吉田豪さんがTBSラジオ『アフター6ジャンクション』に出演。宇多丸さんと亡くなった樹木希林さんを追悼。樹木希林さんインタビューの模様や、その夫・内田裕也さんのエピソードなどについて話していました。
(宇多丸)樹木希林さん、お亡くなりになって。吉田さんはもう直接取材をたっぷりされて。そして内田裕也さんサイドのいろんな話もあるから、両サイドからいちばん立体的に語れるいろんな材料がありますから。ぜひお話をうかがいたいと思います。ということで、樹木希林はいつのタイミングでインタビューになったんでしょうか?
(吉田豪)ちょうど10年前、2008年9月発売の松尾スズキさん責任編集の『hon-nin』っていう雑誌があって。それで樹木希林さんを取材できることになって。まあ、大変な人だろうとは思っていたんですけど、想像以上の大変さで。この後もいろんなところで希林さんの話をすることになって。正直語り飽きていてもう止めようと思っていたんですけど、この機会にきっちり話したいなと。
(宇多丸)改めて。なにがそこまで大変なんですか?
(吉田豪)もう全てがですよ。
(宇多丸)まあ普通にね、我々も考えてやっぱり樹木希林さんってまずいろんな受け答えが一筋縄ではいかないし。あと、常に人の、こっちを観察されて鋭くボン!って来る人だから。
(吉田豪)完全にそうです。ただ、その「大変な人だ」っていうのがこのインタビューきっかけで広まった感じはあるんですよね。大変さを前面に出したはじめてのインタビューっていう(笑)。完全ドキュメントにしたんで。それまでたぶんいろんなインタビューを受けていても、結構きれいにまとめていたと思うんですよ。仕掛けてくる部分を削ったりとかして。でも、最初の仕掛けから全部入れたんで。編集サイドから言われましたもん。「ちょっと、こういうやり取りはもうちょっと減らせませんか?」って言ったのを僕が断って。
(宇多丸)ピリッとする瞬間というか。
(吉田豪)最初からですよ。渋谷の希林さんのご自宅で取材だったんですよ。二世帯住宅の。そこの入り口というか外、玄関先で最初に写真撮影から始まったんですよ。で、近所の目もあるから希林さんがすごい嫌そうだったんですよ。なおかつ、カメラマンが寄りで写真を撮っていて。「なんで寄りで撮るの?」から始まって。「必要ないじゃない。人はこんな近いところから顔とか見たくないの」とか始まって。
(熊崎風斗)ほうほう……。
(吉田豪)僕は編集じゃないけど、和ませなきゃいけないじゃないですか。当然。「それはもう希林さんにはね、やっぱり近寄りたくなる魅力があるからだと思いますよ」とか言ったら一切表情を変えないで「あのね、私はそういう話をしたいんじゃないの」みたいな(笑)。まず、そこから始まって。
(宇多丸)ああ、だから空気を和ますためのちょっとしたヨイショ的発言も……。
(吉田豪)そういうのを一切許さない。「本音じゃないと私は許さないよ」っていう。まず、最初のそのカマしが入って。その後、当然お茶とか持ってきているじゃないですか。その時はちょうどモックンが伊右衛門のCMをやっていた時で、気を使って伊右衛門を持っていったんですよ。まずそこからカマすんですよ。「私、こういうのを持ってこられるのがいちばん嫌なの。あのね、こういうのをかならず持ってきてさ、残ったら置いていくでしょう? 迷惑なの。こういうの、本当にやめて!」から、全部入るんですよ。で、雑誌の説明とかが始まるじゃないですか。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)「これね、ギャラ払うとか言わないで。私、そういうの本当に大嫌いだから。マネージャーがいないから自分でやらなきゃいけないの。税金とか。本当に嫌だから。お金、いらない。そのかわり、これを単行本にするとかも絶対に言わないで。私はこういうの、残したくないの」とか全てをカマし、カマしで。
(宇多丸)カマしだし、封じてくるし、否定してくるしっていうので。
(吉田豪)その流れで「私、本当にお中元とかも嫌いで……」って始まって。「お中元が嫌い。なんでかっていうと全部仕分けして……ってやるだけでもしんどくて」って。
(宇多丸)まあ、はっきり言って樹木希林さんともなるとね、数も。実際にそうなんでしょうけど。
(吉田豪)「だからそういうのを送るなって言っているのに……それなのに送ってくるバカがいるの!」とか(笑)。
(宇多丸)でもある意味、ざっくばらんにすでにお話いただいているとも言えますね。
(吉田豪)そうですね。そこで僕が笑うじゃないですか。「そこで笑われるのも私は腹が立つの!」って(笑)。
(宇多丸)アハハハハハッ!
