吉田豪 ミミ萩原を語る

吉田豪 ミミ萩原を語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』で元全日本女子プロレスのレスラー、ミミ萩原さんについて話していました。

(安東弘樹)ということでこのコーナーでは豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていきます。今日、豪さんに紹介していただくのが歌手・女優としても活躍した元女子プロレスラーのミミ萩原さんです。まずはそのミミ萩原さんのあらすじとその筋をご紹介します。ミミ萩原さん、1956年、東京都のご出身。15才までスイスで暮らし、帰国後仮面ライダーのライダーガールズの1人、チョコ役で女優デビュー。翌年の1973年には「ミミ」の名で歌手デビュー。その後、ビューティー・ペアの人気が爆発した1978年に全日本女子プロレス、通称・全女に入門。アイドル歌手からプロレスラーへと転身します。

(玉袋筋太郎)うん。そうだな。

(安東弘樹)デビューしてからは87連敗という記録を作ります。試合ではハイレグ水着を着用し、男性ファンのハートをわしづかみ。84年に引退し、現在は広島県で飲食店「Caf?e Diner KalaKala(カラカラ)」を経営しているミミ萩原さんです。そして吉田豪さんの取材によるミミ萩原さんのその筋は、その1、アイドル時代の怖い話の筋。その2、「これだ! 運命だ!」。全女入門の筋。その3、タイガーマスクも驚いた全女の異常な練習の筋。その4、押さえ込まれるたびにキス。外国人レスラーの筋。その5、いまなら弁護士。給料1日1万円の筋。その6、ジャガー横田との友情。ミミ萩原のプロレス観の筋。その7、女子プロレスの父、松永ファミリーをどう思っている? の筋。深い話ばかりだな。以上、7本の筋です。玉さんはミミ萩原さんは応援していたことは?

(玉袋筋太郎)応援していましたよ。やっぱり。だからちょうど思春期とかそういう時ですから。それで大胆なカットの水着ですから。それはそれはもうね、俺たちの間ではミミ萩原さん……。

(吉田豪)お世話になった?

(玉袋筋太郎)お世話になりましたよ!

(吉田豪)みんなやっぱりお世話になったみたいですね。

(玉袋筋太郎)そうですよ!

(安東弘樹)お会いしたことは?

(玉袋筋太郎)ミミさん、会ったことはないな。ミミさんはないわ。

(安東弘樹)この玉さんをして……。

(玉袋筋太郎)ない。

(吉田豪)あんまりだから業界とつながらなかったんですよね。だから、僕らが接点がなかった。いま、プロフィールから外れていますけども、90年代、2000年ぐらいには宗教活動をされていたりとか。

(玉袋筋太郎)急に何かね、マリア様みてえになっちゃったからな。

(吉田豪)マリア活動期があるんで。だから、正直インタビューできるかどうかもわからない感じだったんですよ。

(玉袋筋太郎)どうやってコンタクトを取ったの?

(吉田豪)もう直接、Facebookをやられていて。そこから行ったんですけど。そしたら、想像以上に面白かったという。

(玉袋筋太郎)いや、面白いよ!

(吉田豪)だって、宗教の話とかも……その話を覚悟したら、ほぼないですからね(笑)。全然、もうサバサバした方で面白かったです。

(玉袋筋太郎)そうだったね! はい。いや、まずね、アイドル時代の話からだよね。

(安東弘樹)怖い話っていう。

ミミ萩原のアイドル時代

(吉田豪)そうですね。もともとアイドル活動をやられていたわけです。まず、その話から聞いたら、モデルを1年やったらスカウトが来て。知らないうちにお母さんが契約しちゃったらしいんですよね。突然、「明日から歌のプロダクションよ」「ええーっ!?」みたいな感じで。「モデルの方が稼げていたのに……」っていう。当時、アメリカンスクールに通っていて、バス代込みで毎月15万とかですごい高くて。で、母子家庭だったんですよね。お母さんが払えなかったんで自分で(学費を)払うためにモデルをやっていたら、知らない間に仮面ライダーに出るような流れになって。

(玉袋筋太郎)ほー!

