荘子it 西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」 を語る

荘子it 西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」 を語る J-WAVE

荘子itさんが2020年6月17日放送のJ-WAVE『SONAR MUSC』に出演。あっこゴリラさんと西部邁さんの『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」 』について話していました。

(あっこゴリラ)お届けしたのはDos Monosで『Fable Now』でした。

(あっこゴリラ)ということで、お待たせしました。ここでヒップホップ界屈指の読書好き、Dos Monosの荘子itが一押しの本を紹介するソナーブックスのコーナーです! それでね、いつもねリモートだったんですけど、今夜は念願のスタジオに来てくれました。荘子itです。

(荘子it)どうも、こんばんは。よろしくお願いします。

(あっこゴリラ)よかったよかった。リモートだといつも結構大変だったからね。

(荘子it)今まで聞いてくれた方、音とか悪くてすいませんね。俺、早口で難しくて音が割れちゃって、三重に意味がわかんないってすごいお叱りを受けていたんですけども。

(あっこゴリラ)フフフ、大変だったよね。でも今日から二重苦ぐらいになるね(笑)。

(荘子it)フフフ、やっぱり人が前にいるとね、リズムがね。電話越しだとBPMがわかんないからね(笑)。

(あっこゴリラ)たしかにそうだよね。さっそく行きたいんですけども。今日、お勧めしてくれる1冊は何でしょうか?

(荘子it)今日は初めて、僕の方から提案させてもらえるっていうことで。いろいろ考えたんですよ。この前ね、あっこちゃんがタナソーさんの番組に出ていて。宇野維正さんとかとフェミニズムの話をしていたからさ。俺もその話にすごい参加したくて。フェミニズムの本を持ってこようかと思ったんだけども。

(あっこゴリラ)うんうん。

(荘子it)ジュディス・バトラーっていう人の『ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱』っていう本があって。それの話をちょっとしようかな、なんて思ったんだけど。

(荘子it)ちょっとそれは話が深まりすぎて、10分にはまた収まらないと思ったから1回、それをやめまして。その後、初めての紹介ということでルーツ的な本を紹介してっていう風にも言われたから。荘子itだから荘子の本を紹介しようかなとも思ったんだけど。それも、読書インタビューみたいなのを他のところでやっていて。それもネットに記事が上がっているから気になる人はそっち読んでもらえばいいやと思うので。

(あっこゴリラ)なるほど。

(荘子it)1回、俺のルーツは荘子だけど。それは読めるもあるから調べて読んでくれればいいっていうことで。今日はね、ちょうどあっこゴリラ本人とはこの前、話していて。「日本について知りたいんだ」っていうことをね。

(あっこゴリラ)そう。これもまさに今、話に出た通り、私は『POP LIFE』っていうタナソーさんと三原勇希がやっているポッドキャストの番組……それこそ宇野維正さんとかの。その番組に私が出させてもらった時にね、『ハーフ・オブ・イット』っていう映画を見たのね。そこで、「愛って何だ?」っていう話になったんだよ。それで「愛って、その多様性とか寛容さっていうのはちょっときれいごとで。どうしてもやっぱり人間というのは割り切れない部分があって。愛って厄介で、利己的で……そういう部分が部分があるよね」っていうことになって。

そこをどう受け止めていったらいいんだろう?っていうのは実は今、本当に差別反対だし。みんなピースでありたいし。でもその割り切れなさをどう抱えていけばいいのか?って思った時に、三島由紀夫が出てきて。で、その三島由紀夫が亡くなった時に、その亡くなる理由が「それは自由でも民主主義でもない。日本だ。」っておっしゃっていて。それで私は「日本って何なんだろう?」って思って。そこでしっかり日本について知りたいなって思って。

「このわだかまりを誰に投げよう? 荘子itだ!」と思って(笑)。それで「荘子it! 私、こう思って、こう思っているんだけど……」ってやったら荘子itがそれの倍ぐらいの長文でアンサーを返してくれて、おすすめの本として紹介してくれたのが今日、紹介していくれる本なんだよね。

(荘子it)ああ、素晴らしいイントロダクション、ありがとう。まさにそういう文脈なんですよね。で、今回それで持ってきた本が西部邁さんっていう保守の論客とされる評論家の方ですね。2018年にお亡くなりになったというか、自殺されちゃったんですけどね。自裁死っていうことでお亡くなりになった方の本なんですけど。これ、浜崎洋介さんという文芸批評家の若い人と澤村修治さんという評論家の人と西部邁さんの3人でトークする形の対話篇みたいな感じですかね? それを文字起こししたものになっていて。

