宇多丸・藤津亮太・高橋望・宇垣美里 高畑勲追悼特集

宇多丸・藤津亮太・高橋望 高畑勲追悼特集 アフター6ジャンクション

アニメ評論家の藤津亮太さん、日本テレビの映画プロデューサーの高橋望さんがTBSラジオ『アフター6ジャンクション』にゲスト出演。亡くなった高畑勲監督が日本アニメ界の関わりについて、宇多丸さん、宇垣美里さんとともに話していました。

(宇多丸)今夜はこんな特集です。追悼・高畑勲監督。高畑作品といまのアニメの関わりをこの機会にちゃんと学ぼう特集! 4月5日に亡くなったアニメーション監督、高畑勲さん。歴史的なテレビシリーズや『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』といった意欲的なアニメ映画の数々で日本アニメ史に燦然と輝く偉大な存在です。その、知識としてはみなさんご存知だとは思うんですが、しかしいまの若いアニメファンにはそのすごさ、ひょっとしたらいまいち真価が伝わっていないのかもしれないということで、今夜は高畑監督が生み出したものがいまのアニメにどんな影響を与えているのか。逆にいまのテレビアニメが好きな人は高畑監督のどの作品を見るべきか? などなど、いまのアニメと高畑監督をつなぐ点と線についてレクチャーいただきます。

(宇垣美里)さっそくご紹介しましょう。まずはアニメ評論家の藤津亮太さんです。

(藤津亮太)藤津亮太です。よろしくお願いします。

(宇多丸)いらっしゃいませー。もうポイントポイントでお世話になっております。

(藤津亮太)始まってばっかりのこの番組に毎週お邪魔しております(笑)。

(宇多丸)高畑さんが亡くなられた翌日に電話で。

(藤津亮太)簡単にコメントをさせていただきました。

宇多丸と藤津亮太 高畑勲の功績を語る
TBSラジオ『アフター6ジャンクション』にアニメ評論家の藤津亮太さんが電話出演。亡くなった高畑勲監督の功績について、宇多丸さんと話していました。 (宇多丸)で、ちょっとあんまりこれはおめでたいニュースでもないですが、時事性というか、常にタイ...

(宇多丸)しかもそのコメントを私、MXテレビの方で、一応「アニメ評論家の方に聞いた話ですが……」と言いながらですけど、完全に右から左にというか、コピーしてご紹介させていただくという(笑)。

(藤津亮太)フフフ(笑)。僕が話すのってそれを世の中の常識にしたいと思ってしゃべっているので。ぜひぜひ。

(宇垣美里)あ、よかったみたいです(笑)。

(宇多丸)いやいや、「(c)藤津さん」って付けたいと思います。

(宇垣美里)そしてもうお一人、ご紹介させていただきます。高畑監督の映画『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』などで製作を担当されていました日本テレビの映画プロデューサー、高橋望さんです。

(高橋望)よろしくお願いします。

(宇多丸)よろしくお願いします。はじめまして。

(高橋望)非常に責任重大で緊張しています。

(宇多丸)いやー、これはでも高橋さんにしかうかがえないお話が結構あるなと。要するに、本当の一次情報というか。高畑さんと直接お仕事をされてきたということで。

(宇垣美里)プロフィールをご紹介させていただきます。高橋望さんは1960年生まれの57才。東京都生まれの映画プロデューサーで1983年に徳間書店に入社し、アニメ雑誌アニメージュほか編集部を歴任されました。そして1989年に元アニメージュ編集長、元スタジオジブリ代表の鈴木敏夫さんの誘いを受け、スタジオジブリに出向。そして2014年に日本テレビへ出向。現在は日本テレビ事業部映画事業部のプロデューサーでいらっしゃるということです。製作に関わった主なジブリ作品としては『おもひでぽろぽろ』『紅の豚』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』『猫の恩返し』『千と千尋の神隠し』などなど。その他、細田守監督の『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』の製作にも関わってらっしゃるということです。

(宇多丸)これ、つまりジブリのみならず日本テレビのいまのアニメのブランドというか。細田作品も含めた。それの確立に完全に携わっているという。まあ、そんなことを言われても困っちゃうかもしれないですけど、すごい方ということで。

(高橋望)いえいえ、とんでもないです。

(宇多丸)ということで高畑さんの作品で高橋さんが直接関わったタイトルは『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』ということなんですけど。具体的に高橋さんはどのような感じで関わられてきたんでしょうか?

(高橋望)僕が最初に関わったアニメの最初がそもそも『おもひでぽろぽろ』だったんですけども。この時はまだ編集者をやっていましたんで、全くの素人で現場に行って。鈴木さんに呼ばれて「お前はこのアニメの製作をやるんだ」っていうことで、製作担当っていうのをずっとやらせてもらって。上司としては鈴木さんがプロデューサーという形で。その上には宮崎(駿)さんがいらっしゃって。まあ、いろんな雑用とかですね。スケジュール管理とか。そんなようなことをやらせてもらいました。基本はそれをずっと3本、やらせてもらった感じですかね。

(宇多丸)そんな中で、高畑さんとも当然直で接せられて。高畑さんってどういう……たとえば、仕事をされる時ってどういう感じの方なんですかね?

(高橋望)そうですね。ちょっと相反する2つの面があるんですけど。ひとつは、まあすごくひどい人っていうか。

(宇多丸・宇垣)ひどい人!?

すごくひどい人

(高橋望)スケジュールとかは基本的には守らないし。

(宇垣美里)それはなんかすごく噂でよく聞くことですね。

(宇多丸)しかもどんどんどんどん……『かぐや姫の物語』ももちろん名作っていう出来なのは。もう宇垣さんも大好きですけども。

(宇垣美里)大好きですけども。でも、めちゃくちゃ遅れたっていう話を。

(高橋望)なんかその、「期限までに作らなくちゃいけない」っていう風にあまり考えないっていうか(笑)。

(宇垣美里)フフフ(笑)。「いいものを作る」っていう?

