごくないから、みんなにすごいコンプレックスを感じたし、逆に憧れてもいた。それで私は漫画家になることを断念したんだけど、サロンに集まる人たちはみんなそれぞれ、そんな思いを抱いていたと思う」っていう。たぶん、それぞれが違うところにコンプレックスを抱いたりしながら、たぶん増山さんが鍵になってなにかがこじれていったということなんだろうなっていう。
(宇多丸)なるほどね。
(吉田豪)という話なんですよね。
(宇多丸)だからこそ、それが不幸な結末になったことを全員、引きずっているっていうね。
(吉田豪)印象的なのが、あれなんですよね。これは萩尾先生の『一度きりの大泉の話』の巻末に載っている今、萩尾先生のマネージャーをやっていて、竹宮先生と萩尾先生の両方のアシスタントの経験をした城章子さんが書いていた話なんですけども。「増山さんがずっと仕事場のそばにいて、締切ラストのあたりで決まって騒ぎ出すんですよ。竹宮先生とアシスタントが原稿をやっていると、その輪の中に増山さんがいる。入れない増山さんは腹が立つんでしょうか。
『私、今これが食べたいの』ってホットケーキだかスパゲッティだか、その時に食べたいものを言うんです。『どうしても食べたいの』って。すると竹宮先生もギリギリなのに『今じゃないとダメなの?』って言いながら作り始めるんです。他の人が作るのは増山さんが許さないんですよ。『竹宮先生の優先順位は自分が一番だ』ってアシスタントのみんなに意思表示したかったんだと思います」っていう。なんかね……こういうのを読めば読むほど、なんとかなってほしいけど、なんとかするのは本当に困難なんだろうなっていうことが。
(宇多丸)いやー、だからもう、今さらはちょっとね。もうね……っていう感じもありますよね。
(吉田豪)ただ……すいません。1個。今回、その5年前になんで竹宮先生が萩尾先生のことを今さら書いたのか?っていうことも、これもやっぱりいろんな憶測で叩かれていたりしたんですけども。でも単純に……これは僕の憶測ですけども。シンプルに年齢も年齢だから、後悔や思い残しを減らしたくて。ちゃんと謝っておきたかったっていうだけの話だと思うんですよ。
(宇多丸)それも全然、もちろん理解できますよね。
(吉田豪)そうそう。すごいそれは竹宮先生側の気持ちがわかりすぎる人間としては、そういう結論に至っていますね。
(宇多丸)うんうん。プラスね、そういうところにいわゆるわかってない業界の人の、よくあるオファーの仕方っていう。完全に配慮を欠いたものがあって。それで決定的に……だからその最後の変な引き金を弾いちゃったのが配慮のない第三者だったっていうのがものすごいガクッていう感じだしね。
(吉田豪)そんな感じがしますね。はいはい。
(宇多丸)まあ、でもすごい……当然のことながら、それぞれにそれぞれの思いとかがあって。だから、前回に伺った時も思いましたけども。やっぱりワンサイドで決めちゃダメね。こういう時は本当にね。
(吉田豪)本当にそうなんですよ。僕のライフワークは「いろんなことを立体的にする」っていう作業で。なのに意外と皆さん、片側だけでいろんなことを言い切りがちで。ちょっといろいろと見ましょうよっていう感じですね。
「いろんなことを立体的にする」
(宇多丸)でも本当にそういうことかなと思いますし。ちょっと……ここから先は我々部外者がどうこうとかっていうことではないんだけれども。なんかこう……みんな、悪くないっていう感じですね。だし、若かったしね。本当にね。
(吉田豪)本当、それなんですよ。それの一言ですよ。
(宇多丸)すごくわかります。コンプレックスの裏返しですごく攻撃的になっちゃったりとかね。当然、僕も覚えがあるし。うん。まあ、今もそういうのがないか?って言われると、そうじゃないかもしれないしね。いやいや、なんというか……。
(吉田豪)2ヶ月連続で重い感じで。
(宇多丸)いやいや、でも豪さんご自身がすごくこの件に関して真剣な思い入れがあるのも伝わって。すごくよかったです。ありがとうございます。
(吉田豪)はいはい。
(宇多丸)ということで、吉田豪さんから最後にお知らせ事をお願いします。
(吉田豪)そうだ。僕、『猫舌SHOWROOM』っていう番組をやっているんですけども。その単行本が出ることになりました。白夜書房から。発売日はわからないです。もう見本が上がっています。
(宇多丸)なるほど。じゃあ、出るタイミングでまたそれもね。あとはいろいろ……。
(吉田豪)いろいろあります!
(宇多丸)いろいろとSNSなどでチェックしてください。ということで、ここまでのゲストは吉田豪さんでした。吉田さん、ありがとうございました。
(吉田豪)はい、どうもー。
<書き起こしおわり>