(吉田豪)生活のためにやっていたっていうことなんですけども。ただ、僕は結構ミミさんは調べたことがあって。事務所を辞めてプロレス界に入る時に「(アイドルとして)売り出しにいくらかかったから、借金を返せ!」って言われたという噂を聞いたことがあったんですよ。それで聞いたら、「そうそうそう!」っていう感じで(笑)。「芸能界って怖いんですよ!」っていうね。「ひとつ何かをやると、知らないうちに全部ツケになっちゃっていた」と。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(吉田豪)昔は歌番組とか、生演奏だったじゃないですか。で、ライブもそうで。譜面が全部手書きで、それがフルバンドだったんで、単純に言えば5万円×20曲。譜面を1個やるだけで5万円かかったらしいんですよ。

(玉袋筋太郎)ええっー!

(吉田豪)それをだからコンサートで20曲あったら、それだけでもう相当な額になる。黒字になるわけがないみたいな。で、アイドル活動を始めたらいろんなところでお声が掛かって。今度はやるたびに衣装代もかかる。当時は衣装を作る専門のところがあって、そこは1着20万円。

(玉袋筋太郎)当時の20万だからね。これ。

(吉田豪)で、1着作ればいいものでもなくて、10着は作らなきゃいけない。で、辞める時にそれを返済しろと言われたという。

(玉袋筋太郎)かーっ、昭和だなー!

(吉田豪)完全に罠なんですよね。昭和の芸能界、怖っ!っていう。

(玉袋筋太郎)あったんだね。うん。

(吉田豪)5年契約で15才で入ったから、ちょうどハタチで契約が終わって、そこで女子プロレスに入ったっていう。

(玉袋筋太郎)これ、素晴らしい話だね。こりゃ。ねえ。

(吉田豪)「借金を抱えた状態で……」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)うん。で、お母さんが歩合制を決めちゃったんでしょ?

(吉田豪)勝手にね(笑)。「4:6」でっていう。

(玉袋筋太郎)ヨンロクでOKしちゃったっていう。

(安東弘樹)自分が「4」っていうことですね?

(吉田豪)そうです、そうです。

(玉袋筋太郎)うわー。でも、あれだよね。全女でハタチで入ったっていうのは、ちょっと遅い方だよね。年齢的に言えばね。

(吉田豪)中卒、高卒で入るもんなんで。芸能界を通って入ったっていう人は珍しくて。で、もともと番組でビューティー・ペアのジャッキー佐藤さんと出会って。で、「後楽園ホールに見に来ないか?」って言われて、「これが私のやりたい仕事だ。運命だ!」と思ってプロレスラーになることを決意という。

(安東弘樹)後楽園ホールにはじめて見に行って。それで運命を感じたと。

(吉田豪)そうなんですよ。だから運命を感じるも何も、異常に体力がない人だったわけですよ。もともと持病で心臓肥大症があって。腕立てが1回もできない。腹筋は2、3回できるだけっていう。だけど、意志はいちばん向いていた。体力的には向いてなかったけど。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)1年かかってデビューして。で、全然強くはなかったけど、プロレスは好きで。練習するのも大好きで。当時はプロテインもなかったから、筋肉疲労のためのアミノ酸もないんでレモンをかじって。で、カルシウムになるようなお薬を薬局で出たんで、それを飲み続けていたら胆石になっちゃったんですね(笑)。

(玉袋筋太郎)大変だよ、これ!(笑)。

(吉田豪)何もわからなかった時代。膝を壊すからウサギ跳びは本来やっちゃいけないのに、毎日「ウサギ跳びをやれ!」って言われて、膝に血がたまって。そこから脱臼しだしてとか。さらには当時ってリングサイドにマットも敷いていなくて。コーナーポストから、「上から飛べ」ってよく言われるわけですよ。で、骨折をすると「お前の骨が丈夫じゃないからだ!」って怒られるという、そういう時代っていう。

(玉袋筋太郎)タフだね、こりゃあ!

(安東弘樹)そこにアイドルから入ったんですね!

