町山智浩 渡瀬恒彦とチャック・ベリーを追悼する

町山智浩 渡瀬恒彦とチャック・ベリーを追悼する たまむすび

町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で亡くなった俳優の渡瀬恒彦さんとロックの創始者・チャック・ベリーさんを追悼。代表的な作品やその功績などを紹介していました。

(赤江珠緒)さあ、町山さん。今日は?

(町山智浩)今日はですね、いろんなところで追悼番組が始まっていると思うんですけども。非常に僕が大好きな2人の方が亡くなられて。渡瀬恒彦さんとチャック・ベリーさんですけども。で、渡瀬さんに関してはテレビでね、すごくいろんなドラマに出られていたのでみなさん、ご存知だと思うんですよ。あと、コマーシャルとかね。でも僕、1962年生まれなんですけど、僕ぐらいの……1960年生まれの50代の人にとっての渡瀬さんっていうのはみなさんが知っている渡瀬さんとは違うんです。

(赤江珠緒)ほう。なんかちょっとおだやかな、ダンディーな、素敵なっていうイメージですけど。

(町山智浩)優しいね。そしてお風呂に入って、コマーシャルで。裸の王様とか。非常に包容力のある、あたたかい人と。

(赤江珠緒)タクシードライバーで謎を解くとかね。

(町山智浩)そうなんですよ。それはね、1970年代の終りぐらいに松竹映画に出るようになってから、そっち方向に行っていったんですね。ところが、それまでは全く違っていて。特に僕が中学・高校・大学ぐらいの頃に名画座でいろんな映画を三本立てとかで見ていた時は、渡瀬さんのカーチェイス映画三本立てとか(笑)。渡瀬さんの鉄砲玉映画三本立てとか、そういう三本立てだったんですよ。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)で、僕らの世代にとっては渡瀬さんっていうのはまず、鉄砲玉なんですよ。イメージは。

(赤江珠緒)鉄砲玉?

鉄砲玉のイメージ

(町山智浩)鉄砲玉っていうのは、ヤクザの組織の中でいちばん下っ端のものが敵の幹部とかを暗殺することで刑務所に入って出世するという人たちを「鉄砲玉」って言うんですね。で、暗殺者ですよ。その役が多かったんですよ。渡瀬さん。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)で、『仁義なき戦い』の中でも鉄砲玉の役をやって、それがすごく……最後の『代理戦争』っていう映画で彼が鉄砲玉で。泣かせる。お母さんがいてっていう話。

(赤江珠緒)そうだ! うんうん。

(町山智浩)お母さんが泣いて。すごく重要な話で、あれは戦争における特攻隊のイメージで描かれていましたけども。ああいう役だったんですよ。

(赤江珠緒)はー!

(町山智浩)で、あまりにもそういう映画ばっかり出ていて。中では、『鉄砲玉の美学』っていうそのもののタイトルの映画もやっているんですよ。鉄砲玉そのものの役で。1973年に作られた映画なんですけども、この映画は彼がとにかく貧乏で貧乏でどうしようもないヤクザの若い組員で。で、あまりにも貧乏で彼女もいないもんで、公衆トイレのエッチな落書きを見てオナニーするという、そんぐらいどん底のチンピラの役をやっていたんですけど。ものすごい社会に対する怒りが込められた映画で。これ、主題曲をちょっと聞いてほしいんですけど。『ふざけるんじゃねえよ』。頭脳警察。お願いします。

頭脳警察『ふざけるんじゃねえよ』

(山里亮太)これが主題歌?

(町山智浩)これ、主題歌です。これで、この音楽をバックに渡瀬さんが鉄砲玉をやって暗殺をして、そこでまた一発食らってですね。で、ゴミ溜めの中を走りながら抜けていくところでこの音楽がかかるんですよ。「ふざけるんじゃねえよ」って。「てめえ、吠え面かかせてやる!」っていう歌をかけながら走っていくという。もう、すごいでしょう? これ、すごいのはこの頃、どう聞いてもパンクロックなんですけど、この歌が出たのはパンクっていうジャンルがなかった頃なんですよ。これ、頭脳警察という日本のロックバンド。PANTAさんがやっていたグループの曲なんですけども。このものすごい社会に対する憎しみの歌に合わせて、渡瀬さんがもう弾丸を食らって走っていくというですね、すっごいどパンク映画なんですよ。この『鉄砲玉の美学』っていうのは。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)で、そういう人だったんですよ。僕らにとっての渡瀬恒彦さんは(笑)。

(赤江珠緒)渡瀬恒彦さん。へー!

