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プチ鹿島とモーリー・ロバートソン 令和に持ち越された皇室問題を語る

プチ鹿島とモーリー・ロバートソン 令和に持ち越された皇室問題を語る 水曜日のニュース・ロバートソン
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モーリー・ロバートソンさんとプチ鹿島さんが『水曜日のニュース・ロバートソン』の中で令和時代にも持ち越された日本の皇室問題について話していました。

天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成 (幻冬舎新書)

(プチ鹿島)僕はですね、国内から。テレビニュースの「天皇陛下即位後初の宮中祭祀」ということで。まあ、この1週間、10日ぐらいですか。ずっと僕も報道、特に新聞を読んでいたんですけども……あえて言いますけど、「開かれた皇室」ってよく言いますが、開かれすぎじゃないかな?って僕、思うんです。

(モーリー)「開かれすぎ」?

(プチ鹿島)その「開かれすぎ」っていうのは、オープンになるのはいいことなんですが、なんか大事なことが実はオープンになったように見えて、話されていなかったりとか。たとえば、現在の上皇さまは昭和の天皇陛下よりは全然、国事行為の他の公的行為っていうのが3倍近くに……外出する公的行為が多かったんです。

(モーリー)災害も多かったですしね。

(プチ鹿島)だからつまり、親近感は高まりますよね? それはそうですよ。それだけ一生懸命、各地をまわってくださったからですよね。でも、それをセットで考えるならば、それだけハードな業務っていうことは、それは80歳とかお年を召したら、それに対しては「ちょっともう、やめさせてくれよ……」っていう。そういう議論とセットになるはずじゃないですか。そうでしょう?

(モーリー)はい。

(プチ鹿島)それを今回も……。

(モーリー)特例法で対応して。皇室典範はいじりたくない。

(プチ鹿島)そうそう。まあ、「新しくなりました」っていうことでそれを継ぐのであれば、そのこともセットで話されなければおかしいじゃないですか。

(モーリー)要はね、やっぱりタブー領域だったり、おかしてはならない伝統。つまり、クエスチョンを与えてはいけない不可侵の領域がかなり広くて。逆に広すぎて、我々もここで話している時にアメリカのコメディーショーみたいに軽口はたたけないわけですよ。なんか一言一言を2、3回考えた後でしかしゃべれない。それぐらいタブーが根ざしているっていうことなんだよね。

(プチ鹿島)だから被災地を回って寄り添うっていうのはすごいありがたいことだと思うんだけども、一方でそれだけのハードスケジュールをバリバリこなしていただくのであれば、絶対にそれは生前退位の、あえて言うけども「権利」みたいなものもセットで考えないと。「じゃあ、いくつぐらいまでそんなハードスケジュールをやってもらうつもりなの? 頼りすぎなんじゃないの?」っていうのをすごく思うわけですよね。

(モーリー)なるほどね。いや、要するに陛下のお立場というのは戦後、アメリカの占領下で日本国憲法に変わった時にそれまでの「国家元首」から「象徴」に変わったわけですよね? そうすると、結局日本の教科書ではそれ以降のデモクラシーで育った子供たちには日本国民のひとつの象徴であると。で、その「象徴である」っていうことと、「天皇陛下がやんごとなきありがたい存在だ」っていうことのコンテクスト(文脈)がくっついて、「象徴」という言葉の裏にはいろんな語られないものがあるわけ。

ところが、たとえばマッカーサーが本部に送っていた書簡の中で「ジャパニーズエンペラーはシンボリックな存在だ」とたとえば書いていたとしますよね? でも、その時のコンテクストの「シンボリック(Symbolic)」っていうのは「形だけ」っていう意味なんですよ。全然その「象徴」という言葉になにかデモクラシーや国民の統合とか、平和を願うとか、そういった言い訳は全くないんですよ。「象徴」っていうのはただの肩書にすぎない。つまり、アメリカの日本統治の際に日本国民が反乱を起こさないようにするためのカードのひとつみたいに、すごい軽い言葉なんですよ。「シンボリック」っていうのは。