(玉袋筋太郎)たけし軍団だな、こりゃあ。

(吉田豪)で、当時は本当にお人好しで人を恨むことも知らなくて。いまは本当に何かあるとすぐに「弁護士を通して」って言うけど、当時はそういうのもなかったし。「みんな、なんで弁護士なんか立てるの?」っていうね。「訴えたら大変なことになっちゃうと思ったんで、『だったら私が我慢すればいい』と思って」っていう。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)「ただ、女子プロも本当に『弁護士を通して』の世界だった。毎日が一千万円興行でダンボールにお金を入れてあふれたら足で踏んで。そんなの、絶対にバチが当たると思っていた。選手が血を流して、私なんかしょっちゅう骨も折っていたのにお金をお金と思わないで好き勝手に使っていたから、結局は最後のダメになっちゃって」。

(玉袋筋太郎)バチが当たった(笑)。

(吉田豪)「どれだけ稼いでも焼肉とか寿司をおごるだけでごまかされて。でもそれで美味しいものを食べて『ありがとう!』ってなっちゃっていた」というね。

(玉袋筋太郎)まあ、当時はそういう恨むっていうこともなかったんだろうね。「そういう世界なんだろう」と。

みんなひどい目にあっている

(吉田豪)この『吉田豪の”最狂”全女伝説』っていうこの本を作って本当に思ったのが、みんなそうなんですよ。みんな本当にひどい目にあっているんですよ。でも、誰も恨んでいないんですよ。

(玉袋筋太郎)かっこいいんだよ。そうだよね。みんな、そうだよね。

(安東弘樹)だからざっくり言うと、全員が騙されているのに恨んでいないということですね。

(吉田豪)ひどい目にあった話を散々しながらも、「でも、楽しかった」っていう話をしていて。

(玉袋筋太郎)それが青春だったんだよね。

(安東弘樹)素晴らしい!

(吉田豪)ただ、「素晴らしい」と言いながらも僕が最終的に結論づけたのは、「これ、洗脳ですよ」っていう話ですよ(笑)。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)みんな洗脳が解けてないだけですよ、これ。

(安東弘樹)考えてみれば、そうですね。「素晴らしい」って自分でいま、言いましたけど。素晴らしくないよね、本当にそれ。

(吉田豪)常識のある人がどんどんやめていって、洗脳された人だけが残っていくシステムで。

(安東弘樹)そういうことになりますね。

(玉袋筋太郎)しかし、このタイガーマスクも驚いた。全女の異常な練習っていうことですよね、これ。

(吉田豪)これが本当に狂っているんですけど。だからミミさん、87連敗っていうのがいま、ウィキペディアとかにも書いてありますけど。これも謎なんですよ。実は僕、調べたら本人は当時「300連敗ぐらいしました」とか言ってたりとか。当時の資料だと実は30戦3勝27敗になっていたりとか。結構バラバラなんですよね。

(玉袋筋太郎)バラバラなのね。

(吉田豪)なんでこんなに連敗したかっていう鍵があるわけじゃないですか。やっぱり、当時の女子プロレスって異常で。まあ、ピストルというかシュートファイト。新人のうちはそれが当たり前。その後も実はベルトがかかるような試合も実はシュートファイトが行われていたという。それを検証する本なんですよ。実はこれ。

(玉袋筋太郎)うんうんうん。

(吉田豪)で、ミミさんもそういう話をサラッとしてくれていてね。だから、タイガーマスクが驚いたっていうのは実はそういう話で。

(玉袋筋太郎)ああ、毎日やっているんだよ。年間300やっていたっていうんだからね。

(吉田豪)試合がね。で、さらには練習も異常なぐらいやっていて。「ひどい目にあわされているのに、誰も恨んでいないのは楽しんだからじゃない?」って言っていてね。「みんな子供だったし、私は経験的にそれを超えたから、いまの私がある。あれほどいろんなひどいことをされて、いまそれ以上ひどいことってまず中東の方に行かない限りはないと思うから」って。

