吉田豪 杉井ギサブローを語る

吉田豪 杉井ギサブローを語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。アニメ監督、杉井ギサブローさんについて話していました。

(安東弘樹)今日なんですが、アニメーション監督の杉井ギサブローさんのあらすじ。これ、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないという方だと思うんですが。まず、杉井ギサブローのあらすじとその筋を紹介します。

(吉田豪)はい。

(安東弘樹)1940年、静岡県のお生まれで現在76才。1958年、東映動画に入社。日本で初めてのカラーアニメ映画『白蛇伝』や『少年猿飛佐助』のアニメーターとして活躍した後、1961年に虫プロ創立に参加。テレビアニメ『鉄腕アトム』の作画や演出、『どろろ』の総監督などを担当します。74年、『ジャックと豆の木』で劇場用アニメ監督デビュー。同時期に『まんが日本昔ばなし』の立ち上げにも参加。1985年にはあだち充原作の『タッチ』のテレビシリーズの総監督。日本アニメ大賞はアトム賞を受賞。2012年には杉井ギサブロー監督を主役にしたドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』が公開されています。自らが主役になっているということですね。

(吉田豪)そうですね。

(安東弘樹)そして、吉田豪さんの取材によりますと杉井ギサブローさんのその筋。その1、押しかけて勝手に弟子入りの筋。その2、日本アニメの歴史。大学生気分だった東映時代の筋。その3、「倍、出しましょう」「ラッキー!」。虫プロ入りの筋。その4、あの手塚治虫相手にわがまま放題の筋。その5、反骨の人生。「僕が作るとだいたい騒ぎになる」の筋。その6、プロデューサーはミルコ・クロコップの代理人? なりゆきでやることになったスト2の筋。以上の6本の筋でございます。

(玉袋筋太郎)ねえ! そうだよ。監督だもんね。

(安東弘樹)監督ですよ。

(玉袋筋太郎)最近なんか、映画監督が詐欺で捕まったよね。まあ、そんなことはどうでもいいんだけどさ(笑)。

(安東弘樹)今日、そっちに行きますねー(笑)。

(玉袋筋太郎)いやいや、なんか溜まっているのかな? だけど、もう76才なんだ。

日本のアニメの歴史そのものみたいな人

(吉田豪)そうですね。まあ、日本のアニメの歴史そのものみたいな人なんですけど。実は、いま出てないですけど、『ルパン三世』の魅力に最初に気づいて、最初に企画を立ててパイロット版を作った人だったりとか。

(安東・玉袋)おおーっ!

(吉田豪)まあ、いまだに評判の高い『銀河鉄道の夜』の映画を作ったりとかいろんなことをしている人なんですけど……僕が取材をした時、ちょうど僕のイベントがある日で。で、「2時間ぐらいでインタビュー終わるだろうな」と思ったら、この人ものすごい話好きで。全然インタビューが終わらなくて。インタビュー中にメールが次々来て。「豪さん、いまどこですか? もう開場です」みたいなのが。

(安東・玉袋)(笑)

(吉田豪)だから結構端折っていて。実は画期的なんですよ。『タッチ』とかの話、一切していないんですよ。この人の代表作なのに。

(玉袋筋太郎)そうなんだ!

(安東弘樹)でも、幅広すぎですよ。

(吉田豪)まあ、あまり語られていない部分も含めて語ってみたいんですけども。まず、1ですかね。

(玉袋筋太郎)はい。押しかけて勝手に弟子入りの筋。

(吉田豪)お父さんは板前で、小さな頃から絵を描くのが好きで。11才の時にディズニー・アニメの『バンビ』を見て「アニメをやろう」と決心したんですけど、当時アニメっていうのは海外に行かないとできないと思っていて。で、大人になったら海外に行って勉強をしようと考えていたんで。で、手塚治虫先生が好きだから、まず漫画家になろうと思って、中学3年生の時にうしおそうじ先生というね、要は『スペクトルマン』とか『快傑ライオン丸』とかでおなじみのピープロ(ピー・プロダクション)の人ですよ。

(玉袋筋太郎)ああ、はいはいはい。

(吉田豪)あの人のところに弟子入りして。しかも、弟子を取らない人なんで。しかも、中学3年生ですからね。勝手に押しかけて。しかも、うしお先生はすごい無口で、話もしてくれないから、黙ってじっと座って。なにも話してくれないから先生がトイレに立った瞬間に下に落ちている絵とかを全部ポケットに入れて持って帰って……

(安東弘樹)持って帰った!?

