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内田也哉子と安住紳一郎 樹木希林と内田裕也を語る

内田也哉子と安住紳一郎 樹木希林と内田裕也を語る 安住紳一郎の日曜天国
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内田也哉子さんが2021年5月9日放送のTBSラジオ『日曜天国』に出演。安住紳一郎さんと樹木希林さん、内田裕也さんについて話していました。

(安住紳一郎)それでは今日のゲスト、エッセイストの内田也哉子さんです。おはようございます。

(内田也哉子)おはようございます。よろしくお願いいたします。

(安住紳一郎)日曜日にありがとうございます。

(内田也哉子)しかも母の日。記念すべき。とても大切な日に呼んでいただいて光栄です。

(安住紳一郎)いえいえ、こちらこそ。ちょうどお母様の樹木希林さんは大変お世話になって。

(内田也哉子)こちらこそ、本当に。『ぴったんこカン・カン』を中心に(笑)。何度も出演をさせていただいて。

(安住紳一郎)そして、また最近、内田也哉子さんがお母さんに似てきましたよね?

(内田也哉子)もう、やだー!(笑)。昔から言われてますけど、ちょっとね、まだ受け入れ難いです(笑)。

(安住紳一郎)そうですか? 後ろから見たら……なんか後ろ斜め45度ぐらいから見た感じの雰囲気がね、そっくりになってきて。

(内田也哉子)そんなマニアックな見方をするの、安住さんだけですよ(笑)。

(安住紳一郎)ねえ(笑)。エッセイストとしてもご活躍ですが。プロフィール、紹介します。東京都のご出身。内田裕也さん、樹木希林さんの1人娘として生まれ、東京、ニューヨーク、ジュネーブ、パリで少女時代を過ごします。19歳で帰国し、俳優・本木雅弘さんと結婚。エッセイスト、翻訳家、作詞家、ミュージシャンなど、マルチに活動されていらっしゃいます。しばらくイギリスに住んでいらっしゃるっていう時期が長かったですが……。

(内田也哉子)そうですね。5、6年住んでいて。ただ、まあ母が本当にもう余命宣告された時に帰ってきて。最後の時間を少し、一緒にみんなで過ごそうということで。まあでも1年弱は一緒に……まあ、死んでしまう前に過ごせたんですけど。はい。ただ、元々ベタベタしている親子じゃなかったし。私も19歳で結婚して独立が早かったので。割とずっと生涯かけて距離感が付かず離れずっていう感じでしたね。

(安住紳一郎)ちょっと小さい時は寂しかっただろうなと思いますけど。

母・樹木希林

(内田也哉子)そうですね。本当にやっぱり個性の強い母だったし。まあ「母親」っていうよりも父親と兼任の母親だったから、どちらかというとなんか背中を見て育ったっていう感じで。「お母さん」っていう言葉で皆さん、どういうものをイメージされるかわからないですけど。私はやっぱりあたたかいイメージを「お母さん」という言葉に抱くんですけども。それとは間逆の……すべて真逆の。厳しさと、もちろんその根底には温かさがあるんですけど。でもやっぱり小さい時は特に厳しかったですね。

(安住紳一郎)全然甘えさせてくれないっていうか。

(内田也哉子)そうですね。もちろん、スキンシップは、抱っこしてくれたりとかはあったから、ギリギリそうやってバランスを保っていましたけども。まあ、離婚はしてないですけれども、シングルマザーとして。働いて、家事も全部やって、子育てをしていたから。やっぱりこう、厳しくならざるを得なかったんだろうなっていうのはありますよね。

(安住紳一郎)また有名なお父さん・お母さんの子供で。当然周りからいろいろ見られて。それでちょっとバランス崩しちゃうみたいなこともちょっと想像してたので。この教育というか、接し方がベストだろうっていうような、希林さんの考え方があったんじゃないでしょうかね。

(内田也哉子)そうなのかな? まあ昔気質の人だから、そんなに昔の人って子供に構ってられなかったし……というのはよく言ってましたね。だから世間が育ててくれたっていう風に。自分はそれこそ放任で、自由をたくさん与えられたんですけど、「その代わり、責任は全部自分で取りなさい」っていうことで。その厳しさ……だから本当に幼い時から自由の厳しさを身を持って知ってしまったっていう。

(安住紳一郎)本当ですよね。あとは、お父様。内田裕也さんとは一緒に暮らしたことはないんですね?

(内田也哉子)ないんです。でも、それはよかったです。一緒に暮らしていたら、たぶん今、ここにいないと思います。みんな、3人とも(笑)。そのぐらい、やっぱりもう1分以上、穏やかな会話が保てない家庭だったので。

(安住紳一郎)ええと、父と母が?