(玉袋筋太郎)すっごいね! 世界観が違うね、やっぱり。

(吉田豪)「『いつでもやめろ! 代わりはいるんだ!』って言われた瞬間、誰も帰らなかったし。練習中、あまりに苦しくて死ぬんじゃないかと思った時も、意識を失いかけていた子もいたけども、『帰れ!』って言われても誰も帰らない」と。そんな時に新日本のタイガーマスク(佐山サトル)さんが……実は当時、対談とかしていて仲がよかったんですよね。で、佐山さんに言われたらしいんですよ。「噂に聞いたら、練習もこれぐらいやって、会場に着いてからもギリギリまで練習をして。ご飯を食べる時間もなくて。それでピストルやるんでしょう? バカなんじゃない、おたくの社長?」って(笑)。

#タイガーマスク#tigermask #tigreenmascarado#初代#1sttiger #ミミ萩原

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(玉袋・安藤)(笑)

(玉袋筋太郎)正論!

(安東弘樹)よくこんなひどくなれたな。

(吉田豪)正論なんですけど、当時佐山サトルに「真剣勝負やるなんてバカじゃない?」って言われていたっていう(笑)。佐山さんが後にそっちに行くわけですから。

(玉袋筋太郎)やるんだからね。そうだよね。

(吉田豪)たぶん佐山さん、まだそういうものが興行として成立するってわかってなかったんじゃないかと思うんですよ。

(玉袋筋太郎)でも、まあそれが興行として観客の前でやっていた全女のレベルっていうのがすごいんだろうな。

(吉田豪)佐山さんはだから高い理念を持ってプロレスをそっちに持っていこうとした人ですけど。全女って何の理念もなくそれをやっていたんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)危なっかしい団体だよな(笑)。

(吉田豪)狂っているっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)それは大変だよね。

(吉田豪)限界まで練習して、ボロボロになっているのにリング上では普通にピストルが行われる。ちなみにその時も、男子プロレスの人に噂が広まっていたらしいんですよ。で、1回新日本の若手の人たちが全女で1日練習っていう企画をやったらしいんですよ。そしたら、あの昭和の新日本の選手たちがついてこれなかったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)ちょっと待てよ! (山本)小鉄イズムが!? 否定かな、こりゃ?

昭和・新日本プロレスの選手が音を上げる練習

(吉田豪)朝練からお昼から全部やって。「これ、毎日やってんの?」って聞かれて、「当たり前です。年間300日」って言ったら、「300日、これやってんの? それで試合も毎日やってんの? バカじゃない、おたくの社長!」って言われたっていう(笑)。それも当たり前だと思っていたという。

(玉袋筋太郎)ねえ。

(安東弘樹)それを乗り越えたんだもんな。

(吉田豪)我々、新日幻想もすごい持っているんですけど。

(玉袋筋太郎)これは全女、すごいな!

(吉田豪)全女、どうかしているっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)おそるべしだよね。そしてこれだよ。その4。押さえ込まれるたびにキス。外国人レスラーの筋ってここがまたいいんだ!

(吉田豪)本当にミミさん、サービス精神のある人で。聞いてもないような話までどんどんしてくれるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)でも、この外国人レスラーの通訳っていうか。やっていたんだよね?

(吉田豪)そうなんですよ。なぜか外国人係というか、そういうことを。帰国子女だったんで、英語ペラペラなんで。外国人レスラーが来日すると接待的なこともやったりしていたらしいんですよ。契約書にディスコにも行く権利とかが書いてあるらしくて。それに連れていく係。六本木に行って……とかをやっていたんですよね。ただ、昔のミミさんの本を読んだら、たぶんゴーストライターが暴走をしていると思ったんですよ。外人レスラーに対して、ものすごいボロクソに書いていたんですよ。「あいつら、何もできないくせに」とか。と、思ったら、本当にミミさんがそういう感じの人で。外国人レスラー、当時は相当来日していたんですけど、「とにかくみんなめっちゃヘタクソだ。体だけデカくて重くて。力がガッて入っている人は持ち上げやすいんだけど、本当に巨大なタコを持ち上げるような感じでダラーンとしていて。まるで死人を持ち上げるような感じで、ひどい」と。

(玉袋筋太郎)この表現、すげーわかる。「巨大なタコ。ダラーンとした」って。それは重いよ。

(吉田豪)で、「いまはちゃんとできる人が多くていいなと思うけど、当時は本当に受け身ぐらいしかできない人が来て。『技がある』っていうから『なに?』って聞いたら、ただ髪を引っ張るだけだったり。そんなのが送られてきて、私が通訳だったから大変で。ディスコに連れて行ったら三禁さから飲めないのに彼女たちは酔っ払って大暴れして出入り禁止になったり。そういうのをまた止めたりしなきゃいけなくて」と。

(玉袋筋太郎)大変だ。激務だな、おい。

(吉田豪)さらには、新人の時、覆面をかぶっていた時があるんですね。

(安東弘樹)ミミさんが?

