吉田豪 川本真琴を語る

吉田豪 川本真琴を語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。CDジャーナルでインタビューしたシンガーソングライターの川本真琴さんについて話していました。

(安東弘樹)では、今日豪さんに紹介してもらうのは、やはり今年いろいろあったシンガーソングライターの川本真琴さんです。まずは川本真琴さんのあらすじとその筋をご紹介します。1974年、福井県出身のシンガーソングライター。96年にデビューシングル『愛の才能』がいきなりの大ヒット。その後も『DNA』『1/2』などヒットシングルを連発。ファーストアルバム『川本真琴』は日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞しました。2000年以降はメジャーやインディーにとらわれない自由な活動を展開。神聖かまってちゃんとのコラボレート作品や川本真琴withゴロニャンずの活動でも話題となります。20周年を迎えた今年、セルフカバーアルバム『ふとしたことです』を発表。2016年はいろいろあった川本真琴さんでございます。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によるシンガーソングライター川本真琴さんのその筋は……その1、不思議な20年。デビューの筋。その2、アルバム100万枚売れても孤独。新宿御苑時代の筋。その3、体調不良からレーベルを辞めちゃったの筋。その4、あまり考えてなくてフリーターみたいな感じの筋。その5、地球の役に立ちたい。マイペースな理由の筋。その6、まさかの女優挑戦の筋。その7、あのタイミングの新曲が『ホラーすぎる彼女です』。忙しかった2016年の筋。以上、7本の筋です。

(玉袋筋太郎)なにかこう、フワフワしている人だよね。

(吉田豪)フワフワしてましたね。

フワフワしている印象

(玉袋筋太郎)フワフワしてるんだよね。「大丈夫かな?」って、いつも心配しちゃうみたいな。

(安東弘樹)ああ、たしかにそういうイメージありますね。

(玉袋筋太郎)なんかこう、「おい! そんな高いところで綱渡りしちゃ危ないよ!」っていうような感じがするんだけど。豪ちゃん、やっぱりそういう人なの?

(吉田豪)そのフワフワの謎を解いてきた感じですね。

(玉袋筋太郎)ああ、フワフワの謎をね。そういうことを抱かせるんですよ。彼女は、なんか。

(安東弘樹)相手にね、そう思わせる。

(吉田豪)じゃあ、1から行きますかね。

(玉袋筋太郎)デビューの筋だよね。

(吉田豪)今回、『CDジャーナル』っていう雑誌でこの新譜『ふとしたことです』発売記念でインタビューしてきたんですけどね。『CDジャーナル』、水道橋博士も買ってくれましたよ。ありがとうございます!

(玉袋筋太郎)あ、やっぱ。(水道橋博士のモノマネで)「俺、好きだから。川本真琴。タイプだから」って昔、言っていたから。

(吉田豪)あ、言ってたんですか?

(玉袋筋太郎)言ってたよ。(水道橋博士のモノマネで)「ど真ん中だから……」。

(吉田豪)上手いんですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)(水道橋博士のモノマネで)「好きだから」って言ってたんだよ。そうそう。

(吉田豪)なるほど(笑)。あの、セルフカバーなんですよね。それなので、20周年を振り返ってもらおうという企画で取材してきまして。実は、事前に言われていたのが1個だけあったんですよ。「今回のスキャンダルには触れないでください」という。

(玉袋筋太郎)それ、だって触れないと豪ちゃん、やっぱり仕事にならねえんじゃないの?

