吉田豪 ラッパーUZIを語る

吉田豪 ラッパーUZIを語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』でラッパーのUZIさんをインタビューした際の模様を紹介していました。

(安東弘樹)毎月第一金曜日はプロインタビュアーの吉田豪さんをお迎えして豪さんがこれまでインタビューしてきた一筋縄ではいかない有名人の様々なその筋の話を聞いていくコーナーになります。豪さん、こんにちは!

(吉田豪)どうもです。よろしくお願いします。

(玉袋筋太郎)よろしくお願いします。

(安東弘樹)今日はラッパーのUZIさん。

(吉田豪)はいはいはい。

(玉袋筋太郎)すごいね。

(吉田豪)すごいですよね(笑)。

(玉袋筋太郎)俺も資料当たったけど、驚いたよ!

(安東弘樹)アナウンサーとしては失格なんですが、「すごい」しか出てこないんです。

(吉田豪)感想が。『フリースタイルダンジョン』を見ていないとあんまり世間的な知名度はないかもしれないですけど、すごいですよ。

(玉袋筋太郎)すごいんだ!

(安東弘樹)では、そのUZIさんのあらすじとその筋をご紹介します。1996年、コンピレーションアルバム『続・悪名』に参加し、本格的にデビュー。ZEEBRA率いるヒップホップ集団UBGの結成当時から活躍しており、破壊力のあるラップで圧倒的な存在感を発揮。得意のフリースタイルでリスナー、アーティスト問わず愛されているラッパーであり、テレビ朝日の人気番組『フリースタイルダンジョン』の進行役としても知られています。

(玉袋筋太郎)うん。

(安東弘樹)そして吉田豪さんの取材によりますと、UZIさんのその筋は……その1、祖父は柔道家で特務機関。とんでもない血筋の筋。その2、実業家でオリンピック選手。しかも、国道を馬で走る祖父の筋。その3、父親はその筋の人で喧嘩師だった筋。その4、プロレスで育ったラッパーであり、漫画好きでプロゲーマーの筋。その5、やはり弁が立つ。脅迫メール卒業事件の筋。以上5本の筋です。

(玉袋筋太郎)放送できるのかね、これ?

(安東弘樹)昼の番組でね。今回は本物の”その筋の話”ということで。

(吉田豪)まあでも、ポップな説明を付け加えると、僕も最近知ったんですけど『テニスの王子様』っていう漫画、あるじゃないですか。あれの原作の許斐剛さんは親戚らしいですよ。

(玉袋筋太郎)へー!

(吉田豪)許斐(このみ)一族。UZIさんも本名が許斐(氏大)なんで。

(安東弘樹)そして特務機関で柔道家ってこれ……説明願えますか?

(吉田豪)単行本も出ているんですよ。『特務機関長 許斐氏利』っていう。ものすごい面白いんですけどね。

『特務機関長 許斐氏利』

(玉袋筋太郎)面白そうな本だよ、また。寝れないな、これ!

(吉田豪)分厚い。まあ、ざっくり言うとおじいさんがこの許斐氏利っていう人で。この「氏」の字をみんな継いでいて。だから「UZI(うじ)」さんなんですよ。

(一同)ああー!

(吉田豪)で、以前にこのコーナーでZEEBRAさんのおじいさんが横井英樹さんだっていう話をご紹介しましたけど。

吉田豪 ZEEBRAを語る
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(吉田豪)『フリースタイルダンジョン』でZEEBRAさんの横にいるUZIさんのおじいさんも昭和の怪物なんですよ。なのに、そんなに知られてないっていう。

(安東弘樹)本当の怪物は知られていないっていう典型ですよね、これ。

(吉田豪)この前の『タマフル』の24時間放送の時に宇多丸さんとちょっとこの話になって。宇多丸さんが言っていたんですよ。家に渡り廊下があって、らせん階段もあって。そのらせん階段の間にキリンの剥製が……

吉田豪と宇多丸 ラッパーUZIと祖父・許斐氏利のスゴさを語る
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(玉袋筋太郎)それ、聞いたことがある。宇多ちゃんから。キリンだよ! キリンの剥製だもんな!

