カルロス矢吹さんが文化放送『くにまるジャパン極』に出演。野村邦丸さんにタイ・バンコクで日本人オーナーが営むバッティングセンターの話をしていました。
昨日はバンコク唯一のバッティングセンターへ。
こじんまりとしていて駅から少し離れているところが、仙川のものと似た雰囲気を感じた。
バンコクで楽しめるのは本当にありがたいからこれから通おう。
一緒に行けるような友達が欲しい..。 pic.twitter.com/TWq6JzUjP5— かつたさん (@book_keeping002) June 25, 2017
(野村邦丸)さあ、今回はカルロス矢吹さん、どんなお話を?
(カルロス矢吹)はい。今日はバンコクにバッティングセンターを作った日本がいまして。
(野村邦丸)タイの?
(カルロス矢吹)タイの首都バンコクに。そのお話をさせていただけたらなと思うんですけども。その前にですね、まずそもそもなんでバッティングセンターの取材をすることになったのか?っていう経緯なんですが……当たり前ですけども、日本でどバッティングセンターの取材をずっとしているんですけども。バッティングセンター、みんな当たり前のように行ってますけども、そもそもあれってどうしてそこにあるのかがよくわからないバッティングセンター、あるじゃないですか。
(野村邦丸)三軒茶屋のビルの上とかに……。
(カルロス矢吹)ありますよね。あと、国道沿いに突然ポツンとあったりするじゃないですか。
(野村邦丸)あとは歌舞伎町とか。
(カルロス矢吹)はい。二軒、ありますよね。それでいったいバッティングセンターってそもそもどういう由来で建ったのかな?っていうところが気になって、バッティングセンターのオーナーに会いに行くっていうのをやり始めたんですよ。それで会ってみたら、オーナーさんがみんな面白い人なんですよね。それでバッティングセンターのオーナーに会いに行くっていうのをずっと、ここ数年やってるんですけども。それでついにバンコクまで行ってしまいまして。バンコクにバッティングセンターを作った方に会いに行ったんですけども。
(野村邦丸)えっ、日本でバッティングセンターっていつ頃からでき始めたんですか?
(カルロス矢吹)第一号は1965年に錦糸町の楽天地ビル、あるじゃないですか。あそこの上にできたのがいちばん最初という風に一応、言われてます。
(野村邦丸)東京オリンピックの翌年だ。
(カルロス矢吹)そうです。で、そこにできたのが第一号なんですけども、バッティングセンターって日本とアメリカと韓国、3つあるって言われているんですよ。
(野村邦丸)逆に言えば、3つしかないの?
日米韓 バッティングセンターの違い
(カルロス矢吹)ざっくり言うと……この間、インドネシアに作った人とかもいるんですけど。日本式、アメリカ式、韓国式っていう3つがあるんですよ。ちょっとね、それぞれ特徴があるんですけども。日本式はみなさんがイメージされるあのバッティングセンターなんでとりあえず置いておいて。アメリカの場合はバッティングセンターじゃなくて、バッティングケージって言うんですよ。で、バッティングケージ……要するに籠ですよね。プロ野球で打撃練習する時に裏にある。あれをケージって言うんですけども。バッティングセンターっていうよりかはアメリカって土地があるので、広大な土地にピッチングマシンと打席がある。そこを使っていいっていうような感じなんですよ。だから本当にグラウンドの中にピッチングマシンと打席があるから自由にどうぞっていう感じなんですよ。
(野村邦丸)えっ、そうなの?
(カルロス矢吹)だから、打撃練習なんですよ。ただの打撃練習。
(野村邦丸)フハハハハハハハッ! あんな日本みたいな、こう……?
(カルロス矢吹)あんな感じじゃないんですよ。
(野村邦丸)鳥かごみたいな感じじゃないんだ。
(カルロス矢吹)で、韓国式っていうのは僕がそう言っているだけなんですけども。韓国の場合は練習でもないし、日本みたいなゲームセンター感覚っていうようなものでもなくて。どっちかって言うとダーツバーとかに近い感覚なんですよね。飲み屋街のビルの中に突如ポッとあって。ものすごい至近距離から170キロぐらいの球が出てくるんですよ。韓国の場合はそんな感じなんですよ。で、それを酔っ払ったサラリーマンとかが「よっしゃ! 俺、打ってくるわ!」っつって行って振るけども当たらないみたいな。そういう豪快な感じが韓国式です。
(野村邦丸)はー!
