KEN THE 390 早稲田大学GALAXYとDa.Me.Recordsを語る

Creepy Nuts KEN THE 390との出会いを語る Creepy Nutsのオールナイトニッポン0

KEN THE 390さんが2021年2月16日放送のニッポン放送『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』にゲスト出演。Creepy Nutsと大学時代のサークルGALAXYやDa.Me.Recordsについて話していました。

(DJ松永)でも、KENさんがラップ始めたのって、何歳ぐらいですか?

(KEN THE 390)俺はでもね、18ぐらいだったよ。高2の終わりぐらいだから17、18ぐらい。

(DJ松永)でも、その時ってまだ、今ほど間口は広がっていないじゃないですか。不良じゃない人がラップを始めるみたいなのって……。

(KEN THE 390)そうだね。たしかに少なかったかも。ニューエラのキャップをかぶっていないだけで「ヒップホップじゃねえ」感かすごかったね。ボウズじゃないとか、服がオーバーサイズじゃないと、えぐいぐらい風当たりが強かったよ。

(DJ松永)だって当時、文系の人も割とBボーイファッションをしてましたもんね。

(KEN THE 390)してた、してた。

(DJ松永)最初から、今みたいなスタイルだったんですか? Bボーイファッションは……?

(KEN THE 390)いや、18ぐらいで大学に入った時はやっぱり調子に乗って、ちょっとドレッドっぽい髪型にしたりとか。

(DJ松永)あ、そうなんですか!

(KEN THE 390)そう。GALAXYに入った時とかは全然、バスケットボールシャツとか着ていたよ。それは(笑)。

(DJ松永)ラップを始めたのは高校?

(KEN THE 390)高校の途中で。でも高校が進学校だったから、ドレッドとかとかもダメだったりして。校則も厳しいから。やっぱり大学入ってちょっと調子に乗るじゃん?(笑)。

(DJ松永)なるほど。KENさん、高校を卒業して早稲田大学に入るじゃないですか。で、その早稲田大学のGALAXYっていうサークルがあって。先輩にはRHYMESTERとかがいて。いろいろ、ブラックミュージックシーンの大御所がいる、すごい伝統的なサークルがあるんですけど。そこに入ったんですか、KENさんも。

(KEN THE 390)うん。そこに入った。

GALAXYの同期の仲間

(DJ松永)その時の仲間とかって、どういう人がいたんですか?

(KEN THE 390)TARO SOULとか志人とかなのるなもないとか。同世代だったね。

(DJ松永)出た! 降神って2人ともGALAXYだったんですか?

(KEN THE 390)GALAXYだった。

(DJ松永)同い年なんですか?

(KEN THE 390)なのるなもないは学年は2つ、違うんだけど。

(DJ松永)上ですか?

(KEN THE 390)上。でも、俺らと同じ代で入ってきてたよ。他大学に行っていて。でも、サークルは大学関係ないサークルだったから。

(DJ松永)サークルって他の大学の人も入れたりしますもんね。そうなんですね。で、だいたいそのあたりの同世代の仲間、同期みたいな人って誰がいるんですか?

(KEN THE 390)でもDa.Me.Recordsをやってたから、環ROYとかも同期だしね。GALAXYじゃないけども。

(R-指定)だからこれ、結構重要で。Da.Me.Recordsって。これ、みんなに説明しておくと、ダースレイダーさんとMETEORさんと環ROYさんが最初、立ち上げたんですよね。それがCDを1000円で出すとか。自主で……超インディペンデントな活動をやっていたんですよね。自分らで若手をフックアップして、その若手が音源を作って出せるっていうシステムを作ったり。それから渋谷で多人数のサイファーをしたりとか。そういうダメレコこの動きっていうのは遠く離れた大阪のラッパーから見ても、結構希望というか。

別に繋がりというか……その怖い人らのピラミッドの中に入らんでも自分らだけで、「ラップが好き」っていうだけのやつらで集まって、自主的にやってもこれだけ盛り上がってできるんや、みたいな。それで、ダメレコにはCOMA-CHIさんとかもいましたよね。そういうのに直でヘッズとして食らっていた世代っていう。たぶんKENさんたちがダメレコでシーンにガンガン出ていくっていうところを俺らは10代とか高校生とかの時にリアルタイムで見たみたいな感じがあるんすよね。

(KEN THE 390)俺もね、そのダメレコが始まったのが俺が22の時ぐらいで。大学を卒業するぐらいの時。留年してる時ぐらいとかなんだけども。でも、その前はやっぱりすごい閉塞感だったの。俺ら、言うてもGALAXYっていうサークルで、先輩にRHYMESTERとかいるけども、学生時代に会ったことはないし。誰かのそういうグループに属しているわけでもないから。なんか、「これ、俺らってどうやったらCDとか出せるようになるの?」って。もう全くわからないみたいな。

(DJ松永)じゃあ在学中ってどういう活動だったんですか?