(吉田豪)ミミじゃなくて、全然知らない謎の覆面レスラーで、外人の助け役として、ヒールとしてセコンドについてたらしいんですよ。「いまの私だったら、じゃあその分のお金もちょうだいって言うんだけど……」っていうね。要するに、その選手として外人選手がまだ未熟だから、ミミさんがサポートしなきゃいけなかったらしいんですよ。わかんないように、自分の試合が終わった後に覆面をして、英語でいろいろとアピールして。で、「外人レスラーがプロレスできないから、しょうがないから私がリングに上がってマキ上田ちゃんを投げ飛ばしたりとか。見せ場を作らなきゃいけなかったから、イスを持ってきてどうにかヒールの真似をしようと思って。お客さんのイスを振り回したり、マキちゃんをバンバンやったり……」っていう。「そんだけがんばっているのに、しかも外人レスラーはレズビアンが多いんです」っていう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)「練習の時、私が技を教えてやると、フォールされるたびにキスをされる。それだけでも困るのに、オリンピックに行こうとしていたアマレスの選手がレズビアンだったりとかして。そういう人がピストルでギュッと押さえつけられちゃって。アマレスは徹底してどこを押さえ込めば肩が上がらないか? そればっかり毎日やっているから。全女は基本的に押さえ込みの技術は柔道だから、柔道ならまだ何とかなるだけど、アマレスは本当にどうしようもない。どうしても肩が上がらない」と。で、どうしても肩が上がらない時に唇を奪われるらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)唇か! しかも唇ですよ。

(吉田豪)大変だったっていう。しかも、「こういう人とピストルをやったら、毎日この人が勝っちゃうじゃん」っていうことで、社長に「この人、ピストル駄目だよ」って言ったらしいんですよ。「技もやらないでいきなり押さえ込むからプロレスにならない。その人もすぐに帰されちゃったんだけど、でもだからジャッキー(佐藤)さんとかいろんな人がプロレスを教えても『ミミがいい』って言われて。『お願い。私はやめて』って言っても、『お前がいいって言われてるじゃないか』っていうことで押し付けられて、押さえ込まれるたびにキスをされていた」っていう。

(玉袋筋太郎)最高だな!

(吉田豪)さらには、相当ミミさんのことを好きだったんで、「アイ・ラブ・ユー、ミミ。アイ・ラブ・ユー、ミミ」ばかりになっちゃって、目がハートになって。「今回の試合、ここがいけなかったんだよ」って真剣に話しても、「ウフン、ウフン♪」っていう感じになって。試合でもわからないようにペロペロされたりとか。大概、タッグでフォールするたびにチュッチュチュッチュされて。その人にフォールだけは取られまいと思って、乗られる前に立ち上がっちゃったりして。そうすると、「試合にならない」って相手が怒るんだけど、「あなただって試合にならない!」って。

(安東弘樹)「お前がそうしているんだろう」っていう。

(吉田豪)で、社長に文句を言ったらしいんですよ。「この人、いつもキスするんです。教える時はまだ百歩譲って我慢しますけど、試合中は我慢できません。嫌です!」って言ったら社長が「面白いじゃん」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)出た!(笑)。

(吉田豪)「なにが面白いんですか?」って言ったら、「お前が逃げ惑っている格好が面白い」っていう。「いや、絶対よくないです。逃げているだけですから。プロレスじゃないです!」「いいんだよ、お客さんが喜ぶから」っていうね(笑)。全女イズムです、これ。