(カルロス矢吹)だから日米韓とそれぞれ特徴があるんですけども。僕が今回、取材に行ったバンコクの場合は日本式のバッティングセンターっていうのをバンコクに輸入した男の話なんですね。
(野村邦丸)そもそも矢吹さん、タイっていうといま、サッカーが盛んになっているという。タイの代表は日本の西野さんが監督だよね? だから、サッカーが盛んなのはわかるけども野球はどうなの?
(カルロス矢吹)野球はですね、これ全然人気ないんです。まず野球の存在を知ってる人っていうのも相当限られてくるかなと思うんですね。で、どうしてそんなところにバッティングセンターを作ろうと思ったのか?っていう話なんですけど。そのオーナーさんっていう方がハオカノブタケさんっていう方で。昭和50年生まれの現在44歳。球歴としては中学まで軟式野球。高校からはサッカー。大学は東京の大学に行ったんですけど、大学では簡単に野球サークルに入るぐらいの球歴なんですけども。
そもそもバンコクになんで行くようになったのか? 最初はずっと大学を卒業してから東京で営業職をやられてたらしいんですけども。30歳の時に「バンコクに移らないか?」っていう募集が会社の中であったらしくて。それで手を上げて。そもそも、大学の時にバックパッカーをやられていたらしいんですよね。タイを中心に。それで「タイに移れるならいまがチャンスだろう」っていうことで30歳の時にバンコクに行って。最初はバッティングセンターじゃなくて向こうでゲストハウスをやろうとしたらしいんですよ。
ところがあんまり上手くいかなくて。じゃあ……って。「バッティングセンターをいつかやりたいな」っていうぼんやりした思いがあったらしくて。日本に住んでたらさすがにそういう風な発想にはならなかったけど、バンコクなら逆にできるんじゃないか?っていうことで、実際にリサーチを始めたらいいんですよ。
(野村邦丸)うん。
(カルロス矢吹)それでいま、邦丸さんがおしゃった通り、タイって全然野球はマイナースポーツなので。主に対象としたのがタイに住んでいる日本人。これをターゲットにしようということで、アソークっていうところとスクンビットっていうところがいま、日本人がいっぱい住んでいるところなんですが。ちょうどここの中間ぐらいのところにそのバッティングセンターがあるんですけども。そのあたりをいっぱいリサーチして。
調べてみたら、日本人ってタイにだいたい5万人ぐらい住んでるって言われてるんですね。で、それは大使館が把握してる数なんですけども。ただ、その倍はいるんじゃないか?っていう風に言われてるんですよ。届け出をしていない人がいっぱいいるので。ということは、10万人ぐらいは日本人がまずいる。で、日本でバッティングセンターのリサーチしたら、うまくいってるバッティングセンターってだいたい5万人から20万人ぐらいが住む街だとうまく生き残っているという。
それならば、この10万人の日本人がいるバンコクだったらバッティングセンターもやっていけるだろうっていうことで、いちおうきちんとリサーチした上で始めたらしいんですけども。とはいえ、やっぱり当たり前ですけども野球人気がそんなにないところだから、何度も何度もキンキクレスコっていうバッティングセンターのコンサルみたいな会社が大阪にありまして。そこと何度もやり取りを重ねて、しっかりと準備をしてやったそうなんですけども。
バッティングセンター建設の遅れ
それで2014年8月9日にオープンしたんですが、そもそもは2014年4月にオープンするはずだったらしいんですよ。でも、まずなぜそこが遅れたか?っていうと、向こうで野球を知っている人がいないから。日本人が図面を引いたんだけども、実際にそのバッティングセンターを作るのはタイ人ということで。やっぱり野球がわからないと、図面を見ていてもいったい何を指示されてるのかが全くわからないらしいんですよ。
(野村邦丸)はいはい。
(カルロス矢吹)しかも、これはいまのバンコクあるあるなんですけど。現場監督はタイ人なんですけど、実際に働く人ってもうタイ人の給料は高くなっちゃっていて。タイ人が働いてくれないからラオスとかベトナムの人なんですよね。だから、野球の話を日本人のハオカオーナーがタイ人の現場監督が指示をして。それをタイ人の現場監督がラオス人やベトナム人に指示するっていうすごい入りくんだ構造になっていて。なかなか工事が進まなかったっていう。
(野村邦丸)話はどんどんと薄れていくよね。
(カルロス矢吹)そうなんですよ。そこが工事をしていてすごく大変だったっていうのと、あとやっぱりバッティングセンターってだいたいゼロから作ると1億円かかるって言われているんですね。土地からなにから。まあ、バンコクだとさすがに土地はもうちょっと安いとは思うんですけども、やっぱりそれぐらいのお金をハオカさんも人生をかけて投入をされていて。そうすると、もしもう一軒できてたら、これはもうバンコクで共倒れになっちゃうじゃないですか。土地を購入したくらいから、もう外に出るのが怖くなったらしいんですよ。
