西寺郷太と宇多丸 三宿Web閉店を語る

西寺郷太と宇多丸 三宿Web閉店を語る アフター6ジャンクション

西寺郷太さんが2020年5月25日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で三宿Webの閉店についてトーク。店長の長澤さんからのコメントや自身がはじめてWebに行った際のエピソードなどを紹介していました。

(宇多丸)その前に、ちょっと我々とも縁が深いクラブ、三宿Webの閉店ということについて、郷太くんからも一言あるということで。

(西寺郷太)一言というか、さっき三宿Web店長の長澤さんに電話をして。「なにか言いたいことはありますか?」と取材をしてきました。で、「アトロクを嬉しくて何回も聞いた」と。

(宇多丸)ああ、僕がちょっとしゃべったやつね。

宇多丸 三宿Web閉店を語る
宇多丸さんが2020年5月15日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の中で老舗クラブの三宿Web閉店について話していました。 昨夜の80年代洋楽パーティ@三宿Web 沢山のご来場ありがとうございました!翌日午前からお仕事にも関わら...

(西寺郷太)そうですね。僕も聞きました。「最初、文字起こしを読んだんだけど、宇多丸さんがラジオで話しているのを聞いたら熱量が違うから感動をした。だから、その音源をください」という風に言っておりました(笑)。

(宇多丸)フフフ、わかりました。音源、じゃあ番組からコピーを送らせていただきます(笑)。

(西寺郷太)それとですね、「やっぱり個人的には宇多丸さん、ずっとやっていたけども、ここ2年ぐらい……」って。アトロクが始まったりとか、土日もずっとライブが続いていたりしていたので。僕と『80’s Night』もやっていなかったじゃないですか。「……なので、Web熱が下がって、残念だけども『どうでもいいわ』ぐらいに思っているんじゃないかと考えていた」っていう。長澤さんはね。「だけど、あんなに残念がってしゃべってくれたから嬉しかった」という風に申しておりました。

(宇多丸)でもそれは申し訳ないね。ここ数年、できていなかったのは事実だし。なかなかね……。

(西寺郷太)そうですね。楽しかったんですけどね。それで「7月末に(お店は)終わるかもしれないが、まだオーナーには『最低閉店の1ヶ月前には連絡をしてくれ』という風に言っているので、状況を見てみないといつ終わるのかというのは完全にはわからない。今年は『申し訳ないと』も『Two,Three,Breaks!』も『80’s Night』も6月の周年の時にはやってほしいと思っていたから残念だ」という。それで「バー長澤的なものも緊急事態が解除されたのでやるんですか?」っていう風に……まあ、みんな集まってDJイベント的なものは無理だとは僕も思うので。「そういうバー的なものはやるんですか?」って聞いたら「今、迷い中だ」という風におっしゃっておりました。

(宇多丸)うんうん。

(西寺郷太)で、マンスリー表紙……僕らも何度か表紙になったりしましたけども。僕は結構なっていたんですが。その写真、長澤さん自身が撮っていたんですけども。「マンスリー表紙の写真集を作りたいと思って今、自分でまとめているから、よろしくお願いします」という風に言っていました。

(宇多丸)だって僕とね、郷太くんダブルで、2人で出たりもしましたもんね。

(西寺郷太)一緒にね。あれも俺、大好きな写真で。あれ、全部長澤さんがデザインして、長澤さんが写真を撮っていたんで。だから長澤さんの作品集として出すから。頑張ろうっていうことで。「今日からやります」と言っていましたね。

マンスリーフライヤー写真集計画

(宇多丸)これ、改めて言うと毎月の「こういうイベントをやりますよ」っていうフライヤー、チラシがちょっと軽い読み物形式になっていて。それの表紙が毎回、いろんなイベントをやる人の写真なんだけども。これがもう豪華ミュージシャン、オールスターだから。もうすごいんだよね。

(西寺郷太)そうですね。ずっと三宿Webの壁に貼ってあってね。

(宇多丸)そうね。周年イベントなんかになるとバーッと貼ってあったりとか。

(西寺郷太)そうそう。それで長澤さんが受付のキャッシャーにいることも多かったので。

(宇多丸)あそこのキャッシャーでダベるみたいなのがまたひとつね、うん。

(西寺郷太)出演者は割とそこで長澤さんとしゃべったりとか。その時によく見ていた、そのフライヤーが本になるということで。「頑張って作ろうと思っている」という風に言っていましたね。