(玉袋筋太郎)ねえ。まあ、そういったエピソードもいまは笑って話せるっていうことだね。うん。そうだよ。で、いまなら弁護士だね。給料1万円の筋だよ。

(安東弘樹)1日1万円。

(吉田豪)そうですね。87連敗をしたミミさんが81年2月に横浜文化体育館でジャガー横田さんがジャッキー佐藤さんに勝って、ミミさんが池下ユミさんに勝ってチャンピオンになったことがあるんですけど。それで世代交代して。これもやっぱり全女おそるべしで。これも要するに、ピストルで世代交代しているわけですよ。

(玉袋筋太郎)ピストルなんだ、これも。

(吉田豪)そうなんですよ。で、聞いたら「だって数ヶ月後に全員辞めちゃったもんね。みんなプライドが高くて、みんな不服だったんで。私の時はレフェリーが反対側にいて、わかんなかったみたいで。たぶん肩が上がっていたんだと思う。私も勝った瞬間に『えっ、なんで? いま肩上がってなかった?』って思ったけど、レフェリーは絶対で。だから今度はしっかり納得できるように『リターンマッチをお願いします』って言ったら、『誰がするか! レフェリーと話がついていたんだろう? レフェリーはお前のことを気に入ってたんだろう?』とか言われて。彼女は辞めていっちゃった」という。

(玉袋筋太郎)なるほどね。

(吉田豪)で、「その時が給料が1日1万円。一千万円興行で1万円ですよ。しかも保険に入れない。当たり前のようにケガするから」っていうね。でマックスで年収が一千万円ぐらいだったって言っているんですよね。あれだけスターで歌も出して、地上波で中継もやって。

(安東弘樹)ミミさん自身が。

(吉田豪)で、当時デパートの上で歌ったりサイン会したりで時間を取られて。自分の試合ギリギリまであっちに行ったりこっちに行ったり。レコード屋さんに行ったり。会場に行ったら玄関でライオネス飛鳥が待っていて。「今日は私、誰と?」って聞くと、「ミミさん疲れているだろうから、最後の6人タッグです。でも、その前に歌があるから早く着替えてください」って言われて、化粧してドレス着て歌って。その後にサイン会をやって。「水着に着替えてください」って言われて……みたいな。そんなことをやっていたからどんどん筋肉が落ちちゃって。で、ミミさんが歌を嫌がっていたっていう話があって、歌が好きな人なのになんでだろう?って思っていたら、要するにこういうことだった。練習も全然できない。

(安東弘樹)できないですね。

(玉袋筋太郎)たしかにな。いやー、すごいよ。

(吉田豪)フジテレビは、前もちょっとこの番組で言ったと思いますけども、誰かが歌わなければいけない契約だったんですよね。

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(安東弘樹)それありきなんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。そこから始まっているんでっていう。ところがミミさんは「私は何も契約した覚えがない。印税も一切入っていないし。弁護士を雇えばよかった」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そっからなんだね。弁護士。

(安東弘樹)印税一切なしですか?

(吉田豪)一切。グッズのお金も全然入っていない。

(安東弘樹)全くなし? すげー話だな!

(吉田豪)「でも、楽しかった」っていう(笑)。

(安東弘樹)「でも、楽しかった」……洗脳かな(笑)。

(玉袋筋太郎)まだ解けてねえな(笑)。さあ、そしてジャガー横田との友情。ミミ萩原のプロレス観の筋。

(吉田豪)そうなんですよね。ジャガーさんと同期ですごい仲がよくて。「ジャガーさんはいつも私のことをかばってくれていた。いちばん信用もしてくれて」って。芸能界上がりだからってことで上の人のすごいいじめられていたらしいんですよ。変な噂をいっぱい立てられたりとかしてって。たとえば、弱いからこそとすごい練習をしていた人なんで。1人で練習をしていると松永ファミリーの奥さんがだいたい元レスラーなんで、それを見ていて「ミミちゃん、この技はこうやった方がいいんじゃない?」とかアドバイスをしてくれて。ロープからのニードロップとか技も教えてくれて。みんなが知らない時に1人で黙々と練習をして、それを毎日見ていてかわいそうに思って助言してくれたのに、「奥さんたちを丸めこんだ。芸能界出身だからそういうの、上手いんだね」って言われて。そのいじめが始まって。それをジャガーさんが守ってくれたという。

(玉袋筋太郎)いいねえ!

