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杉作J太郎 コンプライアンス時代のテレビ・ラジオと「自由」を語る

杉作J太郎 コンプライアンス時代のテレビ・ラジオと「自由」を語る 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト
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杉作J太郎さんが2020年8月12日放送の南海放送『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト3&Spirits』の中でコンプライアンス全盛時代のテレビ・ラジオについてトーク。窮屈な中で自由に見せるためにはしゃぐ番組を作ることで生じる問題について話していました。

(ひなた狼)そんな感じで、まだちょっと(『大都会 Part II』の乾)感想を言いたいんですけども。その自由な感じがして。もしかしたら、これを局長は生まれた時から見ているから自由な人なのかな?って思ったんですよ。これ見て、たぶん成長をされたんじゃないですか?

(杉作J太郎)もう見たどころか……いや、もちろんリアルタイムでも見ましたし。繰り返し繰り返し……特に数年前にDVDが発売されてからはもう一日一大都会という感じでね。あの一日一善ならぬ、一日一大都会。つぶやいたりもしながらね。本当に……なるほど。それで僕は自由になったのか。

(ひなた狼)いや、本当にそれぐらい、なんかやることがですね、かなり自由だなっていう風に思いまして。

(杉作J太郎)じゃあ、見てちょっと自由になった?

(ひなた狼)いや、まだ全然なっていないので、これからもっと『大都会』を見て自由になりたいなと思いました。

(杉作J太郎)『大都会』は次に『Part III』があって。さらに『西部警察』というね、さらなる自由なものが待ってますから。ねみんなが大切にしてる自動車があるんですよ。その自動車が壊れたら、みんなが泣くんですよ。舘ひろしたちが。「ああっ、俺たちの仲間が……!」って。

自由すぎる『大都会』や『西部警察』

(ひなた狼)いろいろな話があって自由っていう感じが分かると思うんですけども。見て、もう本当にとにかく自由になりたいです。

(杉作J太郎)なるほどね。たしかにね、『大都会 Part II』はね、ご覧になった4話だけでも十分に自由だったとは思いますけども。まあ、たしかに驚いたでしょうね。

(ひなた狼)そうですね。驚きました。

(杉作J太郎)あと、かわいそうじゃなかったですか? 平原刑事。粟津號さん。

(ひなた狼)かわいそうというか、私は自分で選んで見たじゃないですか。これを連続というか、1から見ていたら、きっと愛着がわいてるじゃないですか。

(杉作J太郎)ああ、1から出てますからね。『闘いの日々』からずっと出てましたから。

(ひなた狼)それだったら愛着がわくじゃないですか。

(杉作J太郎)わきやすい雰囲気の人なんですよね。また、粟津號さんが。

(ひなた狼)そそっかしいというか。

(杉作J太郎)そそっかしいし、「俺さ、モテないからさ」みたいな。「彼女作ったらいいじゃない?」「ああ、ごめん」みたいなさ。

(ひなた狼)そういう感じの方が亡くなられるというのはちょっと衝撃的で。

(杉作J太郎)ちなみにね、あの看護婦さんがいたでしょう? 「彼女、作れば?」って言っていた。あの舛田紀子さんというのは第1話『追撃』とか『大都会』のメイン監督……まあ村川透さんはお弟子さんに当たると思うんですけども。舛田利雄監督のお弟子さんなんですよ。舛田利雄さんの娘さんがあの舛田紀子さん。で、さらに言っておきますと僕は舛田紀子さんとはお茶をしたことがあるという。若い頃に。

で、その時はね、舛田紀子さんはもう女優を辞められて。たしか、もう女優は辞められていたんじゃないのかな? 雑誌の編集部にね、夕方だか夜にいらしていて。で、なにか仕事がらみで誰かと知り合いで。そしたら、僕はびっくりしましたね。舛田紀子さんが編集部にいるから。「舛田紀子さん!」なんて言って。それで「今は、もう?」みたいな感じで。まあ、時間がなくなってまいりましたので。『大都会 Part II』については以上ですか?

(ひなた狼)まあとにかく、たくさん見て自由になりたいです。たぶん自由さに欠けている部分があるんですよ、私。

(杉作J太郎)いやいや、「私」っていうか、だから今はたしかに「コンプライアンス」っていう問題がありまして。大きく。これ、やっぱり今のテレビはすごくコンプライアンスというものにがんじがらめになってて。結局、そうなってくるとやれないことがたくさん増えてくるんですよね。そして、生放送とかもしにくくなっている時代だと思います。問題発言とかが流れてしまうという。

だから、ラジオもそうだと思うんですけど。公共放送ですから。誰かの持ち物で私物じゃないですから。それはコンプライアンス云々っていうのは当然、わかるんですけども。やはり相当厳しくなっている。表現が相当窮屈になってきてるのはもう間違いないんですね。で、窮屈な中で自由なふりをして、はしゃぐ番組とかがあるわけです。テレビもラジオも。

で、窮屈の中ではしゃいで。夜中とかにも夕方とかにも深夜にもありますけど。「アハーッ!」とか「ウヒャーッ!」って。大抵、それは誰かが失敗したところを見て笑っていたりするんですよね。そういうのが、やはりいじめの温床になり、さらに「笑われる人を設定しなきゃいけない」ということがテレビやラジオの不自由なものを今、どんどん作っていってるものだと思うんですよ。あのね、これは大事なことだから言っておきますけども。「笑われる」っていうのはスタッフが作っちゃいけないんですよ。

スタッフが「笑われる人」を作ってはいけない

演じ手が笑われる側に行くのはものすごい難しいことなんだけど、それは演じる側がやることなんですよ。たとえばね、「笑わせる」っていうのと「笑われる」っていう。その「笑われる」っていうのを悪く言う人もいますけど。「笑われる」っていうところに持っていく芸人、そしてお笑いの方ってのは相当、超一流の方なんですよ。

たとえば何気ない仕草とかで「アハハッ! うわっ、すごい。変なことやってるよ!」とか。それはもう、長年の修行でそれをやってるわけ。ところが、今のテレビ・ラジオ……特にテレビがやるのは、もうスタッフがそこで「笑われる対象」を作り出すわけ。そうすると、いじめ問題にも似た悲劇が起きてくる。今、テレビはいろいろな問題が起きてますけど。

このままだと本当ね、コンプライアンスを守ってその中でバカ騒ぎをしていると、陽気なふりをしていつまでも騒いでいるとですね、僕はやっぱりもうテレビというものが下手するとね、命を奪う道具になると思います。これはもう本当、気をつけていただきたいなと思うわけなんです。放送時間がそろそろ終わりに近づいてまいりました。

<書き起こしおわり>

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