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宇多丸 オオスミタケシ(Big-O)を追悼する

サイプレス上野 オオスミタケシ(Big-O)を追悼する アフター6ジャンクション
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宇多丸さんが2021年2月3日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中でヒップホップグループSHAKKAZOMBIEとしても活躍したデザイナー、オオスミタケシさんを追悼していました。

(宇多丸)はい。ということでね、ちょっと訃報なんですよね。なのでちょっとしんみりしちゃうかもしれないけど、お許しください。僕らもね、ラップグループ……RHYMESTERも結成32年になって。キャリアを重ねてきて。まあ、私も50代ですし。そういう話が出てくる歳……でも、早いよなっていう。僕らの仲間でね、訃報を伝えなきゃいけない時ってのはちょいちょい高出てくるようになっちゃったんだけど。その中で、結構大きく報道されてるんですけど。

SHAKKAZOMBIEというグループがいて。そこのラッパーとして活躍し、そしてなおかつファッションデザイナーとして本当に世界的に評価される活動をされていたことでも知られているオオスミタケシさん。我々は「オオスミ」って呼んだり、「Big-O」なんていうラッパー名でも呼ばれていましたけども。オオスミくんが1月24日に敗血症のため、入院先の病院で死去されていたことがわかった。47歳だったということで、まだお若かったんですけども。

全然、闘病をされていたとかも何も知らなかったので。今日、初めて……本当に寝耳に水っていう感じで。全然、実感とかそういうレベルじゃない感じで。うん。まあ、本当に絶句している状態ですけど。亡くなっちゃったんですね。オオスミさん、相方のラッパーのHIDE-BOWIEとDJ・トラックメイカーのTSUTCHIEと3人でヒップホップユニット「SHAKKAZOMBIE」というグループで90年代に……まあ本当に我々もすごく90年代、ワーワーやってる時に、あとで詳しく言いますけどね。全く同じ場所にいて一緒に頑張ってきた仲間たちです。

で、その傍ら、2000年代に入ってから彼はファッションデザイナーとして本当に大きく大きく成功して。まず最初にストリートブランド「スワッガー(SWAGGER)」っていうのを始めて。そこから更に、ソロ的に展開してハイファッション的な方向……「フェノメノン(PHENOMENON)」っていうのをやって。そして2012年からオリジナルブランドの「ミスター・ジェントルマン(MISTERGENTLEMAN)」というのをスタートさせて。このもいずれも本当に世界的に大成功していて。本当に東京ファッションシーンを代表するデザイナーとして活躍していたんです。だからそういう意味では音楽界、ヒップホップ界のみならず、ファッション界でも結構衝撃が走っていると思うんだけども。

でね、じゃあメールをちょっと読もうかな。複数の方からメールいただいてるんだけど。これ、匿名の方からです。「SHAKKAZOMBIEのオオスミ氏が亡くなってしまい、とても悲しいです。あの太い声でなめらかなフロウが大好きで。『大怪我』や『共に行こう』は今でも聞く超クラシックだと思っています。またRHYMESTERのライブでも衣装協力など、ファッションデザイナーとしても繋がりが深いと思います」。まあ、洋服を借りたいとかもあったと思いますけど。「……もし可能でしたら、宇多丸さんのオオスミ氏との思い出について聞きたいです」ということなんですけど。

思い起こせばですね、オオスミくんと最初に出会ったのはおそらく92年。下北沢の後に「SLITS」っていう風に名前を変えるクラブがまだ、その名前が「ZOO」だった頃だろうな。そこで、ラッパーでありDJであり、世界的レコードコレクターとしても知られるMUROくん。キング・オブ・ディギンのMUROくんが中心となってやっていたイベント『スラムダンク・ディスコ』というイベントがあって。

これ、結構伝説のイベントで。MUROくんを中心にTWIGYであるとか……後にMICROPHONE PAGERという日本のヒップホップシーンに革命を起こすグループになるメンバーを中心に、あるいはYOU THE ROCK★がいたり。キミドリっていう素晴らしいグループがいたり。ECDもいましたね。で、そこに我々RHYMESTERも光栄にも参加させてもらっていて。それで毎月のようにやっていたんですね。