(吉田豪)まあ、それはおじいさんがそういう家を作ったんでしょうけど。そのおじいさん、許斐氏利さん。その人がもともと、当身や投げ殺しを専門とする……つまり、投げる前に当て殺しておくっていう柔道。双水執流っていうのがあるらしいんですよ。刀とかも学べるところらしいんですけど、そこでずっと学んだ後で講道館で日本一の柔道家を目指すんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)ところが、嘉納治五郎に直接講道館を破門されるんですよね。

(玉袋筋太郎)これがすごいよ! 嘉納治五郎出てきちゃったもん。これ。なんなんだよ、それ。もう、コンデ・コマだよ! なにやったんだろうね?

(吉田豪)ちょっとね、暴力沙汰が過ぎたんですよ。直々に破門になった初の中学2年生だったっていうね。

(安東弘樹)中2!? 夢精している頃ですよ、普通! 中2の時に、だから暴力が過ぎたっていうことですよね?

(吉田豪)そうなんですね。まあ、その後もちょっとやっていたりはしていたらしいんですけども、決定的に破門になったのが、理由がちょっとすごいんですよ。あの、代議士襲撃っていう……(笑)。

(玉袋筋太郎)代議士襲撃!? すごいな、これ。

(吉田豪)ちょっと、右翼テロリスト的な方にもなっていて。この許斐さん。当時。で、とある代議士を殺害しようとして、実際に行動して、逃げて、指名手配されて……

(安東弘樹)一応、未遂担ったんですよね?

(吉田豪)そうですね。本人は「死んだ」と思って逃げたんだけど、死んでなかったという状態で(笑)。あのね、それは破門になりますよ!っていう(笑)。当たり前ですっていうね。ところがね、その後も懲りないんですよ。これ以外で吉田茂を襲おうとして検挙されたり……

(玉袋筋太郎)(笑)。麻生太郎さんのおじいちゃん!

(安東弘樹)昭和の宰相、吉田茂。

(吉田豪)さらには2.26事件では北一輝のボディーガードを務めるなどして……

(一同)(笑)

(吉田豪)ここでほら、五社英雄が絡んできましたよ!

(春日太一)絡んできましたね。『226』。北一輝ってすごいところ、持ってきましたね。また!

(玉袋筋太郎)これはすごいわ!

(吉田豪)そんなことをしていたせいで、日本では活動しにくくなったんで、中国に渡って特務機関になると。上海やハノイで許斐機関を率いてテロやアヘンを使った秘密工作に従事。このへんをお孫さんのUZIさんに聞いたら、もうヒップホップなノリで「アヘンのルートをゲトッて。それでだいぶ財を築いたっぽいです」っていうね(笑)。「アヘンのルートをゲトッて」っていう……(笑)。

(玉袋筋太郎)ゲトッて(笑)。

(吉田豪)結構ヒップホップな。やっぱりアヘンっていうのがいいですよね。そういう血をだからちょっと継いでいるっぽくって。UZIさん曰く、「いとこや甥っ子は熱狂的な軍事マニアで銃マニアだった。お兄さんは慶応の柔道の総監督で。自分はなにか継いでいるのかと思ったら、ラップでメッセージを伝えるっていう。当時の活動家も自分たちの意思を伝えたかったわけですよ。まあ、そのために殺す気で行っちゃったりしていたんですけど」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)そりゃあまあ、テロはな(笑)。