(宇多丸)そのためには他のすべてを犠牲にしてもいいぐらいの。

(高橋望)そうですね。まあよく言えば完全主義っていうことだと思うんですけど。製作の立場だったので非常に困りましたね。

(宇多丸)完全に対立する立場ですもんね。ある意味ね。ということは、割と仕事上のまさに対立っていうか、ぶつかり合ったりすることってあったんですか?

(高橋望)ああ、それはもうしょっちゅう。

(宇多丸)へー! そういう時って高畑さん、どうなんですか?

(藤津亮太)うーん。まあ、黙っちゃうとか。

(宇多丸)黙っちゃう。だんまり? フハハハハハッ!

(宇垣美里)いちばん困るじゃないですか、それ(笑)。

(高橋望)そういうのは得意でしたね。

(宇多丸)そういう時、高橋さん側はいろんな、なだめたりすかしたり。どういう手を取るんですか?

(高橋望)いや、手は特にないんですけども。1作目の『おもひでぽろぽろ』に関しては鈴木さんもいたんですけど、宮崎さんが非常に強い意志で「この作品を絶対に仕上げるんだ!」っていうお気持ちだったので。まあ、本当にスケジュールが遅れた時には宮崎さん自らスタッフを集めて。そういう時、高畑さんは黙っているんですよ。高畑さんは黙っていて、宮崎さんがみんなを呼んでバンバン怒るわけですよね。「絶対やるぞ!」って。そしたらそれでもう涙ながらに訴えたりして。高畑さんはそれでずっと黙っていて。そういうことをやってなんとか進めていくっていう。

(宇多丸)へー! じゃあ、『おもひでぽろぽろ』はその宮崎さんが引っ張ってくれたからいいものの……だんだん自由の度合いが?

(高橋望)より大変になっていったような気がしたんですけども。そうですね。『山田くん』はいちばん大変でしたかね。

(宇多丸)やはり、新しい技法にも挑んでいたし、っていうことでしょうか。

(高橋望)ええ。フルデジタルで作るっていう、また別のテーマがあったんで。それと、高畑さんが目指そうとしている大きいテーマみたいなのがあって。ちょっと、ただでさえも、内容だって大変なのに技術も同時に作るみたいなところで、ちょっと結構たいへんでしたね。

(宇多丸)なるほど。でも、じゃあどんどん予定よりも延びていって。

(高橋望)そうですね。で、高畑さんって面白い人で、そういうスケジュールとか作品に関しては全く妥協はしないんですけど、一方でちょっと自分が客観的立場になるとすごく理性的で。実務的な人なんですよね。そういう面も一方であるんです。たとえば、ロケハンに行くとかそういうような時でもスケジュール表とかでアドバイスをしてくれたりとかですね。そういうところもあるし。そういう、正反対の面がある人なんですよね。

(宇多丸)ああー。

(高橋望)もともと『アルプスの少女ハイジ』で日本のアニメではじめてロケハンをされた時なんかでも、その報告書みたいなのがあるんですけど。使ったお金がいくらとか、非常に細かく全部書いてあるんですよね。そういうすごい精緻なことができる実務家という面と、すごいひどい人みたいなところが同居しているような人ですね。

(宇多丸)へー! 面白いですねー。

(藤津亮太)高橋さんって『おもひでぽろぽろ』の時に高畑さんの命を受けて山形に事前調査みたいなのに行っていますよね?

(宇多丸)おおーっ!

(藤津亮太)それはどういうことをやったんですか?

(高橋望)あの時は、高畑さんがすごい実証主義で、そもそもあの主人公はタエ子っていう27才の……。

(宇垣美里)あっ、まさに同い年か。もう同い年になっちゃったの!? ええーっ!

(宇多丸)その感慨があるんだ(笑)。

(高橋望)当時は27才の女性をアニメのヒロインにするっていうのは画期的なことだったんですけど。それだけでも画期的なのに、その人が田舎に行って紅花を摘むっていう謎の設定を導入したんですね。そこをとにかく徹底的なリアリズムで描きたいということで。本人も取材には行かれるんですけど、予備取材みたいな形で私と、当時演出助手をやっていた須藤さんっていう方と2人でタエ子と同じように夜行列車に乗って山形に行って、地元農家を巡ったりして。紅花研究家に会ったりして……っていう。

(宇多丸)へー! 命を受けて。

(高橋望)これは非常に緊張しました。

(宇多丸)そうですね。最初、まだ……しかもそれが作品に反映されるっていう。

(高橋望)そうなんです、そうなんです。ですから、要するに高畑さんの厳しさっていうのはもうわかっていましたんで。何を言われるかわからないんで。とにかくできるだけ細かく聞いてこようということで……。

(宇垣美里)なるほど(笑)。

(宇多丸)いま、チラリと「何を言われるかわからない」って……やっぱりその舌鋒鋭い感じっていうのは伝説として残っていますけども。

(高橋望)もう人を追求する時はとことん追求するんで。

(宇垣美里)怖い(笑)。

(宇多丸)フハハハハハッ!