で、どんどんどんどんそこにいろんな若手のアーティストとかも絡んできて。後に、たとえば我々のもうちょっと後輩にあたるMELLOW YELLOWが入ってきたりとか。後のNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのメンバーたちが出入りしていたりとかっていうのがあったんだけども。まさに最初は『スラムダンク・ディスコ』……ちなみに『スラムダンク・ディスコ』ってそのZOOっていうちっちゃいクラブでやっていたイベントなんですけども。

『スラムダンク・ディスコ』で出会う

当時はヒップホップで、しかもすごいハードコアなパーティーだったので、出演者のメンツは今、考えるともう伝説。レジェンド級のメンツがもうドンドンドンドンッ!って並んでいるんだけど、はっきり言って客とかいないんですよ。お互いにカマし合うっていうか。お互いにすごさを競い合うというような感じで。素のお客なんてほとんどいなくて。いるはいらけども、そんなに多くはない。出演者の方が多いぐらいで。

で、そこにいた子たちもいずれはやる側に回るみたいな、そういうシーンだったから。で、オオスミはまさにそんな感じで。当時、何をやってたんだろう? どこかで働いていたのかな? とにかく巨漢なんですよ。もうまんまるな。Big-Oという名前にふさわしく、まんまるな……しかも、まんまるなのは体だけじゃなくて、本当に人柄もまんまるっていうか。めちゃくちゃいいやつなの。いっつもニコニコしていて。で、オオスミくんが来て。「いつも目立っているあのファット・ジョーみたいなやつだけどさ……」なんつって。で、その頃はね、いつもものすごい大きいヘッドホンをしていて、それもトレードマークだったね。オオスミくんはね。

で、なんかそうこうしているうちに、話とかを合間にするようなって。で、「僕もテープ、作ったんです」っつって。その時はまだSHAKKAZOMBIEって名前がつく前のオオスミのデモテープ。今もそれ、全然大事に取ってありますよ。今でも部屋に取ってありますけど。で、そうこうするうちにSHAKKAZOMBIEっていうグループを組んで。これがまためちゃめちゃかっこいいグループで。RHYMESTERとしてもね、もう何度となく同じイベント、同じステージを踏ませてもらっているし。まあ、もちろんライバルでもあり、ということで競い合った間柄でもあるけど。そうですね。で、たとえば、ライブだけじゃなくて90年代半ばには原宿にヒップホップ居酒屋・龍宮っていうのがあって。これがSHAKKAZOMBIEがプロデュースで。龍宮っていうお店を開いて。

で、そこがやっぱりクラブとはまた違う、クラブに行く前にみんなでそこでメシを食って、ちょっと一杯飲んで、話をしてから行くみたいな、そういう社交場でもあって。そういうとこでもお世話になったしね。

ヒップホップ居酒屋・龍宮


(宇多丸)ちなみに、そこでMummy-Dさんが酔っ払ってお店のシャッターを壊して。それをお詫びのために無料でDJイベントを始めたのが「かたじけナイト」というイベントで。そんぐらい、みんなでワイワイやっていて。ああ、俺の写真が……DJ HASEBEが写真を上げている。俺とジブちゃんが写っている写真が。

(日比麻音子)わあ! 歴史というか。本当に時間を感じますね。

(宇多丸)そう。で、その中で、そうですね。でもオオスミくん……その後ね、さっきも言ったようにファッション界で本当に大成功を収めて。俺らの世代の中ではある意味もう出世頭っていうかね。一番ビッグになっちゃったねっていう感じの人なんだけど。まあ、いつどこでフラッと……たとえば道端でフラッとすれ違っても、まあ本当に変わぬいいやつ、オオスミくんっていうか。俺は少なくともオオスミに何か悪い感情を抱いた瞬間が出会ってから1度たりともないってぐらい、本当にただただいいやつだったなー。僕は、すごく。で、そういう人がちゃんと、すごいセンスもいい人だから、成功してたのはすごく嬉しく思ってたし。うん。そうだね。

だからね、次に会った時に……だいぶ、会う機会も減っちゃってはいたんだけど。道でバッタリ会ったりとか、何かのイベントでフッと会うとかっていう程度にはなっちゃっていたんだけど。そう。ミスター・ジェントルメンっていう彼がやっていたブランドの服を俺、普通に買っていたりもしてたから。展示会とかじゃなくて。だから次にオオスミに会ったら「俺、普通に買ってるよ」って言ってカマしてやろうと思ってたとか。

