吉田豪とGERU-C閣下 原宿・ホコ天ブレイクダンス修行時代を語る

吉田豪とGERU-C閣下 原宿・ホコ天ブレイクダンス修行時代を語る SHOWROOM

GERU-C閣下が『猫舌SHOWROOM 豪の部屋』に出演。ブレイクダンサーとして原宿のホコ天やディスコで修行していた時代の思い出を吉田豪さんと話していました。

(吉田豪)ZEEBRAさんとかもリスペクトするような、上の代の、日本のヒップホップを最初に作ってきたぐらいの人たちなんですよっていう。

(GERU-C閣下)そうですね。紀元前ですね。日本のヒップホップシーンの(笑)。

(吉田豪)フフフ、それ以前の歴史まである人っていう。

(GERU-C閣下)そうなんですよね。だからいま……知っている人は知っているんですけども。男の子3人組だったんで、一応「アイドル(RA$H)」としてデビューをして。

(吉田豪)あの当時、アイドルの幅も広いっていうかね。ラッシュだのリフラフ(Riff Raff)だのがアイドル枠で活躍していた時代で。

(GERU-C閣下)そうですね。そうですね。だからやっぱりホコ天からスカウトされてタレントさんになった人っていうのが……。

(吉田豪)沖田浩之以降、どうもホコ天で踊っているみたいな文化ができて。

(GERU-C閣下)そうそう。ローラーだとRIKACO(村上里佳子)だとか。当時、やっぱりいましたからね。

(吉田豪)一世風靡があって。

(GERU-C閣下)そうですね。一世風靡セピアが出て。その脇でほそぼそとブレイクダンサーが活動をし始めるわけですね。

(吉田豪)ありましたね。当時、原宿の歩行者天国でバンドがやる前の文化があったわけですね。

(GERU-C閣下)そうなんですね。あれは縄張りがありまして。原宿の駅から歩道橋の下はローラーさんたち。ロックンローラーですね。で、竹の子族はもう時期的に本当下火で。で、パフォーマンスっていうかローラースケートとかいろいろあって、ちょっと奥の方でブレイクダンスをやっていたんですよね。CRAZY-Aとかが若いのを連れて。

(吉田豪)CRAZY-Aさんっていうのもジャパニーズヒップホップレジェンドで。まあ、怖い人だろうなっていう印象で。僕は……まあ接点もないですけども。

(GERU-C閣下)そうですね。まあ私も、この歳ですけどいまだに敬語ですけどね(笑)。

(吉田豪)フフフ(笑)。僕が見たのはRHYMESTERの武道館で出てきて「おお、レジェンドが出た!」っていう。

(GERU-C閣下)ですね。もう『「B」の定義』といえばCRAZY-Aが。そうですね。だからブレイクダンスが先に来たんですよね。

『「B」の定義』

(吉田豪)そうですよね。風見しんごさんがあり……。

(GERU-C閣下)そうですね。もちろんDJの方はディスコで箱DJっていうか。

(吉田豪)DJの文化がいまと全然違うんですよね。

(GERU-C閣下)全然違ったんですよね。

(吉田豪)スクラッチだの何だのが入る前のDJ文化というものがあり。

(GERU-C閣下)そうなんです。だからやっぱりブレイクダンスが……ヒップホップの4つのエレメントっていうとアート、ブレイクダンス、DJ、ラップっていう風にあえて区切ると、最初にブレイクダンスが根付いたっていうのはあるかなって。

(吉田豪)だって閣下は風見しんごのバックで踊っていた人ですもんね?

(GERU-C閣下)それね、正確に言うと……これ、どんどんと尾ひれ羽ひれがついていっているんで。

(吉田豪)嘘ではないですよね?

