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宇多丸 Shock Gを追悼する

宇多丸 Shock Gを追悼する アフター6ジャンクション
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宇多丸さんが2021年4月23日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中でデジタル・アンダーグラウンドのショック・Gさんを追悼していました。

(宇多丸)今日はそういう話も全然したいのは山々なんですが、またね、ちょっと僕らの世代が慣れ親しんできたというか。ラッパーの訃報をお伝えしなきゃいけなくて。前にね、DMXというラッパーが亡くなった訃報を伝えて、曲を流したりしましたけど。

宇多丸 DMXを追悼する
宇多丸さんが2021年4月12日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなったラッパーのDMXさんを追悼していました。

(宇多丸)あと、数日前にもですね、ブラック・ロブっていうね、これはバッドボーイっていうレーベル……ノトーリアス・B.I.G.とか。ビギーも死んでしまいましたけど。パフ・ダディ率いるヒップホップレーベル、バッドボーイに所属して、やっぱり2000年代初頭に活躍して。なんというか、アメリカのヒップホップがすごい景気いい感じだった時ですよね。それを代表するようなシーンにいたブラック・ロブさんも亡くなられたっていうニュースが入ってきて。これもショックだったし。

(宇多丸)そして、今日になってこれはちょっと僕らの世代は絶句をしてしまったんですけども。カリフォルニア州オークランドを拠点に活動してきたヒップホップグループ、デジタル・アンダーグラウンドの創設メンバー、リーダーだよね。ショック・Gさんという方がいて。この方が57歳・・なかなかお若いんですけどね。死因は明らかになってないんですけど、お亡くなりになった。

(宇多丸)デジタル・アンダーグラウンド、いわゆるPファンクっていう、パーラメントとかファンカデリックとか。その70年代のPファンクサウンド。もしくはPファンクのグループのあり方とか。もしくはPファンクが表現しようとしていたような、ちょっとユーモラスで不敵でコミック的で……みたいな。そういう世界観をまるごとヒップホップに置き換えて表現してたようなグループなんですけど。

あと、皆さんに分かりやすく説明するなら、これも亡くなった方ですけどね。2パックがソロになる前というか、彼が所属していたグループなんですよね。2パックはもともとデジタル・アンダーグラウンドにフックアップされて出てきた人でもあるということで。最大のヒットはね、やっぱり『The Humpty Dance』という曲が大ヒットして。結構、いろんな映画で使われてるもしてるんで、聞けば分かる人もいるかなと。この『The Humpty Dance』っていうのはそもそも、このショック・Gっていうこのリーダーが付け鼻をつけて。

要するに別人格、オルターエゴとして結構ひどい、なんかエロいこととか言ったり。しょうもないことを言ったりするっていうキャラクターとしてハンプティ・ハンプというキャラクターがいて。そのオルターエゴの架空のキャラクターが歌うそのテーマソングとして『The Humpty Dance』という、これがもうダンス込みで大ヒットして。これ、普通にアメリカのチャートとかでもガンガン上に上がった曲ですけども。90年代をまさに代表するヒット曲ですし。

(宇多丸)あとはなんかそのPファンク的に……Pファンクってものすごい舞台上にいろんな人がいて。そういういろんなメンバーが出たり入ったりするんですけど。その感じに最初、初期のRHYMESTER。一番結成したての頃のRHYMESTERはめちゃくちゃ憧れていて。RHYMESTER、今でこそ3人で。この3人の体制がガシッとしているけども。そこから先が、要するに俺たちの本当にRHYMESTERが始まった時で。要するにDJ JINが正式メンバーになってからが本当のRHYMESTERのキャリアで。だから「結成30周年」って言ってますけども。そういう意味では全然30周年行ってないと言ってもいいんだけど。

初期はね、このまさにデジタル・アンダーグラウンドの感じに憧れて。いろんな人をステージに上げて、訳がわかんないやつがいっぱいいるみたいな、そういうステージングを目指してた時期も本当にあったりしましたよね。そういう意味でもすごく影響も受けましたし。そうだな。あと、89年かな? クィーン・ラティファっていう女性ラッパーと一緒に来日して。ちょうど同じトミーボーイっていうレーベルだったんで。で、日本でライブをやった時に僕はインタビューしたんですね。デジタル・アンダーグラウンドのメンバーに。

来日時に宇多丸がインタビュー

(宇多丸)で、すごいいっぱい人数がいるグループだから、当然その日本人の……当時、僕も若いですし。なんていうか、ワナビーっていうかさ。ヒップホップが好きなアジア人の男の子とかは基本的にあんまり相手にしてくれなかったのよ。ワーッてなっちゃって。で、「困ったな」と思っていたら、そしたらその時、まだレコードデビューする直前。「レコードデビュー」っていうのはそのデジタル・アンダーグラウンドのシングルに参加して、それがリリースされるまだ前の2パックが唯一、すごく優しく。「YO、お前はなにが聞きたいんだい?」って。目をキラッキラさせて、あの感じで。目をキラキラさせて一番真剣に話を聞いてくれて。

で、「えっ、なに? お前もラップやってんの? じゃあ、ちょっとヒューマンビートボックスやる」って。で、俺がその上でラップをしてみたりして。「おお、ヤベえ!」ってなってバチーン!ってハイ・ファイヴして。で、翌日のライブの時もステージ上から2パックが俺のことを見つけて指差してくれて。で、その俺の前にいた女の子が「キャーッ! 指差してくれた!」とか言っているんだけども。「俺だと思うけどな……?」って思っていて。で、終わった後に会場挨拶っていうか。そういうやつでメンバーをウロチョロしているところに行って。で、やっぱり2パックが寄ってきて。「お前のことを指差してたんだ。わかった?」みたいな感じで。

(山本匠晃)うわっ、すごい話!