(吉田豪)持って帰って、どういうペンを使っているか? とか、同じ紙を探したりとかしながら学習してっていう……

(玉袋筋太郎)すごいな、それは。

(吉田豪)とかをやっているうちに、アニメの道があることに気づいて東映動画に入るっていう人なんですよ。

(玉袋筋太郎)『バンビ』なんだね。だから、『ジャングル大帝』が先だとかなんか言うけど、やっぱり『バンビ』の方が先なんだね。動物がしゃべったりするのは。

(吉田豪)はいはい。そうです。そうです。ディズニーが後にパクり返しますけどね。

(玉袋筋太郎)パクり返す。そうなんだよ! いろいろあるんだ。これが。

(安東弘樹)『ダンボ』も象がしゃべって。あれ、戦前ですもんね。日本との。さあ、そしてその2。大学生気分だった東映時代。これ、ねえ。

17才で東映動画に入社

(吉田豪)17才で入社試験を受けたとか、とにかく若いんですよ。この人、活動が。で、東映の本社に行ったら、当時は髭ボーボーの人とかばかりで。要するに、絵描きなんかにお金のある仕事がない時代で。「漫画や映画っていうのは絵を描くと給料をくれるらしい」っていうことで、芸大を出た人とか美術をやっているような人とか、そういうのが受けに来ていたっていう。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)ただ、東映なんで、実写の人と会社が同じなんですよ。で、東映の実写っていうのはすごいデタラメで有名っていうかね。まあ、黒社会が密着な……(笑)。

(玉袋筋太郎)ねえ!

(吉田豪)だからもう、一緒に飯を食っていてもまあ人の悪口ばっかりで。「アニメと何が違うか?っていうと、アニメには映画の予算を持ち逃げするようなプロデューサーが全然いない。でも、実写はすごいいるでしょう? だから実写はラフなんだよね。アニメは真面目」っていう(笑)。

(安東弘樹)なるほどね(笑)。当時は特にそうでしょうね。

(吉田豪)で、その真面目な感じが物足りないような人で。まあ、すごいちゃんとした人に見えるんですけど、口が悪いんですよ。本当に(笑)。それが面白かったですね。で、東映動画を4年ちょっとで……ちょうど大学に行ったような経験で。周りはみんな映画とか文学とか美術を好きな人とかで。「すごい面白かったんだけど、やっている作品がね。いやー、つまらなかったね!」って言ってね(笑)。「正直この会社、ダメだと思った」とかね。そういうことを言い続ける……

(玉袋筋太郎)(笑)。言っちゃうねえ!

(吉田豪)そうなんですよ。で、またこの頃もちょうど手塚治虫先生が『西遊記』っていう1960年に長編を作っていたんですね。で、東映に来ていたんで、手塚先生とか石森章太郎先生とかがストーリーボードを書いたりとかしていて。で、「先生とかが仕事をしている時はスタッフじゃないからそっちに行けないんだけど、誰もいないときは入れる。で、原画を盗んできたりとかして、それで勉強をして……」みたいな(笑)。

(安東弘樹)盗むのね(笑)。

(吉田豪)とりあえずね。はい。

(玉袋筋太郎)そう。芸はね、盗むもんだから。

(安東弘樹)芸は盗む! ああー、さすがです。

(吉田豪)で、給料がとにかく当時から安かったのは有名で。だから、突然会社に来ない人とかいたらしいんですよ。3、4ヶ月いなくて。なんでかな? と思ったら、交通費がないんでトラックの運ちゃんをやって稼いできたっていうね。

(安東弘樹)そのぐらい安かったと。

(吉田豪)そのぐらい安いけど、まあ好きでやっているから愛情も込められるし、ある意味プライドも持てたと。で、あまりにも安いから、組合ができるんですよね。東映って。

(安東弘樹)労働組合ね。

(吉田豪)そうです。そうです。組合が強いことで有名で。僕も中学生の時に東映動画に取材に行って「アニメーターになりたいんです」って言ったら、ひたすら組合の話とかをされて。賃金がいかに安くて夢のない世界かって言われて、僕はアニメーターになるのをやめたんですよ。

(安東弘樹)(笑)

(玉袋筋太郎)豪ちゃんも中学生の時に行っているのがいいよ。いいねえ!