(GERU-C閣下)嘘ではないんです。ウェーブ(WAVE)っていうダンスグループ……もちろん、二期目にはCRAZY-Aもいたんですよ。実は。で、僕らがディスコに行っていた頃も当時で言うと常連のちょっとダンスの上手い先輩方がまずスカウトをされて風見しんごさんのバックに行って。

(吉田豪)当時、踊れる人がそんなにいないから……。

(GERU-C閣下)そう。それで『涙のtake a chance』がすっごいヒットしまして。で、僕らも最初はトップテンとかの風見しんごさんが出演するバックに……ウェーブの後ろに僕らが10人ぐらい。僕もその中の1人で踊っていて。それでコンサートとかになると、もう一緒に同行をさせられて。それで踊ったっていう(笑)。

風見しんごのバックで踊る

(吉田豪)それが芸能生活の第一歩?

(GERU-C閣下)そうですね。それが第一歩ですね(笑)。

(吉田豪)僕も風見しんごさんっていうか一世風靡周辺の文化が大好きで、すごい調べて。風見しんごさんにも会いに行ったし、哀川翔さんとかにも全部その頃の伝説の確認をするっていう活動をしていて。

(GERU-C閣下)あ、そうですよね。風見しんごさんも……。

(吉田豪)劇男一世風靡ですよ。

(GERU-C閣下)だから勝俣くんとか。

(吉田豪)羽賀研二さんとか。本当、劇男一世風靡がいかに恐ろしかったか?っていう話は山ほど聞いていて。

(GERU-C閣下)いやー、ですよね……(笑)。

(吉田豪)原宿の竹下通りのシャッターが全部閉じた大乱闘とか(笑)。

(GERU-C閣下)ああー、あのね、話は聞いています(笑)。

(吉田豪)聞いてるんですか?(笑)。そう。いろんなことがあって、哀川さんが結構先頭をきって暴れていたっていう。

(GERU-C閣下)そういう恐ろしい時代が……いや、本当に原宿。僕らも10代だったですけど、本当にマンガみたいな人、いましたよ。本当のあれかは知らないですけど、日本刀を背中に背負っているハーレーに乗っているおじさんがいて。

(吉田豪)フフフ、ヤバッ!(笑)。

(GERU-C閣下)それで、どこかの飲み会でその話になって。「えっ、それって原宿の○○さんじゃないの?」って。当時のナントカっつってたんだよな。で、それが模造刀なのか本身なのかは知りませんけども……。

(吉田豪)どっちでもアウトですよ!(笑)。日本では(笑)。

(GERU-C閣下)ですよね(笑)。そういう人とかがいらっしゃって。

(吉田豪)あの頃の、やっぱりローラー的な文化もそうだし。当時永心会っていうのもありましたけども。永ちゃんファンがホコ天にいてみたいなのとか。全部怖かったじゃないですか(笑)。

(GERU-C閣下)怖いです。本当に怖い(笑)。

原宿のホコ天が本当に怖かった時代

(吉田豪)本当に……とあるイベントでBase Ball Bearの小出祐介さんとかに呼ばれて。ファッションを語るみたいなイベントで。それで思い出したんですけど、本当に当時、原宿って怖かったんですよ。僕、東京生まれなんですけども、原宿にたぶんクラスで2人目ぐらいに行った人間で。「ついに豪が行った! 地図、書いてくれ1」みたいな感じで。「俺が原宿に行く時には同行してくれ!」みたいな感じで、原宿案内人になった時代があるんですよ(笑)。

(GERU-C閣下)なるほど(笑)。

(吉田豪)それぐらい、原宿に行くのは怖かった時代っていうのがあったという。

(GERU-C閣下)ありましたね。僕も近くに小学校の高学年の時に住んでいて。いま、キディランドがあるじゃないですか。あそこのおもちゃ屋に行く時に自転車で行くと、いまの表参道ヒルズ。昔の同潤会アパート。あのへんの先にそういう……クールスかな? なんかたまり場があるんですよ。で、よく止められました。

