宇多丸 DMXを追悼する

宇多丸 DMXを追悼する アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2021年4月12日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなったラッパーのDMXさんを追悼していました。

(宇多丸)ここで訃報というか、報道そのものはこの週末ぐらいに出たのかな? メールが来てるので、読みましょう。「私はDMXのめちゃくちゃファンというわけではないのですが、3年ぐらい前のこと。NBAのボストン・セルティックスのホームゲームに彼が会場にいるのを見つけたスタッフかDJが(DMXの代表曲である)『Ruff Ryders’ Anthem』をかけました。すると会場にいた人たちの大合唱が始まり、スクリーンに映ったDMXを見て大盛りあがり。穏やかに笑みを浮かべながらそれに少し手を振るように応えるDMXを見たのが映像で見た最後でした。ラッパーとしてのキャリアはいろいろと彼の問題行動なので順調とは言えなかったと思いますが、あのシーンを見た時に『やっぱり作品はみんな好きだし、そこの評価は忘れられていないんだな』と思いました。ご冥福をお祈りします」ということで。

DMXこと本名アール・シモンズさん。非常に一斉を風靡して、一時代を築いたラッパー。特に2000年代前半ですかね。あとは俳優としても活躍してましたけど。そのDMXさんが現地時間の9日に心臓発作を起こして。ずっと重体ではあったんだけども、亡くなったということで。まあ、ちょっと薬物の過剰摂取なんていうことで、ずっとそういう薬物中毒というところと戦ってきたというか。そこでずっと苦しんで来た人っていうのはあって。

あらためて言うならば、DMX。ちょっとこの後に曲をかけようと思いますが。まあ、とにかく一聴して誰でもすぐ分かるトレードマーク的な声ですね。DMX、特に犬の吠えるようなのを入れたようなダミ声と、でもワイルドな感じのラッパーに見えるけど、すごく実はライミングとかもテクニカルで。めちゃめちゃ、もちろんアーティストとしては優れていて。で、実はキャリアとしては結構遅咲きっていうか。亡くなったのも50歳とかですよね。結構歳なんですよ。

で、最初にデビューして、あんまりうまく行かなくて。再デビューして、そのラフライダーズというクルーがいて。90年代後半から2000年代の頭にかけてシーンを席巻したクルーがいて。そこの筆頭というか、出世頭として。再デビュー組で大成功したという。だから苦労人でもあって。

(熊崎風斗)そうなんですね。

DMX『Ruff Ryders’ Anthem』

(宇多丸)で、その後も俳優としても活躍されたりとか、いろいろあって。まさにそのヒップホップシーンの中でも、本当に大スターで。ここのところのヒップホップアーティストの訃報の中でも結構ビックネームっていうか。ちょっとショッキングな感じでしたね。で、特にね僕、個人的には最近映画なんかを見ていて。たとえば80’sリバイバルとか、90’sリバイバルという中で。「ああ、ついに2000年代リバイバルというか、そういう流れだな」っていう中で、2000年代初頭ヒップホップとかのすごい景気がいい感じ。いけいけドンドン、ウェイウェイな感じ。そういうのを表現する、ちょっとその懐かしさ。懐メロ的に。そこで主人公たちがワーッとはしゃいだりするみたいな。

もしくは、あまりのその威勢の良さがちょっとある種の面白みを醸し出すみたいな。そういう表現の時にDMXの曲が使われることが多くなったなと思っていて。『デッドプール』のクライマックスとかもそうだし。『SHAFT』もそうかな。あのNetflixのとかも。

(宇多丸)最近、僕が見た中では『バッド・トリップ どっきり横断の旅』っていう、Netflixで見れるああいうサシャ・バロン・コーエン型のドッキリとフィクションのコメディを混ぜたような作りのやつが最近、新作でかかっていて。非常に笑っちゃったんだけど。まあ、いろんな意味でひどいコメディなんだけど。それでやっぱりその主人公たちがクラブでめちゃめちゃはしゃぐ場面で高らかに今日、かけようと思っているDMXの代表曲が流れたりしていて。だから、すごくその時代のアイコンっていうか。なんだなと思って。

で、DMX、たとえば日本のラッパーで言うなら、やっぱりジブさん。ZEEBRAが『MR.DYNAMITE』っていう彼のセカンド・アルバム『Based On A True Story』でガラッとイメージチェンジをして。グッと当時のヒップホップのモード。なおかつ、その日本語ラップのテクニックとしても割と、そのあとから不良の子たちがちゃんとついてきやすいように方法論的にすごく整理して。この件はね、以前の僕の番組でもちゃんと説明をしていて。ジブさんがいかに意図的にいろんなヒップホップ文化を日本に定着させるために自らフラッグシップとなって工夫したかっていうのを言っていて。その時のひとつのモデルが、明らかにDMX。本人も公言してたと思いますけど。

(宇多丸)というあたりで、非常にそのヒップホップカルチャー、ラップミュージックに対する貢献度の高さ。もちろん映画俳優としても活躍してたしというところで。まあ惜しまれるなというかね。さっき、ちょっとネットにある映像を構成作家の古川耕さんが……彼もヒップホップにもお詳しいので。DMXがレジェンドラッパー、ラキム。尊敬するラッパーの前で1人のヒップホップヘッズ、ファンに戻ってはしゃいで。「あんたは本当に最高なんだよ!」ってやっているキラキラしたしている笑顔の映像を見たりするとね。そういう在りし日にいきいきとした笑顔なんかを見るとまたホロリと来てしまいましたけども。

(熊崎風斗)はい。

(宇多丸)でもね、曲そのものはね、こういうしんみりした空気とはまったく正反対な、本当にヒップホップのいろんな曲の中でも一番景気がいい曲じゃないですかね? お聞きいただきたいと思います。DMXの2000年にリリースされた曲です。『Party Up (Up In Here)』。

DMX『Party Up (Up In Here)』

(宇多丸)ということでDMXの『Party Up (Up In Here)』 をお聞きいただいております。日本でもこの頃のヒップホップクラブっていったらもう、これでガッチョンガッチョンに盛り上がっていたという曲ですね。めちゃめちゃ日本でもファンが多かったと思うし、みんな悲しんでいると思うけどね。ということで改めてDMXさん、お悔やみというか……「冥福」っていう言い方はあんまり合わないかもしれないけども。日本語で言う、ご冥福をお祈りしたいと思います。でも、この曲の……これは絶対に残っていく曲だし。これに乗っけてメニュー紹介に行きましょうか。

<書き起こしおわり>

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