(高橋望)何度か怒られたことありますけども。でも、その山形の時はそんなことはなくて。須藤さんと2人で結構丁寧に取材をして帰ってきて。説明したと時に非常に褒めてもらえて。「ああ、これだけ調べてもらえたら、よかったですね」って言ってもらえたんでよかったです。

(宇多丸)結構……特に後年はその『ホーホケキョ となりの山田くん』とか『かぐや姫の物語』とか、手法的にも画期的な作品だったりして。で、時間はかかるし。で、妥協を許さないしで、なかなかスタッフ的な根気っていうんですかね? 持続も大変じゃないですか? そういう時に監督として、どういう風に引っ張っていったのかな?っていう。

(高橋望)フフフ(笑)。どうなんですかね? ちょっと昔なんでね。まあ、『おもひでぽろぽろ』の時は宮崎さんが大きかったし。でも、『ぽんぽこ』の時にもなんかスタジオの雰囲気とか宮崎さんの存在っていうのもあったんじゃないかな? 『山田くん』はそういうのはあまりなかったんですよね。本当にもうサラで……結構だから本当に大変だったと思うんですけど。あれ、なんで実現したんだろう?

(宇多丸・宇垣)アハハハハハッ!

(宇垣美里)いま思うと不思議に思うぐらいの(笑)。

(宇多丸)高畑さんはやっぱり、じゃあむしろ沈黙のプレッシャーというか。存在そのものが圧になるみたいな感じなんですかね?

(高橋望)そうですね。あと、スタッフが支えていた面はあると思いますね。僕はいろんな人と付き合わせてもらいましたけども。『おもひでぽろぽろ』とかに関しては近藤喜文さんっていう作画監督の方とか、あとは百瀬(義行)さんっていうレイアウトをやられた方とか。高畑さんはご自分では描かないんですけど、そういう有能な人をスタッフに置かれるんですね。そういう人たちが代わりにやってくれるっていうかね。

(宇多丸)まあでも、監督ですからね。

(宇垣美里)慕って集まってきてっていうのもあるでしょうし。それでは、今夜はこんな内容でうかがっていきます。前編は高畑監督がアニメ界に残したもの。そして後編はいまのアニメファンに進める高畑アニメとは。ということで、まず前半。高畑監督がアニメ界に残したもの。藤津さん、解説をお願いします。

高畑監督がアニメ界に残したもの

(藤津亮太)では、お話したいと思うんですけも、3つ挙げたいと思います。この間、手短に言ったことをもうちょっと丁寧に言おうかなと思っているんですけども。ひとつは「青春の悩み」みたいなものをはじめてアニメーションに導入した。これ、いまは割とアニメで思春期のキャラクターが悩むっていうのはよくあることなんですが。

(宇多丸)むしろいちばん人気があるあたり。

(藤津亮太)それを、歴史的にはいちばん早い時期。1968年に高畑監督が初監督作の『太陽の王子ホルスの大冒険』でテーマとして取り上げたわけですね。割とこの作品は「みんなで団結してよい村を作ろう」っていう映画だと思われている節もあるんですけど、実際はお話を追っかけていくと、「居場所を作るっていうことがアイデンティティーの確立とつながっている」というお話で。自分は何者かわからない人が……田舎の人が都会に出てきて、自分の居場所を作るみたいな映画なんですね。

(宇多丸)居場所を作る。これ、先週トミヤマユキコ先生を招いて働き女子系漫画について聞いた時にも出たワードですよ。だから結構普遍的なというか、いまの日本のエンターテイメントの結構主流的なテーマというか。

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(藤津亮太)そうなんです。それをもう50年前から作っていて。しかも子供向けと思われていた領域で作っていた。なので、すごくそこが画期的で。で、この自分がどんな人間か?っていうのはたとえばいま、高橋さんのお話にあった『おもひでぽろぽろ』なんかにも受け継がれていくわけですね。という形で、スタジオジブリ作品だと宮崎吾朗監督作品だと思春期のテーマっていうのが大きく出てくるんですけども。宮崎さんはあんまりその思春期的なところには踏み込まないんですよね。宮崎さんが脚本と絵コンテをやった『耳をすませば』なんかは若干そこに踏み込んではいるんですけど、宮崎さん単独の作品では実はそこには踏み込んではいないし。

(宇多丸)なるほど。

(藤津亮太)高畑さんも決して多いわけではないんですけど、ポイントポイントでその青年が大人になって、世界とどう自分の距離をつかまえるかっていうのをやっているんですね。なので、そこは日本のアニメに与えた影響って大きいと思うんですね。ホルスでやってきたことが。

(宇多丸)いまとなってはもはや主流というか。

(藤津亮太)そうですね。当たり前のことになっちゃっているんですけど、それをいちばん早い時期にやられた。で、もうひとつが「生活を描く」っていうことをやったんですね。それまでは、要は「ハレとケ」で言うとアニメっていうのは絵空事なので。まあ、基本的には「ハレ」。日常的なご飯を食べたりとか、そういうのは基本的にはアニメではテーマにならないんだって思われていたのを、そうじゃなくて日常の仕草を丁寧に描くことにも意味があるということで『アルプスの少女ハイジ』ではそのアルプスに住んでいる女の子が何を食べてどこに寝て……みたいなその生活を丁寧に描く。それはロケハンをして事実を確認してきて、それを元に描くっていうことをやったんですね。

(宇多丸)先ほどね、高橋さんが山形に送り込まれたっていう話じゃないけども。

(藤津亮太)そういうものなんですね。で、それはいまのアニメだと聖地巡礼じゃないですけども、モデルになる地域を決めて取材に行って、その土地の風景の力を実際に画面の中に取り入れるみたいなことに広がっていくわけですね。

(宇多丸)たとえば『ガルパン』のあの街(大洗)が観光名所になったりとか。

(藤津亮太)そういう風景があることが、絵空事の絵で描かれたキャラクターに実在感を与えるんだっていう発想で『ハイジ』が作られて。これもいまのアニメでは当たり前のことになっちゃっているんですけども。『アルプスの少女ハイジ』で1974年にそれを本格的にしっかりやられた。