(吉田豪)まあ、とは言っても音楽誌ですからね。だから、どうやってさりげなく触れるか? をテーマに……(笑)。

(玉袋筋太郎)裏テーマがそうなんだ(笑)。

(吉田豪)というわけで20周年を振り返って。初期の曲……ソニーに最初は所属していたんですけど、「ソニー時代ってやたらとBPM(曲のスピード)が早くて言葉数がすごい多い。歌詞を大量に詰め込んでいる。あれってもしかしたら精神状態とかが関係している部分もあったんですか?」っていう風に聞いたら、むしろ逆で。「ソニーの頃は企画がしっかりしていて、あまり精神状態は反映されていなかった。最近の方が精神状態は関係してる」っていう。

(玉袋筋太郎)あ、じゃあ最近の方がもう素の自分的な感じなんだね。

(吉田豪)そうですね。最近はもっとゆったりした曲なんですよ。これはだから、精神的に落ち着いてきたからなのかな? とかずっと思っていたら、まあとにかく実は精神的に危うくてもどうであっても曲には反映されないような時代だったというか。

(玉袋筋太郎)逆にそれ、辛いのかな?

(吉田豪)もともとだからレベッカみたいなガールズバンド系の音楽性だったのが、それが方向性がいろいろとメジャーデビューするにあたって……まず、「中性的な女の子」っていうテーマになり、そしてオリジナル曲でデビューするはずだったのが、ディレクターが変わって企画も変わって、他人の曲をやるということになって。「だったら……」っていうことで「岡村靖幸さんの曲がいい」って言って、『愛の才能』でデビューすることになるんですね。

デビューシングルから大ヒット

(玉袋筋太郎)それが当たっちゃったんだもんね。

(吉田豪)で、いきなり当たっちゃって。

(玉袋筋太郎)すごいよ、これ。

(吉田豪)いきなりバカ売れですよ。その時の心境を聞いたら、「作品を客観的に聞いて売れるだろうなと思いましたね。なんとなく」っていう。すごい他人事なんですよ。

(玉袋筋太郎)他人事だね。

(吉田豪)「もっと自分を出したいという気持ちはありましたけど、自分のキャラと違うものが先行して出ちゃっているんで、果たしてそれがみんな好きなのかか? とも思って。もっと自分を出していった方が愛されるアーティストになれる気もしていた。自分を出した方が長続きするだろうなって」っていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(安東弘樹)冷静に、ねえ。

(吉田豪)と言いながらも、あまり出せないままでいて。当時、テレビに出ていたのとかを久しぶりにいろいろ見直していたら、結構ドキドキするんですよ。『HEY!HEY!HEY!』のやり取りとか、なにを聞かれても全部一言で返していて。ダウンタウンの松本さんが「君は返しが早すぎる」ってイライラしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)って言ったら、なにも覚えてなくて。「いや、自分では乗り切れているつもりで、楽しくやれていた」みたいな感じで。でも、結構ハラハラするのが多かったですけどね。

(玉袋筋太郎)ああ、彼女ね。まあ、そういう感じだよね。だからハラハラする。「あぶねえ! カウンター、あぶねえよ!」っていうね。「志村、後ろ!」みたいな。「気をつけろよ!」っていう感じがするよね。

(吉田豪)本人は意外と無意識でやっていたという。で、その2。

(玉袋筋太郎)その2。アルバム100万枚。こりゃーすごいことだよ。

(安東弘樹)しかも、シングルじゃなくてアルバムを100万枚ですもんね。

(玉袋筋太郎)あれよあれよだもんね。

(吉田豪)売れていた時代ですからね。日本レコード大賞ベストアルバム賞も受賞して。税金いくらだろう?っていうね。

(玉袋筋太郎)そうなんだよな。いくら儲けたんだろう? あんまり金儲け主義とかじゃなかったのかね? 彼女っつーのは。

(吉田豪)本人に聞いても、あれなんですよ。「100万枚売れた実感ってどうなんですか?」って聞いたら、「わかんないんですよ。100万っていう数は。当時もいまも」っていうね。で、その頃ちょうど新宿御苑に住んでいたっていうね。

(玉袋筋太郎)御苑!