(山里亮太)そんな町山さんからしたらね、お風呂に王様の格好して入っている姿なんか、想像もつかないでしょうね。

(町山智浩)そうなんですよ。「ふざけるんじゃねえよ!」ってお風呂をひっくり返しそうでね(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(町山智浩)子供、びっくりしちゃうんですけどね。そういう人として見ていて。人情派になったのはその後なんですよ。で、渡瀬さんのイメージとしてまず、鉄砲玉というイメージで。もうひとつは、暴走野獣。どういうことか?っていうと、いろんなカーチェイス映画がその時……1976年に東映が連続して3本か4本、続けてカーチェイス映画を作ったんですよ。それは、カーチェイスブームっていうのがあったんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)知らないですよね?

(赤江珠緒)全然知らないです。

カーチェイスの渡瀬恒彦

(町山智浩)あのね、カーチェイスとかカーアクションっていうのは実は、1968年以前には存在しなかったんです。1968年ぐらいにスティーブ・マックイーンっていう車が大好きな俳優がアメリカで『ブリット』っていう映画を作って。そこからカーチェイスがアメリカ映画で大ブームになるんですね。で、いろんな車が走って、ぶつかって、ガンガンガンガン!っていうのがあって。それがすごくお客さんが集まったんで、日本でも作ろうっていうことになって、東映で作ることになったんですけど、ひとつの問題は、車を運転している人がスタントマンで、俳優が別のシーンで演じているとつながらないでしょう?

(赤江珠緒)うんうんうん。

(町山智浩)ドラマでは運転しているところでしゃべりながらクラッシュさせたりとかって、結局特撮を使ったりしなきゃならないじゃないですか。いま、ハリウッドはCGでやっていますけども、その頃にはCGっていうものはないですから。じゃあ、どうするか? 実際に暴走させて車をぶつけられることができる俳優さんを主演にするしかないんです。

(赤江珠緒)(笑)

(山里亮太)はー! そうか。そうですよね。

(赤江珠緒)まあ、物理的に言うとそういうことになりますけど(笑)。

(町山智浩)物理的にはそういうことです。それで、その頃のカーチェイス映画は全部渡瀬恒彦さんが出ているんですよ(笑)。

(赤江・山里)へー!

(町山智浩)だからそれを三本立てでやっている状態だったんです。

(赤江珠緒)スタントなし?

(町山智浩)スタントなし。本人がセリフをしゃべりながら運転して、車をガンガンぶつけているんですよ。

(赤江珠緒)ええっ?

(山里亮太)大きな事故とか、大丈夫? なかったんですか

(町山智浩)ありました(笑)。大ケガをして、重傷を負ってしまって。『北陸代理戦争』っていう映画で。入院をされるんですけども。それまでもう何本も連続で……たとえば、『仁義なき戦い』の最初の方でも彼、車をクラッシュさせていますし。その後、『新仁義なき戦い 組長の首』でもカーチェイスをやっていて。『狂った野獣』ではバスを運転してクラッシュさせて。『暴走パニック大激突』はもう、後半のカーチェイスを全部自分でやっていますね。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)すごいんですよ。あと、『実録外伝 大阪電撃作戦』っていう映画の中では車にしがみついたまま、そのまま暴走させて……だから、振り落とされたら死んじゃうわけですよ。

(赤江珠緒)ああっ! ええっ?

(町山智浩)すごいです。それを全部自分でやってるんですよ。で、すごいのは渡瀬恒彦さんっていうのは早稲田の法学部出身で。中退されているのかな? で、電通のエリートサラリーマンで。なんでこんなことをしなきゃいけないのか?っていうね。ただ、空手二段だったんで。いろんな伝説があるんですね。渡瀬さんの伝説はそれこそ、チャック・ノリスと同じぐらい……ヤクザの組を1人で殴り込んで全部シメたとか。

(赤江珠緒)(笑)。そういうね、前に春日(太一)さんと来られた時も、実はいちばん強かったのは渡瀬さんだって。

(町山智浩)ダウンタウンのハマちゃんもなんかの番組で「芸能界で渡瀬さんより強い人がいるっていう話は聞いたことがない」って話をしていて。で、プロのキックボクサーである安岡力也さんより強かったとかね、いう話なんですけども。でも、それがたとえ嘘だとしても、このカーチェイスを本当にやっているというのは本当なので。どう見ても。で、『狂った野獣』っていう映画はバスジャックの話なんですよ。渡瀬さんが宝石強盗でバスジャックをするんですけども。そこでいちばんすごいのは、走るバスにオートバイで並走しながら、オートバイの後ろの座席からバスの窓に飛び込むっていうシーンがあって。本人がやっていますからね。

(赤江珠緒)うーわ!