(宇多丸)逆に言うと『ハイジ』まではそんなのは……。

(藤津亮太)もうちょっと書き割りっぽかった。

(宇多丸)「そんな話で成り立つの?」みたいな感じだったんですね。

(藤津亮太)そうですね。『ハイジ』の1話で、アルムのおんじのところに連れて行かれるだけで1話が成立するみたいなものっていうのは、昔ではもう少し、たとえば子供向けならば飽きないようにする必要があるんだけど、ちゃんとドラマが組んであれば大丈夫だっていうことで挑戦されていたんですね。

(宇多丸)うん。

(藤津亮太)で、そういうリアリティーの核には、やっぱり優秀な絵描きさんが……先ほど、高橋さんもおっしゃったんですけど優秀な絵描きさんが必要で。『ハイジ』の時は宮崎さんが優秀な絵描きとして『ハイジ』という作品を支えていたんですね。というのが2つ目。生活を描くことを始めた。それから、これもだいぶ最近になってからなんですけど、デジタルを使ってアナログ的な表現を極める。これ、『となりの山田くん』でやった。要は『となりの山田くん』っていうのは全部デジタルで。仕上げ、撮影っていうのをデジタル。コンピューター上でやったんですけど、目指したのが水彩画だと。

(宇多丸)水彩画調。

(藤津亮太)塗り残しがあったり、はみ出たりするっていう表現をやる。

(宇多丸)むちゃくちゃですよね。デジタルで普通は目指す表現じゃなくて。

(藤津亮太)コンピューターであれば、たとえばフォトショップとかを扱うとバケツツールでね、一面を均一に塗るみたいなこと。ああいうのはコンピューターで得意だと思われてたんですけど、そうじゃなくてコンピューターだからこの手書きの絵のデータみたいなものを動かせるはずだっていう考え方ですよね。

(宇多丸)すごいね!

(藤津亮太)これもいまはいろんなアニメで撮影をする時に、普通のセル画調の塗りじゃない表現っていうのをいまのアニメでもところどころ演出で使ったりする作品っていうのはもう普通に出てきているんですよね。だけどそれを1999年の段階でやっているということで。しかもそれは高畑さんの中での様式への挑戦意識みたいなのがあるんですね。

(宇多丸)ふんふん。

(藤津亮太)要は、アニメーションってセルアニメっていうすごく決まったスタイルがあるんですけど、それに対する疑いというか挑戦みたいなものがいろんな局面であって。それが全面的に『となりの山田くん』以降は展開している感じなんですよね。

(宇多丸)常にその最新テクノロジーもそうですけど、たとえば昔の日本の絵画の研究をされたり。常にいま現状の商業性で決まっている型みたいなものじゃない道があるんじゃないか? みたいなのを常に模索し続けているっていうか。そういうのがありますよね。

(藤津亮太)たぶん、もともとすごく好奇心旺盛な方で。『かぐや姫の物語』の時に高畑さんが初音ミクを使って曲を作っていたというような話もあったりして。テクノロジーも含めて好奇心がすごく旺盛な方ではあったんですね。しかもたぶん、映画作りに直結しなければしないほど楽しいみたいなところがあったと思うんですよね。

(宇垣美里)フフフ(笑)。

(宇多丸)だからなんかすぐに役に立っちゃうようなもの、絵が見えちゃうようなものは嫌なんですね。たぶんね。それだからこそでも……まず、『かぐや姫の物語』をあんな風に解釈して現代の、現在27才の女性に響きまくるっていう。宇垣さんは本当に『かぐや姫の物語』は「私の作品!」っていう感じなんですよね?

宇垣美里『かぐや姫の物語』を語る

(宇垣美里)そうなんですよ。もうなんか、私はそのアニメのすごさとかまではわからないんですけど、ただ、日本最古の物語と言われている竹取物語が、こんなに現代を生きる女の人の話だったとは……っていうことが非常に刺さって。なんでこんなことをおじさんの高畑監督が知っているんだろう?っていうのが私は本当に不思議で。いろんな……たとえば、「これしちゃダメ、あれしちゃダメ」って教育係の人に言われる中で、「高貴な姫は人ではないのね」っていう言葉に、「ああ、女って人ではないんだ」って思う瞬間がたくさんあったりとか。

(宇多丸)うんうん。トロフィーとして使われるとかね。

(宇垣美里)「女性はこういう風にしなさい」「こんな言葉遣いはダメ」「足を広げてはダメ」……好きにさせてくれ! みたいな。人目を気にしなくてはいけないっていう部分が「そうだな」って思ったりとか。見たこともない人たちに「きっとブスだろう」「バケモノみたいかもしれない」「いや、すごく美人らしいぞ」って。なんで見たこともない人にそんなことを言われなきゃいけないんだろう?って。もう私、そこに本当に見覚えがありすぎて、涙が止まらなくて。で、そこでかぐや姫が疾走するですよね。あのシーンの絵の……。

(宇多丸)グワーッと怒りが爆発するように

(宇垣美里)あのエネルギーにもう圧倒されるし、その気持ちがものすごくわかるし。で、最終的に月に帰ってしまう中で、じゃあ彼女はなぜこんなにも「ワガママ」って言われなきゃいけなかったんだろう? それはきっと彼女が人から思われる幸せを幸せだと思えなかったせいなんだなって。それをワガママって言われてしまうのが現代の女性であり――もちろん、男性にもあるかもしれないとも思うんですけども――それをすごく突き詰めて伝えてくるような。本当になんでこれを知っているんだろう?って。

(宇多丸)うんうん。

(宇垣美里)世間は「若い女性、美しい女性には辛いことなんてない」って思っていて。「豊かで素敵な結婚相手がいたらそれで幸せじゃない?」って思っている。でも、それが本当にその人にとっての幸せかな?っていうのを、本当になんで監督は知っているんだろう?っていうことと、表現ってこんなにも素晴らしいものなんだってすごく思いました。……急に語っちゃってすいません。

(宇多丸)いや、いいんですよ。まさにこの熱い思い。でも本当に、最古の物語をそれこそ、なんでかぐや姫は彼ら(求婚者)に無理難題を出したのか?っていうところをちゃんと再解釈していたり。たとえば高橋さん、高畑さんがこういう古い物語をいま、現代的に読み解くっていうのは?