(安東弘樹)すげーな。そう取られるんだね。

(吉田豪)ジャガーさんとは毎日競争して腕立て伏せとかして。ミミさんが1回でも多くやると、ジャガーさんが寝ているのにまた起きて2回やったりとか。「また私がやって『おやすみ』って言うと、『なに、あんたまたやってんだよ!』って言ってジャガーさんがやる」みたいな感じで。

(玉袋筋太郎)いいねえ!

(吉田豪)「だから、2人がチャンピオンになれたんですよ。ハングリー精神が似ている」という。で、僕、いろんな選手に取材したらミミさんは「私はいじめをやらないようにしようと思った」って言っている記事があって、たしかにそういう証言があるんですね。「ミミさんはとにかくいじめも何もしなくて、すごくいい先輩だった」っていう。って言ったら、「本当にそうなんですよ。いじめがあると私は許さない。自分がやられたから、そういうのは全くしないようにしたんだけど、私が辞めた後でまたいじめが始まった。クラッシュギャルズから始まって、リングで何かあるとすぐにひっぱたいたりする。ああいうの、大嫌い! なんでひっぱたいてから物が始まらなきゃいけないんだ? 本当にやるんだったら1回でバーンと出したらどうだって。レスリングなんだし」っていうね。

(玉袋筋太郎)かっけー!

(吉田豪)かっこいいんですよ。「それと、自分たちで過去の栄光を忘れられないのか、たまに少しのお客様だけを入れて試合をやっちゃうのはちょっと……あの時に引退したらそのままでいいのに、なんでみんなリングに戻るの? 栄光なんて過去のものは取り戻せないんだから、違うビジネスで成功しないとダメですよ。狭い世界で趣味でやっているのかな? お金かかる趣味だな」っていうね。

(玉袋筋太郎)うわーっ! 教祖様! ミミ様!

(安東弘樹)あ、入った人がいる(笑)。

(玉袋筋太郎)入った、俺! 入信だ、こりゃ。

(吉田豪)いや、いまだにいろんなビジネスをやって。超前向きなんですよ。ビットコイン絡みのビジネスとか、いろんなことをやっているんですよ。

(玉袋筋太郎)ビットコインもやってんだよね! これ、ねえ。

(安東弘樹)幅広いですね。視野が広いですね。本当に。

(吉田豪)そうです、そうです。

(玉袋筋太郎)そして、松永ファミリーをどう思っているか? だよな。

ミミ萩原と松永ファミリー

(吉田豪)そうなんですよ。だってこれだけ弁護士にね……「いまだったら訴える」とか言っている人が、弁護士案件になりそうなことばっかりをやってきたファミリーなわけですよ。

(玉袋筋太郎)そうでしょう?

(吉田豪)「どう思っているんですか?」って聞いたら、「面白い方たちでしたね。人間的には本当にとってもいい方たち。スポーツも一生懸命やって、ヤクザも震え上がるぐらいだし。お料理も上手だし、家族思いだし。ただ、もっと選手のことを思ってくれたらよかった。そしたらあんなにはならなかっただろうな。私は社長もコーチも好きでしたし、兄弟みんな大好きでしたよ。とってもユニーク」っていうね。

(玉袋筋太郎)おおーっ。

(吉田豪)ポジティブ(笑)。

(安東弘樹)ポジティブですね!

(玉袋筋太郎)ねえ。これはすごいよな。

(吉田豪)で、ビューティー・ペアが要は敗者引退マッチをやって。マキさんが引退して。で、ジャッキーさんまでいなくなって。で、「うちらで色を変えたい」って言ったら「なにか歌えるか?」って言われて。「外国の曲、これだったら歌えるかな」って、自分が見繕ったちょっとかっこいい服で歌って。自分で振り付けをやったらお客さんが大喜びして。それで毎日歌うようになって、フジテレビの人が見て「これいいね」っていうことで、レコードを出すことになった。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)ビューティー・ペアとクラッシュギャルズの合間を支えたのは明らかにミミさんで。