(吉田豪)まあいまはね、のんか吉田豪か?っていう新宿御苑ですけども。

(玉袋筋太郎)か、竹山か。

辛い新宿御苑時代

(吉田豪)御苑に住んでいて、とにかく孤独だったっていう。「上京してきて、孤独で。うれしさとかリアル感がまったくなかった。すごいことが起きるけど、実際の生活の”辛い”とかの方が先立っていたんで、いまになってみれば賞とかもすごいんだけど当時は毎日暗い気持ち」という。

(玉袋筋太郎)あぶねえなー! そりゃあだって、100万枚売れて辛いなんて……

(安東弘樹)デビューして1曲目で売れてっていう。

(玉袋筋太郎)それで、福井から出てきてだよ。なんか東京でいろんな買い物とか、普通したくなるよね??

(吉田豪)だから、「キャラがかけ離れていっちゃって、自分のことを誰も見てくれない状況。みんなが見ているのは私の作っているものを見ているという感じで辛くて」っていう。

(玉袋筋太郎)うーん。

(安東弘樹)突然すぎると、そういうもんなのかもしれないですね。もしかしたら。

(吉田豪)しかも、上京直後。デビュー半年前までは1日100円で暮らしていたらしいんですけど、でも辛くなかったって言ってるんですよ。

(安東弘樹)そっちの方がね。

(玉袋筋太郎)100円でどうやって暮らしてたんだよ? 駄菓子屋行ってお菓子買って。カレーせんべいとかそういうのを買って……

(吉田豪)麩菓子とかで(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだよね。それがでも、いきなり100万枚なんだもんな。でも、それが虚しかったというか、実感がなかったんだね。

(吉田豪)その結果、その3に結びつくわけですね。

(玉袋筋太郎)体調不良からレーベルを辞めちゃったの筋。悲しいな、おい。

体調不良でレーベルを辞める

(吉田豪)まあ、辛い時期があったんで、途中から開き直って結構無茶なことを言い出したりとか、大人と戦ったりとかして、徐々に違う方向性にしていったんですけど。そのきっかけが体調不良だったんですよ。体調不良になってから、ある程度みんな気を使うようになってくれたっていうことで。時期的にはいつか? というと、『桜』っていう曲を出した後で体調不良になって。1ヶ月ぐらい辛い時期があって家から出られなかったっていうね。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)で、音楽を作るとか絶対に無理。どういう風に生きていたのかわからないぐらいの精神状態で。それを作っている頃は胃薬を飲んでいて、胃潰瘍になってしばらく休んだっていう。

(玉袋筋太郎)ああー。

(安東弘樹)胃薬を飲んで胃潰瘍?

(吉田豪)まあ、胃薬をずっと飲むぐらい胃がヤバくて何かと思ったら胃潰瘍で……っていう。

(玉袋筋太郎)いや、そん時にね、たとえば演技指導の女性とかがいればまた違った人生になったりとかね……

(吉田豪)新宿御苑でね(笑)。

(安東弘樹)それが、いいのか悪いのかはわかりませんが。

(玉袋筋太郎)片隅に、ねえ。

(吉田豪)そうですね。レーベルを辞めちゃうわけですからね。で、独立ですからね。まさに。

(玉袋筋太郎)独立だよね、これね。

(安東弘樹)やめなさい!

(吉田・玉袋)(笑)

(安東弘樹)たまにこちらに来ないとね。僕もね。

(吉田豪)(笑)

(玉袋筋太郎)いや、川本さんの話をしているわけですよ。

(吉田豪)そうですね。で、ちょうどその時期に会社が部署変更とか、一緒にやっていたディレクターとかも辞めることになったんで、「だったら……」っていうことでレーベルを辞めて。「その辛かった時期ってなにを考えていたんですか? 『辞めたい』とか思っていましたか?」って聞いたら、「辛すぎて、もうそういう悩むことすらできない。考えるってまだまともな状態なんだと思います」っていう。

(安東弘樹)ああ、そうか。「無」だ。

(玉袋筋太郎)大変だよね。当時、男性とかいなかったのかな? 支えとか、ペットを飼うとかさ。

(安東弘樹)そこはでも、正直気になりますよね。当時、支えてくれる人が。

(吉田豪)さすがにまだ、当時のそのへんは掘ってないですけどね。

(玉袋筋太郎)まだ、でもその男の影が出てこないんだよね。昔からそうだったよね。出てこなくて。

(安東弘樹)中性的っていうのもあるのかもしれないですけど。

(玉袋筋太郎)それで出てきたのがあの男だっていうところが俺はショックだったんだよ。「うえっ!?」って。

(安東弘樹)だってもう体育会TV弓道部のメンバーですから。同じ部員ですから。

(吉田豪)おおーっ!