(高橋望)いまのお話を聞いて、『かぐや姫』は僕は直接は関わっていないんですけど、むしろ『火垂るの墓』を思い出して。『火垂るの墓』って反戦的な映画とかいろんなことを言われているんですけど、そうではなくて。あれは本当に14才と4才の少年と妹をすごく現代っ子としてリアルに描いていたと思うんですよね。だからすごく迫ってきていたし。だから、昔の物語を描く時にもかならず現代を生きる人の気持ちに沿って描くっていうのは高畑さんの特徴なのかなっていうことをいま、聞いて思いました。

(宇多丸)なるほど。藤津さん的に、『かぐや姫の物語』論的にはどうですか?

(藤津亮太)僕はその普遍性の根っこにあるのはなんだろう?って思うと、「人生とはままならぬものだ」と。高畑さんの作品のポイントは、言ってくる人っていうのも割と普通の人なんですよ。なにか悪者がいて、悪者によって自分の人生が歪められたっていう話ではなくて、大したやつじゃないやつによって自分の人生が歪められていく、その辛さみたいなものが……たとえば『火垂るの墓』でもそういうところがあるわけですけど。で、そのままならぬことにも、でもきっと意味はあるよと。つまり、ままならぬまま生きたからといって、あなたの人生はゼロではないよっていう、この相反するものがあるところが僕は感動的かなと。

(宇多丸)なるほどね。要は、月の世界は完全でそういう嫌なことはないんだけど、でもいろいろあった……。

(宇垣美里)その前に、やっぱりその生を全力で受け止めるというか、肯定するんですよね。

(藤津亮太)あの空を飛ぶシーンですよね。はい。で、思いがあれば、月に行っても忘れないかもしれないって歌で言って示唆されているわけですから。そういうことも含めてゼロではない。辛いこともあったかもしれないけど、ゼロではないよというようなことがテーマとしてあるのかなと。で、割とそこは高畑さんの作家性というか、普通の人同士が出てくる。英雄とか悪役みたいなのってあまり出てこないので。そこがポイントかなと思いますね。

(宇多丸)なるほど。いや、素晴らしいですね。最高です。じゃあそんな感じで、高畑さんのキャリアの画期的な部分というのを改めて振り返って、『かぐや姫の物語』まで行きましたけども。じゃあ、後半に行っちゃいますかね。

(宇垣美里)そうですね。続いては追悼、高畑勲監督。いまのアニメファンにすすめる高畑アニメとは。

(宇多丸)まさに宇垣さん、いまのアニメファンでもあるわけで。

(宇垣美里)そうですね、はい。

(宇多丸)この世代にも伝わるような感じで。

いまのアニメファンにすすめる高畑アニメ

(藤津亮太)そうですね。一応、入り口的に3つ選んできたんですけど。ひとつは、これも20年前放送開始のタイトルですけど『新世紀エヴァンゲリオン』。

(宇多丸)『エヴァ』。

(宇垣美里)大好き!

(藤津亮太)『新世紀エヴァンゲリオン』が好きな方は高畑さんの作品でなにを見るか?っていうと『太陽の王子ホルスの大冒険』で。

(藤津亮太)ひとつはヒロインのヒルダっていうのが出てくるんですけど。彼女は悪魔の妹って言って育てられる。人間の子なのに悪魔にさらわれて、「悪魔だ」と言って育てられていて、その彼女が人間性を回復していくっていうのがサブストーリーで入っているんですけど、これは綾波レイがだんだん人間になっていって、23話かな? 『涙』っていう回でポタポタッて涙を流すというところに行く。で、両方ともそこに自己犠牲が絡んできますけども。そういう意味で、綾波レイをたどっていくとヒルダっていう可能性はあるわけですね。

(宇多丸)なるほど。レイのルーツはヒルダ。

(藤津亮太)あともうひとつ、主人公サイドですね。ホルスはクライマックス直前に迷いの森っていうところに行くんですけども。これは霧があって周りが見えないんですけど。これがね、最終回のシンジくんがいるところに似ているんですよね。それで、ある瞬間に「わかった!」ってなって世界がパーン!って変わるところも結構ね。

(宇多丸)ああーっ! 『エヴァ』の最終回の感じだ。

(藤津亮太)それも似ているので。そういう意味では、先ほど言った思春期性というテーマ、要素を含んだ『ホルス』がモロに思春期な『エヴァ』と直結しているのは……。

(宇多丸)居場所を作るという話だとしたら、「ここにいてもいいんだよ」っていうね。

(藤津亮太)そうなんですよね。

(宇垣美里)そうか!

(藤津亮太)なので、『エヴァ』が好きで『ホルス』を見ていない人は『ホルス』を見ると、もう「50年前にこんなことをやっていたんだ!」ってなると思うんですよね。

(宇多丸)当然庵野秀明さんはね、もちろんそういうのを踏まえた上でやってらっしゃるでしょうからね。

(藤津亮太)というのがまずひとつですね。

(宇多丸)高畑勲さんとでも『エヴァ』、つなげたことはなかったわ。

(宇垣美里)ちょっとびっくりですよね。

(藤津亮太)僕も『ホルス』を何回か見ているうちに「これ、どこかで見覚えがあるな」って思って。「これ、『エヴァ』の最後と共通点あるよな」って思ったんですよね。何年か前に見直していて。

(宇多丸)当然、遺伝子はずっとあるんですからね。たどっていけばそういう風になる。なるほど。

(藤津亮太)というのがひとつ。それからもうひとつは、たとえば最近の京都アニメーションの『響け! ユーフォニアム』とか。

(宇垣美里)いい! あれは素晴らしい。

(藤津亮太)P.A.WORKSの『花咲くいろは』とか。

(宇垣美里)素晴らしい。はい。

(宇多丸)フフフ(笑)。

(藤津亮太)あとは女の子たちががんばっている……ありがとうございます。

(宇垣美里)すいません(笑)。

(宇多丸)アハハハハハッ!