保守の論客・西部邁の対話篇

西部さんってまあ保守系の評論家の中ではものすごい有名な方なんだけど。ものすごいたくさんいろいろ本を書いていて。取っかかりとしてはこの対話篇。人と人がしゃべってるリズムが起こされたものがすごい読みやすいんじゃないかっていうことで。なおかつ、タイトルがこれ、『日本人とは、そも何者ぞ』っていう本なんだけども。「日本人ってそももそなんやねん?」っていうこと。まさにさっきのあっこゴリラへの回答になるんじゃないかなって思って。

(あっこゴリラ)本当に知りたいことなんだよね。

(荘子it)で、「回答になるんじゃないかな」って言ったんだけど、これがすごい難しいところで。いわゆる今、普通に皆さんが「保守」っていう言葉にどういうイメージを抱かれますかね? 今、ネットも盛んなんで。「ネット右翼」だとか、簡単に言っちゃうと「保守とは自民党政権だ」とかね。そういうことに対しての世論の一般的なイメージとして、あんまり良くないイメージがあったりすると思うんですよね。特にアーティストとか、大学で学ぶような知識人タイプの人とかはね。

で、僕自身も大学の時はあんまりいいイメージなかった。もちろんあのね、どっちかっていうと左翼だったらそういうフランス現代思想とかの方が好きだったし。映画だって革新的な、鈴木清順とかゴダールとかが好きだった氏。まあ前衛的なものが好きだったわけですよ。革新を求めるものが好きだったわけで。そんな時に出会ったのが実はこの本の著者の1人でもある浜崎洋介さんっていう人で。実はこの本にたどり着いたのも結構それがま大きい。

浜崎洋介さんっていう人がうちの大学の先生をやっていて。僕、映画学科だったんですけど、その映画の勉強をするにあたってもさ、映画の要はカメラの撮り方とかを勉強をしてもしょうがないっていうか。なぜ、映画を作るのか? 映画で何が可能なのか? その可能性と限界みたいなのをもっとちゃんと突き詰めたいっていう風になった時に、結局映画学科の勉強よりもその文芸批評家の浜崎さんの授業にハマっちゃって。で、さっき言った通り、僕自身はものすごく革命とか好きだし。単純にね。言っちゃえば「ゆるふわ左翼くん」だったわけですよ。簡単に言っちゃうと(笑)。

(あっこゴリラ)ゆるふわ左翼(笑)。うんうん。

(荘子it)そんな感じだったから相当バカにされてたわけ。大学時代に。で、でも何か逆にね、真っ向から生徒バカに出来る先生もなかなかいないというかね。なんか自分なりにはすごいかわいがられてはいなかったけど、いろいろそこから学ぶところも多かったから。卒業後もね、結局僕はそれで映画監督にはならず、ラッパーになってるわけなんだけど。そういうテーマだけずっと続いているから。

まあこの自分の日常の中で、本を読む中でたまにね、振り返っていたんだけど。こういういい機会だからね、実は自分もそういうところにルーツとまでは言えないんだけど、まあそういうのがあるんだっていうことは一応、言っておきたいなと思って。今日、たまたま紹介させてもらってるんだけど。

(あっこゴリラ)なるほど。この内容はどういうものなんですかね?

(荘子it)もう日本通史を……だから「日本人とは何者か?」っていうこと考えるにあたって、だいたい最初にさかのぼれるのは文字として残されているのが7世紀あたり。だからつまり聖徳太子の時代ぐらい。その頃からの日本人をどんどん、中世、近世、近代、現代まで続くように全部追うっていう。千何百年っていう歴史を。だから結構これ1冊読むと、3人の論者の目線を通してではあるけど、日本人っていうものがどういう問題と向き合ってきて今、どういう地点にいるのかというのを全部ワーッとさかのぼるような構成になってるんで。

だから本当に日本人って何なんだろう?っていう本当に素朴な、ちょっとバカっぽい疑念を抱いた状態で読み始めてもスイスイ読み進められて。終わる頃には何かしらの見取り図が取れてるっていう。で、それに対しての自分の距離感というのはそれぞれにあると思うんだけど。だからすごい最適な、保守っていう考え方の入門にはなってると思う。

「保守」とは何か?

