宇多丸 Mr.Itagaki a.k.a. Ita-Choを追悼する

宇多丸 Mr.Itagaki a.k.a. Ita-Choを追悼する アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2020年11月23日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で亡くなったDJ・選曲家・プロデューサーのMr.Itagaki a.k.a. Ita-Choさんを追悼していました。

It’s My Thing(Eat Meat To The Beat Productions)
ビクターエンタテインメント

(宇多丸)そんな中、俺は全然わかっていなかったんですけども。構成作家の古川耕さん。古くから彼もヒップホップシーンでライターとして関わっているんで。彼から教わったんですが。ええと、Mr.Itagaki a.k.a. Ita-ChoというDJであり選曲家でありプロデューサーであり……という活動をしてきた、まあ日本のヒップホップ業界の人物がお亡くなりになったということで。僕はちょっと原因とかは詳しく知らないのですが。

渋谷・宇田川町のレコード屋を中心としたヒップホップ文化圏

という感じで……まあ、ざっくり言うと90年代後半から2000年代頭ぐらいにかけての渋谷・宇田川町を中心とした、特にレコード屋さんを中心としたヒップホップ文化の盛り上がりというものがあって。これはご存知ない方に説明するのは難しいんだけども。本当に確固たる一大……他の国のどれとも違う、非常に体系化された知識を持つヒップホップヘッズが行き交う、本当に独自の文化体系というのがあって。その中心に、たとえば世界的なレコードコレクター、DJとしても知られるMUROくんという男。僕と同世代ですが。

で、MUROくんの周りの若者たちというのがさらに掘り師イズム……レコードを掘って掘って、世界中に行って掘ってというイズムと、それから非常に知識と技術を身につけて。当然、ラップグループとかもそこから生まれてきて。この番組にもちょいちょい来てもらっているNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDの人たちなんかもそうだったりするんだけども。

(熊崎風斗)はい。

(宇多丸)そんな中で、やっぱりレコード屋が果たした役割というものが大きくて。この番組にも来ていただいているDJ YANATAKEはCISCOという、あのCISCO坂という坂を登ったところにあるお店で。一方、その坂の下にはマンハッタンレコードという、今でもあるお店があって。で、マンハッタンレコードに勤務していたMr.Itagaki a.k.a. Ita-Choくんというのがすごく、いろんな知識を持っていて。レコードのバイヤーとしても活躍して。若者にも知識を与えていたし、プロデューサーとしても優れたトラックをいっぱい残していたりして、長年活躍してきていて。

僕は直接そんなに親しいというよりかは、たぶんDJ JINとかの方がよっぽど近しいと思うんだけども。なんだけど、もちろん東京の特に渋谷を中心とした、本当に確固たるヒップホップ文化圏。世界に冠たるヒップホップ文化圏があって。その中ですごく重要な役割を果たした人物で。なので、原因とかは僕はまだ直接は知らないですし。なんだけども、ちょっとこの番組。東京で一応ラッパーがやっている番組として、Ita-choくんが亡くなったのに全く曲もかけないというのはないだろうということで。まあ、僭越ながらというか、1曲。

Ita-choくんプロデュース曲、いっぱいあるんですが。代表曲はやはりこのあたりになるんでしょうかね? 最初に出たのは99年かな? 後に2000年のアルバム『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』にも入りました。NITROの代表曲もであると思います。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDで『BAMBU』。

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND『BAMBU』

(宇多丸)はい。初出は99年になるのかな? Ita-choくんの代表的プロデュース曲と言っていいでしょう。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDで『BAMBU』をお聞きいただきました。途中のこの番組にもちょいちょい来ていただいているMACHA-CHINくんの「チャリンコラブホ、チャリンコラブホ」っていうなに言ってんだかわらない……曲の中でも「What?」とか言われてましたけども(笑)。まあ、そんなのも含めて他にもいろいろかっこいい曲も残していますし。レコードバイヤーとしても世界的に飛び回って活躍をしていましたし。まだまだ、活躍をされるようなお歳だったと思うんだけども……ということで。とりあえずMr.Itagaki a.k.a. Ita-Cho、ご冥福をお祈りいたします。

<書き起こしおわり>

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