(玉袋筋太郎)ラ・ママ コント大会のコーラスラインで出て3秒でもう手を挙げられちゃう男ですよ、あいつは。出てきただけで手を挙げられて退場させられる男だったのが、それがちょっとびっくりしたんだよね。

(安東弘樹)びっくりなんですよ。正直。

(玉袋筋太郎)お前には『愛の才能』があったんだな!っていう。

(吉田豪)(笑)

(安東弘樹)本当にそうなんですよね。

(玉袋筋太郎)まあ、でも辛かったんだな。彼女は。そして……

(吉田豪)その4。

(玉袋筋太郎)あまり考えなくてフリーターみたいな感じに。これがすごい。

あまり考えずフリーターみたいな感じに

(吉田豪)本当に先のことを考えないでレコード会社を辞めたらしいんですよ。で、「メジャーに移籍するか? と思ったら、その頃ってちょうどインディーズっていう文化がいい感じに盛り上がって見えたんで、いい機会だと思ってインディーズに移った」って言いながらも、そこから一気にマイペースになるんですよね。

(玉袋筋太郎)はいはいはい。

(吉田豪)活動が。「なんでか?」って聞いたら、「自主制作のやり方がわからなかったから、曲だけ作っていた」って言っていて。「いや、わかんないでインディーズに行ったんですか?」って話で。

(玉袋・安東)(笑)

(吉田豪)「ええっ?」って聞いたら、「基本的にどういう風にCDを出していいかわからなくて、どうしようかな?って。それで8年間ぐらい……」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)長えよ、8年(笑)。長いなー!

(安東弘樹)長い! 小学校を卒業しちゃいますよ。

(玉袋筋太郎)本当だよ。なにやっていたの? その8年は。

(吉田豪)まあ、単発でちょこちょこ出してはいたんですよ。ミホミホマコトとか、タイガーフェイクファとか違う名義で出したりとかしていて。そういうのも、名前を使えなくなったわけでもなくて。ただ本当にもう、思い出したように出すぐらいで。「なんだったんですか?」って聞いたら、「もうフリーターみたいな感じ。曲は作っていましたけど。雲をつかむような8年間で、流通のこともなにも知らないし、知り合いもほとんどいないし」で。流通わからないで8年ぼんやりしていたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)すごいね、これ! 少しは、ねえ。なあ。

(安東弘樹)どうやって、生活を? ねえ。

(吉田豪)フリーター業ですよね。

(安東弘樹)「みたいな」じゃなくて本当にアルバイトをやっていたっていうことですか?

(吉田豪)で、その8年で曲作りの土台が完成して。で、いいスタッフに巡り合って。

(玉袋筋太郎)やっぱね、川本真琴に足りなかったのは赤羽の美声堂とかね、ああいうレコード屋に行ってキャンペーンとかやらなかったことだな。手売りだな!

(安東弘樹)ああー、箱に乗ってね。

(玉袋筋太郎)夜キャンペーンをやらなかったんだよ。

(吉田豪)演歌系のね(笑)。

(玉袋筋太郎)演歌系の。うん。まあ、似合わないけどね(笑)。やっていたらまたそれも衝撃的だったけどね。うん。さあ、そして続いて……地球の役に立ちたい。マイペースな理由の筋。

(吉田豪)そうなんですね。8年間ぼんやりしていて、やっていけるかな? と思い始めたのがサード・アルバム『音楽の世界へようこそ』を出した頃。要するに、2010年。6年ぐらい前ですね。

(安東弘樹)これはインディーズですか?

