武田砂鉄と荻上チキ 2021年東京五輪開催の可能性を語る

武田砂鉄と荻上チキ 2021年東京五輪開催の可能性を語る 荻上チキSession22

(安田菜津紀)そうですね。先ほど、武田さんが「『人類が打ち勝った証』っていう言葉にすごく引っかかりを覚える」っていうことを仰ってたと思うんですけれど。やっぱりこういう勇ましい言葉が響けば響くほど、そこから疎外感を覚える人とか置き去りにされる人たちがそれだけ増えていくような気がしていて。たとえば、一番最初にその「復興五輪」っていうものが掲げられて、「オリンピックは東京で決まりました!」っていう風になった時にちょうど私、ご縁のある岩手県陸前高田市で仮設住宅のおばちゃんたちとそのニュースを見てたんですよね。

で、そのうちのお一人が「ああ、オリンピックなんて外国のことみたい」っていう風に仰ったのが非常に象徴的だったと思うんですよね。で、今やっぱり開催ありきで進んでいくっていうこと自体、医療の現場とか世界の中での感染蔓延とかを見ている人であればあるほど、「これって本当にこのまま開催ありきで進んでいいの?」っていうクエスチョンが増大していくと思うんですよね。

あと、やっぱりこのオリンピック関連で私が非常に気になっていたのが、たとえば国立競技場の建設の過程でお若い方……まだ20代前半の方が過労自殺で亡くなったりしたわけですよね。で、私は「過労死ライン」という言葉はあまり積極的に使わないようにはしていますが。強いて使うとすれば、その過労死ラインの2倍ぐらいの労働時間で、作業着を着たまま寝るような生活だったっていうことが報じられてたと思うんですね。

(荻上チキ)うん。

タイムラインありきでしわ寄せが発生

(安田菜津紀)で、最近これは私自身が公表したことなんですけれど。私の兄も実は、まあ全く違う職種で居酒屋の店長をしていたんですけれども。過労で亡くなった。で、労災認定も受けているということもあって。やっぱりこのタイムラインありきで誰かにしわ寄せが行ったまま開催が進められていった。で、そこで犠牲になった人たちが確実にいるっていうことを全く顧みないまま、1年延期してさらにまた開催ありきっていうタイムライン。これ自体にやっぱり疑問を感じるんですね。やっぱり「来年の夏開催します」ってお尻を決めてしまうたので、そこに合わせるためにまたしわ寄せを被る人たちがいるんだろうなっていうことは危惧しますね。

(荻上チキ)お尻も「物語」が用意されていて。「私たちは打ち勝った」という。あるいは、「政府はよくやった。医療関係者、ありがとう。みんな、よくやった!」っていうその国威発揚に使われるということが見えている。でも、その物語というものに乗る必要はもちろんないのと同時に、そうした物語っていうものは結構怖くて。要は、物語ってすごいシンプルなフレーズなんですよ。「私は勝った」とか、いろんな言葉を排除した上で「私たちは成功した」っていうような、そうした物語に回収をされる。

でも、その背景にあった細かないろいろな問題とか課題とかダメだった点、失敗点。あるいは今後の宿題。そうしたようなものっていうのを本来、見つめていくというのがさまざまな政治の議論だと思うんですけれども。でも、「勝った」っていうことにされちゃいますからね。

(安田菜津紀)そうなんですよね。で、やっぱり物語で言うと、さっきチキさんが難民選手団のことについてちょっと触れたと思うんですよね。で、もちろんその難民の方々が選手団としての国際舞台に立てるっていうことの意義自体、私は否定をしないし、それで初めて難民問題に興味を持つ方もいらっしゃると思うんですよね。

(安田菜津紀)ただ、やっぱり「難民の人たちを呼んで、いいことをしてますよ」っていう物語に回収されてしまうことの怖さっていうのがあって。たとえば日本の中ですと、難民申請者の方々を含めて、もう上限なく外国の方々を収容施設に入れて。もうそれこそ何年単位なわけですよね。

(荻上チキ)入管施設にね。

(安田菜津紀)そうですね。で、それは国連から再三、「それは拷問に当たりますよ」っていうことを警告されても、なかなか遅々としてその状況が改善されていかない。

(安田菜津紀)その一方で、「私たちはオリンピックをやってます。外国の人たち、ウェルカムです。難民選手団も来ます!」っていうことをしておきながら、足元で外国の方々をそうやって虐待していることの矛盾を解消しない限り、私はこの開催自体がどうなんだ?っていうことは常々、感じますね。

(荻上チキ)なるほど。

開催さえすれば、オリンピックはかならず成功するもの

(武田砂鉄)オリンピックについて常に言っているのはね、オリンピックって絶対に成功するんですよね。どういう意味かっていうと、「成功と失敗の基準」というものがあるわけではないので。つまり、開催している側、主催者側が「成功しました!」って言ったら、これは成功したことになるわけですよね。で、そもそも国同士の争いじゃないから、メダル数なんていうのは別に国ごとで発表する必要はないんだけれども。まあ、誰かしら金メダルを取るわけですよ。オリンピックをやればね。そしたら、やはり「あの柔道のあの名シーンが最高でしたね」とか「不屈の精神で逆転した。これが日本の誇りです」なんていうことで、成功するわけですよ。で、やる側が「成功だ」って言えるわけです。だから、始まってしまったらかならず成功になるわけです。

それが「成功で終わりました」って言ったら、チキさんや安田さんが仰ったようにこれ、今まであったいろんな問題点というものが全部なくなって、成功の物語として……この長い2013年からの招致のプロセスをひっくるめてね、成功の物語になるんですよね。やっぱりそれはあんまり僕は見届ける気にならないというか。やっぱり声を大にして言いたくなっちゃいますけどね。

(荻上チキ)そもそも、会場の話とか、あるいは賄賂疑惑の話であるとか。諸々あるんですけれども。

(荻上チキ)そうしたようなものも含めて、まだ課題がある。コロナ関連の話題もそれ以外の話題もいろいろあるですが、一旦お知らせです。

<書き起こしおわり>

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