(宇多丸)そうなんですよ。だから、後にもちろんすごくサグなというか、ギャングなイメージ。で、最終的には抗争に巻き込まれて亡くなっちゃった2パックだけど。あのキラキラした目……だから質はそういう、やっぱり最高にいいやつ。輝くような人、2パックっていうのはそこでもやっぱりありましたし。そして、やっぱりもちろんデジタル・アンダーグラウンドのライブも最高だったし。結構、いまだに全然好きで曲をたまに聞くぐらいなので。だから、ちょっと57はお若いし……という感じですね。

2パックの伝記映画とかだとショック・Gは割と、なんていうか、「2パックという真の才能をこんなに軽んじているやつ」みたいな扱いをされてるけど。いやいやいやいや、ちゃんとフックアップしてやってるし。最後までファミリーだったと思うよっていう感じで。やっぱり素晴らしい才能だったと思います。

(宇多丸)特にそのミュージシャン・シップみたいな。要するに、音楽家の演奏とかさ。そういうものをヒップホップの音楽のイズムに持ち込んで作っていくみたいなところでは結構、先駆的な試みをいっぱいしてたかなという風に思ったりします。

ということで、デジタル・アンダーグラウンドの曲を1曲、かけたいんですが。普通だったらここは『The Humpty Dance』なんだけども。僕、やっぱりデジタルの曲で一番好きで。なおかつ、もっと言えばオールタイム・ベスト級の曲。そういう曲はいっぱいあるんだけど。そのオールタイム・ベスト級の曲のヒップホップ部門の中の10位から下にはこれまで行ったことがない曲っていう感じで。

(山本匠晃)そうなんですね。宇多丸さんの中で。

(宇多丸)いまだにこういう感じの曲……「こういう感じ」っていうのは、その音楽像そのままっていうよりは、アティチュード。なんか、捨て鉢の格好よさっていうか。この感じ、なんとか出せないかなって。で、たぶんそういうのを「格好いいな」って思った人がいっぱいいるからこそ、たとえば小沢健二さんの雑誌連載のタイトルがこの曲のタイトルだったりしましたというね。『Sex Packets』っていう90年のアルバムに収録されている曲ですけども。シングルは89年に出ていて。

89年といえば、もうヒップホップの表現がもう劇的に広がっていった、まさにカンブリア爆発的に広がっていた時代と言ってもいいと思うんですが。そんな中、ずっと東海岸が中心地だった。で、西海岸と言えばギャングスタラップっていう感じだった中で、その西海岸のオークランドからこんな新しいアティチュードのグループが出てきたっていうことで。本当にまたこの音楽に未来を見た瞬間でもありましたということで。オザケンの連載のタイトルということでもおなじみでございます。デジタル・アンダーグラウンドで『Doowutchyalike』。

Digital Underground『Doowutchyalike』

(宇多丸)まあ、こんな調子でずっと続いていくんですが。基本的にはパーティーソングですね。

(山本匠晃)かっこいいし、ずっと気持ちよく聞いていられるっていう。

(宇多丸)なんかこの……これはまさにサンプリングのいろんな組み合わせで。Pファンクとかから出来上がっていて。サンプリングアートとしてもすごいかっこいいし。あと、やっぱり80年代後半のちょっと手前ぐらいまではいわゆるアフロセントリック……今のそれこそBlack Lives Matterとかにも通じるような、アフリカン・アメリカンのラッパーを中心としたすごく意識が高いというか、「コンシャスな」と言われるようなラップがすごく流行していて。政治的メッセージが強かったり。それはそれですごくかっこよかったんだけども。

ある意味、日本人としてどういう風にコミットしていくというか、ラップをしていく時ってどういうスタンスでやればいいのかな?っていう時に、デジタル・アンダーグラウンドはオークランドのグループで。で、DJフューズっていうメインのDJは白人だったりとか。やっぱり、その西海岸特有の風通しのよさっていうか。そういうところも「ああ、こういうのも有りなんだ」みたいなのとか。「ああ、Pファンクをサンプリング、有りだよね!」みたいな。その初期RHYMESTERの手前のグループはPファンクをサンプリングしてなんかやろうかとか、いろんなのをやっていたので。

なんかいろんな意味で「ああ、このやり方も有りなんだ」みたいなのを教えてくれたというか。ヒップホップの自由な面を教えてくれた感じですかね。この、なんか鼻にかけたようなふざけたラップ。これがハンプティ・ハンプという。ショック・Gもいろんなインタビューで「最初はただ、ふざけて出しただけのキャラクターがなんか人気が出ちゃって。それで出したらこんなにヒットするなんて……」みたいなことを言ってたりしますけどね。

ということで、まあちょっとショック・Gが亡くなったのはショックだけども。というか、この年代のラッパーがお亡くなりになるのがちょっと多くて。アメリカのラッパーはね。あんまり、そういうのをお伝えしたくはないので。皆さん、健康でいてねっていう感じですね。日本のラッパーたちも健康でいてねってつくづく思います。ショック・Gさん、お疲れ様でございました。お悔やみ申し上げます。

<書き起こしおわり>

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