(吉田豪)「すぐに刺すとかでしたからね」っていう(笑)。で、おじいさんは特務機関だったんで、家族にも当時のことをなにも話さなかったし、取材もほとんど受けなかったんですね。でも、夕刊フクニチっていう地方紙のインタビューだけは受けていて。その新聞記者とのやり取りがこの本に出ていて。それが最高だったんですよ。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)初対面の記者にいきなり、こう言うんですよ。「君、いいお土産をもらったんだ。ご覧に入れよう。ほら、西部劇に出てくるウィンチェスター銃さ!」って言って、銃に弾丸を込めて、表札の大きさの板を紐で縛って標的を作って壁に立てかけると社長室の端っこからいきなり発砲。

(一同)(笑)

(吉田豪)ど真ん中を撃ちぬいて……

(安東弘樹)それ、日本での話ですよね?

(吉田豪)日本ですよ(笑)。上海とかじゃないですよ。日本に戻ってきて実業家になった頃ですよ。これ、もう。

(安東弘樹)ええっ?

(吉田豪)で、さらにその真ん中に穴が空いた板を記者に渡して、「今度は君、その板を頭の上に乗っけて向こうに立ってごらん」と言って、またもや発砲。それがまたきれいにその穴を撃ちぬいていて。それをやってのけたっていうことで、その新聞記者を信用して、いろいろ話してあげたっていうね。

(安東弘樹)ウィリアム・テル状態っていう……

(吉田豪)そうですね。でもあれは親子ですからね。これは初対面ですから(笑)。信頼関係ないですからね。

(安東弘樹)しかも、実弾なんでしょ?(笑)。

(玉袋筋太郎)小便漏らすぜ。でもやっぱりね、五社(英雄)さんも拳銃は……

(春日太一)ありましたね(笑)。

(吉田豪)ちなみに、ちょっといい話で言うと、ZEEBRAさん。田園調布の家に当時、住んでいて。いまは鈴木その子さんが、その後ね。

(玉袋筋太郎)そう。その子さんがね、買ったんだよ。

(吉田豪)で、そこで、よくヒップホップの勉強をしていたらしいんですね。若い頃に。で、ちょっとその時に口論になっちゃって、ZEEBRAさんといろいろ言い合いになってた時に、突然なんか背中が痛いと思ったら、横井英樹が杖で突いていたっていう……

(安東弘樹)(笑)

(吉田豪)もう死ぬ直前の、晩年の横井英樹に(笑)。暴漢だと思われて(笑)。

(安東弘樹)ああ、口論をしていたから。

(吉田豪)そうそうそう(笑)。

(玉袋筋太郎)いい経験、してるな! すごい。ないな、こういうの。

(吉田豪)ヒップホップ恐るべし!っていうね。

(安東弘樹)もう、この「その1」でお腹いっぱいな感じしますけどね。でも……

(吉田豪)その2に行きますか。

(安東弘樹)オリンピック選手って……

祖父はオリンピック選手で実業家

(吉田豪)すごいんですよ。要はそのおじいさんは特務機関時代に、まあかなりのミッションをいろいろやっている結果、拳銃が相当上手くなったらしいんですよね。

(安東弘樹)射撃がね。

(吉田豪)そうです。そうです。その結果、クレー射撃でメルボルンオリンピックに出てるんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)。なんか的が変わっちゃったよね。それね。

(安東弘樹)オリンピック選手。すげーな!

(吉田豪)普通に日本の大会とかで優勝したりしてるんですよね。で、当時の満州でも馬賊の頭領になっちゃったぐらい射撃の腕がすごかったと。ところが、それだけやったのに戦後は特務機関をやめて、銀座の東京温泉などを経営する実業家になると。

(玉袋筋太郎)東京温泉だよ。

(吉田豪)東京温泉っていうのは日本初のトルコ風呂があったとして有名なんですけど。このトルコ風呂っていうのは、いわゆるいまのソープランドとは別で、スチームサウナみたいなやつなんですね。