(野村邦丸)もしもう一軒あったら……。
(カルロス矢吹)そう。工事現場を見ていると、「ああ、あそこに日本語の看板が出ている。もしかしたらバッティングセンターじゃないか?」って思うようになったらしくて。特にすぐ近所になんかビルを建築している日本企業があったらしくて。そこを毎日のように日本語の看板とかが運ばれていくから。「あそこ、もしかして大手企業が誘致したバッティングセンターかもしれない……」って思うと、もう外を出歩くのが怖くなってしまったらしくて(笑)。
(野村邦丸)普通に考えればそんなこともないんだろうけどな(笑)。
(カルロス矢吹)もう気が気じゃなかったらしいんですけども。で、もう1個遅れた理由があって。日本からバッティングセンターの機材を送ったんですけども、それがなかなか届かなかった。それはタイの港で止まっていたんですけども。問い合わせをしても全然返してくれなかったらしいんですね。で、しょうがないから港まで行って「どうして渡してくれないのか?」って聞きにったら……タイってこの間、クレーンゲームが禁止になったんですよ。日本のUFOキャッチャー。
で、それは「ギャンブル性がある」っていうことで。それでタイはギャンブルにものすごい厳しい国なので、そういうギャンブル性があるものは全部禁止になっている8んですけども。野球がどんなものかがわからないから。港の人も。「これはギャンブルに使えるものなんじゃないか?」っていう。野球がわからないから、ピッチング、珠を投げるということもわからないし、それを打つっていうことも……「それは賭け事なのではないか?」って思われたらしいんですよね。「いや、違うんですよ。これは野球というスポーツで、こういう野球というスポーツのひとつの動きなんですよ」っていうことを港まで説明しに行く必要があったらしいんですよね。
(野村邦丸)最初のバット、ボール、打つ、ボールが飛んで、誰もいないところに入るとホームランで……とか。全部それを?
(カルロス矢吹)説明をしないとわからなかったらしいんですよね。で、その昔、シンセサイザーを日本でいちばん最初に輸入した冨田勲さん。冨田さんも最初、そのシンセサイザーが兵器だと思われて、川崎の港が通してくれなかったっていうエピソードがあって。僕はそれをすごい思い出して。
町山智浩 冨田勲 追悼特集 https://t.co/OdQEUegSjr
(町山智浩)だからシンセサイザーをアメリカから輸入する時に「コンピューターじゃないのか? 軍事目的なんじゃないか? スパイなんじゃないか?」っていうことで、大変だったみたいですね。— みやーんZZ (@miyearnzz) November 8, 2019
(野村邦丸)うんうん。
(カルロス矢吹)やっぱり第一号、先駆けの人がやる苦労ってシンセサイザーだろうがバッティングセンターだろうが一緒なんだなっていうね。すごいその冨田さんの話を思い出したんですけども(笑)。
(野村邦丸)シンセサイザーとバッティングセンターのマシンと(笑)。
(カルロス矢吹)それで実際にオープンをしたら……これはバッティングセンターのあるあるなんですけども。すごい盛況なんですよ。だいたいどこも最初は盛況なんです。だけど、1ヶ月ぐらいするとそれが半分ぐらいになるらしいんですよ。それはいろんなところで言われていたのでハオカさんも覚悟はしていたらしいんですけども。
バッティングセンターの誤算
ひとつ、ハオカさんの誤算だったのが、いまバンコクの日本人がすごい減っているんですよ。それはいろいろ理由があって。単純にタイが景気よくなったから、タイの人の給料が高くなったとかいろいろとあるんですけども。そもそも90年代ぐらいに日本人がバッと増えて。それはもう各企業は20年後には現地採用だけでまかなえるように……っていうことで計画的にやっていて。それがきっちりうまくいってるからあまり日本人いなくても回るようになってきているんですよね。それで日本人がかなり減ってきて。
やっぱり日本人のお客さんが減ってきてはいるらしいんですが、その代わりのタイのお客さんがどんどん増えてきているんですよ。最初は9:1ぐらい……日本人が9でタイ人が1ぐらいだったのが、いまではもうだいたい半々ぐらいの比率になっているらしくて。で、その理由が、野球なんてやったことがないけど、向こうでドラえもんがすごい人気があるんですよ。それでドラえもんでよくのび太たちが野球をやっているじゃないですか。
(野村邦丸)広場でね。原っぱでね。
(カルロス矢吹)それで、「野球のことは知らないけども、こののび太がやっているスポーツをやってみたい」っていうことでバッティングセンターに来るらしいんですよ!
