宇多丸『タモリ倶楽部』終了を語る

宇多丸『タモリ倶楽部』終了を語る アフター6ジャンクション

宇多丸さんが2023年2月22日放送のTBSラジオ『アフター6ジャンクション』でこの日、発表された『タモリ倶楽部』の2023年3月末終了のニュースについて話していました。

(宇多丸)ということでですね、ちょっとビッグなというか、ショッキングな……我々としては特にそうなんですけど。ニュースが。

(日比麻音子)ちょっとまだ「本当かな?」っていう気持ちですが。

(宇多丸)テレビ朝日の人気名物深夜番組『タモリ倶楽部』。私も何度も出ておりますが。『タモリ倶楽部』がなんと3月いっぱいで終了ということが発表されたんですね。私も知らなくて。スタジオに来るまで。で、話を聞いて「ええっ?」なんつって。一応、テレビ朝日側の発表としては「番組としての役割は十分に果たしたということで全部総合的に判断し……」ということなんですけども。

1982年10月から放送開始ということで。皆さんご存知の『タモリ倶楽部』だし。私、および私のやっているこういう番組とかも多大な影響を受けているというのもあるので。ちょっと後ほどお話しますが。メールも来ておりまして。「宇多さん、マジか! 『タモリ倶楽部』が終了するって……あまりにもショックがデカいよ。仕事が手につかないよ。『タモリ倶楽部』で数多くのカルチャーに触れて、楽しい知識が増えたんだよ? タモリさんの多趣味で博学なところがたまらなかった。

ちょいちょい出演している宇多さんもすごく楽しそうだよね? 出演者を見てる側も嬉しくなるものね。ああ、春から楽しみが減るな……」と。もうあまりのショックで、文体も何だかよくわからなくなっているという。そうなんですよね。まあ、本当に長くやってる番組なんで。いろんな皆さん、それぞれの思い出というのが当然あると思うんですが。私にとってはですね、やっぱり『ウィークエンド・シャッフル』からやっている自分の番組……さらにもっと言えば、僕はその前からヒップその専門誌の自分の連載「B-BOYイズム」っていう連載とかで今、番組でやってるようなことは一通り、やってるっちゃやってるんですよね。

映画の紹介とか、本の紹介とか。あと、それとは関係ない、たとえば僕のその連載のあれでいうと、そのへんを歩いてるB-BOYをつかまえて。その荷物の中身を点検するとか。あと「1日の過ごし方のグラフに書け」って言って提出させたりとか。なんかその、ちょっと変な面白がり方というのかな? 角度を変えた面白がり方みたいなもの。そういうものはやっぱり……他にもいろいろあります。インスピレーション元というのは、やっぱり80年代、70年代後半とか、非常にあったんですけども。

でも、やっぱり『タモリ倶楽部』は大きなインスピレーション元だし。やっぱりあの、業界にいろんな人はいますけども。そもそもタモリさんが……そのタモリさんのイズムを体現する番組、まさに『タモリ倶楽部』。要は、芸人さんじゃないわけですよ。タモリさんって。なんていうか、たどっていくと素人なんですよね。タモリさんって、面白い素人だったんですよね。

で、それが赤塚不二夫さんにフックアップされて、東京にやってきて……みたいなことじゃないですか。なので、なんていうか、他のいわゆる芸人さんが積み上げてきた「面白さの提示」みたいな。「人を面白がらせる」みたいな、いわゆるエンターテイナーというか。そういうスタンスじゃないんですよね。タモさんって、言っちゃえば。自分が面白いと思ったことを面白がる。「面白がる」ってことなのかな? だと思うんですよね。で、その面白がりの提示っていうか、面白がる角度の提示っていうか。そこがやっぱりすごい、僕にとっては面白いし。真に面白いものだし。

その角度の発見・提示みたいなもので面白さを生んでいったり。あるいは、その面白さが見つからなかった面白さでもいいんだけど。予定調和じゃないなにか、みたいなもの。今まで、元々あるものじゃないなにか、みたいなものを提示するって意味で、やっぱり『タモリ倶楽部』、およびタモリさんが体現してきたものっていうのは、皆さんそれが好きでみんな見てるし。私も影響を受けていて。

それである時、「『タモリ倶楽部』に出ませんか?」という声がかかった時。調べると2014年でございました。もちろん、もう私の中でいろいろキャリアのその節目というのはございます。たとえばRHYMESTERで武道館やったとか、何をやったとか。チャートでこのぐらい行ったとか、いろんなことがありますけど。「『タモリ倶楽部』に呼ばれた」っていうのは結構俺の中で……「篠山紀信さんに撮られた」と「『タモリ倶楽部』に出た」っていう。もうこれによってちょっとひとつ、完結編みたいな。そんなところ、ありますね。