で、さっきから「保守、保守」って言ってるんだけど。さっき言ったようにあんまりイメージは大して良くないと。つまり、「保守の人って足を引っ張ってるだけじゃん」っていうような……だからつまり右翼っていうのは革新を求める、たとえば「差別をなくそう」だとか「女性の権利を解放しよう」っていう時にそれに対しての仮想敵みたいになっちゃっているんだけど。で、実際にその側面はあるんだけども。でもこの人たちが言ってる「保守」っていうのはつまり、「我々日本人が物を考える時に何を選べないのか?」っていうことについてすごく考えてる。

つまり、「人権のために戦おう」とか「フェミニズムんために戦おう」っていうことは選択はできるんだけど、選択できる理念ではなくて、その日本人というものがどういう問題に今まで直面してきて。それがいかに刻み込まれいてるかっていう、その変えられないことの方に重点を置く思想っていうのを保守として定義しているわけ。だからそれはつまり、現状を変えるために必要な思想でもあるわけ。どういうことかっていうと「今までも何回もこういう問題があったよね」ってことに対する批判意識を持つっていうこと。

つまり、さっきも「聖徳太子の時代から」って言ったけど、その7世紀の時から日本っていうのは中国とか。今だったら主に西洋圏だけど、昔は中国の外来思想というものと付き合いながら、この島国の超ガラパゴスな文化をいかにバランスを取っていくかっていうこと。それは明治維新とかもそうだし。そこでだから、「最近」の知識人っていうのは……まあ、つまり日本の知識人っていうのはずっと同じことをやってきていて。

だから西洋の思想っていうもの持ってきて振りかざすんだけど、結局いわゆる今の言葉でいう「サイレントマジョリティー」と言われる、あんまり興味のない人からするとほぼ影響力を持たないような感じで。物知りな人たちが何か西洋の思想とかを持ってきて「日本がいかにクソか」とかいうことを言ったりするわけだけど。まあほぼ実行力がないということになった時に、「じゃあ実際に何が可能なんだ?」っていう。

だからそこで振りかざすだけじゃなくて……自分たちの選び取れない理念をかざすんじゃなくて、1回そのそこまで立ち返って考えようっていう、そういう人だと考えると、つまり「同じ過ちを繰り返さない」というためにあるんだよ。保守っていうのは。

(あっこゴリラ)そう。まさに本当に私自身がそこにぶち当たったというか。やっぱり簡単に何かを発信した時に、たとえば「反日」ってなってしまったりとか。「右だ」「左だ」ってなってしまった時に、「なんですぐ、そうやって政治闘争にすり替えられてしまうのか?」とか。じゃあ逆に言うと、私はちゃんとその「右」っていうものを見れてるのか? 「左」というものもしっかり見れてるのか?っていうのもあるから。そういう意味で、それこそ西洋の思想を取り入れて、取り入れていったらみんなは幸せなのか?っていうのもあるから……だから、その勉強をしたいっていうね。

(荘子it)まさにその理念というものは取り替えられるものだけど、取り替えられない問題で、今まで何回、同じ問題で足元をすくわれて机上の空論と化してきたのか?っていう。つまり、机上の空論をいかに抜け出すか?っていうための、流行りの言葉で言うと「クリティカルシンキング」みたいな。この人たちはそういう言葉は絶対に使わないけど、クリティカルシンキングみたいにして。

だから本質的な問題をちゃんと考える為にはそういう思想がないと……というか、むしろ左翼が、僕も言ったらそんな感じだったからこそ、あんまりその先生と直接は仲良くなかったんだけど。要は、その思考法を学ばないと敵を知ることもできないだろうって。まあ、この人たちを別に敵だとは思ってないけど。やっぱりその敵の思想というか、敵のイメージしてるぼんやりとしたイメージの解像度を上げていかないと空中戦になっちゃう。

つまり、Twitterとかを見てると「なんてひどいやつがいるんだ!」とか「なんてバカなやつがいるだ!」って毎日思っているわけだけど、本当はそこに敵はいないっていうか。それで叩きやすいところに匿名でまた石を投げ返すみたいにしていくことが毎日、繰り広げられているわけだけど。

(あっこゴリラ)そうなんですよね。

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