(玉袋筋太郎)トルコ風のお風呂ですよね。

(安東弘樹)ああ、本物の。性的サービスではない。

(吉田豪)そうです。メルボルンオリンピックでフィンランドの選手が選手村でスチームサウナに入っているのを見て、「これはいい」と思って日本に持ってきて。サウナの後でマッサージしてくれる女性を「ミストルコ」っていう名前にして、個室で女性がサービスするはじめての風呂だったということで、いまもウィキペディアに「トルコ風呂の創始者」って言われているけど、正確には違う。性的なサービスはしなかったと。

(玉袋筋太郎)あ、その後だもんね。サービスはね。

(安東弘樹)そのマッサージは本当のマッサージだったんですね。

(吉田豪)だから、(力道山の)リキトルコとかと一緒ですよね。

(安東弘樹)そっか!

(玉袋筋太郎)そこから手コキになっていって……っていうね。

(吉田豪)(笑)。ただ、日本女性を守るために米軍用のキャバレーを作ったりとか。結構そういう方面も考えていた人ではあったと。

(玉袋筋太郎)かっけーなー!

(吉田豪)で、これもやっぱり春日さん向けの話なんですけど。映画興行に関わって、田宮二郎と一緒に抗議に行ったりとか。

(春日太一)あ、あの頃の!

(吉田豪)そうです。名前の序列で田宮二郎がゴネた時に。あの時に、一緒に行った人なんですよ。

(春日太一)ええーっ? 永田雅一のところに行って?

(玉袋筋太郎)それで田宮さんが(自殺で)使った猟銃がまさか、この人から……そういう経由じゃないだろうって!(笑)。

(吉田豪)さらには、特殊株主。いわゆる総会屋としても活動。これもUZIさんに聞いたら、まあ一声で「おいしい思い、してたみたいっすよ」って、軽い感じで言ってましたよ(笑)。UZIさんが8才の頃まで生きていたらしいんですよ。だから直接、そういう濃い思い出話を聞くことはなかったんですけど。でも、いまだに地元でタクシー呼んで年配の運転手の人に「許斐の家まで」って言うと、「ああ、許斐さんのお孫さん? おたくのおじいちゃん、豪快だったよ。国道1号を馬で走っていたんだよ!」って言われて。

(安東弘樹)どういう……?(笑)。

(吉田豪)「なんか当時、道交法では馬がOKだったっぽいっすよ?」っていうね(笑)。よく知らないですけどね(笑)。

(安東弘樹)あ、でもたしかにそうですね。馬、普通に。

(吉田豪)たぶんナンバーとかつければいいんじゃないか? みたいな。

(玉袋筋太郎)「真田広之も走ってたよ!」なんてさ(笑)。

(吉田豪)(笑)。ちなみにUZIさんが3、4才の時にテレビでウルトラマンの人形のCMやっていて。ウルトラマンとかウルトラの父、母まで全部揃っていて。「これ、ほしい!」って叫んだら10分後にピンポーンってインターホンが鳴って、おもちゃ屋がその人形を届けてくれたっていうね。

(玉袋筋太郎)あのね、ウルトラマンより総会屋の方が強かったっていうね。ゼットンより強かったってことだ、これ!

(吉田豪)Amazonもない時代に。すぐ届いたっていう。

(安東弘樹)10分後ってすげーな!

(玉袋筋太郎)おじいさんでそれだもんね。だから実のお父さんなんつーのは、またこれすごい……

(吉田豪)お父さんは東京温泉を継いだ人なんですけど。まあ、実業家だと思っていたんですよ。普通に。そしたら、お父さんもちょっとヤンチャというか、その筋の人だってことが判明。ただ、父親はおじいちゃんのことも自分自身のことも教えてくれなかったらしいんですよ。UZIさんは子供時代……おじいさんっていうのは実業家になる時プラス、戦争中に2回、指を落としていて。指が2本ない人なんですけど、お父さんも指、ないんですよ。