(日比麻音子)そうか……。

(宇多丸)うん。そんな機会もね、なくなっちゃったか……っていうか。マジか……。

(日比麻音子)ちょっとまだね、信じたくないニュースですね。

(宇多丸)うーん。なんか全然ピンと来ない。本当に。うん。というところはありますけどね。ちなみになんか、病床というか。治療の時も、当然この後もミスター・ジェントルメンのコレクションのためにずっとデザインを続けていらっしゃったっていうことで。もちろんね、さぞかし本当に、そのまま復帰したかったというか。元通りになると思ってやっていたんだろうし。

(日比麻音子)そうですね。まだ作品はもしかしたら待っていたかもしれませんね。

(宇多丸)一応コレクションはね、だからちゃんとその彼の意志を継いでやって。そこでなにかお別れ会みたいなのもやるということらしいですけどね。だから今はもちろん完全にファッションシーンでの活動が本当に大きいので。そこ中心の会ということになるんだろうけど。まあ、90年代、ワチャワチャやっていたヒップホップおじさんたちも、もし行っていい場所ならちゃんと、もちろんね、ごあいさつしたいなって思うけどね。うーん、本当にね、参った、参った。本当に。

(日比麻音子)あまりにもお若いですね。

(宇多丸)若いし、才能に溢れていて。本当に「日本が誇る」ってあんまり安易に使う言葉じゃないけど。日本が誇るデザイナーでもあったし。うん。で、それがやっぱり俺たちの……「俺たちのシーン」って言っていいと思うんだよね。その下北沢の客なんかいないところで。で、俺たちがやってることを面白いと思って来てくれた才能ある若者が一緒になってワチャワチャやって。もう、本当に細かい、いろんなしょうもないバカ話も含めたら、思い出はいろいろあるんだけど。

そこから出た人が世界的に活躍したいたのを本当に誇らしく思ってたし。そして何よりもやっぱりもうとにかく、1から10までいいやつ。もう最高! だからもう、何だかな……って感じです。ちょっとね、今できるのはたとえばこれを聞いていらっしゃる方でね、もちろんファッションブランド、デザイナーとしての本当に素晴らしい功績っていうのもあるけど。音楽家・SHAKKAZOMBIEのメンバーとしても素晴らしい名曲の数々、いっぱいアルバムも出してるんで。ぜひぜひちょっと今からでも掘って聞いていただきたいんですけど。

今日、かけるのはですね、1997年発売のSHAKKAZOMBIEのファーストアルバム『HERO THE S.Z.』。その中の収録曲でこれはオオスミくんのソロ曲です。で、なおかつこれ、この番組とも多少関係あるというか。別角度から興味を持たれる方もいるような話をしておくと、アニメ『カウボーイビバップ』の地上波初放送の時の最終回『よせあつめブルース』。これ、1998年に放送されたやつなんですけど。これのラストにこのオオスミのソロ。SHAKAZOMBIEの『空を取り戻した日』という曲が流れたんですね。

で、これはいろいろあって。なんか、不本意な放送形態になってしまったことへの抗議の意味も込めて作られた特別な最終回で。現在までソフト化されていないという。最初のオンエアーの時のみという非常にレア回ということになっております。でですね、これが使われた経緯も多少、我々と縁があるというか。当時、この曲を元々SHAKKAZOMBIEのファンで、どうしてもこの曲『空を取り戻した日』を使いたいという風に思った渡辺信一郎監督。この番組にも何度も出ていただいておりますが。

その渡辺信一郎監督が知人だったこの番組の構成作家である古川耕さん。当時、ヒップホップライターとしてゴリゴリに我々のシーンのど真ん中で活躍しつつ、アニメ業界のライターとしても長年活躍されてきたので。その両方をつなぐ人として、古川さんだったんですよ。で、古川さんに「この曲を使いたいんですけど」って渡辺監督が相談して、古川さんがSHAKKAZOMBIEのレーベル。当時、カッティング・エッジですかね。エイベックス傘下のカッティング・エッジに仲介したということで楽曲の使用が実現したという、そういうことらしいですよ。