(吉田豪)「ええっ? 面白い話なのに!」っていう。
(宇多丸)吉田さんのあの「ダハハハハハッ!」が逆に働くこともある(笑)。いろいろと封じられてますね!
(吉田豪)全て封じられて。
(宇多丸)しかもまだインタビュー始まっていないから。
(吉田豪)始まっていないんですよ。で、なおかつ編集サイドがちゃんと準備して、ちゃんとたぶん僕のインタビュー集とかを事前に渡していたんですよ。で、そういうのをたぶんきちんと読む人なんですよね。「あなたの本、届いて。読ませていただきました。帯にね、『相手のことを相手よりも知っている』って書いてあったから、今日は私が知らない話が出てくるのを楽しみにしています」って。
(熊崎風斗)ハードルの上がり方!
(吉田豪)これがつかみですよ(笑)。
(宇多丸)いやー、とにかくなんというか……。
(吉田豪)ちょっとでも隙を見せようものなら全て来るよ!っていう(笑)。
(宇多丸)まあ、ある意味吉田さんの売りの部分というか、そういったところも理解した上での……ですもんね。
(吉田豪)そうです。僕からしたら「それ、僕が言ったんじゃないんですよ!」じゃないですか。でも、その人が言っているものを僕が受け入れている以上は引き受けなきゃいけない。
(宇多丸)いやー、まいっちゃう。
(吉田豪)だからその後はずーっとそれですよ。1時間とかたったぐらいで「まだ私が知らない話、出てないんですけど? いまのところね、これは全部私がどこかで話している話。ひとつもない。これ」って(笑)。これを何度も食らわせるわけですよ(笑)。
(宇多丸)いやー、ただまあ正論は正論ですよね。そこが怖いですね。やっぱりね。で、内容はどうだったんですか? まず、どこから吉田さんは切り崩そうとするんですか?
(吉田豪)まあ時期がちょうど2007年に映画『東京タワー』っていうのがありまして。あれが松尾スズキさんが脚本じゃないですか。そのきっかけで、それで日本アカデミー賞事件っていうのがあったんですよ。ご存知ない人もいると思うのでちゃんと説明すると、ちょうどこの時、『それでもボクはやってない』がほとんどの映画賞を席巻していた時になぜか日本アカデミー賞だけは『東京タワー』が席巻したんですよ。それは放送局の関係があるんじゃないかとかいろいろと言われていて。
(宇多丸)うんうん。
『東京タワー』日本アカデミー賞事件
(吉田豪)で、その「あれっ?」っていう空気を誰よりも出していたのが樹木希林さんだったんですよ。壇上に上がって「もっと他にふさわしい作品が……」ぐらいのことをずーっと言い続けるんですよ。「これは組織票かと思いました」とか。で、最終的に「監督賞は余計だと思います」って(笑)。
(宇多丸)すごいな!
(吉田豪)「今後も名実ともにこの賞が素晴らしいものになることを私は願います」みたいなイヤミまで仕掛けて。で、周りの共演者とか松尾さんとかもみんな「とんでもないことが起きている!」っていう顔をしていたんですよ。で、「あれ、最高でした!」っていう話から行って。「あれ、僕は正直かなり笑ったんですけど、あれは本気なのはわかりますけど、どこか笑いを取ろう的な思いもあったりするんですか?」みたいなことを聞いたら、「あなたはどう思いました?」って。
(宇多丸)あっ、質問に質問で。
(吉田豪)質問返しで。で、いまみたいな話をして、「いや、そういうことじゃないの。あなたがどう思ったのかを聞いているの」って。
(宇多丸)ヤバい。
(熊崎風斗)いまの答えじゃダメなんだ……。
(吉田豪)そう(笑)。「ギャグで笑いを取ろうとする人ではないことはわかりました。はい。じゃあ、それはそれでいいです……」みたいな。
(宇多丸)あの、アカデミー賞とか海外の俳優さんはたまにやるんですけどね。キム・ベイシンガーが「本当は『ドゥ・ザ・ライト・シング』が取るべきだと思った」って言ったりとかはあるけど。でも、やっぱりその作品に関わった本人がその受賞の場で言うのはかなりね、あれだし。