(吉田豪)インディーズです。このアルバムの時に、ずっと考え込んでいたらしいんですよ。なにを考え込んでいたのか聞いたら、「これは果たして人が聞いて役に立つものなのかな?」って考えて、いろいろ歌詞とかをボツにしたりとか、すごい悩んでいたらしいんですよ。「せっかく世に出すものだったら、役に立つものじゃないと私が生きている意味がないって考えて。元気になるでもいいし、明るい気持ちになるとか、あと、たとえばお金に汚い人がいたら、私の曲を聞いて『はっ!』っとするとか」っていう。

(玉袋筋太郎)おおーっ! 啓発系だね、これ。

(吉田豪)さらには、「人間中心じゃなくて、動物とか植物に目を向けてみようとか。そういうことで私が役に立てたらいいなってすごく思っていて。世の中っていうか、地球の役に立てないかな?って思って」って言っていて。

(玉袋筋太郎)黒柳徹子的になってきたね、これね。考えが。

地球の役に立ちたい

(吉田豪)思わずちょっと、「ええっ! 地球の役に?」ってちょっと半笑いで言ったら、すごい真面目に言っていたんで、「ああ、これは笑うところじゃなかった。しくじった!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)地球のためにだよ。

(安東弘樹)まあ、わからないでもないですけどね。

(吉田豪)安東さん的には「わかる!」っていう?

(玉袋筋太郎)パンダのマークが見えてきたよ、俺!

(安東弘樹)パンダのマークね!

(吉田豪)「WWE」じゃない方ね(笑)。

(玉袋筋太郎)そう。「WWF」。

(吉田豪)それ、2年ぐらい悩んでいたらしいんですよ。で、「いま振り返るとあんなに考えることはなかったなと思いますね」って言いながらも、いまも「役に立つ歌を作らなきゃ!」っていうね。

(玉袋筋太郎)ああ、でもうれしいじゃないですかね。そうやって。応援歌ですもん。

(安東弘樹)そうですよね。いい原動力ですよ。

(吉田豪)だんだんマイペースな理由がわかってきたっていうね。

(安東弘樹)で、まさかの女優に挑戦? 僕、そのイメージが全くないんですけど。これは?

(吉田豪)どんどん不思議な活動になってきて。2011年ごろからは担当さんがいろいろやってくれるようになって、結構作品がちょこちょこ出るようになって。で、スカートっていうユニットをやっている澤部(渡)さんっていうちょっとぽっちゃりされた僕のCHAGE and ASKA仲間がいるんですけども。

(玉袋筋太郎)ジャンバーを褒め称えたという。

(吉田豪)その人と絡んだりとか、バンド活動をやったりとかするようになって。だから、「そういう風になってよかったですよ」って言ったら、「澤部さん、結構話に出るな。なんでだろう? 有名なんですか?」って聞かれたりとかして(笑)。「わかってないんですか!?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)わかってなくて付き合っていた。お仕事をしていたと。

(吉田豪)「なんか今日ずっと取材を受けていて、インタビュワーさんが澤部さんの名前をよく出すんで、有名なんだなと思って」みたいな。で、「澤部さんっていうのはCHAGE and ASKAにすごい影響を受けた人で、TBSラジオでも前回の事件の直後にCHAGE and ASKAの曲を流したりするぐらい、ちゃんとガチなファンで。で、僕はCHAGE and ASKAについて澤部さんと話す仲間で。今日も着ているチャゲアスのジャンバーを本気でうらやましがってくれたのが澤部さんです!」って言ったら、「ああー、そうなんですね」って本当に興味なさそうに……(笑)。

(玉袋筋太郎)(爆笑)

(安東弘樹)そこは興味ないんだ(笑)。

(玉袋筋太郎)いいねえ!

(吉田豪)「『一緒に写真撮っていいですか?』って言われて、写真も撮りましたよ!」って言ったら、「好きですもんねー」みたいに。本当に興味なさそうに言われて(笑)。

(玉袋筋太郎)おおーっ! いいねえ!