(吉田豪)行きましたよ。僕の初インタビューですから(笑)。

(玉袋筋太郎)組合の話(笑)。中学生はチンプンカンプンだと思うよ。

(吉田豪)そうですよ(笑)。で、杉井先生も組合がとにかく嫌いで。「そういうような世界だったら僕が考える映画とは縁がないなと思って、嫌になって辞めようと思った。当時、東映動画しか日本にない時代だから、東映動画を辞めるっていうことはアニメを辞めることだ。でもまあ、僕らは定住者じゃなくて放浪の民の末裔みたいなもの。ヤクザな仕事なんで……」っていうことで、東映でちゃんと、日本で初の長編カラーアニメで東映動画の初の作品『白蛇伝』でデビューっていう意味で、本当に日本のアニメの歴史そのものの人なんですよ。

(玉袋筋太郎)見たよ、俺。この間、『白蛇伝』を。やっていて。でも、あれが最初なんだな。

(吉田豪)で、つまんないから辞めちゃって。

(安東弘樹)で、そっから3につながっていくんですね。

(玉袋筋太郎)「倍、出しましょう」「ラッキー!」。虫プロ入りの筋。

(吉田豪)東映動画を辞めて失業保険をもらいつつ、パチンコとかをやっていたら手塚先生がアニメをやることを知って。これは面白いものを作るだろうと思って虫プロに入って。手塚先生をたずねていくわけですよね。そしたら手塚先生が、「やあ、ぎっちゃん! よく来てくれました」って初対面なんですよ。

(安東弘樹)初対面!?

手塚治虫の虫プロに入社

(吉田豪)「”ぎっちゃん”って、初めて会いましたけど……」「東映動画でいくらもらっていました?」って聞かれて、「1万3000円から1万5000円かな?」って言ったら、「わかりました! 倍、出しましょう!」「ラッキー!」っていうことで。手塚先生は「倍、出しましょう」が口癖だったみたいで。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)だから虫プロ、実は結構いいお金をもらっていたらしいですね。

(安東弘樹)言われたいなー!

(玉袋筋太郎)「倍、出しましょう」。

(吉田豪)で、東映動画と虫プロがすごい仲悪かったのが、東映動画はものすごいちゃんとした作品を作っているのにお金がなくて。組合で戦って。虫プロはひどいアニメを作っているのに、あいつらいい金をもらいやがって……みたいな感じで。溝がどんどん深まっていくんですけども。

(玉袋筋太郎)ねえ(笑)。

(吉田豪)まあ、当時の手塚先生は本当に40代から50代ぐらいの雰囲気だったけど、実際は30代で。30代の青年が20代の若者を集めて虫プロというスタジオを作ったと。

(安東弘樹)30代だったんですね!

(吉田豪)だから、なにがすごいって杉井先生も20代で監督になっちゃうんですよ。

(安東弘樹)ああ、そうか! そういうことになるんですね!

(玉袋筋太郎)若いな! まあ、スタートが早いしね。

(安東弘樹)そうですよね。ある意味、中学生からですしね。

(吉田豪)そして、その4。

(玉袋筋太郎)あの手塚治虫相手にわがまま放題の筋(笑)。

手塚治虫にわがまま放題

(吉田豪)20代で本当に悪いんですよ。話を聞けば聞くほど(笑)。また、手塚先生っていうのが自分でアニメ作りを始めたものの、「自分はアニメの専門家じゃない」っていう思いが強くて。で、杉井さんとか東映動画でちゃんと勉強してきた人だから、一切口出しをしなかったらしいんですよ。「ああやれ」とか。

(安東弘樹)なるほど。アニメに関してはね。

(吉田豪)「自分はアイデアは出すけど、映像化するのはおまかせします」と。で、それをいいことにどんどん暴走していくんですよね。杉井先生が。「『鉄腕アトムの後番組をやってくれ』って言われて軽く引き受けて。西遊記のギャグもののパイロットフィルムを作った。でも、つまんなくてやめちゃった」とかって(笑)。