宇多丸 スパイク・リー監督作『ドゥ・ザ・ライト・シング』を語る https://t.co/Qn6GUJQKez
(宇多丸)キム・ベイシンガーが作品賞のプレゼンターで(舞台に)上がったのに、「作品賞に本来ノミネートされているべき作品がされていない!」と怒りのコメントを。『ドゥ・ザ・ライト・シング』だ!って…— みやーんZZ (@miyearnzz) 2018年9月17日
(吉田豪)で、結局僕の突破口になったのは、僕のポジションだったんですよね。僕が原作のリリーさんの弟子であり、その関係で僕は『東京タワー』のエキストラで実は出ているんですよ。たのまれて、僕はオダギリジョーさんと雀荘で麻雀をやっているんですよ。当時、雀荘で麻雀をやる仲間で出演をたのまれて。で、リリーさんの大学時代の同級生。本当に当時麻雀をやっていた仲間とかと一緒に行ったんですよ。そしたら、とにかく『東京タワー』のことをボロクソに言っていたんで「実は僕も気持ちはわかります」っていう手を使ったんですよ。
(宇多丸)ああーっ! なるほど。
(吉田豪)「僕もエキストラで参加したのでわかりますよ」っていう。実は僕はリリーさんと付き合いも長いから、リリーさんの美大の友達っていう設定を考えて、そのリリーさんの大学生の時の年代を考えてその時期のTシャツを着てその時期っぽいジーパンを穿いて……とか、要は美大の友達みたいな設定で考えていたんですよ。バンドをやっている。だったら金髪もセーフだし。その時代のリアリティーのあるプロレスのTシャツとかを着て。
(宇多丸)なるほど。役作りをした。
(吉田豪)っていう風にやったら、ダメ出しをされて。「この時代、金髪はいない」ぐらいの感じで、まず髪を黒くさせられて。で、バカボンパパみたいなシャツを着せられて。で、タオルとかも巻かれて。要は労務者風というか。なんだろう。時代設定が違うんですよ。もっと昭和なんですよ。「ええーっ?」って。
(宇多丸)昭和な感じになっちゃった。そこまで昔じゃないのに。
(吉田豪)で、もっと言うとリリーさんの友達にまでダメ出しをして。「その服、違う」とかって。「俺、あの当時の服を着てきてるんだよ!」っていう。
(宇多丸)本人なのに。まさに『hon-nin』(笑)。っていうようなことが現場であったと。
(吉田豪)「っていうことがあったんですよ」って希林さんに言った瞬間ですよ、「わかる!」って始まって(笑)。
(宇多丸)なるほど。
(吉田豪)「私はとにかくあの監督、どうかと思う!」っていうスイッチが入って。松岡錠司監督に対する刃が、そこでスイッチが入って。「とにかく脚本はよかった」って……僕も実は松尾スズキさんの奥さんと当時、仲がよかったんで、事前に送ってもらっていたんですよ。で、「僕も脚本を読んだんですが、よかったと思います」「でしょう? それをあの監督が……」みたいな感じで。
(宇多丸)へー!
(吉田豪)本来だったらもっと笑いの要素を出したかったらしいんですよ。希林さんとしては。「楽しげにやった方が喪失感っていうのはより出るのに、最初から悲しいものとしてやろうとしていて、それは私は違うと思って……」っていう。
(宇多丸)ああ、それはすごい真っ当な。
(吉田豪)真っ当なんですよ。みたいな話をずっとしていて。
(宇多丸)ああ、なるほどね。完全にある種インサイダーだからこその、ちょっと正論としてっていうのがあったわけですね。
(吉田豪)そうなんですよ。ただ、その正論もちょっとやりすぎな人で。松岡錠司監督にあまりにも腹がたったんで、「どこかでアンタが刺されて死んでいたら、犯人は私だから」って本人に警告したっていう(笑)。
(宇多丸)そこまで!?
(吉田豪)「ええーっ!?」っていう(笑)。そこまでなんですよ。
(宇多丸)フ、フハハハハハッ!