(安東弘樹)本当にもう、マイペースというか。

(吉田豪)マイペースですよ。突然Twitterで澤部さんとかと組んでいるゴロニャンずっていうバンドを「一生続ける」ってつぶやいていたんで、「なんですか?」って聞いたら、「あれは担当さんに『もっと売れるように協力しろ』って言われて反省して書いただけ」っていうね(笑)。マイペース。

(玉袋筋太郎)マイペースだよ、これは。

(吉田豪)女優もなにをやっているか?っていうと、20周年記念でYouTubeに短編の自主映画を作って、自主的にどんどんアップして。

(安東弘樹)ああ、自分で作って自分で出ている?

(吉田豪)そうなんですよ。根本宗子さんっていう人に脚本をたのんでやっているんですが、本人いわく、「あのー、再生回数がどんどん少なくなってきていて、誰も見ていないみたいなんで」って(笑)。

(玉袋筋太郎)ちょっと待って! ピコ太郎になりたいんじゃないの?

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)でも、彼女だったらどっか映画監督でも好きな人がいて、使ってくれるんじゃないか?っていう感じがするんだけどね。

(吉田豪)「ドラマ、どうでしたか?」って聞かれたんで、「演技、徐々に上手くなってきていますね」って言ったら、「マジですか!」って言いながらも、「でも、これなんかの役に立つんですかね?」って聞かれると、僕に聞かれてもわからないじゃないですか(笑)。

(玉袋筋太郎)やっぱりなんかの役に立つっていうのがキーワードだな、こりゃ。

(安東弘樹)そこがベースにあるんですね。

(吉田豪)「女優挑戦がこれぐらいの年齢って珍しいですよ」って言ったら、「そうですか? 42才ぐらいで女優っていっぱいいますよね?」みたいに(笑)。「いや、いま始める人が珍しいんですよ!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そうか。42才か、彼女もね。それもちょっと衝撃的だね。

(吉田豪)変わった人ですよ。

(安東弘樹)いやー、42。そうですよね。そして、いよいよ核心に迫ってきますけども。あのタイミングの新曲が『ホラーすぎる彼女です』。忙しかった2016年の筋。

(玉袋筋太郎)これだ!

(吉田豪)NGが出ている中で、僕が探り探り言った質問がこれです。

(玉袋筋太郎)どういう風にボールを投げたの? 豪ちゃん(笑)。

いろいろあった2016年に吉田豪が迫る

(吉田豪)「以前のインタビューで2015年の抱負を聞いた時に、どう応えていたか覚えています?」って聞いたら、「覚えてないです」「『自分にとって無理のない仕事をする&結婚』と答えていたんですよ」っていうので、「なんでそんなことを言っていたんですかね?」みたいな話から、「まあね、今年は本当いろいろあったわけじゃないですか」っていう風にね……

(玉袋筋太郎)いいねえ! ほころびを作って。豪ちゃん、さすが!

(吉田豪)そしたら、すごいちゃんと答えてくれるんですよ。本当にいい人で。NGが出ていたのに、すごいいちいち、ひとつひとつ答えてくれて。

(安東弘樹)ああ、その時は川本さんだけ?

(吉田豪)一応事務所の人らしい人もいたんですけど、いくらでも話してくれる上に、「まあね、カットになると思いますけど……」みたいに僕が言っても、「いや、全然、全然。大丈夫ですよ。私、言っちゃいけないこと言ってないです」っていうね。

(安東弘樹)事務所の方が遠くでバツマークとかは?

(吉田豪)全然、全然。原稿チェックで多少は削られていましたけど、思いのほか残って。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)そうなんですよ。「私と狩野くんはいまでも友達なんですよ。世の中みんなが考えているよりほんわかした感じで、いまだに飲んだりもしている」っていう。

(玉袋筋太郎)飲んだりしているんだ。

(吉田豪)ただ、精神的なダメージは相当あったらしくて。いまもその話をしたら、「いますぐタバコを吸いたい気持ちになって。飲みに行ってからにしましょうか!」みたいになって(笑)。

(玉袋筋太郎)ほほー!