(藤津亮太)女の子たちががんばっているところにカメラがずっとある種寄り添って作っているタイプの作品だと、やっぱり『赤毛のアン』はすごく楽しめるんじゃないかなと。

(藤津亮太)『赤毛のアン』はやっぱり女の子の成長をずーっと定点観測していくみたいなアニメで。これ、思春期というか子供が見るとアンに感情移入して楽しめるし、大人になると今度はマリラとかマシュウっていう養父母の目線で楽しめる。養父母っていうか兄妹なんで微妙なんですけども、養ってくれるお二人の目線で楽しむことができるという構造になっているんですけど。その、やっぱり女の子の日常を追いかけて、その子の喜怒哀楽を描くことそのものが面白いっていうのは、アンはすごく感情表現が豊かな子なんで面白いっていうのはあって。そういうのはたとえばいまある、ファンタジーやSF的な設定が入ってこない女の子のキャラクターを主人公にした、女の子のがんばる系のものとは結構近いよなと思うんですよね。

(宇多丸)うんうん。

(宇垣美里)なるほどー!

(宇多丸)じゃあ、宇垣さん好みのラインっていう。

(宇垣美里)そうですね。『響け! ユーフォニアム』のなにがいいって、最初の本当に下手くそな吹奏楽部の演奏が本当にいいんですよ。

(藤津亮太)下手な段階の方がいい。

(宇垣美里)そのリアリティーがいいんですけど。そこで応援しちゃうんですけど。まあ、そういうことですよね?

(藤津亮太)そうですね。はい。高畑さんは『赤毛のアン』をやっている時に原作には描かれていない学校である催し物とかも調べたり想像をしながら作らなきゃいけなかったっていう話をしていて。そういうところにいかにリアリティーを出すかの大変さっていうのを書かれているんですけど。なので、僕はそういうコンサートシーンがもっともらしく描かれていると、そうやって高畑さんがあの頃の感じた問題意識がいろんな形で遺伝子的にね、日本のアニメ界に残っているんだなっていう感じがしますね。

(宇多丸)さっき、高橋さんもおっしゃっていた、やっぱり取材をすごくされるっていう。研究を。

(高橋望)そうですね。話をしていて思ったのは、アニメが進歩したんだと思いましたね。高畑さんはおそらく、音楽物みたいなものは難しい分野だと思っていたと思うんですね。要するに、まさしくその下手な感じを出すとか、上手い感じを出すって難しいじゃないですか。記号的な表現はアニメは得意だけど、そういうものを描くのは難しいから。高畑さん自身の言葉でいうと、そういう「そのものを見せるのはむしろ難しいんだ。アニメには向いていないんだ」っておっしゃっていたので。そのアニメーションが進歩して、感じを出すみたいなところにまで来たのかなっていう。

(宇多丸)下手感まで出せているのはすごいですね。

(宇垣美里)本当に入学式の前の部の紹介のところとか、「マジで下手だわ……」って思いながら聞いていて(笑)。

(宇多丸)『けいおん!』の彼女たちがいきなり上手すぎた問題みたいなのもさらに進化しているのかもしれない。

(藤津亮太)あ、でも『けいおん!』で一話は下手です。

(宇多丸)あ、そうでしたっけ?

(藤津亮太)一話は下手です。その後、急激に上手くなるんですけど。

(宇多丸)うんうん。なるほど。でも、ちゃんとその進化史がある。高畑さんでさえ、ちょっと苦手に感じられていたラインっていうのが。

(高橋望)そうですね。まあ、野球をやるとか。『おもひでぽろぽろ』の中に演劇のシーンなんかもあるんですけど、そういうところをどう描くか? とかっていうことをいつも気にされていましたよね。誰が見ても上手い演技っていうのをじゃあどう描くんだ?っていう。そういうことをいつも追求されていたんで。

(藤津亮太)そういうパフォーマンスで言うと、『赤毛のアン』だとちょっとおもしろいのは、学校の嫌われていた先生が転任しちゃうのに、年頃の女の子だからみんなセンチな気持ちになって泣いちゃうっていうシーンがあるんですよね。そういうのをちょっと、わざと客観的に演出しているんですけど、そういう本人たちは一生懸命なんだけどちょっと引いてみると「おいおい……」みたいな空気感みたいなのが『赤毛のアン』にもあるなといま、話を聞いていて思い出したんですよね。

(宇多丸)なるほど。ということで、『赤毛のアン』。

(藤津亮太)次、3つ目ですね。これはひとつの作品じゃないんですけど、最近の話題作……たとえば『キルラキル』とか。

(宇垣美里)超大好き!(笑)。

(藤津亮太)『Gのレコンギスタ』とか、いま放送中の『メガロボクス』とかあるんですけど。この三作品の共通点って、いわゆるキャラクターの輪郭線ですね。漫画だと主線(おもせん)なんて言われている線が、いわゆるGペンで描いたようなというか、強弱がすごくついている、ニュアンスのある線で描かれているんですね。昔、一時期まではアニメ、普通にそうだったんですけど90年代以降は割と日本のアニメの線は固く細く正確になってきていて。均質化されていったんですけど、それがもうちょっと戻っているんですね。

(宇多丸)劇画タッチというか。

(藤津亮太)作品の雰囲気に合わせて戻っているんですけど、やっぱりこういう線に対する意識……この5年ぐらい、アニメーションにおける線ってすごくホットなテーマで。それは単純に書く人だけじゃなくて、撮影監督なんかがその線を加工するフィルターをあれして、味のある線みたいなのを。むしろ、固い線できてももうちょっと味があるようにしたいとか、そういうような段階に入っているんですけども。

(宇多丸)へー!