(安東弘樹)戦争とは関係ないんですね。そこはね。

(吉田豪)お父さんは「扇風機に指を入れてふっ飛ばしたからだ」って言ってたんで、信じていたと。で、背中も「熱湯をかぶってヤケドしちゃった」って言っていたんですけど、まあ刺青を消して、指もなかった。それは実は実業家になる時にそういうのもリセットして。ケジメとして指を落としたらしいんですけど。

(安東弘樹)はいはいはい。

(吉田豪)中学ぐらいまでは信じたけど、高校生になると「これはオヤジはアウトローだぞ」と気づいたと。で、お父さんとおじいちゃんのことを調べていって。そういうことをしているうちに、だんだんUZIさんも歴史好きになって歴史マニアになるっていう。最近、ようやく酔っ払った時にポロッと昔話をしてくれるようになったらしいんですけどね。お父さんは。

(玉袋筋太郎)うんうん。エピソードがもうほとんど……

(吉田豪)全てがケンカっていうね(笑)。

(安東弘樹)お父さんからは生の話が聞けるわけですね。いまね。

(吉田豪)「そんな血筋だと、UZIさんはどうなんですか? ケンカについては」って聞いたら、「いや、本当僕は人並みですよ。学校でちょっとケンカしたりとか、他の学校とちょっとモメたとか、カツアゲしたとか……」って。「……カツアゲはちょっと違うんじゃないですか?」っていうね(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(安東弘樹)普通ではないですね(笑)。

(吉田豪)「でも、ラップを始めてハタチを超えてからは人を殴ってないんですよ」って言っていて。でも、1回だけあった。当時大嫌いな某有名広告代理店があって、その人間に酔ってぶつかってしまい、『あ、ごめんなさい』って言ったら、『痛いな。貴様は何者だ!?』って言われて。『貴様って何だ?』『俺様は○○(※某有名広告代理店名)だ』って言い終わる前にぶっ飛ばしていた」という(笑)。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)それが15年ぐらい前で、いまは一緒に仕事しているし、嫌いじゃないっていう。基本、平和主義な人なんですよ。ただ、「大義名分がある暴力ならいい」って言っていて。それはおじいちゃんの発想なんですよ(笑)。

プロレス、漫画、ゲーム

(安東弘樹)はい。どんどん濃くなってきましたよ! だけど……プロレスで育ったラッパー?

(吉田豪)はいはい。

(安東弘樹)またね、玉さんの著書にもかかわってきますけども。しかも、漫画好きでプロゲーマー。

(吉田豪)この漫画の趣味は結構春日さん寄りなんですよ。

(春日太一)いや、驚きますよ。これは。

(吉田豪)本当に、いわゆるヒップホップの人なのに、ジャケでイラスト漫画を書いてもらっているのが平田弘史先生っていうね。伝説の劇画の人ですよ。時代劇劇画の大家。『血だるま剣法/おのれらに告ぐ』とか、まあ壮絶な。『御用金』とか『人斬り』とかを……

(春日太一)五社英雄のをやっているんですよね。

(吉田豪)そうなんですよ。UZIさんがそれを高校時代に読んで好きになって……みたいな感じで。

(玉袋筋太郎)環境だな、やっぱりな。

(吉田豪)ジャケットをお願いするために平田先生の家に泊まりに行って。

(一同)ええーっ!

(吉田豪)80を軽く越しているのにいまだにちょんまげみたいに髪を結んでいて。「切腹もしたことがないのに切腹の絵は書けない」ってことで、麻酔もかけずに盲腸の手術を受けたりとかリアリティーを追求されている方で。そんな平田先生の弟さんでとみ新蔵先生っていう漫画家もいて。これも時代劇漫画を書いている人で。「この2人が僕にとってはバイブルで。日本でいちばん好きだ」っていう。

(春日太一)それを聞くと、気が合いそうな気がしますよね。この2人はいいですよ。

(吉田豪)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)プロレスも好きだったら、そこも合いそうだな。