(安東弘樹)ほんわかした感じだけど……

(吉田豪)ここではちょっとスイッチが入ってっていう。ただ、でもすごい腹のくくり方というか、すごい名言だなと思ったのは、「今回のこういう件でスキャンダルより自分が勝てる、自分の音楽が勝てるって思っています」っていうね。

(玉袋筋太郎)かっこいい!

(吉田豪)「意味不明に『売名』とか言われたけど、私は勝てるって自分で思っていました」っていうね。

(安東弘樹)そういった売名とかってものよりも、そういった中傷にも勝てると。

(吉田豪)「ネットで悪口とか言われたりしても、長い時間かけて培った技術とかはたったの一言二言の悪口で消されたりしない」っていう。

(安東弘樹)楽曲にも自信があるというね。

(玉袋筋太郎)強いね! それはいい! スッとした。フワフワした中にもひとつ芯があったね。

(吉田豪)「いちばん頭に来たのはストーカーって言われたこと」っていうね。「東京に住んでいないのに、ストーカーはできない!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうか!

(吉田豪)みたいな話からね、だんだん僕は個人名を出さずにいろいろ聞いていたのに、向こうから個人名を出してくるぐらいのサービス精神で(笑)。普通に載せない前提ぐらいで僕もいろいろ話す感じになって面白かったですけどもね。僕もちょうど最近、加藤紗里さんとテレビで共演したんですよっていう話で。

(玉袋筋太郎)おうおうおう。

(吉田豪)バイキングで共演だったんですけど、結構あの人も変わったというかすごい人だなと思ったんですよ。本番でスタジオに向かうじゃないですか。で、マネージャーと一緒に移動していて。あれ、スポンサーがライオンだから、台本にライオンのマークが入っているんですよ。で、マネージャーさんに「見て見て、ほら! ライオン。かわいい~!」とか言っていて。「それはいいから、いまちょっと台本読もうね」って言っても、「ほら、見て! ライオン! かわいい~!」「それはいいから、とにかくいまは台本をちゃんと読もうね」みたいな。すげーな、これ!って思って。

(玉袋筋太郎)すっごいな!

(安東弘樹)すごい。川本さんはすごい戦いをしていたわけですね。いろいろと。その人を相手に。

(玉袋筋太郎)は―! すごいな!

(吉田豪)ある種の本物だと思いましたよ。加藤紗里さんも(笑)。それを見て。

(玉袋筋太郎)それとこう、狩野英孝ってすごいな。

(吉田豪)すごいですね。

(安東弘樹)そう考えると、狩野さん、すごいですね。

(玉袋筋太郎)神がかってるね。実家、神社だから。

(吉田豪)そういうことなのかな(笑)。

(玉袋筋太郎)あるのね。

(安東弘樹)弓道部のキャプテン。

(吉田豪)そんなタイミングで『ホラーすぎる彼女です』っていう曲を作って出しちゃって誤解をされたっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ああーっ!

(安東弘樹)余計ね。ちょっと微妙にシンクロしているだけに。

(吉田豪)だって騒動で加藤紗里さんとかとTwitterでやり取りした直後に「新曲できました」ってやっていたから、それは結びつけて見られちゃうわっていう(笑)。

(安東弘樹)ですよね。でも、本人は関係ないんですよね。

(吉田豪)全然。突然それで作られるわけもなく、前から作っていてPVも撮っていて、そのタイミングになっちゃったっていう。奇跡的なタイミングになっていたっていうね。

(玉袋筋太郎)逆パブというかね。パブになっているのか、どっちなのか?っていう。

(安東弘樹)これ、でも本当にここでぶっこんでいいですか? 実際にその、普通にお付き合いはされていたということで?

