プチ鹿島さん、玉袋筋太郎さん、室井佑月さん、宇多丸さんがMXテレビ『バラいろダンディ』の中で亡くなった西部邁さんについて話していました。
(蝶野正洋)第5位、毎日新聞夕刊。「西部邁さん、自裁を語っていた」。
(阿部哲子)保守派の評論家で社会経済学者の西部邁さんが今週、大田区の多摩川で入水し亡くなりました。78才でした。西部さんは知的・道徳的な人間の不完全さを強調し、歴史的な慣習とそこから導かれる伝統の意義を説いてきました。一方で自身の死について、2000年に出版した『私の死亡記事』の中で、「精神的な衰えが見通されたら自殺する」と予期した文章を寄せており、亡くなる10日前に行われた毎日新聞の取材では「やりたいことをやり尽くしたら死ねばいいとは簡単には言えない」と断りを入れた上で、「自らは自裁死がいい」と話していました。
(蝶野正洋)うん。
(阿部哲子)西部さんは新刊『保守の真髄』の中で自身の死生観についてこのように語っていました。「自然死と呼ばれているもののほとんどは実は偽装なのであって、換言すると自然死と呼ばれているものの最終段階は病院死に他ならないということだ。そして瀕死者にとっての病院は露骨に言うと死体製造および処理工場にすぎない」と。
(蝶野正洋)鹿島さん、どうですか。これ?
(プチ鹿島)僕は西部さんは『朝まで生テレビ!』っていう番組で高校ぐらいの時にチャンネルをつけたら、あの番組はもう大島渚さんが怒鳴ったり、猛獣しかいないんですよ。その中で西部さんはタバコ吸いながらニヤニヤして。余裕しゃくしゃくだったんですよね。で、「このおじさん、なんだろう?」って思って学生時代の時に本を何冊か読んだんですけど。その中で、ちょっと覚えているのが本当の保守とは何か?っていうのを、「綱渡りと同じだ」ってたとえていたんですね。綱渡りって、一歩一歩バランスを取って前に行くしかないじゃないですか。で、急激に行こうとすると、落ちちゃうじゃないですか。だからそれが保守だと言うんですよ。
(蝶野正洋)ほうほう。難しいですね。
(プチ鹿島)それを考えると、いまみんな保守的な政党の人も「改革だ」「革命だ」って言って……言葉が安すぎるなと思うんですよね。保守政治家って本当にいるのかな?ってちょっと、この訃報を見て思い出しました。
プチ鹿島 西部邁を語る
(宇多丸)より慎重にならないといけないのに。
(プチ鹿島)そうそうそう。
(蝶野正洋)室井さんはどうですか?
(室井佑月)私は何回か……1回、お寿司屋さんに連れて行ってもらって。その後も飲む機会もあったりして。本当に文学とか芸術とかから、もちろん政治・経済まで知らないことがないみたいな人で。本当に親切で、正直に「知らない」って言うじゃない? そうすると、すごく親切に教えてくれる人で。めちゃめちゃすごい上品な人だった。もっともっといっぱいいろんなことを教えてもらいたかったなって思う。なんかね、酒場で、私は全然覚えてないんだけど。そうは思わなかったんだけど、若い人で私に対して失礼なことを言ったっていうので、西部さんがすっごい……。
(蝶野正洋)怒ったんですか?
(室井佑月)怒って。だけど、ギャーッ!って言うんじゃなくて、すっごく……。
(プチ鹿島)たしなめた?
(室井佑月)うん。それは私、親切な人だなって。「若いから言っておいた方が彼のためになるんだ」って言って。すごいいい人なんだなって思ったよ。
(蝶野正洋)勇気ありますね。
西部邁さんの親切さ
(宇多丸)たしかにね、大変に親切にも、とある酒場でね、我々が飲んでいる時に……まあぶっちゃけほぼほぼ絡まれるというかですね。まあ、それは嘘だけど(笑)。「一緒に飲もうよ」って言われて。
(玉袋筋太郎)そうそうそう。
(宇多丸)で、それはいいんだけど、ねえ。「玉袋くん! 君はそんな名前をつけられて、我慢できるのか!」って。
(玉袋筋太郎)「いや、先生! 師匠からいただいた名前で大切にしてるんですから!」って。
(宇多丸)親切にもね。あれはすごかったですね。
(玉袋筋太郎)そう!
(プチ鹿島)たしなめられたんですね。
(玉袋筋太郎)「君はなんでたけしに怒らないんだ!」って。師匠だし……。
(宇多丸)「そこからですか?」って(笑)。まあ、俺はサングラスもしてないから、ただのチンピラでこういたら、「君もそう思うだろ!?」「その通り!」って。
(一同)フハハハハッ!
(宇多丸)「その通り!」(笑)。
(阿部哲子)優しい方だったんですね。ご冥福をお祈りします。
<書き起こしおわり>