(吉田豪)おおう……クールスっていうのも知っている人と知らない人で捉え方が全然違うバンドですけどもね。僕とかは「本当に怖い。クールスは本物!」っていう。

(GERU-C閣下)だから、僕らもZINGIをやっていた時に規模は小さいですけど同じような思いをしたのが、その僕らがやっているメンバー。あと、すごく顔と名前がわかる取り巻き。プラス、全然知らない……でも、その知らない子たちが「ZINGIだ! ZINGI一家だ!」っつって悪さをしておまわりさんに呼び出されるっていう(笑)。

(吉田豪)何度もあったらしいですね(笑)。「ZINGI一家がやらかしたらしい」って。

(GERU-C閣下)だからその、話を戻すと「クールス」って言ってもあの格好をしているとみんな「クールスだろ?」とか。まあいろんな人がいたんだろうなって。

(吉田豪)コメントを読む「クールスってクレイジー・ケン・バンドの横山剣さん?」。まあね、横山剣さんがボーカルをやっていた時期もあり。いろんな人たちが音楽的に評価したりもしているけども、とにかくそれ以外にも「怖い」という……(笑)。

(GERU-C閣下)武勇伝もいっぱいありますしね。

(吉田豪)山ほど。僕の大好きな話は横山剣さんが……細木数子の『ズバリ言うわよ!」ってあったじゃないですか。あれに岩城滉一さんがゲストに出た時が最高だったんですよ。岩城滉一さんに恩義がある人間として横山剣さんがコメントをしていて。なにを言うのかと思ったら「昔、すごい怖い目にあった。ヤクザにさらわれた時に岩城滉一さんが助けてくれた」って言っていて(笑)。あの、ゴールデンタイムで言うエピソードじゃないんですよ(笑)。

(GERU-C閣下)ですよね(笑)。

(吉田豪)で、横山剣さんに会った時に詳しく聞いたら、なんかラリったヤクザに拉致されてホテルの一室に監禁されてペンシル銃みたいなので脅されていたら、そこに岩城滉一さんがやってきて……みたいな。まず、なんのトラブルかも聞けないんですよ。怖くて(笑)。

(GERU-C閣下)フハハハハハハッ! そこに岩城滉一さんが現れるのもすごい!

(吉田豪)そしてそれで解決するのもすごいし(笑)。

(GERU-C閣下)すごい話ですよねー!

(吉田豪)すごいんですよ。音楽とかのジャンルではないぞ?っていう(笑)。

(GERU-C閣下)やっぱり昭和はすごいですねー!

(吉田豪)そうですね。クールス関連書籍を読めば読むほど怖いですからね。本当にみんな、強かったんだなっていう。

(GERU-C閣下)そうですね。それとまた話が変わるんですけども。この間も……当時のディスコで、特に新宿なんかは東亜会館。いまもビルはありますけども、あそこはカースト制度だったんですね。だから若い子は下の階のBIBA館とかギリシャ館にいて。

(吉田豪)そんな、ブルース・リーみたいな(笑)。

新宿東亜会館のディスコカースト制度

(GERU-C閣下)そうなんですよ。『死亡遊戯』の塔みたいな(笑)。で、上の方のB&B(Beach & Breeze)。そこにCRAZY-Aやあとはリフラフをやっていたサムさんとか。

(吉田豪)ああ、サムさんもそこだったんですね。最高峰に。

(GERU-C閣下)もうやっぱりもちろんウェーブになる人たちもいたし。そこでいちばん僕ら、高校生ぐらいで。でも毎日ぐらい行っていたんですよ。とにかく行かないと顔を覚えてもらえないから。でも、怖かったですね。

(吉田豪)でしょうね。あの頃のディスコはまた絶対に怖いはずですよ。

(GERU-C閣下)まず従業員が怖いし……(笑)。

(吉田豪)前に須永辰緒さんにヒップホップ黎明期のDJの話を聞いた時も怖かったんですよ。地方にDJの営業に行ったら完全にそこがヤクザで。

(GERU-C閣下)ああ、俺それ聞いた(笑)。

(吉田豪)なんか組の住み込みみたいなことをやらされて。車の洗車をずっとやらされたりとか(笑)。

(GERU-C閣下)もう若い衆扱いじゃないですか(笑)。

(吉田豪)完全にそうなんですよ。クールスもそうじゃないですか。入ったらまずブーツの酒を飲まされるとか。もう文化が違う。DJも最初はなにも技術は教えずにカバン持ちから始まって……みたいな。

(GERU-C閣下)そうですよ。だって一世を風靡したあのジョン・ロビンソンだってdj hondaのレコード持ちですからね。

(吉田豪)ああ、そうなんですか? そこから?