(野村邦丸)はー! わかんねえもんだな!
(カルロス矢吹)ここじゃないとできないので。だって、バンコクだとバットもボールもどこにも打っていないので。それでドラえもんって本当に人気があって。ドラえもん……タイのスーパーとかコンビニでしずかちゃんが生理用品のナプキンの広告やってるっていう、それぐらいドラえもんって人気あるんですよ。それで、大人もよく見るという。それでタイ人のお客さんがバッティングセンターに来ると、やっぱりバットの持ち方もわからない上に、みんなホームベースの上に立つらしいんですよね。
(野村邦丸)危ないじゃない。
(カルロス矢吹)はい。「これは危ない。違いますよ。やめてくださいね」ってハオカさん、バットの持ち方とか打ち方とか遊び方とか。それをひとつひとつ指南をするらしいんですけども。バンコクバッティングセンターって140キロまで出るようになっているんですよ。
(野村邦丸)結構速いじゃない?
(カルロス矢吹)それでみんな何も知らないから、とりあえず140キロに挑戦するらしいんですけど、いちばん最初にバットの持ち方も知らない、野球も知らないのにいきなり打ち返す人がいるらしいんですよね。
(野村邦丸)ええっ?
140キロを打ち返す野球未経験のタイ人
(カルロス矢吹)やっぱりね、才能って隠れているんですよ。で、特にタイって身体能力が高い人いっぱいいるじゃないですか。ムエタイもそうだし。いま、はサッカーだとコンサドーレ札幌にチャナティップっていう選手がいるんですけですけども。タイ人って数も多いから、その中でピックアップしていったら才能がある人っているんですよね。だから、ハオカさんはいきなり140キロを打ち返す人を見て「この人、子供の頃からやらせていたら、一角の選手になったんだろうな」って思うらしいんですけども。
やっぱりハオカさんが目標としているのもそこで、タイにいかに野球を根付かせるか。それで1人でもいいからメジャーリーグとかNPBで稼ぐ選手が出たら、それにつられてブワーッて出てくると思うんですよ。それをいかに作るかっていうのを今後の目標にしてるらしいんですけども。あのメジャーリーガーのジョニー・デイモンってご存知ですか? 彼ってお母さん、タイ人なんですよ。で、ジョニー・デイモンって2013年のWBCでタイ代表で出てるんですよね。
(野村邦丸)ええっ、そうなの?
(カルロス矢吹)なんですけど、ジョニー・デイモンが取った球をヒュッと投げたら、ファーストが取れなかった。それぐらい、タイの野球のレベルって低いんですよ。どうしても、ジョニー・デイモンが1人いたからどうこうなるっていう話でもなくて。野球って9人いないと強くならないスポーツなんで。だからハオカさんの目標としては9人ぐらいしっかりできるような人をある程度、NPBとかMLBに送り込むっていうことを今後の目標にしているらしいんですけども。そのためには、バンコクバッティングセンターって100バーツ……だいたい300円くらいで25球打てるっていう料金設定でやっているんですけども。これでもなかなか、タイの人からしたらまだまだ高いそうなんですよ。
(野村邦丸)ああ、そうか。
(カルロス矢吹)で、お客さんもタイの富裕層ばっかりらしいんですよ。だから今後、タイの野球を強くするためにはいかに低所得者層、いわゆる貧困層にも野球やってもらえる環境を整えるか。これがすごい大変って言ってましたね。やはり野球は道具がすごい必要なので。
(野村邦丸)日本でもね、道具を揃えられないっていうのがあるからね。
(カルロス矢吹)だからいま、ハオカさんはそういうそういう風な活動をされていますね。
(野村邦丸)へー! おもしれえな! 140キロをいきなり打っちゃうってすごいよね? 加奈ちゃん、バッティングケージに入ったこと、ある?
(水谷加奈)もちろんあります。でも……いちばん下って何キロでしたっけ?