(吉田豪)ちなみに、漫画好きで有名なんですけど、漫画好きの原点を聞いたら、家に村上和彦の極道劇画が全部揃っていたって聞いて僕も爆笑して。

(玉袋筋太郎)(笑)

(吉田豪)極道漫画しか書かない人がいるんですよ。すごい、ほぼ本職に見える……

(安東弘樹)劇画ですね。

(吉田豪)それが家に普通に並んでいたっていう。ないですよ、そんな家っていう(笑)。

(安東弘樹)小学生の頃からそれを読んでいたんですね。

(吉田豪)それで性の目覚めをしたっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)まあ、『ゴルゴ13』はそれで、俺も性の目覚めを……

(吉田豪)ゴルゴと全く同じ顔をしているのが『昭和極道史』ですけどね。

(吉田豪)そして、UZIさんはゲームの世界でも有名なプロゲーマーでもあるんですよ。コナミ主催の『ウィニングイレブン』の大会で日本チャンピオン。セガの『バーチャストライカー』っていうサッカーゲームで世界チャンピオン。

(安東弘樹)世界チャンピオン!?

(吉田豪)3 on 3のバスケゲーム『フリースタイル』では日韓戦の日本代表になって。その時、テレ東の『ワールドビジネスサテライト』が「ゲーム=オタクじゃない」と取り上げた。これ、どういうことか?っていうと、支給されたコスチュームが小さくてピチピチで、もう乳首が立っちゃってて恥ずかしいからっていうんで、パーカーのフードをかぶったまま。「脱げ」って言われたんだけど、ヒップホップな感じのまま出たら、「もうオタクのものじゃない!」みたいな感じでちょっと話題になったという。

(安東弘樹)WBSでね! へー!

(吉田豪)で、中学の頃は『信長の野望』とか『三国志』とかの歴史ゲームが好きすぎて、光栄が学校の近くにあったんで何度も訪問して、「大好きなんです!」って学校帰りに学ランで言いに行って門前払いされるっていう……

(安東弘樹)へー! 光栄にね。

(吉田豪)最近も日本代表になろうとして、『カウンターストライク』っていう戦争ゲームにハマって。マネージャーの電話も全部シカトして4年間がんばったけど、代表になれず。「4年、無駄に使っちゃいました。アルバム2枚出せた……」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)オリンピック選手だよ、これ。言ってることね。アスリートだよね!

(吉田豪)で、ありながら格闘技関係のMCもやっていて。K-1のWORLD MAXとかいろんな……6団体やっているんですね。リングアナを。最近はプロレスのMCもやって。それがとにかくうれしかったと。もともと、『世界のプロレス』とかまで見る小学生で、みのもけんじ先生の『プロレス・スターウォーズ』とか、そういう話を熱く語る人なんで。

(玉袋筋太郎)おおーっ!

(吉田豪)で、新日本プロレスのテーマ曲を作ったりとか。もう完全にこっち側なんですよ。

(安東弘樹)本当、幅あるなー!

(吉田豪)宇多丸さんが言ってましたから。「いちばん一緒に酒飲みたいラッパー、UZI」って。趣味人としていろんな話が合うっていう。

(玉袋筋太郎)そうだろうな。

(吉田豪)UZIさんも驚いてましたよ。「とみ新蔵の話まで拾われるとは思わなかったですよ!」って(笑)。

(春日太一)(笑)。とみ新蔵は、いいなー! 趣味、合いそうだな。

(安東弘樹)春日さん、合いそうですね!

(春日太一)『プロレス・スターウォーズ』も大好きですからね。

(吉田豪)そうですね。プロレス&時代劇でっていう。

(春日太一)特に『プロレス・スターウォーズ』はいちばん好きですから。最高ですよ、これは。

(吉田豪)そして、その5に行っちゃいますか?