(GERU-C閣下)ホンダくんが渋谷の……もうないですけども。ディスコでスターウッズだったかな? そこでレギュラーで回していた頃、レコード持ちでしたよ。

(吉田豪)へー!(笑)。

(GERU-C閣下)フフフ、まあいろいろと……。

(吉田豪)そういうところから入っていくしかなかった時代っていう。ボーヤから積み上げていくしかなかった時代があるわけですね。

(GERU-C閣下)そうでしたね。で、ディスコの頃ってお店にレコードがあったから。レコードが本当に若い子、買えないし。だから徒弟制度じゃないですけども、そういう風に入っていくしかないんですよね。もしDJをやるなら。

(吉田豪)それはブレイクダンスにしてもそうで、上下というかシステムはもうできている感じだったんですか?

徒弟制度のように修行する時代

(GERU-C閣下)とにかく情報がなかったから、それこそ『フラッシュダンス』のあの何秒とか。あとはよくオールナイトフジとかそういう情報番組でニューヨーク情報みたいなのでレポーターの後ろでちょっと「ニューヨークっぽい=ブレイクダンス」みたいな感じで踊っているのを……。

(吉田豪)イメージ映像が(笑)。

(GERU-C閣下)それを何度も何度も見て。

(吉田豪)「どうやらこういうダンスをしているらしいぞ?」って。

(GERU-C閣下)あとはさっき話していたファッションもそうですね。「あれ? やっぱりいまはナイキなのか?」とか。そういう会話をしていた記憶がすごくありますね。なので情報がなかったので。それでディスコだったり原宿のホコ天に行った時もCRAZY-Aとかみんな……ディスコとかではサムさんとかが踊りだすともうみんなフロアからどくみたいな。

(吉田豪)「始まった!」みたいな。サムさんも本当に本物のレジェンドだったわけですね。

(GERU-C閣下)レジェンドでしたね。怖かったですね。

(吉田豪)怖かった?

(GERU-C閣下)俺は怖かったですね。

(吉田豪)CRAZY-Aさんとは違う怖さが?

(GERU-C閣下)なんか、ちょうど俺、ラッシュになってからサムさんと会うようになったんですよ。だからすごいイヤミを言われましたね(笑)。

(吉田豪)フフフ、そういうことが?

(GERU-C閣下)「お前ら、大して上手くもないのにテレビに出てるんじゃねえぞ」「はい、すんませーん」って(笑)。

(吉田豪)「その通りです。あなたの方が上手いです」っていう(笑)。

(GERU-C閣下)「もちろん、ごもっともです!」っていう(笑)。

(吉田豪)サムさんもすぐには好きなことができない時代があったわけですね。

(GERU-C閣下)そうですね。だから……まあお互いに若かったですよ。で、ストリート、ホコ天に行くとCRAZY-A一派がいて。当時のB-BOYSですか。で、やっぱりどうしても背中で上手く回れないっていうことで。「教えて下さい」って言うと「盗め!」って。当時の10いくつの俺にとっては「なんだよ?」みたいな。

(吉田豪)ひたすらずっと見て真似るしかないっていう。

(GERU-C閣下)だからそういう……なんなんですかね? あれって日本ならではなんですかね?

(吉田豪)でしょうね。その体育会系システム。

(GERU-C閣下)当たり前のように「わかりました!」っつってずーっと見ていましたけどね(笑)。

(吉田豪)マット運びをしながら。

(GERU-C閣下)そうですね。

<書き起こしおわり>

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