杉作J太郎 安藤昇『男が死んで行く時に』を語る

杉作J太郎・吉田豪・眉村ちあき 安藤昇の魅力を語る 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト

杉作J太郎さんが南海放送『MOTTO!! 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト』の中で安藤昇さんの名曲『男が死んで行く時に』について話していました。

(杉作J太郎)さあ、それでは厳密に言いますと、ここからが今日の第1曲目になります。今日の1曲目、行ってみましょう。先ほどまでの番組のように、なっちゃんが鼻歌を歌えるかどうか? 僕も注目していたいと思います。1曲目、行きましょう。安藤昇さんで『男が死んで行く時に』。

安藤昇『男が死んで行く時に』

(杉作J太郎)素晴らしい! これね、作曲・編曲が曽根幸明先生なんですよ。曽根幸明さん、ある程度の年齢の方だったらお顔はみなさんよく知っていると思います。テレビの審査員とかもずいぶん長くやりましたんでね。曽根幸明ってやっぱりただの才能の持ち主じゃないですよね。どう思いました? あの女の人のスキャットに合わせて後ろの男の「あーっ、ああああーああーっ♪ あーっ、ああああーっ♪」っていう、男の人のあのコーラスのすさまじさ。そして女の人の「敷島のー♪」って。これ作詞は阿久悠さん。さすが阿久悠さん、やはり文学的才能・素質もね。これ、「敷島」というのは「大和」にかかる枕詞っていうか、言葉なんですね。「大和」という言葉を話す時に、その先に「敷島の大和」っていうことでね。

いや、すごかったでしょう、みなさん、この歌。「女か。道端の石ころのように拾っては捨てた女たち。俺が死んで泣くやつ、1000人。笑うやつ、1000人。知らぬそぶりが1000人か……」っていうね。この安藤昇先生。実はね、この安藤昇さんに僕は一度だけ、生涯の中でお会いしたことがありまして。それがね、友人の結婚式に安藤さんが後見人じゃないですけども、参列してたんですね。それはもう芸能人の大物として。それで僕は映画の大ファンだったので。「安藤さんとなんとか、サインか……サインは失礼だから、記念写真でも一緒に撮らせてもらえないのかな」と思いまして。勇気を出しまして、「一緒に写真撮らさせていただいてよろしいですか?」って……何人か撮ってもらってたんですよ。その結婚式で。

安藤昇さんと一緒に写真を撮る

で、僕も図々しく行きまして。みんなは普通に、安藤さんが座ってるんですけど、そこで背をかがめて撮っていたんですよ。で、僕も後の方で行きましてね。ちゃんと僕は言ったんですよ。「僕は安藤昇さんの映画の大ファンで、安藤さんの歌も大好きです。安藤さん、本当に大好きなんです!」みたいな話をしまして。「できたら、一緒に写真を撮らさせていただけますか?」って言いましたらね、「おう」って言ってね。結婚式場だったから小さい椅子だったんです。ソファーとかじゃない、小さい椅子なんですけどね、安藤昇さんが腰を抜かしましてね。もう結構のお年でしたけど、腰を浮かしましてね。椅子を半分、空き地を作ってくれて。「えっ?」って思ったらね、「座んなよ」って言うんですよ。目と顔で。「おう」みたいな。それで、その椅子に座らせていただいて、一緒に写真撮らせてもらってね。

僕みたいな本当に……僕のこと絶対何だか知らなかったと思うんですけど。知らなかったはずですけど、僕みたいなわけのわからない若者が「一緒に写真を撮らせてください」って言ってね、「おう」って言ってね、椅子を……安藤昇さんに腰を上げさせてしまったというのがね。本当に優しい方でね。安藤昇さん。安藤昇さんがそういう男の稼業をしていた時の配下の人が、安部譲二さん。後に作家になりましたね。小説家になりました安部譲二さんがやはり、安藤昇さんの配下の方なんですけども。安部譲二さんはちょうどあの頃ね、航空会社のパーサーかなんかでいながら、そういう活動もしていたということなんですけど。

安部譲二さんも僕、雑誌の平凡パンチ時代につきっきりで、密着でお宅から一緒に始めて何ヶ所か一緒に回らせていただいたんですけど。安部譲二さんも優しい方でね。やっぱりああいう男を売ってる稼業の人はね、優しいんですよね。だからもちろんさっきの歌を聞いても怖い部分もありますよ。「オラーッ!」なんて言ってね。「おふくろ! あんたの悩みのタネが消えていくんだよ!」なんて言ってね(笑)。「ああ、悩みのタネだったんだ」みたいなね(笑)。でもね、やっぱりメリハリですよね。だから、よくああいう東映の任侠映画とかでも高倉健さんとかが言っていたのは……高倉健さんに対して水島道太郎さんとか嵐寛寿郎さんみたいな先代が教えてたのは、「男が怒るときは一生に一回だよ」みたいなね。最後の最後まで怒っちゃ……でも、「最後の最後まで怒っていけないぜ」ってそれは完全にフリですよね。その映画に最後に山場があるっていうフリにはなっているわけですけども。

まあ、映画ですからね。安藤昇さんもずっと若い頃から映画俳優をやっていたわけで。もう大スターすからね。日本テレビでやっておりました萩原健一さんの『前略おふくろ様』。あれなんかにも出ておられました。安藤昇さん。お亡くなりましてね、ご冥福をお祈りしたいと思いますが。まあ、なっちゃん。さすがに鼻歌は歌っておりませんでした。でも本当にね、鼻歌うたうぐらいなら、やはりコピーしてしゃべった方がいいですね。「おふくろ! あんたの悩みのタネが消えていくんだよ!」なんて言ったら、なっちゃんはお父さんに怒られるかもしれませんね。「誰と付き合っているんだね、君は? どんなところで……ちゃんと学校に行っているんだろうね?」みたいなね。

でも、ちゃんと「ちゃんと学校に行ってるんだろうね?」って言ったら、東映の映画では舘ひろしさんがやっぱり言われてましたね。主役をした時に、「お前そんな事ばっかりやっていて、大学どうするんだ?」って言ったらね、「網走大学でも行くさ!」って言ってましたけどね(笑)。まあ、網走の人が聞いたらびっくりしますけどね。「網走大学」っていうのは本当にはないと思いますよ。「網走大学」っていうのはたぶん「網走刑務所」のことを舘ひろしさんは言っていたんだと思いますけども。まあ、物騒な話ばかりしていてもあれですからね、オリンピックの話をしましょう。

<書き起こしおわり>


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