脅迫メールで大学卒業

(玉袋筋太郎)やはり弁が立つ。脅迫メール卒業事件。

(吉田豪)実は慶応大学出ていたりとか、インテリジェンスな面も。

(玉袋筋太郎)こういうのがすごいんだよね! 中卒であってほしいもん。慶応なんだね。

(吉田豪)でも、慶応もカンニングで入ったって言ってましたね(笑)。カンニングで卒業して(笑)。

(玉袋筋太郎)時効(笑)。

(安東弘樹)でも、卒業されているんですね。

(吉田豪)大学は3回半落第して。常に音楽やっていたんで、授業には出ないで試験だけ受けていたような学生だったと。で、あと半期で卒業できそうだった時にコンピューターの情報処理の単位だけ取れなくて。このままだと後期はその授業のためだけに行かなきゃいけない。それだけの授業料が25万円かかる。落第してからの授業料は自分で払っていたから、それは困るっていうんで先生--ちなみに年下だったんですが--に、直談判したと。

(玉袋筋太郎)うん。

(吉田豪)で、当時ちょっと交通事故で授業に出られなかった経緯もあって、全部説明して、「単位ください」って言ったら「絶対にあげない。仮に君が全部授業に出たとしても、その前に休んでいた分があるから君に単位をあげるつもりはなかった」って言って、ちょっとUZIさんがキレちゃったっていう。

(玉袋筋太郎)キレるだろうな、こりゃあ。

(吉田豪)先生が「君には単位をやらん!」って言って走って逃げたらしいんですよ。ヤバいから(笑)。

(玉袋・春日)(笑)

(安東弘樹)そりゃあ逃げるでしょうね、はい。

(吉田豪)で、すぐにコンピューター室に駆けこんで、メールで「もし俺が後期も学校にいるようだったら、かならず挨拶しに行きます」とメールを送ったら、学部長から呼び出されて。「こんなメールを出したらしいじゃないか」って言われて、「いや、そんなのただの挨拶です。それより、僕がこの学校をどれだけ愛しているか、わかりますか?」って学校への愛を語ったら、最終的に「君、気に入った!」ってことになって、先生にかけあってくれて単位がもらえることになり……

(玉袋筋太郎)なんだ、そりゃ!?

(吉田豪)(笑)。最終的にはみんなから1ヶ月半遅れで1人で卒業。「カンニングと脅迫メールで卒業したんですよ!」っていう(笑)。

(玉袋筋太郎)それが慶応だからね。参っちゃうなあ!

(安東弘樹)たしかにこの文だけ見たら、警察的には脅迫にならないですもんね。「挨拶する」としか書いてないですもんね。

(玉袋筋太郎)人間ができてるね。

(春日太一)見事ですね。言質とらせてないですもんね。大したもんだ。

(安東弘樹)いや、今日はすごいですね!

(玉袋筋太郎)濃厚だわ!

(吉田豪)まあね、時代劇漫画の話は僕、拾えなかったんで。ぜひ春日さんがね。

(春日太一)いや、あとね、特務機関の話も聞きたいですね。

(吉田豪)そっちも?

(春日太一)僕もね、大叔父が中野学校から特務機関に行って。

(吉田豪)あ、そうなんですか?

(春日太一)たぶんほぼ同じ……うちのはチベットに行ってたんですよ。で、チベットの独立運動を仕掛けていって、そっちで軍事を起こすっていうのをうちの大叔父がやって。それもね、うちの祖父が死んだ時の法事ではじめて言い出して。

(吉田豪)やっぱりみんな黙っていて。

(春日太一)親戚も誰も知らなかったんです。みんなそれで「ええっ?」って驚いて(笑)。で、ちゃんとサーベル差して当時の将校の格好をした写真も全部あって。でも訛っていたらダメなんで、ちゃんとイントネーションも全部。証拠でしゃべってくれましたよ。実は日本に帰ってきてしばらくは見つかったらヤバいんで山に逃げまわっていたって。そんな話を聞きましたから、やっぱり特務機関の人っているんですよ。

(玉袋筋太郎)いるんだよ。いや、とんだファミリーヒストリーになってきたね!