(KEN THE 390)だから夜中のクラブに出て。それでちょっとライブがいいねって認められると、それこそ俺らなんかはラッパ我リヤの前座とか。ちょっとゲストが来る時の前座とか。でも、ノルマついてたよ。すげえバイトでノルマを払ってとか、全然あって。それで当時ってCDがさ、レコーディングスタジオに入らないと出せなかったんだよ。今みたいに宅録でできなかったんだよ。

(R-指定)家で録れなかったんですよね。

(KEN THE 390)そう。それでミュージックビデオを撮るのも今ほど安くないから。やっぱりレーベルとかに入ったりしないとお金が出なくてCDが出せないみたな。でも、「レーベルなんて俺ら、どうやって入れるの?」みたいな感じで。でも、ダメレコはちょうどその宅録が始まった頃で。ダースレイダーの家のキッチンでみんなレコーディングして……とか。

(DJ松永)どういう流れでDa.Me.Recordsって……?

(KEN THE 390)あれはね、METEORっていうラッパーがいるんだけど。それでダースレイダーが「最近、宅録できる機材が出たらしいから」っていうことで自分のお金で機材を買って。「これで家でレコーディングできるようになったから、METEORの周りのラッパーで面白そうなやつ、連れてきてよ」って言って。それでMETEORがどんどん誘っているの。だからほとんど同世代で。

(DJ松永)そういうことだったんですね!

(KEN THE 390)あとはMETEORが話しかけても怖くなさそうな人ばっかりだったんだよ(笑)。だから暴力的なやつがいないの。

(R-指定)ダメレコ、たしかにめっちゃ平和な感じ、しましたもん(笑)。

(DJ松永)ダースレイダーさんってラッパーで。MICADELICっていう……。

(R-指定)MICADELICでまずはメジャーデビューをしていて。

(DJ松永)だからダースさん、KENさんの何個上ですか?

(KEN THE 390)4つ上ぐらいかな?

(DJ松永)4つ上で、先に有名になっていた人で。そのダースレイダーさんがレーベルを始めるっていうことで、そこにKENさんが入ったっていう流れですか?

(KEN THE 390)レーベルにしようとかっていうことでもなくて。「家で録れるようになったから、暇なやつは来れば家で録れるよ」みたいになって。で、暇な学生とかハタチそこそこの俺らがみんな集まって。それで本当、遊んでいる感じ。録って、レコーディングが終わったやつから『ウイニングイレブン』やっていくみたいな(笑)。

(R-指定)最高のツレ(笑)。

ダースレイダー家でのレコーディング

(KEN THE 390)それでまだ録っているのにウイイレの試合が盛り上がったりしてて。「うるせえよ! こっち、録ってるんだよ!」みたいになったりして(笑)。

(DJ松永)ダースさんとはどういうつながりだったんですか?

(KEN THE 390)だからそれは全部METEORが誘ったの。ダースレイダーとMETEORが別の場所でもう知り合っていて。

(DJ松永)そういうことなんですね!

(R-指定)だから最初、梅田サイファーのやつらも曲を録る場所なんてないから。一時期、さっき言っていたKOPERUの家が溜まり場になっていて。KOPERUが宅録できる機材を唯一持っていたんですよ。で、KOPERUの家にみんな、サイファー終わった後に集まって曲を録ったりして。俺はその文化、初めて高校生の時に触れて。「お前、家で曲を録れんの?」って言った時に「えっ? KEN THE 390とかも同じように家でやっているらしいで?」「えええーっ?」みたいになって。それでみんなでダメレコの人たちが渋谷のハチ公前で大人数でサイファーしている伝説的な映像を見たりとかしてましたね。

<書き起こしおわり>

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