(玉袋筋太郎)やめちゃうんだ。また。

(吉田豪)そう。すぐやめちゃうんですよ。「だって、やってみたらつまんねーんだもん」みたいな感じで。

(安東弘樹)自分で作ったんですね。

(吉田豪)で、「もっと好きなことをやらせろ!」っていう感じでひたすら戦うんですよ。要するに、手塚先生に「二度と虫プロの敷居をまたぐな」って言われる覚悟でわがままを言うんですよ。そしたら、全部通るんですよね。「わかった。あなたの好きなようにやりなさい」って手塚先生から許可が出て。しかも、許可が出た時にせっかくだから「今後杉井ギサブローがやる作品に関しては僕は一切口を挟みません。手塚治虫」って一筆かかせてハンコもつかせて……

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)さらに暴走が始まり……っていう。

(玉袋筋太郎)手塚先生もすごいけど、やっぱすごいね。一筆書かせるっていうね。

(吉田豪)20代にして。

(安東弘樹)だって、大御所ですよね?

(吉田豪)超大御所ですよ。神様ですよね。それに20代で、そんなに大したキャリアもないですよ。この人、この時点では(笑)。

(安東弘樹)「ハンコ押せ。『口を出しません』ってハンコを押せ」と。

(吉田豪)その結果、その5になるんですよ。

(玉袋筋太郎)出た! 反骨の人生ね。「僕が作るとだいたい騒ぎになる」の筋。

(安東弘樹)だいたい想像できるような感じですが……

(吉田豪)まず、『悟空の大冒険』っていう僕も大好きなアニメがあるんですけど。オープニングで、「3、2、1、ドカーン!」っていうね。いわゆるカウントリーダーっていうやつが入っているんですけど。あれ、どういうことか?っていうと、あの頃のテレビ局は手動でVTRを流していて、そのカウントリーダーが流れちゃったら放送事故だからスポンサーがお金を払わないというシステムだったと。

(安東弘樹)その前のカウントが入っちゃうと……

(吉田豪)あれは出ちゃいけない部分。で、それに対してふざけるな!っていう思いがあって。「じゃあ、リーダーから始めてやろうじゃねえか!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだ! あのオープニングって。

(吉田豪)すべてがケンカ腰なんですよ(笑)。で、その時も「フジテレビの脚本家を全部集めてくれ」って言って全部集めてもらうんですよ。で、「いまフジテレビで放送しているドラマは全部面白くない!」ってまず演説をして。

(玉袋筋太郎)カマしだね。

(吉田豪)で、みんな怒って帰ったりする中で、「その話、面白い!」って乗ってきたのが井上ひさしさんとかで。「よし! じゃあみんなでムチャクチャをやろう! まとめるなんてことは考えるな。物語には起承転結の”結”があっての話じゃないだろ?」っていうことで、結構デタラメというか、ものすごい勢いのあるアニメを作った結果、大問題になっちゃうんですよ。「こんなものは誰が見るんだ?」と局が怒り、後々、杉井さんはフジテレビを出入り禁止になるっていうね(笑)。

(安東弘樹)なるほど!

(吉田豪)手塚先生には「こんなの、放送させない!」とかね、相当な文句も来ていたらしい。

(安東弘樹)あ、手塚先生のところに行っちゃうんですね。虫プロだからね。

(玉袋筋太郎)なんの作品で来たのかな?

(安東弘樹)気になりますね。

(玉袋筋太郎)で、『どろろ』。

(吉田豪)『どろろ』っていうのもまた無茶な作品ですからね。手塚先生が妖怪ブームにジェラシーを抱いて、身体を妖怪に奪われた人が次々と妖怪を殺して身体を奪い返していくっていう。まあ、かなりグロテスクな話なんですよ。それをゴールデンタイムにやるっていう無茶なことをしたりですね。しかもそれ、枠でいうとカルピス子供劇場っていう、つまり『アルプスの少女ハイジ』とか『ムーミン』とか『フランダースの犬』をやったところでカルピスがスポンサーでやっていたんですよ。

(安東弘樹)えっ? 『どろろ』、これ、そうだったの?