(町山智浩)「死ぬぞ!」っていうね。

(山里亮太)肝の座り方が半端ないんだよ。やっぱり。

(町山智浩)すごいんですよ。『狂った野獣』っていうタイトルが渡瀬さんのことなんだもん(笑)。

(赤江珠緒)はー!

(町山智浩)早稲田の法学部でこんなことをやっている人は、たぶんいないでしょう?

(山里亮太)いないですよね(笑)。

(町山智浩)本当にね(笑)。

(赤江珠緒)しかも、演技しながらでしょう?

(町山智浩)そうなんですよ。で、すごかったんですよ。これね、渡瀬さんがそういうことをやっていて撮影中に事故を起こしてしまったんですけども。ところがその後、1980年にテレビシリーズで『大激闘マッドポリス’80』っていうドラマが放送されたんですけど、これがすごくて。これは、『西部警察』っていうブームがあったんですよ。ご存知ですか?

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)要するに渡哲也さん。渡瀬さんのお兄さんがものすごいカーチェイスして日本中を火の海にしていた時代がありますね。警察アクションで。で、それが最初日テレで放送されていたんですよ。日本テレビで。で、それがテレビ朝日の方に持っていかれちゃったんですね。で、日テレはその枠を埋めるために何をしたか?っていうと、弟の渡瀬さんを主演にして『大激闘』っていうシリーズを始めて。「あっちが『西部警察』ならこっちは『マッドポリス』だ!」と言って。で、日本のヤクザがジャパンマフィアとなって日本政府と結託して日本を完全な犯罪国にしちゃって。それと対抗するため、はっきり言ってヤクザのような警察官を組織して。7人の部隊を。それをぶつけるという話なんですけども、これ、どう考えても『ワイルド7』でね。

(赤江珠緒)あ、『ワイルド7』だ!

(町山智浩)『ワイルド7』なんです。それで、この警察官たちっていうのは志賀勝さんとかですね、梅宮辰夫さん、片桐竜次さんってこれ、ヤクザな人たちなんですよ(笑)。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)その中でもっとも暴走していたのが渡瀬さんなんですよ。で、これが火曜日の夜9時に放送していたんです。で、毎週毎週もう、大暴走……渡瀬さんの仕事っていうのは狙撃手で、毎回犯人を射殺なんですよ(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(町山智浩)で、車も毎回爆発していて。それを毎週火曜日の夜9時に放送して。毎週日曜日の夜には『西部警察』の方でお兄さんの渡さんがいろんなところで車を爆発させて。週に2回、渡・渡瀬兄弟が全国で車を爆発させて人を殺しまくっていたというすごい時代が1980年で。俺は日本はこのまま終わるんじゃないか?って思ったんですけどね(笑)。

(赤江・山里)(笑)

(山里亮太)あの兄弟によって(笑)。

(町山智浩)だって、日本中でやっているんですから。すごい時代ですよ。で、渡瀬さんってすごいのは、『狂った野獣』でパトカーを20台ぐらい轢き潰しているんですけど。バスでね。で、『暴走パニック大激突』でも20台ぐらいパトカーを潰しているんですよ。


で、その後にね、『化石の荒野』っていう映画に出ていて。それは彼は運転していなくて、郷鍈治さんっていう俳優さんが隣に座ってパトカーに追われるシーンがあって。で、郷鍈治さんが「パトカー、どうしますか?」って言うと渡瀬さんが「面白くパトカーをやっつけるところ、見せてもらおうじゃねえか」って言うんですよ。そうすると郷鍈治さん、やっぱりパトカーを20台ぐらいぶっ壊すんですよ(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(町山智浩)これ、渡瀬さんに「パトカーをどうするか、見せてもらおうじゃねえか」って言われると、それはぶっ潰すしかないじゃないですか(笑)。すごいですよ、それ(笑)。それまでに50台ぐらい潰している人に、「パトカーをどうするか、見せてもらおうじゃねえか」って言われたら、やるしかないじゃないですか、それ(笑)。

(赤江珠緒)すごい時代ですねー!