で、2014年。企画はすっかり忘れていたんですけども。「A1グランプリ」っていう。頭文字がAのものを並べるっていう。僕がこの間、出た回っていうのが「ぬ」じゃないですか。こんな企画ばかり出ているっていう(笑)。

(日比麻音子)文字系が多いですね(笑)。

(宇多丸)で、そのはじめて出た時にですね、忘れもしませんけど。いまだにある種、すごく自分の中で響いてるんですけど。『タモリ倶楽部』のプロデューサーさんとか、皆さんが僕が初めて。こう、来て。「あの、『タモリ倶楽部』をご覧なって、宇多丸さんならおわかりだと思いますけど。爪痕を残すとか、そういうノリ。なんか無理して盛り上げるとか。他の番組だったらそういうことを若手はするものだ、みたいなものがあるかもしれないですけど。この番組はそういうの、絶対やめてくださいね。無理に盛り上げたり、爪痕を残そうみたいなのは、この番組だと大変なマイナスになります」って。

で、僕はそれを聞いて「そう! だから好きなんです! そこなんです!」みたいな。なんか無理して……なんていうか、おもしろをメソッドに落とし込んでなにかをやるみたいな。そういう、言ってみれば「退屈なおもしろメソッド」っていうのかな? そういうとこには落とし込まない。「ああ、わかります! わかります!」みたいな。それで、出させてもらって。

だから「ああ、嬉しいな。合っているな。俺、やっぱり『タモリ倶楽部』、合っているな!」なんて、すいません。なんか勝手ながら思ってたんです。もう1回目に出た時から。と、思いすぎた結果、2014年の最初に出たA1グランプリの時、私は……これ、オンエアーを見るとはっきりするんですけども。机の上にこう座って。そのA1グランプリの一応、審査員の1人としているんですけど。あまりに面白い&リラックスしすぎて、もう姿勢がこんななっていて。テーブルに体をこうやって、ダラーンってやって。で、バンバン机を叩いたりして。「お前、リラックスしすぎなんだよ」っていう。

(日比麻音子)究極体だ(笑)。

(宇多丸)そうそう。そんぐらいね。それで1回、出て「よかったな」と思ったら、やっぱりね、「俺には合っている」というのがこれは……一応、続けて呼んでいただいたっていうのはその証明ということなんでしょうか? もっと呼ばれたかったですけどね。もっと呼ばれたかった。でもね、何度か呼んでいただいて。で、そのたびに……皆さん、ご存知かと思いますが。民放のテレビとそんなに私、フィットがよくないんですよね。正直、あんまりよくないんです。なんだけど、『タモリ倶楽部』だけは本当に行くのが楽しみで。

朝、早かったりするんすよ。ロケがめっちゃ早いんですよ。午前中に2本、撮ったりするから。で、最近になって俺、その2本目に呼ばれるようになったんだけども。なぜか俺、1本目が多くて。今までは。めちゃくちゃ朝が早かった。俺からすればもう、寝ないで行くっちゃないみたいな時間だったんですけど。それでもウキウキ。「今日は何だろう?」みたいな。「今日はどんな変なことが起こるのか?」みたいなのがあったし。

あとは、そうですね。トリプルファイヤー吉田さん。ねえ。もうタモリさんが大喜びしちゃって。吉田さん。で、なんかわかんないけど吉田さん担みたいな感じで。私は大体、吉田さんがいる時には行って……みたいな。ああいうのも、「ああ、僕の使い道を『タモリ倶楽部』がこういう風に見つけてくれた!」みたいな。そういうのも嬉しかったし。

トリプルファイヤー吉田+宇多丸

(宇多丸)あとはやっぱり合間合間で……回によるんですけど、やっぱりタモさんがはっきりと火がつく瞬間というか。やっぱそのタモリさんが面白がりだす瞬間。そこでやっぱりその番組の温度、収録の温度がぐっと上がる。で、俺らも「こうですよね!」って。もう完全にそのタモリさんが乗って。そういう時とかも嬉しいし。かと思えば、合間合間でなんか雑談する。その1個1個がもう全部、ひと続きっていうか。1回、僕とみうらじゅんさんとタモリさんでやった時。あれですね。社史の特集の時ですね。で、あれは川崎の方かな? そう。例の図書館だよ。ちょっと浸水しちゃったあそこかな?

あそこでロケをした時に、なんか準備に時間がかかるっつって。結構、1時間ぐらい。控え室が校長室だったんですけど。僕とタモリさんとみうらじゅんさんで3人で、1時間ぐらいその校長室にいなきゃいけなくて。

(日比麻音子)すごい画ですね(笑)。

(宇多丸)そしたらやっぱりね、タモリさんとみうらさんがその校長室のいろんなディテールを見つけてですね。その校長室いじりで、もう3人でキャッキャキャッキャ。もうこれはね、最高だったんですよね!