(吉田豪)その最初なんですよ。

(玉袋筋太郎)カルピス子供劇場。ええーっ?

(吉田豪)そんなところで、食事時に血が流れるっていうことでまずスポンサーが怒ったと(笑)。

(玉袋筋太郎)怒るよ! カルピス、白いぜ。

(吉田豪)で、「血はマズい。じゃあ、白黒にしよう!」って言って(笑)。「白黒なら、バレないだろう」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)で、白黒なの?

(吉田豪)そうなんですよ(笑)。

(安東弘樹)当時、カラーになっていたのに?

(吉田豪)白黒にして。そしたら、終わったら視聴率が悪くて。で、やっぱり局の方からいろいろ文句が来ていたんで、手塚先生に言われたらしいんですよ。「『どろろ』をギャグものにできないか?」って。「できるわけがないだろう!」っていうね。

(安東弘樹)手塚先生から言われたんですね。

(吉田豪)手塚先生が板挟みになって結構こういうことを言うのが多いらしいんですよ。『悟空の大冒険』でも裏で『黄金バット』が始まって。「これはヤバい!」ってことで手塚先生に「悟空を黄金バットのようにできないか?」って言われたりとか。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)杉井先生は「できるわけないだろう!」で蹴るみたいなね。そんなケンカ別れをして、最終的には結局、『どろろ』は『どろろと百鬼丸』に変わって、ギャグっぽい感じになっちゃうんですよ。で、杉井先生は怒ってプロデューサーに「お前、プロデューサーなんだから降ろす権限を持っているんだろ? 俺を降ろせよ! 監督が嫌だと言ってるんだから!」って噛み付いて。あんまり行かなくなったりとか(笑)。

(安東弘樹)「俺を降ろせよ」っていう人は、あんまりいないですよね。

(玉袋筋太郎)まあそれだけ、腕に自信ありっていうか。そういうことでしょうね。

(吉田豪)まあね。「そんな無茶なことを若い頃にやっていたんですかね」みたいに言ったら、「いや、若い頃だけじゃないよ。歳を取ってからも、『銀河鉄道の夜』の時も大騒ぎでさ」って言って。「『こんな映画、誰が見るんだ?』って取り囲まれちゃって……」っていう。「アニメなので宮沢賢治をわかりやすく子供向けに作ってくれると思ったら、なんなんだ、これは? 騙された!」ってみんなに言われたらしいんですよ。

(安東弘樹)動物っぽくなっているやつですよね?

(吉田豪)そうです。そうです。「『いやー、宮沢賢治ファンが見るんじゃないですか? 心配しなくていいですよ。賢治がお客を呼ぶんだから!』って言ってやった」って言っててね。「いいんですよ。たかが3億」って言ってて(笑)。

(玉袋筋太郎)かっけー!

(安東弘樹)これ、よく覚えているんですけど。後々伝説になっていますよね。

(吉田豪)そうですね。いまだに評判のいい作品なんですけども。当時はものすごく叩かれて。しかも、この『銀河鉄道の夜』とかを作る前にブランクっていうのがあって。この人、それもすごいんですよ。ほぼ10年間、全国を放浪していた期間があるんですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)日本がアニメブームになって、ヤマトとかガンダムが流行っている頃、この人、なにも知らないんですよ。全国を放浪して、鬼の絵を売って生活していたんですよ(笑)。

(安東弘樹)鬼の絵を売って生活?

(吉田豪)そう。で、戻ってきてあだち充の『ナイン』と『タッチ』で再ブレイクっていうね。

(玉袋筋太郎)鬼から全く遠いところの作品だよね!

(吉田豪)で、「戻ってその間のヤマトとか、どういう風に見ていたんですか?」って言ったら、「ああ、ヤマトを見て、ひでーアニメだと思ったよ。下手でさ!」みたいな(笑)。