(町山智浩)渡瀬さん、そういうのを含めると、『マッドポリス』も含めると、おそらく1人でパトカーを100台は潰している人ですね。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)こんな早稲田大学法学部の人はいないと思うんですよ。先輩として。

(赤江珠緒)へー!

(山里亮太)すごいですね(笑)。

(町山智浩)すごいんですよ。『ブルース・ブラザーズ』っていう映画がその当時公開されたんですけど。パトカーを100台ぐらい壊すんですけど、「日本にも渡・渡瀬兄弟いるぞ!」って思いましたよ(笑)。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)『ブルース・ブラザーズ』よりもすごいなと思ったり。もうとんでもない時代で、いまはカーアクションは全然できない時代なんですけど。本当にね、昔はなんでもやり放題だったっていうか、やりすぎたんだと思いますけどね(笑)。で、また曲がすごいんですよ。渡瀬さんの映画がすごいのは、この『狂った野獣』の主題歌を聞いてほしいんですけど。『小便だらけの湖』っていう三上寛さんの曲です。お願いします。

(町山智浩)これが最後にかかるんです。ものすごいカーチェイスの後に。すごいんですよ。一貫しているんですよ。さっきの『ふざけるんじゃねえよ』と。「なんでもいいからぶち壊せ!」って実際に画面の中でパトカーを20台ぐらいぶち壊しているんで(笑)。しかも、この頃の渡瀬さんの映画って『狂った野獣』も『暴走パニック大激突』も主人公は強盗なんですね。で、「強盗はよくない」とかそんな話になっていなくて、ラストも「このままどんどん行け!」って話なんですよ。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)「もう、やるとこまでやっちまえ!」っていう……「レリゴー」なんですよ(笑)。

(赤江珠緒)ほー! 「レリゴー」。

(町山智浩)全然反省がない映画で。すっごいんでね。こういうものを中学・高校の頃に見たんで、ろくでもない人間になってしまったんですけども。

(赤江珠緒)影響力が大きいですね。

(町山智浩)ちょっと時間がないので、チャック・ベリーさんの話をしたいんですね。チャック・ベリーさんはロックンロールを作ったと言われる人なんですけども。この人がまた、とんでもない不良だったんですよ。

(赤江珠緒)へー。

(町山智浩)ロック界でいちばん不良のバンドっていうのはローリング・ストーンズって言われているんですね。で、そん中でいちばん悪いやつっていうのはキース・リチャーズっていうギタリストだと言われているんですけど、そのキース・リチャーズをぶん殴っているのがチャック・ベリーさんです。

(赤江珠緒)(笑)

(山里亮太)ぶん殴ってる?

(町山智浩)ぶん殴っちゃうんですよ(笑)。ただ、キース・リチャーズはすごくチャック・ベリーを尊敬しているから、何も手が出せないんですよ。で、不良の中の不良で。この人、だから中学か高校ぐらいの時に拾った拳銃で車を盗んで、カリフォルニアを目指して、それで捕まって少年院に3年か4年入っているんですよ。チャック・ベリーさんは。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)「盗んだ車で走り出す」っていう。これがロックっていうね。俺、昼間のラジオでこんなこと言っていいのか?って思いますけども(笑)。で、チャック・ベリーのすごいところっていうのは、この人は……ちょっと『Maybellene』っていう曲をかけていただけますか?

(町山智浩)これが最初のロックンロールと言われて。1955年に出した『Maybellene』っていう曲なんですけども。ロックの始まりっていうのは、いろんな人が「ロックを発明したのは私だ」って言っているんですけど、チャック・ベリーが始めていちばんすごかったのは、まずギターをメインにするっていうことなんですよ。で、それまでロックっていうのはいろんな楽器がメインで、「ギター=ロック」ってなったのはこの人からなんです。ギターを聞かせるっていうことで。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)で、もうひとつは「不良の音楽」っていうことなんです。プレスリーとかがロックの人だと言われてますけども、あの人は不良的な歌を歌っていないんですよ。実際。真面目な人でしたから。教会でコーラスをやっていた人ですから。