(日比麻音子)それを見たいです(笑)。

(宇多丸)なんかもう、それをやりながら「夢みたいだな。幸せ!」と思いながら。なんてのもありましたが。これは個人的なことで。

(宇多丸)とにかくね、テレ朝としての判断。これはもう我々がどうこう言うようなことじゃないんだけど。ああ、さっき言っていたところは川崎市民ミュージアムですね。で、あのね、「テレビで役割を終えた」っておっしゃいますが、私はむしろ逆だと思っていて。

やっぱりその、もちろんお笑い芸人さんがすごく、いわゆる「撮れ高」っていうのかな? いわゆる、すごくアベレージ高く、きっちり多くの人が瞬時に理解できるおもしろみたいなものをポンと出すみたいな。これはこれで、もちろんいいですよ。私もお笑い、好きですけど。でも、なんていうのかな? こういう、「ニッチな」っていう言い方もされますけど。なんかその角度を変えて、おもしろを発見して。要するに、「今こういうのがウケてるから、こういうのをやりましょう」じゃない番組作り。

これ、私はもう自分の番組やるのにあたって、鉄則なんですけど。「今、若い人はこうなんで」とか、そういう発想ではなく、やっぱり提示する側としてちゃんと矜持を持って、ちゃんと新しい面白がりの角度を提示するみたいな。それがやっぱりどんどんどんどん、そういう余裕がテレビからなくなってきたのか、なくなってくる中、かろうじてやっぱりNHKは……まあ、そういう財力もあるということなのか。あとはやっぱり、営利第一ではないからでしょうね。

やっぱり新しい角度を発見するのは、僕は最近はNHKだと思うんだけど。なんだけど、やっぱり民放でちょっとそういうアングラな人脈とかね。とんでも人連れてくるわけだから。私も含めてですけど。「誰それ?」みたいな。たとえば、あれですよ。『森田芳光全映画』の編集でもおなじみ、リトルモア・加藤基さんとか。ただの編集者ですよ? 眼鏡かけた、ひょろっとした。加藤基さんがシレッと『タモリ倶楽部』に出ているわけですよ。でも、誰もそれを不思議に思わないっていうか。

(宇多丸)ああ、そうだ。タモリさん、あともうひとつ、これも。最初に出た時に「はじめて出るから、僕が何者だとか、そういう説明とか、いいんですか?」って聞いたら「ああ、うちはいいの」って。だからその感じ。誰がそこにいても不思議じゃない感じとか。そういう、なんていうか、要は自由さとか。みたいなものがテレビからやっぱり少なくなってるなと感じる中、僕は『タモリ倶楽部』の役割とか重要性はむしろ増しているだろうって思うから。

ただね、やっぱりね、すごくコストもかけてるんですね。スタッフの数も多いし、下調べもすごいするし。だってさ、空耳を1個取ってみたって、あの空耳の1個のネタのためにあの映像を1個作るのに……もうひとネタよ? あのネタを作るために、どれだけ手間をかけてんの?ってことだし。

(日比麻音子)あれの収録、大変だなっていう。そのロケというかね、再現V。

(宇多丸)そう。大変じゃないですか。歌詞に合わせたネタ。しかもほら、どこに進んでいくかわかんない作りをあえて、するじゃないですか。めちゃくちゃ凝っている。あんなのをひとつ取ってみても、お金がかかってるし。たとえば台本とかも毎回毎回、ちゃんと製本された台本が配られて。しかもね、皆さんね、『タモリ倶楽部』って言うと「ゆるい笑い、ゆるい笑い」って言うんだけど。もちろん、そのゆるさっていうのもあるよ。それも魅力なんだけど。『タモリ倶楽部』は元々ある台本があるのね。製本された。その台本自体がめちゃくちゃ面白いのよ!

(日比麻音子)へー!

めちゃくちゃ手間がかかった「ゆるい笑い」

(宇多丸)もう台本を読むだけで笑っちゃうぐらい、実はめちゃくちゃその時点で相当、労力が注ぎ込まれている。でもその上で、タモさんがそこから外れることとかをやったりして、なんかするみたいな。だから、その「ただ適当にやっているなにか」とも違うんですよね。すごく真剣にふざけてるっていうか。全力でふざける。だから、そこにはやっぱりコストもかかるし……というところで。そういうのもあるのかな?って気もするんだけど。コスト計算的な。