(玉袋筋太郎)アニメの人ってみんなそうな感じするなー(笑)。

(吉田豪)意外と無頼派なんですよね。

(安東弘樹)西崎さんしかりね。

(吉田豪)そうそう。

(安東弘樹)で、さらにその6なんですけども。

(吉田豪)これで衝撃事実がわかったんです。

(玉袋筋太郎)プロデューサーはミルコの代理人。

(吉田豪)杉井さんって作家性が強そうでいて、意外と合うものであればどんな漫画でもやる人で。作品の幅がすごいんですよ。本人も「『悟空』をやったと思ったら『どろろ』をやって。宮沢賢治をやったら『タッチ』をやって。めちゃくちゃですよね」って言われて、「節操がないからね」って答えたりしているんですけど……中でも異色なのが『ストリートファイターII』。「なんであれをやったんですか?」って聞いたら、「実は前任者が逃げちゃってね、なりゆきでやることいなった」っていう。完全な尻拭いで。で、アニメから離れて本屋で働いていたゲーム好きな助監督がいたんで、そいつを本屋を無理やり辞めさせて、ゲームの説明をさせたらしいんですよ。

(安東弘樹)説明を。

アニメ版『ストリートファイターII』

(吉田豪)「まず、ゲームにはロールプレイングゲームっていうのとバトルゲームがありまして……」ってその段階から説明をさせて。

(安東弘樹)初歩ですね。

(吉田豪)初歩から。さらには、その人がマニアを何人か知っているっていうからマニアも集めて、スト2についての勉強会みたいなのをやったらしいんですよ。で、話を聞いた結果、「よし、わかった! スト2のマニアが期待しているような映画は一切作るのをやめよう!」って言って(笑)。

(玉袋筋太郎)なんでだろう?

(吉田豪)「お前らの期待通りにはしない!」って言っていて(笑)。

(安東弘樹)散々説明をさせておきながら、「お前らの好きな映画は作らん!」と。

(吉田豪)でも、最終的にはカプコンっていうゲーム会社のスタッフも喜んで。「監督、なんで自分たちがゲームに込めている思いをあんなに表現できるのか、よくわからない」とか言われたらしいんですけど。

(玉袋筋太郎)確信犯でそういう風に言っていたのかな?

(吉田豪)ただ、この仕事を引き受けるきっかけが、このスト2を何年もかけてアニメ化しようとしていたプロデューサーがいるって言っていたんですよ。それが今井賢一という人で、前任の監督に逃げられた後は自分からホテルに缶詰になって、一切書いたこともないシナリオを書いているっていう話を聞いて、「それは面白い!」って乗ったらしいんですよ。

(安東弘樹)今井さんがこういうことをやっているからと。

(吉田豪)「もう全然書いたこともない人間がやっているって、面白いじゃねえか! やるやる!」って言って。「しかも、そのシナリオが全然シナリオになってねえ。ひでーんだ!」って言って。「全部、俺が書き直してさ」って言って(笑)。

(安東弘樹)そりゃそうですよね。素人さんですからね。

(吉田豪)で、「この名前、聞いたことがあるな」と思ったら、ミルコ・クロコップの代理人の今井賢一氏ということが後に判明というね。

(玉袋筋太郎)あの今井さんなんだよね!

(吉田豪)そうなんですよ。元K-1の偉い人。そして、日本の格闘技界をいろいろと真っ二つにさせて大戦争になったきっかけを作った人。

(玉袋筋太郎)かき混ぜた人。

(吉田豪)そうです。で、言われてみればこのスト2って格闘技アドバイザーで石井館長とアンディ・フグが入っていたりとか、声優が羽賀研二とか船木誠勝とか、ちょっとそっち系が入っていたりとか。

(玉袋筋太郎)入ってるんだ。今井さんだよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(安東弘樹)もう玉さんもよくご存知で。

(玉袋筋太郎)ねえ。これ、襟がすっごい襟のシャツを着て、胸はだけちゃってよ。あの人。この間もRIZINで会ったよ。

(吉田豪)という真相が判明というね。

(安東弘樹)これ、杉井さんはご存知なかったっていうことですよね。

(吉田豪)僕もその時に「聞いたことあるな」ぐらいで話していて。「おかしいな?」と思って、あとでわかったっていう感じですね。

(安東弘樹)なるほどね。無頼派だ、この人。

(玉袋筋太郎)すごいね! でも、もう76才だからあ、やっぱりそういう経験もあるし。もう、過去のこともそういうことを言っちゃってもいいんだろうね。

(吉田豪)全然でも、いまだに現役で。「最近作った作品が外しちゃったんでね、なかなか作れないけど。まだまだやるよ!」みたいな感じで。

(安東弘樹)その作品も気になりますけども。ちょうど私の両親と同い年なんで。1940年生まれ。でも、写真を拝見すると、エネルギッシュですねー!