(藤津亮太)その意味では、線そのものの魅力で勝負しようとしている『かぐや姫の物語』っていうのは外せないなと思うんです。

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(藤津亮太)で、線のいいところ、アニメーションのいいところっていうのは何か?って言ったら、特に手書きのいいところはやっぱり絵であって。その絵というのは実物じゃないわけですよ。輪郭線っていうのは実物にはないわけですよね。つまり、そこに情報があってニュアンスがあって空気があるわけですよね。

(宇多丸)うんうん。

(藤津亮太)なので、ああいう線が味があっていいなと思う人は、やっぱり絵の、ビジュアルの観点から『かぐや姫の物語』とか見ていただけると面白いんじゃないかなと思うんですよね。

(宇垣美里)『キルラキル』とか、あのエネルギーが線に現れてますもんね。

(宇多丸)ちょっと70年代劇画感みたいなのが線に出るわけですね。逆に、いまデジタル時代だから均質にやろうと思えばいくらでもできちゃうっていう問題も……。

(藤津亮太)そうなんです。たとえば、京都アニメーションさんがいまやっている『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』なんてやつなんかは逆に細くてすごく精密な線をいっぱい書くっていう。まあ、ある意味現代アニメの優等生みたいな作り方。

(宇多丸)だからそっちで進化していくのか、それとも……。

(藤津亮太)そう。もう少し線のアバウトな感じ。それこそ、今期の話題作のひとつ、『ひそねとまそたん』なんかも割と太い線でイラストチックな線にしているんですよね。で、普通はちょっとカメラが寄った時に、昔のだとセル画が決まっているから、寄ると線が太くなるんですよね。それとかも『ひそねとまそたん』はやっていて。要は、「これは感じのいい絵ですよ」っていうのを表現しようとしているんですけど。高畑さんのそういうところが広い意味で、つまりアニメーションというのは絵であるということを自覚していたので、線が大事だ。線のニュアンスでもっとラフな野趣ある線で描けないか?っていうことをやっていたんですね。

(宇多丸)それこそ線そのもので気持ちよく感じさせるっていうことはね、『かぐや姫』とかで全然できているわけで。なるほど。

(藤津亮太)だから走るシーンなんか、橋本晋治さんが原画を描かれたところなんかは全然タッチが飛び出しちゃうところなんかは違うわけですけども。でも、見ている方はそれでも1人の人間に見えるわけですよね。一貫した人間にね。

(宇多丸)うんうん。すごい! アニメと線の問題。

(宇垣美里)そうか。その視点ってないですよね。なかなか。

(宇多丸)そして、「現実には輪郭線がない」って。

(宇垣美里)そういえばそうだったなって。

(宇多丸)だからそういうところにアニメの本質があるって、まさに高畑さん的な発想。

(高橋望)そうですね。高畑さんはあれですよね。アニメの様式みたいなものを自分で作った人にもかかわらず、それをどんどん壊していったっていう、本当にすごい人だと思いますよね。いわゆるセルアニメの基本的なスタイルみたいなもの。約束事。雨が降っているとセルに傷をつけて、そういうことで雨に見せかけるとか、そういう見立ての文化で来たものを自分でどんどん晩年に壊されていったという。本当にすごいと思いますね。

(宇多丸)しかもそれがまさに、いまのアニメの最新進化にリンクしているというあたり。

(宇垣美里)つながっているもんね。

(宇多丸)ちなみに、これは藤津さんにうかがおうかな。演出家としての高畑監督の歴史的位置づけみたいなのはどういう存在なんですかね?

演出家としての高畑監督

(藤津亮太)でも、高橋さんも言っていたように、日本のアニメの基本的な部分っていうのを構築した先達だったんですね。ルールメイカーみたいな感じだったんですね。で、その中で多くの人は、たとえばアニメの初期の頃ってお互いに会話をしている時に、いわゆる切り替えしをする時に映す顔は6:4のアングルがいいのか……要は、正面に対してこれぐらいがいいのか、7:3がいいのか、みたいなことから検討をしているんですよね。

(宇多丸)うんうん。横過ぎてもよくわからないし。

(藤津亮太)そう。ちょうどいい、相手にもしゃべっているが画面の方にも向いている数がどれぐらいか?っていうのを確定するところから始めていたりするんですよね。なので、そういうものの積み重ねで、さらにその先に行った。アニメーションの可能性をどんどんどんどん広げていこうとした演出家っていうことが言えるかなと。

(宇多丸)はい。高橋さん的にはいかがですか?

(藤津亮太)全く同感なんですけども。まあ、分析というよりは本当に、高畑さんにもっと作ってほしかったなっていうことはありますよね。

(宇多丸)ねえ。だってこれ、生きてらっしゃればその限りに常に「えっ?」っていうことを……まあ、その分高橋さんみたいな製作の方は泣きを見るっていうね。

(藤津亮太)『かぐや姫』は西村(義明)プロデューサーですよね。

(高橋望)そうですね。西村くん、本当によくがんばったと思いますね。尊敬しますけども。なんか、高畑さんっていろんな意味で新しい映像を作るために映画を作ったみたいなことを実践されていたと思うんですね。そういう意味で言うと、次に作る作品がきっと高畑さんにとっての映画だろうし、新しい映画が高畑さんにとってのベストな作品なんだろうと思うと、やっぱりもっともっと見たかったですね。

(宇多丸)ねえ。

(高橋望)ただ、一緒に作るとなると大変だと思うんですけど(笑)。

(宇多丸)アハハハハハッ!