(内田也哉子)父と母が。

(安住紳一郎)1分以上、穏やかな会話が持たない?

(内田也哉子)そうすると、私ももう神経をすり減らして。横でしくしくしくしく泣いてるという。それが3人集まった時の構図でしたね(笑)。

(安住紳一郎)でも、離婚はしていないんですもんね?

(内田也哉子)そうなんです。でも、本当に最後、母が他界する寸前に「やっぱり裕也に会いたいな」って言ったそうなんですね。私にじゃなくて、看護師さんに。「それ、嘘だろう?」って何度も看護師さんに確認したんですけど。やっぱりずっと生涯を通して心のどこかにかならず裕也がいたんだなっていう。だから全然、恋人もいなかったし。私の知る限りでは。母が。まあ、離婚していないからね、不倫になっちゃうんですけどね(笑)。だから、すごく母は若いうちからオールドソウルじゃないけど。「自分がこういう風に生きたい」とか「何が美しいか」っていうことを……自分はね、毒舌をはいたり、いろんなことしてたんだけど。基本的なその精神の部分でストイックでしたね。

(安住紳一郎)そうですね。本当になんか江戸時代を生きてるみたいな感じの。

(内田也哉子)そうそう(笑)。あるいは、明治のね、強い女っていう感じで。だけど、なんて言うのかな? いろんな発想がアヴァンギャルドっていうか。だから古風な部分と、すごく炸裂している個性が両方あって。「母親」っていうよりは、やっぱりひとつの個性として、私は面白い人だなっていう風に思っていました。

(安住紳一郎)そうですね。多層的な個性がいろいろと重なり合ってきて。すごく清貧な方で。ものとかを欲しいとかは絶対に言わないんだけれども、不動産にだけはやたらと執着して。「ここは今、買いなさい! こんなに安くなっていることはない!」って(笑)。

(内田也哉子)そうなんですよね(笑)。でも、それで……結局、不動産ものいくつか残ってたんですけど。全部、やっぱり自分の知人に……家賃が払い切れない人だとか、ちょっと病気でとかっていう人たちに、ほとんどもう無料みたいな感じで貸していたりて。だから、母は物件でお金儲けしたいっていうよりは、その物件、空間を自分で確保して。「ああ、あの人たちが住んだら、なんて素敵だろう」っていう。結構ね、ロマンチストだったと思うんですね。

(安住紳一郎)へー! トータルでクリエイティブに考えて?

(内田也哉子)そうですね。それはもちろん、「人のためにやっている」っていう意識よりも、「自分が面白いからやっている」っていう認識でしたけども。

(安住紳一郎)面白いんですよね。

(内田也哉子)だから亡くなった後、いろいろと知れば知るほど「へー!」っていう意外な一面を知ってきていますね。

(安住紳一郎)あとはお母さんが亡くなった後から、たくさんやっぱり希林さんの言葉を求める人がいて。本がね、すごくたくさんの方に読まれて。

(内田也哉子)そうなんです。2018年の年間ベストセラーになっちゃって。母の言葉のね。でも、それも最初、やっぱり母が留守番電話に……自分の希林館っていう会社。1人でやって誰もいない会社の留守番電話に「はい、希林館です。二次使用は全部OKです。よろしく」っていうような感じのをね(笑)。だから、あれもすべて二次使用だから。私がか知らないうちに出てる本もあるし。

(安住紳一郎)ああ、そうですか!

二次使用は全部OK

(内田也哉子)もちろん、聞いてくださって作っている本もありますけど。すごく面白い現象というか。これも母らしいなと。勝手に出ているので、身内がびっくりさせられるっていうのも母らしいなと(笑)。

(安住紳一郎)なるほど。「二次使用、ご自由にどうぞ」って言っているんで、出版社の人たちがいろんなインタビューをピックアップして1冊の本にしているので。そうですね。もう、ほとんど孔子みたいな状態ですね(笑)。「かつて希林さんはこう言っていました」みたいな(笑)。

(中澤有美子)伝えて、伝えて……っていう(笑)。

(内田也哉子)だから学校の教科書にも最近、「載せていいですか?」っていうので。私も結局、希林館を受け継いでいて。メールでやり取りしてるだけなんですけど。今だに、毎日のように1件、2件はこの二次使用のあれがくるから(笑)。私も「はいどうぞ。もちろんどうぞ。どうぞどうぞ」って言っているだけなんですけども(笑)。

<書き起こしおわり>

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