だからまあ、この番組に関わってる古川さんもそうだし、今日の8時台に来るヨシくん(高橋芳朗)とかも含めて、もうみんな一緒にあの時代を過ごしたメンバーなので。ちょっと今日はみんなショック受けてる組がやる番組という感じになっちゃってますけど。はい。なのでぜひ、ちょっと皆さん、オオスミくんはこんな曲を作ってましたということを知ってもらう意味でかけたいと思います。SHAKKAZOMBIEで『空を取り戻した日』。

SHAKKAZOMBIE『空を取り戻した日』

(宇多丸)はい。SHAKKAZOMBIE、アルバム『HERO THE S.Z.』からオオスミくんのソロ曲『空を取り戻した日』をお聞きいただきました。ということでちょっと、全然なんと言うのかな? もちろん気持ちが整理できてるとか、そういうことではないんですけども。本当にオオスミくんの訃報にふれて、とりあえず僕なりの思い出と……まだまだちょっといろんなこと思い出してくる気がするんだけど。

とにかくしばらく会えてなくて、お話もできないうちにこういう風になったのがすごく僕は「ああ……」って思うし。悔いにも思うし。さぞかし悔しかったろうとも思うんだけども。差し当たってオオスミくん、本当にお疲れさまでしたということを言っておきたいです。はい。ということで、お伝えしました。

(中略)

(宇多丸)オープニングでね、SHAKKAZOMBIE。そしてファッションデザイナーとしても活躍されていたオオスミくんの訃報をお伝えしたんですけども。今ね、なんかすごいどうでもいい思い出が……こういう時ってやっぱりどうでもいい思い出がどんどんどんどん浮かんできて。SHAKKAZOMBIEとRHYMESTERって直接は曲を作ったことってないですけど。仮で、イベント限定でやったのがあって。これは当時、お客として来てた方がどのぐらいいるか……(笑)。

あのね、パナソニックのヘッドホンステレオでショックウェーブっていう商品があって。これはその重低音が物理的な振動となってヘッドホンに伝わって、耳がブルブル震えるっていう、いかにも90年代ヒップホップファンに向けたような、ものすごいいびつな商品があって。

(日比麻音子)へー!

ショックウェーブイベントで共演

(宇多丸)で、そのショックウェーブのスポンサードイベントみたいな感じで。東京と大阪で、しかもこれ、無料イベントで。投げ銭システムだったんだよね。で、僕らRHYMESTERとSHAKKAZOMBIEとあと、BY PHAR THE DOPEST。KREVAとCUEZEROという2人でやっていたグループ。あともう1組ぐらいいたかな? まあ、とにかくここらへんが出てやったの。で、そのイベントでそれぞれショーケースライブなんだけども、やって。最後に舞台上でせっかく3組いるからっていうことで、ショックウェーブにちなんで。「衝撃波! 衝撃波!」みたいなサビをつくって。その時のイベント2回用の曲を一緒にやったみたいなのがあるんですよ。

(日比麻音子)おおーっ! 最初で最後の。

(宇多丸)そうなんですよ。ただ、その時に思い出すのは舞台上で当時、まだBY PHAR THE DOPESTだったKREVAのマイクを俺がなんかの拍子でガンッ!って押しちゃって。クレちゃんの足にドカン! ガラン!って当たっちゃって。すごいクレちゃんに怒られて。先輩、怒られて。「ごめん、焼肉おごる」って言ったまま、もう20年ぐらい経っちゃったみたいな(笑)。

あと、投げ銭イベントだったんですよ。でも、来ているのは若い子でそんなお金もないので。別にそこを期待しているイベントじゃなかったんだけど。でも、東京はそこそこ入れてくれて、なかなかのお金になったんですよね。で、大阪は東京よりも人が入っていたし、東京よりも盛り上がったのに、ゼロ円だったんですよ!

(日比麻音子)ええっ? ゼロ? 全くなし?

(宇多丸)「すごくない?」って思って。俺、あんまりそういうノリの関西幻想、嘘だと思っていたけども。「でも、本当じゃん!」みたいな。と言って、出演者一同で盛り上がりました(笑)。

<書き起こしおわり>

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