(赤江珠緒)ああ、全然違う。

(町山智浩)でもチャック・ベリーはギターと女の子とダンスと車でぶっ飛ばせ!っていうことを歌詞にして。そういうこと……いま、ロックの歌詞ってそういうものですけども。あと、不良だから反抗するとか。そうしたことが歌われるようになったのは、チャック・ベリーから。だからロックを不良の音楽にしたのはチャック・ベリーなんです。だから、パンクロックっていう非常に過激なロックバンドはかならずチャック・ベリーのコピーから始まるようなものがあって。ラモーンズもそうだし、セックス・ピストルズもそうだし、日本だとBOOWY。みんなチャック・ベリーから始まっているんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)グリーン・デイとかね。で、やっぱりいちばん日本でチャック・ベリーから影響を受けた人は、矢沢永吉さんのグループですね。キャロルっていうのはチャック・ベリーの歌なんですよ。

(赤江珠緒)ああ、キャロル自体が。

(町山智浩)『Carol』っていう歌があるんですよ。

(赤江珠緒)そうか。あるある。

(町山智浩)で、ジョニー大倉さんがギターを弾いてますけども、ジョニー大倉の「ジョニー」っていうのはチャック・ベリーの『Johnny B. Goode』から取っているんですよ。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)だから本当に全てのロックの神で、しかもどうしようもない不良で。本人も人生の間で何度も警察に捕まったりし続けた人ですけども。この人がこういう風になっちゃったっていうのは、『Maybellene』っていうのが世界初のロックであるにもかかわらず、作曲者のクレジットを白人にとられちゃったんですよ。白人のレコード会社のやつと、ラジオのDJにとられてしまって、ずっと裁判で戦っていたんです。だから白人に騙されたんで。だから、あんまり人を信じなくなったんで、ケンカっ早くなったとも言われているんですね。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)だから、ちょっと『Johnny B. Goode』をお願いできますか?

(町山智浩)『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でかかるんですけど。それをマイケル・J・フォックスが未来から来て、それを弾くことで、チャック・ベリーにそれを電話で聞かせて、チャック・ベリーは実はマイケル・J・フォックスからロックというものを教わったんだっていう展開になっているじゃないですか。

(赤江珠緒)うんうん。そうでしたね。

(町山智浩)あれがすっごく良くないのは、結局ロックの始まりを白人にしちゃっているんですよ。

(赤江珠緒)ああーっ!

(町山智浩)だから、それはチャック・ベリーに関しては、実際に彼は白人にその最初のロックの作曲権をとられちゃったんで。後で取り返しますけども。だから、やっちゃいけないことだったんです。

(赤江珠緒)あっ、そうなんだ。もう何も考えずに見ていましたけど。ああ、そうですか。

(町山智浩)結構、そうなんですよ。だからロックは反抗の音楽っていうのと、あと人種的な問題もあって。ただね、チャック・ベリーがすごいのは90で亡くなったんですけど、すでに新しいアルバムのレコーディングを終えていたらしいです。

(赤江珠緒)ほー! じゃあ、これからまた出る?

(町山智浩)出るらしいんですよ。よく、「ロックをやってたりすると、早く死ぬよ」「デタラメな生き方をしたり、好き勝手に生きてると早く死ぬよ」って……死なねえよ! 史上最年長のロックンローラーで、90までロックしていたんですよ。この人は。「死なねえぞ!」っていうね。「好き勝手なことやってたりしないで地道に生きろ」って、「地道になんか生きなくたって長生きするよ! それがロックだから!」っていうね。

(山里亮太)その代名詞なんだ。

(町山智浩)「なんでもいいからぶち壊せ!」「ふざけるんじゃねえよ!」っていうね。

(赤江珠緒)2人とも、伝説の人ですね。

(町山智浩)別に渡瀬さんはそういう方ではありません。渡瀬さんは役ですから(笑)。そういう人ではありません(笑)。でも、『タクシードライバー』を見ている時、「いつ暴走するんだ?」って思いましたが。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)俺、タクシーに乗った時、渡瀬さんが運転手で「どこまで行きます?」って言われたら、「うわーっ!」って思いますよ。

(赤江・山里)(笑)

(町山智浩)「『どこまで?』って、どこまででも行くんでしょ、あなたは!」って思いますよ(笑)。

(山里亮太)パトカーを潰して(笑)。

(赤江珠緒)今日は先日亡くなった渡瀬恒彦さんとチャック・ベリーについてお話いただきました。来週からは海保さんとこのコーナー、続きます。町山さん、本当にありがとうございました。

(町山智浩)どうもありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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