(吉田豪)(笑)

(春日太一)だからそのへんの話も聞きたいですね。特務機関話。

(安東弘樹)これは……NHKでやってくれるかな?

(吉田豪)現地で柔道の裏技とかを使って戦ってた話とか、めちゃくちゃ面白いですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)そうだろうね。戦っているというか、仕留めているんだろうね。

(吉田豪)(笑)

(春日太一)柔道、本当強いらしいです。そういうのは。

(吉田豪)ああ、そういう時は?

(春日太一)うちの大叔父も拓大の柔道部でしたから。

(吉田豪)わあ!

(安東弘樹)拓大!

(玉袋筋太郎)ゴリゴリじゃねえか!

(吉田豪)たぶん牛島門下ですよ(笑)。牛島辰熊ですよ!

(玉袋筋太郎)こりゃあ、終わらねえな!

(安東弘樹)でも、その時代は本当すごいですよね。いろいろとね。すごい時代を生きてきただけあって、多かれ少なかれ……さあ、今日うかがったUZIさんの話、もっと詳しく知りたいという方は発売中の『実話BUBKA超タブー』にインタビュー記事が掲載されています。そして発売中の『BUBKA10月号』、吉田豪のスーパースター列伝女子プロレス編にナンシー久美さんが登場。

(吉田豪)これも面白かったです。

(玉袋筋太郎)なにやってるの、ナンシー久美さん?

(吉田豪)いま、空手を教えながら、すっごい異常にフワフワした人で。全女のイジメの首謀者みたいな感じでずっと言われていたけど、全然違いましたね。かわいらしい人ですよ。びっくりした(笑)。

(玉袋筋太郎)そうなんだ! へー!

(安東弘樹)そして『CDジャーナル9月号』では上坂すみれさんのロングインタビューが掲載。

(吉田豪)この人も変わり者で。ちょうどこの話をしたんですよ。一緒にイベントを
やった時に。ロシアとか大好きな人なんですよ。で、この許斐氏利の話で、「きゃー! 惚れる! 好きー!」って叫んで(笑)。そういうのが好きな人です。

(玉袋筋太郎)いやいや、みんないい人だ(笑)。

(安東弘樹)そして! 春日太一さんの新刊『鬼才 五社英雄の生涯』、絶賛発売中。

(吉田豪)はい。これ、僕『AERA』で書評を書きました!

(春日太一)いや、素晴らしい書評で。これは。もう吉田豪さんの書評ね、泣けましたよ。書評が。『AERA』、ぜひみなさん読んでいただきたいと思います。

(安東弘樹)泣いてばっかりですね、春日さん。

(春日太一)もうね、最近涙もろい。本当に(笑)。

(玉袋筋太郎)『抱腹絶倒!! プロレス取調室~昭和レスラー夢のオールスター編~』もひとつ、よろしく(笑)。

(吉田豪)新刊が。

(安東弘樹)あれも名著です! そして吉田豪さんの次回の登場は10月7日。そして春日太一さんと吉田豪さんはここでお別れです。寂しい!

(玉袋筋太郎)寂しいな! このまま飲みに行きてえよ! 夕方6時になったらハネるから、今日どうですかね? 飯でも。

(吉田豪)この後?(笑)。

(玉袋筋太郎)四谷あたりで!

(安東弘樹)今日、濃かったですねー!

(玉袋筋太郎)濃い(笑)。スペシャルウィーク!

(吉田豪)こっちが勉強になりましたよ。

(安東弘樹)今日、聞いていた方はお得! 吉田豪さん、春日太一さん、ありがとうございました!

(吉田・春日)ありがとうございました。

<書き起こしおわり>

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