それがいつしか、我々が子供の頃……私は日本でも教育を受けたので、日本国憲法をみんなでクラスで復唱しましたけども。その「平和への誓い」と「天皇陛下は象徴」っていうのがすごくセットで。そしてそこに対して議論がなされたということは僕は覚えていないんですよ。

(プチ鹿島)その「象徴」「統合」っていうのが期せずして、その平成の30年間は上皇ご夫妻がずっと日本全国を回られたおかげで親近感が高くなったという意味では統合に近づいているんですけども。でもそれだけを、政治家抜きでそこだけに頼るっていうのはむしろ……それって政治家がもうちょっと頑張ればいいことなんじゃない?っていう風にも思うんですよね。

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陛下のお立場が曖昧にしか定義されていない

(モーリー)そうですね。そしてどうしても、陛下のお立場が実は曖昧にしか定義されていない。ところが、その「曖昧」に対してクエスチョンをしてはいけないということが日本では「絶対」なんですよ。でも、その曖昧さが残っているがゆえに、代わる代わる政権……政治の側がいかようにでも利用できるという余白が残してあるんですよね。だからこれ、ちょっと乱暴な言い方をすると、占領時はアメリカが日本国民に反乱を起こさせないカードとして利用しがいのあった天皇陛下。

そしてその後、象徴という日本国憲法の内側からしか見ていない解釈……解釈にいろんな余地があるものだから、それをその都度、政権は自分に利用できるわけですよ。そしてその中で皇室を、たとえば天皇・皇后両陛下があちこちに行かれる時、みなさんいまでは気軽にスマホを向けているんですよ。ロックスターが来たかのように向けているわけ。で、僕なんて逆にリベラルなんだけど「それはやんごとなき方に対しては失礼じゃない? 不敬じゃないの?」って思っちゃうわけ。

(プチ鹿島)「皇室が開かれすぎじゃないか?」っていうのはまさにそこなんですよ。

(モーリー)だけど、そこが僕は政治利用を感じる。要は天皇ブームを、政権がやっているのか、メディアが自発的にやっているのかはわからないけど。

(プチ鹿島)だから自発的に「開いてますよ」っていうのではなくて、開いているように見せて、それをなにかに利用している人がいるっていう。そこが……。

(モーリー)相変わらず、その「象徴とはなにを意味するのか?」とか、そういう議論はなされないわけですよ。本質的な議論、天皇・皇后両陛下のお立場というものは日本の国にとって本当はなんなのか? 象徴という言葉を取り除いた時、どういう役職でいらっしゃるのかとか、なにを期待しているのかとか。本人たちはその決定権を持っているのか? などなど、全てが闇の中のまま、ただ「白すぎて見えない! 影がない!」みたいに……。

(プチ鹿島)っていう風な、こういうことを話す番組というのが5月1日とか2日にあるべきなんですよ。4月30日とかね。まあ、この番組は(放送を)休んじゃったけど(笑)。

(モーリー)フハハハハハハッ! 逆に今日でよかった。あのね、生々しいとおつりが怖いっていうのがあって。はい。

(プチ鹿島)でもこういう議論って絶対にいま、みなさん聞きたいし、したいはずなんですよね。

(モーリー)特に、じゃあ「いつか女性の天皇が誕生することに対して、あなたは抵抗がありますか?」って聞いたら、「抵抗がない」っていうのが意識調査でマジョリティーになっちゃったのね。で、いままではそのことをクエスチョンをしてもいけなかったことが、あってもよいということになったし。世界中が日本のそういう天皇制を改めて光を当てて報道すると、どの英語も記事も「?」なんですよ。「なんで女性が天皇になってはいけないのか?」っていうことに対しては「しきたり」以外に理由がない。まあ、そこに議論が及ぶかですよね。

(プチ鹿島)はい。

<書き起こしおわり>

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