(玉袋筋太郎)そう! ミミさんだよね。本当なんだよ。そこは、がんばっていたもんね。

(吉田豪)体の張り方がすごくて。本当にその時に水着はずっと白だったんだけど、夏だと野外の時に土砂降りでもやっていたから、白い水着が泥だらけになっちゃって。洗っても洗っても落ちない。そんな時にデパートに見に行ったら革のビキニがあって。防水だったんで「社長、私ビキニ着る」って言って。そしたら社長が喜んで「胸出してもいいから! ポロッとなってもいいから心配するな!」って言われて。

(玉袋筋太郎)昭和だなあ。水泳大会だな、おい。

(吉田豪)で、試合に出てガウンを取った瞬間、みんな大歓声で。いや、すごいのを着てましたからね。当時ね。横から見たらもう全裸みたいな。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

(吉田豪)で、だから「お前、そういうのいっぱい買え!」って言われて。何回も何回もそれで受け身を取っているうちに横の鎖がパチーン!って取れてお尻が出ちゃって、ギャー! みたいな。

(玉袋筋太郎)いや、だから世話になったんだよ、俺は。俺ら世代は。

(吉田豪)当時もうね、ミミさんを触るために会場に行く人が山ほどいたみたいで。

(玉袋筋太郎)ひどいよね、あの話もね。

(安東弘樹)ああ、「触る」って通路とかでガーッと触る。

(吉田豪)痴漢が山ほどいた時代なんですよ。

(玉袋筋太郎)だけどあれだよね。ミミさんがジャッキー佐藤VS神取忍のあの試合を見てちょっと嫌な思いをしたとかさ。ああいうのもよかったね。

(吉田豪)この本は結構そのジャッキー・神取戦とか女子プロ界で明らかに一歩踏み越えちゃった試合をいろいろ検証しているんですけど、それの裏話もいろんな人が話していて面白いですね。

(玉袋筋太郎)ねえ。どれが真実なんだろうな。

(吉田豪)ナンシー久美さんという方がいるんですけど。そのジャッキー・神取戦の時に実は会場に行っていて。「私、ジャッキーにおでんを差し入れたんですよ」って言っていて。そんなピリピリする、その日は確実に何かが起きると言われている試合の控室におでんを差し入れて。で、「ちゃんと容器は洗って返してね!」って言って。そしたら、あんな試合になっちゃって。「どうしよう?」と思いながらも、「容器を返して」って言いに行ったっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)なんだよ、それ!(笑)。

(安東弘樹)行ったんですね(笑)。

(吉田豪)行ったんです(笑)。

(玉袋筋太郎)で、ミミさんはいま何をやっているのか?っていうと、新しいハワイのリゾートを開発したりとか。

(吉田豪)いろんなことをやったりしながら、でもやっぱり広島のレストランやっているのが、本当に美味しいんですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、そうなんだ。

(吉田豪)おすすめです。超美味しかった。

(玉袋筋太郎)行ってみよう。映画『カリフォルニア・ドールズ』の話もね、したかったけど。まあしょうがない。これは本を読んでいただきましょう。

(吉田豪)いい話ですよ。

(玉袋筋太郎)最高ですよ!

(安東弘樹)6月30日発売、『吉田豪の”最狂”全女伝説』にミミ萩原さんのインタビューが掲載されています。ぜひ手にとってくださいね。月刊BUBKAでの人気連載が単行本にまとまっています。長与千種さん、ダンプ松本さん、ブル中野さんなどの証言を収録。白夜書房から税込み1700円で発売中。全国書店ほか、ネット書店でもお買い求めいただけます。

(玉袋筋太郎)グリズリー岩本は載ってねえのか?

(吉田豪)実は取材対象ではあったんですけど、ちょっといま取材できないみたいな。

(玉袋筋太郎)そうなんだね。いや、でもそれでも十分すぎるよ!

(吉田豪)全女がいかに狂った団体だったのか。プロレス、すげえ!って思う本ですよ。本当に。

(玉袋筋太郎)すごいんだよね。プロレス、そう。もうリスペクトだから。俺。

(安東弘樹)読み始めたら止まりません。さあ、吉田豪さん、次回の登場は8月4日です。ありがとうございました!

(吉田豪)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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