(藤津亮太)ひとつはね、『平家物語』っていう企画がね。

(高橋望)ありましたね。

(宇多丸)おおーっ!

(藤津亮太)『かぐや姫の物語』と『平家物語』があったんだけど、まあいろいろあって『平家物語』は無しにして、『かぐや姫』の方向に絞ってスタートするんですけど。『平家物語』っていうのとあと、『国境』っていう、途中でなくなっちゃったやつも見たかったなと。

(宇多丸)『国境』?

(藤津亮太)これは80年代ですね。作られるはずだったやつがあって。これは冒険物だったはずなんですね。満州を舞台にした。

(宇多丸・宇垣)へー!

(宇多丸)また全然違いますね。へー! ということで、どうですかね。高橋さんにうかがいますけども、高畑監督の残した功績というあたり。

(高橋望)そうですね。ちょっと今日、予習のために細田監督と話をしていたんですけども。彼も言っていたんですけども、日本のアニメーションっていうのはすごく幅が広くなったと思うんです。もともと非常に記号的なSFアニメとかファンタジーとかっていうものが得意だったわけですけど、高畑さんは生活アニメであるとか実証主義とか、いろんなものを持ち込んで。すごい記号的なかっこいいアニメから、非常に丁寧に作られたリアルに人生を描くようなものまで、アニメーションの幅を作った人が高畑さんだなっていう気がするので。そこは、その中でいまのアニメーションの隆盛があるんじゃないかなっていう気がします。高畑さんがいなかったら、日本のアニメっていうのはもっと……もちろん人気はあったでしょうけどね。『ガンダム』も好きだし『ヤマト』も好きですけども、そういったものはいいんですけど、そうじゃない世界を広げたのが高畑さんのすごさで。その幅の中に日本のアニメのいまがあるっていう気がします。

(宇多丸)うんうん。

(藤津亮太)『ハイジ』が、たとえば広めた部分の中に『ガンダム』が入っているんですよね。

(宇多丸)『ガンダム』もある意味、少年たちの……。

(藤津亮太)あとね、生活を描く描き方みたいなのは『ハイジ』以降なんですよね。『ガンダム』のね。だからそういうことですよね。高橋さん。

(高橋望)そうです、そうです。

(宇多丸)完全に高畑さん以降はもう不可逆に進化しちゃっているっていうね。

(藤津亮太)高畑さんが前に行けば行くほど日本のアニメが広がっていくっていう。

(宇多丸)ところがご本人は全然その日本型アニメ的なところにはいないっていうところが。

(宇垣美里)フフフ(笑)。もっともっと先を行ってらっしゃるんですよね。きっとね。

(宇多丸)ということなんですかね。すごいですね。といったあたりで、いろいろとうかがってまいりましたが。じゃあぜひ、また今後とも藤津さんにはアニメ情報を……今日、実はお話をうかがっていて、さっきの最新アニメのくだり。僕とか全然ちゃんとチェックしきれている人間ではないので。宇垣さんばかりがテンションが上がるっていう……(笑)。

(宇垣美里)フフフ(笑)。自分で言っていて「すごく気持ち悪い。私、大丈夫かしら?」みたいな。ごめんなさい(笑)。

(宇多丸)いいんですよ、いいんですよ。このあたりもぜひ、ご教授いただきたいですね。

(藤津亮太)今後ともまたよろしくお願いします。

(宇多丸)では、お二方。お知らせごとなどを。

(高橋望)僕はぜひ、高畑監督の後を継ぐっていうわけじゃないですけども、日本のアニメが広がっていったもののひとつの大きな物としてこの7月の細田監督の新作『未来のミライ』っていうのがあるので。ぜひみなさんに見てほしいです。

(宇多丸)楽しみです。それこそ細田さんを前に、土曜にやっていた番組にお招きした時、「アニメの醍醐味は日常芝居でそこにいるということが感じられること」みたいなことを僕らにレクチャーしてみらうみたいなことがあって。いま、お話をうかがっていてそれは完全に高畑さんイズムだったんだっていうのを。

(高橋望)そうですね。そんな感じがします。そういったものを、もうSFでもなければアクションでもないんですけど、ありありとなにか人が存在しているみたいなことをやろうとしていますので。ぜひこれは楽しみに……いまのアニメもいいですけども。

(宇垣美里)はい、見ます! 見に行きます!

(宇多丸)めちゃめちゃ楽しみですよ。

(高橋望)王道になると思いますので。ぜひ、7月20日公開。お願いします。

(宇多丸)藤津さんはなにかお知らせを。

(藤津亮太)僕は最新アニメの話を来週火曜にまたうかがって……。

(宇多丸)この番組に!

(宇垣美里)ああ、いけない! 私、めちゃくちゃ予習してこないと!

(宇多丸)フハハハハハッ!

(宇垣美里)肩が回るわー!

(宇多丸)打てば響く(笑)。僕は逆にもう、ここにいれば、どこかのイベントスペースに行かなくてもどんどん藤津さんから情報をいただけるということで。ありがたいことです。

(藤津亮太)なので、がんばってまたネタを仕込みたいなと思います。

(宇多丸)藤津さんの登場頻度がただごとじゃないっていう(笑)。といったあたりで、でもすごい有意義でした。宇垣さんのお話も最高でしたよ!

(宇垣美里)ありがとうございます(笑)。

(宇多丸)以上、追悼高畑勲監督。高畑作品といまのアニメの関わりをこの機会にちゃんと学ぼう特集でした。藤津さん、高橋さん、本当にありがとうございました!

(宇垣美里)ありがとうございました!

(藤津・高橋)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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