(玉袋筋太郎)若いよね!

(吉田豪)で、なんの話を聞いても、やっぱり「なんでこういう映画を作ったんですか?」みたいな話が全部面白いんですよ。たとえば、「『シナモン the movie』ってなんで作ったんですか?」みたいなのを聞いたら……

(安東弘樹)シナモン?

(吉田豪)シナモンってあるじゃないですか。サンリオの。

(安東弘樹)ああー。

(吉田豪)あれの映画とかも撮っているんですよ。幅広すぎるじゃないですか。

(安東弘樹)ええっ? シナモンの映画を撮っているって……

(吉田豪)「あれもね、会社に騙されたんだよね」みたいな話で。その後はサンリオとの確執の話をずーっとしてくれたりとか(笑)。かつて映画を撮った時に、そこからいろいろ協力してもらえるかと思ったらいろいろあって。「周りみんなに、『もうサンリオの商品を買うな!』って言ったこともあって……」みたいな(笑)。

(安東弘樹)ちっちゃい抵抗だ(笑)。

(吉田豪)まあ、いろんな話がどんどん出てくる人で。まあ、面白いですよ。

(安東弘樹)でもね、日本のアニメの草創期っていうか。最初から見てきた人ってなかなかね。ずっとその世界でやって、まだ現役でやっているってなかなか……

(吉田豪)日本初の長編アニメを作り、日本初のテレビアニメシリーズも作り。

(玉袋筋太郎)そうだよ。その東映動画の会社の社長の息子っつーのがK-1の番組を作っていたっつーのも。

(吉田豪)つながりますね!

(玉袋筋太郎)そうなんだよ。つながっちゃったよ!

(安東弘樹)そうやって考えると、こういう方の話を聞くと、ありがたいですね。歴史が全部わかるっていう意味では。

(吉田豪)ところがね、こういう方の話を聞くこの『HYPER HOBBY Presents キャラクターランド』という(雑誌の)僕の連載だったんですが、無事に今号で休刊が決定しまして(笑)。

(玉袋筋太郎)あっ!(笑)。

(安東弘樹)休刊だー。

(玉袋筋太郎)豪ちゃんも働きすぎだから。少しぐらいちょっと休んでもいいんじゃないかな?

(安東弘樹)じゃあ、ご紹介しますけども。現在発売している週刊新潮に豪さんによる荒木一郎さんのインタビュー本『まわり舞台の上で』の書評が掲載されています。

(吉田豪)これ、本当に面白いです。超名作。みなさん、ぜひ読んで下さい。

(安東弘樹)そして、『実話BUBKA超タブー Vol.16』。K&Mミュージック代表の小林清美さんを豪さんが掘り下げるインタビューが収録。

(吉田豪)3776のプロデューサーの方のすごい人生をひたすら掘るだけっていうね。

(玉袋筋太郎)掘ろうよ、掘ろうよ。あれ、読んだ? 村西とおるの『全裸監督』。

(吉田豪)買いはしましたけども、まだ。

(玉袋筋太郎)あれもね、700ページ。村西とおる監督伝。いいなー、あれも。

(吉田豪)荒木一郎本と同じぐらいの厚さですね!

(玉袋筋太郎)読書の秋、深まっちゃうな、おい!

(安東弘樹)玉さん、先々週ぐらいからずーっと言ってますね。

(玉袋筋太郎)そっちも読みてえ。たまんねえな!

(吉田豪)本当にいいですから。本当に口が悪いんです。荒木一郎さんも(笑)。

(玉袋筋太郎)悪そうだなー! 一筋縄では行かねえなあ!

(吉田豪)結構な大物の悪口がいっぱい出てきますよ(笑)。

(玉袋筋太郎)最高!

(安東弘樹)村西か、荒木か。みなさん、楽しみにしていただきたいと思います。吉田豪さん、次回の登場は12月2日ということになっていますね。今日はありがとうごじざいました!

(吉田豪)はい、どもー!

(玉袋筋太郎)どうもー!

<書き起こしおわり>

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