(吉田豪)もう笑うしかないじゃないですか。「すごいわ!」っていう。で、これは確実に他には出ていないエピソードを引っ張り出せたっていうね。
(宇多丸)なるほどね。これはじゃあ、リリーさんのつながり兼、その現場にいたことっていうので。よくでもそのカードは、吉田さんとしては難攻不落というか難しいだろうなというのはありつつも、いざとなったらそれを出そうみたいなのはあったんですね。
(吉田豪)そうですね。それでもまだ納得がいかないみたいで。「もっと私はいろいろと聞きたい。もっと私はお土産がほしい。まだか?」って始まって。結局2時間ぐらいやって「休憩しましょう。まだ全然本題にも入っていないんで休憩しましょう」って始まって。で、休憩の時にものすごいサービスしてくれるんですよ。自宅のガレージで取材をしていたんですけど、中に上げてくれて。で、さっきの話の伏線が生きていて、「お歳暮とかお中元とか嫌いだから、もらったもの困っているから、食べて!」って言ってところてんとかを振る舞ってくれて。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)で、「洗い物しているから、部屋を適当に見ていいわよ」って言って、寝室まで見せてくれて。
(宇多丸)へー! やっぱりでも話をうかがっていると、吉田さんのことを買っているからこそ、「あんた、こんなもんじゃないでしょう?」的な……「もっと来いや、オラッ!」っていう、そういう風にも取れますけども。
(吉田豪)ただ、その後もいろんな記事とか見てみると、その後は多少こういうものも載るようになってきていて。AERAとかでもかなり仕掛けている記事とかが載って。たぶんだから最初に仕掛けて乗ってくるのかどうかを試していると思うんですよね。どこまでできるのか?っていう。
(宇多丸)うんうん。
(吉田豪)で、「やるじゃない」ってなるのかわからないですけど。で、僕が認められたかどうかも全然わからないんですけど。ただ結果的にインタビューは4時間半まで行きました。
(宇多丸)なるほど、なるほど。
(熊崎風斗)それだけ……認めている人じゃないとそんなに長くはいかないですよね。
(宇多丸)「嫌だ、嫌だ」って言いながら4時間半は受けないでしょう(笑)。
(吉田豪)すごい人ですよ。で、もともと裕也さんのインタビューもしていたし、結論としてはまあ、その両者を取材して僕が言いふらしていたのは本当にね、いまは希林さん本人も言ってますし広まってきたんですけど、やっぱり裕也さんがおかしいんじゃないんですよね。どう考えたって裕也さんの方が常識人で希林さんの方がおかしいんですよ。それはもう確信していて。
(宇多丸)だって裕也さんが怖がってますもんね。
内田裕也の方が常識人
(吉田豪)完全に(笑)。完全に怯えてますよ。で、このインタビューの翌年、2009年に裕也さんが『内田裕也 俺は最低な奴さ』っていう本を出して。そこで衝撃のエピソードが出てきたんですよね。その僕が取材した自宅に裕也さんがお酒とハルシオン……ハルシオンに一時期ハマっていて、お酒と一緒に飲むとヤバいみたいでちょっとラリっておかしくなっていた時期があって。「俺がいつも電車賃もなくて、家賃も払えず困っているのにあいつら、こんないい家に住みやがって。許せねえ!」っていうことで毎日希林さんの自宅前に行って「ファックオフ!」って夜中に叫んでいたっていう(笑)。
(宇多丸)それ、『内田裕也 俺は最低な奴さ』っていうタイトル通りの……(笑)。
(吉田豪)フハハハハハッ! で、子供たちが「また今日も裕也が来るよ……」って怯えるようになって。これはヤバいっていうことで。モックンとかが「僕たちが何をしたって言うんですか!」って抗議とかをしていて。「それはたしかに筋が通っているんだけど、でもほら、俺も腹が立つじゃん?」っていうことで連日行っていて。そしたらある日、扉が開いたらしいんですよ。いつも行っていても開かなかった扉がガラッと開いて。それで裕也さんが土足で上がっていって、「テメー、この野郎!」って文句を言ったら、まず希林さんがモックンに命じてモックンが裕也さんにタックルをし、希林さんが裕也さんを鉄パイプでボコボコにしたと裕也さんの本に書いてあるんです(笑)。
(宇多丸)フフフ、これはちょっと本当ならね……もしくはハルシオンの妄想なのか。
(吉田豪)で、やっぱり裕也さんが話慣れていて、それのオチをつけていて。「本当にひどい目にあった。普通だったら殺人事件だよ。林檎殺人事件だよ!」っていう(笑)。
(宇多丸・熊崎)フハハハハハッ!
(吉田豪)話し慣れているじゃないかっていう(笑)。
(宇多丸)ちょっとだから出来すぎているから、ちょっと盛っている可能性もあるぞっていうことで。これ、検証しないとね。
(吉田豪)で、その後、2012年にこれがあまりにも好きなエピソードだったので、僕がテレビとかラジオとか書評で拡散して。それが広まって2012年の『やりすぎコージー 都市伝説スペシャル』でこの噂を希林さん本人に直撃する企画が出て。あったことは認めたんだけど、鉄パイプで殴ってはいない。持っていただけだっていう……。
(宇多丸)まあでも、モックンのタックルまでは本当なんだ。
(吉田豪)っぽいですよね。で、その時に裕也さん側の釈明っていうのが、「俺は本当に殴り返してやろうかと思ったんだけど、指輪をしてたから。指輪したまま殴るとこれ、凶器だから。ヤバいと思って俺は殴り返せなかった」っていう。
(宇多丸)なんか、よくわかんない……(笑)。