(野村邦丸)80キロとか90キロとか……。
(水谷加奈)それでも「おお、怖い……」って思いますから。140キロ、急に来て打っちゃうっていう身体能力、すごいですよね。
(野村邦丸)動体視力もすごいいいと思うよね。
(カルロス矢吹)たぶん格闘技とか、何かしらやられてたんだと思うんですけど。で、バンコクだけじゃなくて、実はシンガポールとかにもバッティングセンター、あったんですよ。だけどシンガポールの方は早々に潰れてしまったらしくて。
(野村邦丸)ああ、そう? 昔、東尾修さんたち、名球会のメンバーがアフリカに野球を伝えようって。ボールとグローブとバットを持っていったのかな? で、まず「ボールを放ってみろ」って言ったらみんな鷲掴みにして。で、「どうやって投げるんだ?」って普通に投げたら……要するにバウンドしちゃうらしいんですよ。そのバウンドがビヨーン!って上がるんだって。
で、「こうやって持ってやってごらん」って言ってもなかなかうまく行かないんだけども、ある青年がヒュッと投げたら……「たぶん俺が思うにだよ、140ぐらいは出ていたよ。だから身体能力ってすごいんだなと思ったことはあった」って聞くんだけど。タイからいかに開いていくか。それから、あれは石巻だったかな? 気仙沼か。気仙沼で東日本大震災で息子さんとご自身がなんとか助かったんだけど、ご家族は残念ながら……っていう。で、その息子さんが「お父さん、野球やりたいね」って言った時に、虚無感でもうなにもなかった時に「野球か……」ってなって。そのお父さんは牛乳屋さんだったんだけど、バッティングセンターを自分で作って。それをいまやっていますよ。
(カルロス矢吹)そこも取材に行きました。
(野村邦丸)行った? いいオヤジだよね(笑)。
(カルロス矢吹)千葉さんですよね。
(野村邦丸)あそこはでも少年野球のチームがみんなそこで専用練習場みたいなのをやっていて。本格的に。たしか息子さんも野球をやるって言っていたもんね。
(カルロス矢吹)でもあそこの息子さん、いまは卓球をやっているらしいですけどね。
(野村邦丸)ああ、そうなんだ(笑)。まあ、それはそれでいいよね。でもいま、セレブの人たちしか行けない……そのバンコク市民でも金属バットにしても120キロぐらいのボールをカーンと打った時に真芯に当たると特にインパクトの瞬間……ボールがガーンと遠くに飛んでいく快感。ゴルフだってそうじゃないですか下手っぴでも振り回してるうちにドライバーかなんかでスコーンって行ったら……あれを味わってもらいたいね。
東南アジア・野球普及への取り組み
(カルロス矢吹)で、日本の名球会もいろいろとそういう東南アジアに目は向けてて。立浪さんを派遣したりとかいろいろとやってるらしいんですよ。ただ、当たり前ですけどもタイの方って立浪さんはご存知ないじゃないですか。
(野村邦丸)知らないよな。日本でいかにすごい人なのかって。
(カルロス矢吹)それだったらやっぱりドラえもんとのび太の着ぐるみを派遣して。「ドラえもんとのび太と一緒に野球をやろう!」っていう方が、きっとタイの子供たちからしたら嬉しいんだろうなと思いますね。
(野村邦丸)ああーっ! ドラえもん型のマシンとかね。
(カルロス矢吹)ドラえもんが投げてくれるとかね。
(野村邦丸)で、のび太が空振りして「ハハハッ!」って笑ってっていうのもあってもいいかもしれないね。
(水谷加奈)ホームランを打ったらしずかちゃんが「やったー!」とか。
(カルロス矢吹)いいですね(笑)。
(野村邦丸)アイデア、持ってるね! じゃあ、いまのところは日本人よりもバンコクの人が、それも富裕層が使っているっていう感じなんだね。へー。面白いな。ちょっとバッティングセンター、行きたくなったな。
(水谷加奈)そのハオカさんにはいまのドラえもんのアイデア、行った方がいいですよ。
(カルロス矢吹)言ったんですけど、やっぱり版権の方がなかなかお高いという……(笑)。
(水谷加奈)じゃあちょっと似せた感じで……(笑)。
(カルロス矢吹)それ、いちばん怒られるやつですよ(笑)。
(野村邦丸)はい。ということで今日は極シアター第三幕、カルロス矢吹さん。タイのバンコクでの日本人がオーナーのバッティングセンターの話題でした。次回はどうしましょうか?
(カルロス矢吹)ええとですね、このバッティングセンターを1冊の本にまとめる予定がありまして。そこには他にも石垣島だったり網走のバッティングセンターだったり。いろんなところに行ってますので。その話もまたさせていただければ。
(野村邦丸)全国バッティングセンターめぐり?
(カルロス矢吹)そうです。
(野村邦丸)カルロス矢吹さんでした。ありがとうございました!
(カルロス矢吹)ありがとうございました!
<書き起こしおわり>