なんだけど、大変に私は残念に思うし。「テレ朝さんよ、これはいいのか?」って。まあ、もちろんタモさんもね、いろんなことをやりたいだろうからっていうのもあるかもしれないけど。なんだけど、ちょっとね、非常に残念に思いますね。3月いっぱいか。だから、もうダメだ。もうもう間に合わねえよ。水くせえな。もっと早く言ってくれりゃ、いろいろとこっちも営業をかけて(笑)。

(日比麻音子)そうかー。いや、宇多丸さんのお話を聞いて、裏側というか、皆さん作り手側のお話も聞くと、ますます……なんか私も違うテレビ局で働く者としては、やっぱりこういう長く続く番組。『タモリ倶楽部』さんというのがあるっていうだけでも、そのテレビの希望というかね。ということを感じていたので。

(宇多丸)なんかさ、街の中にさ、ポツンと昔からある、いろいろ面白い本とか、ちょっと変なものが置いてある個人商店。「あそこ、ずっとあるよね」みたいな。「なんかずっとあって、周りにビルとかが建っても、あそこだけはずっとあって。いつ行っても、なんか一定の人がいて。ちょっとクセある客がいつもいてさ。なんか面白いもんが必ず置いてあるんだよな」みたいな。そういう店がなくなるってことじゃないですか。

(日比麻音子)それは、街の景色が変わりますよね。

(宇多丸)そうなんですよ。それはやっぱり街と同じで。なんていうか、きれいに整備されたもの、トップダウンのツルンとした街作り、商業施設ばっかり。要するに、お金にはなるみたいなものばっかりが並んでるところ。

(日比麻音子)いわゆる都市開発と言われる……。

(宇多丸)そういったものが、やっぱり街としてはとてつもなく退屈になっていくし、平板化もしていくし、みたいな。

(日比麻音子)本当に進化に伴う喪失があまりに大き過ぎるなと思いました。

(宇多丸)おっしゃる通り。なので、やっぱり街っていうのも僕はその隙間にできちゃっているもの。隙間に湧いちゃっているもの。物事、何でもそうなんですけど。本当にクリエイティブだったり、本当に面白いことっていうのは隙間に生じるっていうのが私の持論で。で、まさに『タモリ倶楽部』は公共の、テレビの堂々たる民放電波。しかも、なんていうか世の中がめちゃくちゃ「金! 金! 金!」って言っていた景気のいいその真っ盛りに、その隙間があったわけじゃないですか。

だから、まあ『タモリ倶楽部』が終わることはしょうがないとしても、今後もね、テレビ……テレビに限らずです。放送業界。隙間、大事。アトロクはこの時間の3時間、大きな隙間ですから。これも隙間感を忘れずにいきたいし。あるいは、いろんな番組がポンポンポンって始まる。そこの隙間に何か、また新しいものが生まれるみたいな。やっぱりそういうものをですね、特に送り手側というのは本当に意識しないといけないよなということを思う次第でございます。

隙間から新しいものが生まれる

(日比麻音子)なんかもう、こうなってからじゃ遅かったなと思うけど。もう1回、改めてそのすごさを実感しようと思います。なんかこんな……もっと早く。本当にこういうのって、終わるとか、なくなると思った瞬間に、突然にその価値を痛いほどに感じてしまうから。

(宇多丸)しかも『タモリ倶楽部』って、たとえば『探偵!ナイトスクープ』とかと違って、アーカイブ化されてないんですよ。すごくない? あれだけの歴史があって、いろんな人が出ていて、いろんなことをやってるのに、アーカイブ化されてないっていう。まあ、してほしいけど。俺はだからもう『タモリ倶楽部大全』みたいな。Blu-ray30巻組みたいな。もっとかな? わかんないけど。ウン十巻組、10万超えみたいな。そういうのでも、受注生産でいいから出してくれ、みたいな。

ただ、権利取りが大変だろうねっていう。それぐらい、いろんな人が出てるっていうのはありますけども。でも、そのアーカイブ化されていないっていうのもある意味、もう既にあった。既にリビングレジェンドって、このこと。今、まだ放送してるけどもう伝説っていうか。だから、伝説最後の10年近くに出させていただいたのはありがたいことではございますが……うーん! うーん! まあ、ちょっととにかくあのね、『タモリ倶楽部』なくてお嘆きの諸兄の皆さんの受け皿にも、うちの番組もね、一部は……全部は無理ですけどね。

(日比麻音子)スピリットはね。

(宇多丸)スピリットを受け継いで。まあ、山口先生を呼んでそのひらがな特集のさらに拡大版をやったりしてるわけですから。受け継ぐというかね。微力ながらというかね。端くれではございますが。かな、という風に思っておりますね。あーあ……と来たもんだね。ということで、我々は張り切っていきましょう。

(日比麻音子)はい。

(宇多丸)カルチャーキュレーションプログライム『アフター6ジャンクション』、本日のメニュー紹介です。

<書き起こしおわり>

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