(吉田豪)ですよね。

(安東弘樹)そこはもう、認めてらっしゃるということですよね。

(玉袋筋太郎)ほー! ねえ。なんとなくこうフワフワしている彼女のイメージが、ぼんやりじゃなくてしっかり見えてきたよ、豪ちゃん。

(安東弘樹)さあ、で、この川本真琴さんのインタビューの模様なんですけど、現在発売中のCDジャーナル12月号に掲載されているということですね。で、12月17日、吉田豪さん『続 聞き出す力』発売。

『続 聞き出す力』

(玉袋筋太郎)これがすごいじゃない。帯が。

(吉田豪)帯が、ついに。伏線を回収しましたよ、きちんと(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。そうだな!

(安東弘樹)そうですね。殿がね。帯をね。

(吉田豪)「ビートたけし氏推薦!!!!!!!」。

(玉袋筋太郎)『続 聞き出す力』。

(吉田豪)「私は吉田氏が私の悪口を書いたことを聞き出そうと怒鳴りつけたことがありましたが……」とかね、その話からちゃんと書いてくれているっていうね。

吉田豪 ビートたけしから受けた恐怖体験を語る
吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、TVタックルの収録中にビートたけしさんから受けた恐怖体験について、玉袋筋太郎さんと話していました。 (玉袋筋太郎)豪ちゃん、よろしくどうぞ! (吉田豪)お願いします!いろいろありますね。 (玉袋

(玉袋筋太郎)そうなんだよね。

(安東弘樹)ただ、そのなぜ帯をやったのかも、プロセスもかきつつ、しかも本の半分以上の面積をたけしさんの顔が(笑)。

(吉田豪)僕の写真もなにもないっていうね。「誰の本だ?」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)これ、殿だなっていう(笑)。

(安東弘樹)確実に、「ビートたけし著」ですよね(笑)。

(吉田豪)「あっ、たけしの新刊だ」っていう(笑)。

(安東弘樹)これは週刊漫画ゴラクでの連載をまとめた書籍化の第二弾ですね。日本文芸社から税込み864円。安いな。

(吉田豪)安いです。新書ですからね。

(安東弘樹)これは、どういう方が入っているんですか?

(吉田豪)どういう方っていうか、いろんなインタビューをした、いまみたいな裏話だなんだとかを載せている本でっていう感じですね。そして、どうも帯を読んでいる限り、たけしさんは読んでいない気がするっていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)ないないない! またそういうことを言うと、「お前、言っただろ?」って……

(吉田豪)(爆笑)。「おい! お前、読んだのになんてことを言ってるんだ!」って(笑)。

(玉袋筋太郎)怖いぞー、『アウトレイジ』モードに入っているから(笑)。

(吉田豪)新作できますよね(笑)。

(安東弘樹)たけしさんは「この本を推薦いたします。この本はおもしろいぞ!」って書いてありますよ。

(吉田豪)そうです。やった! うれしい!

(玉袋筋太郎)やった!

(安東弘樹)読んでないわけがないですよ。

(玉袋筋太郎)ない! うちの師匠だもん。だって。さあ、豪ちゃん。まあ俺たち的には12月8日だっけな? アサ芸の対談が。年末スキャンダル大賞。浅草キッドと吉田豪ちゃんとライムスター宇多丸の4人で。

(吉田豪)恒例のね。

(玉袋筋太郎)2016年をぶった切ると。

(吉田豪)もう、今年は誰ですかね? 大賞は。

(玉袋筋太郎)誰なんだろうね? 俺はたぶん……

(安東弘樹)書いています。

(玉袋筋太郎)この人じゃねえかな?って思運だよね。

(吉田豪)(笑)。僕も一票入れますかね。それはね。

(玉袋筋太郎)俺も一票入れよう。よし! さあ、どうなるかはアサヒ芸能をお楽しみ。

(安東弘樹)さあ、吉田豪さん。次回の登場は新年1月6日。よろしくお願いします。吉田豪さん、ありがとうございました。

(吉田豪)はい、どうもでーす!

(玉袋筋太郎)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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