(宇多丸)本当ですよ。ちょっとこの番組でも三宿Webに関しての特集というのかな? なにかしらのものは計画はしているみたいなんで。

(西寺郷太)ああ、みたいですね。

(宇多丸)DJ OFFICE LOVEが暗躍しているらしいので。

(西寺郷太)いや、本当に。

(宇多丸)でも長澤さんにそんな風に思わせていたというのはちょっと心苦しいな。すいません……。

(西寺郷太)でも宇多丸さんもね、この前におっしゃっていましたけども。僕と宇多丸さんがこうやって音楽の話をしたりとか、それこそ自民党のお話をしたりとか。そんな話をしていたのもあのカウンターがあってこそでしたからね。

(宇多丸)三宿Webのバーカウンターで離していて「いやー、郷太くん、やっぱり面白いから。あなた、ちょっとうちに来てラジオでも話をしてくださいよ」っていうので呼んだのがあの「小沢一郎・マイケル・ジャクソンほぼ同一人物説」へとつながっていったわけだから。

(西寺郷太)そうですね。あれで僕も人生が変わりましたから(笑)。

(宇多丸)あとさ、この間も離したけども。『Love Alive』を作りたての時、もう嬉しくなっちゃって。やっていないWebを無理やり開かせる始末(笑)。

(西寺郷太)開けてもらってね(笑)。やっぱり僕も98年の紅白歌合戦がNHKホールで12月31日にあったんですけども。その時にJUDY AND MARYのYUKIちゃんと僕、当時から仲が良くて。YUKIちゃんが「紅白を終わったら友達を集めて飲む」っていう話になって。僕は家でその時、紅白を見ていたんですよ。その後、渋谷に行ってYUKIちゃんの仲間たちと飲んだんですよ。紅白終わりのジュディマリ。その時は『散歩道』を歌ったんですけども。それで「さっきまで紅白出ていたYUKIちゃん、おめでとう!」みたいなことを言っていたら、「この後に友達がクラブでDJするから踊りに行こう」って誘われて。それで何台かタクシーに便乗して行ったのがはじめての三宿Webだったんですよ。

(宇多丸)かっこいいなー!(笑)。

西寺郷太、三宿Webとの出会い

(西寺郷太)だから99年、年明けでみんなが踊っていたんです。僕は割とそれまで、バンドマンだったので。DJはライブハウス……CLUB Queとかそういうところでライブハウスが終わった後にDJするみたいなのはよく行っていたんですけども。あんまりDJクラブに踊りに行くという習慣がそこまであんまりなかったんですよ。だからはじめてYUKIちゃんたちと一緒に行ったWebがすごい大人な……まあ成人していましたし、デビューもしていたんですけども。なんかあんまり行ったことがないカルチャーな感じがして。

その後、99年ぐらいからNONAもどんどんどんどんダンサブルな音楽をやり始めて。『DJ!DJ!~とどかぬ想い~』だったり『LOVE TOGETHER』だったり。僕らのディスコチューンみたいなのはやっぱりWebに行ってから、よりああいう踊れる音楽を生の演奏でやろうみたいな。ラップと組んで、YOU THE ROCK★さんとやろうとか。その延長に『Love Alive』とかもあるんですけども。まあ、『今夜はローリングストーン』とかもありますけども。だからWebに行ったことでそういうヒップホップ的なカルチャー、クラブ的なカルチャーと合体するなというのもあって。だからすごく感謝していますね。

(宇多丸)うんうん。なるほどね。いやー、その98年から99年の話もすごいし。ねえ。

(西寺郷太)うん。90’sですね。

(宇多丸)まさに90’s。今日のテーマにも関係してきますけども。そんな感じで三宿Webに関しましてはこの番組でももちろんいろいろとお伝えしていこうと思います。ありがとうございます。わざわざ長澤さんにも連絡を取っていただいて。

(西寺郷太)はい。よろしくお願いします。よろしく言っていました。まあ、すぐに連絡が来ると思いますけども。

<書き起こしおわり>

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