いとうせいこうと吉田豪 景山民夫を語る

いとうせいこうと吉田豪 景山民夫を語る SHOWROOM

いとうせいこうさんが2020年7月7日放送のSHOWROOM『豪の部屋』に出演。吉田豪さんと景山民夫さんについて話していました。

(吉田豪)(コメントを読む)「景山民夫さんについての思い出」。

(いとうせいこう)ああ、景山さんは本当に僕、お世話になりまして。放送作家……今はね、高田文夫さんがね、ずっとたけしさんと一緒にやってきたけど。

(吉田豪)『文夫くんと民夫くん』でね。

(いとうせいこう)そうです。2人がすごく前に出た放送作家として、その上にいた大御所たちに対する若手として出てきて。ものすごくやっぱり面白かったし。それこそ僕と藤原ヒロシを自分のラジオのコーナーに出したんですよ。そのレギュラーコーナーの中で僕は「どうすれば放送禁止用語を放送局のその規定に触れることなく言ってのけるか?」っていうことをテーマにした……まあ「行き違いがある(いキチガイがある)」みたいな話ですね。

(吉田豪)なるほどですね。

(いとうせいこう)何回も何回もその言葉を言うみたいな。そういうことやっていたんですよ。それが……その時、僕はまだ日本語のラップなんかできなくて。で、ある時、藤原ヒロシが回していたクラブDっていうところがあって。ピテカントロプスの次にクラブDっていうクラブになったんだけども。そこであいつの回してる時にゴッパーのマイクがあって。それを「せいこう、あれやって」って言って渡されて。僕はそのコーナーでやったことをたぶんはじめにやったんですよ。それが日本語のラップになるきっかけだから。

(吉田豪)なるほど!

日本語ラップを始めるきっかけを作る

(いとうせいこう)だから、それを産んだのは景山民夫っていう人がいて、場所を作って、自分のところでやらせたからたまたまそうなったわけ。

(吉田豪)その2人のコンビをもう景山さんが作っていて。

(いとうせいこう)そう。だからその時に景山さんがラフォーレ原宿でイベントもしたんですよ。その時に「よし、じゃあ面白いことをやろう」って言ってヒロシと車椅子に2人で乗って。で、あれってウィリーしたりクルクルってなったりして楽しいんですよ。で、たしか田中角栄がそうい、うちょっと病院に入院してたかなんかの時で。田中角栄が2人で音楽にあわせてなんか言うっていうのは面白いんじゃないか、みたいなことをやって。そういう、非常に意地の悪いというか、毒のきいた……。

(吉田豪)今ならギリギリのね(笑)。

(いとうせいこう)そう。ギリギリなこともやって。それで打ち上げに行ったら、向こうの方からすごい口をとがらせた大人が来たから、思わず「タコが来た!」って大きい声で言ったら、それが後の見城徹だったんだよね(笑)。

(吉田豪)おおう! フハハハハハハハハッ!

(いとうせいこう)フフフ、その時、怒っていたけどね(笑)。やっぱりなんか感じるんだろうね、僕も(笑)。「言っていい。というか、言うべきだろう」と思ったんだろうね。

(吉田豪)当時、角川時代ですかね?

(いとうせいこう)そうです。そうです。『月刊カドカワ』の編集長だったんじゃないかな? まあ、そういう人たちもまざって景山さんという……ああ、『タモリ倶楽部』に僕、1人で。全編僕特集っていうのがあったんですよ。

(吉田豪)へー!

(いとうせいこう)タモリさんがどっかのライブハウスに来て、地下1階に下りていくと僕がピン芸をやっているっていう回なんですけども。

(吉田豪)ほう。本当に初期のせいこうさんですね?

(いとうせいこう)全くもう、ピン芸のお笑いをやってた頃の、ネタしかない僕特集をやって。そんな訳のわからないことをね……それは景山民夫ですよ。『タモリ倶楽部』のたしか筆頭作家だったから。

(吉田豪)この時代はそうですね。

(いとうせいこう)そうです、そうです。だからあの人には本当にお世話になりました。うん。

(吉田豪)めちゃくちゃ面白かったですよ。僕もすごい影響を受けました。

(いとうせいこう)ああ、ねえ。あの人、古典芸能とかみたいなのも、というか落語みたいなのも詳しいし。ミステリーみたいなのっていうか冒険小説も詳しいし。まあ、宗教の方にガーッて行っちゃって。だから不思議だったな。よくわからなかった。

(吉田豪)僕、葬式行きましたもん。呼ばれてないのに(笑)。

(いとうせいこう)ああ、本当?(笑)。早すぎたよね、やっぱりね。

(吉田豪)大変な葬式でしたけどね。

(いとうせいこう)ああ、そうそう。だから『業界くん物語』。先ほど名前を出してくれたやってくれた『ホットドッグ・プレス』の一番後ろのページにそういう漫画を、見開きの漫画をやって。それで各業界の説明をいろんな人の漫画でやるという。で、その時も、自分1人……業界に対しての評判になることが僕はもうひとつの目的だったんですね。編集者的には。つまり、『ポパイ』の方が絶対に業界的に上だから。それで『ホットドック』は追っかけてたから。ということは、これは業界に顔を売らなきゃダメだっていうことで、いろんなマスコミ業界の人……スタイリストだとか、放送作家だとかをいちいち取り上げて。それを腐すっていうやり方で。

その時、やっぱり景山さんに頼んで、一応監修っていう名前をもらってやったもんね。その時ね、そうなんだよ。それをね、5人ぐらいがいろんなコマも書くっていうことを編集者として、もう贅沢なことを昔、やらせてもらったけど。そこにまだまだデビューして間もないナンシー関のね、消しゴム版画とか。あとなんきんさんの漫画とかがあったんだけど。その中にね、割とリアルな絵を書く人がほしくて。それがね、ずっと今敏くんだったのよ。

(吉田豪)ほう!

『業界くん物語』にイラストを書いていた今敏

(いとうせいこう)まだまだ……あんな映画を作るなんてことは夢にも思わないような。

(吉田豪)全然、映画以前ですよね。

(いとうせいこう)全然以前。だから今くんのところには中央線に乗ってずいぶん行ったと思うけど。原稿を取りによく彼の4畳半だが6畳だかの彼の家に行ったのを覚えていて。この間も誰かが見せてくれたから。もう真っ先にも僕は今くんのことしかも見えないっていうか。「これ、今くんなんだ!」っていう。でも、みんな信じないんだよね。「今敏」ってなんか同じ名前の違う人だと思っているけど。いや、彼はそういうことも当時はしていたんですよ。それから、ああいう『千年女優』みたいなのを。

だから、なんていうのかな? なんか、まあそんな僕が偉そうに言えることじゃないけど。たとえば、だってこんなものを書いてさ、そんな1個書いたって1000円、2000みたいなギャラの仕事じゃないですか。それをでも諦めずにやって漫画を書いていた人がああもなるっていうことを俺は見てるから。目で。それは「バイトしてたって別にいいじゃん。好きだったらやればいいじゃん」ってよく言うのは、ひとつにはそういう今くんのこととかがありますよね。すごく。面白かった。あの頃は。

<書き起こしおわり>

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