砂原良徳 音楽制作を語る

砂原良徳 METAFIVEを語る block.fm

砂原良徳さんがblock.fm『Smooth Navigation with EMPORIO ARMANI』に出演。タケル・ジョン・オトグロ(TJO)さんと楽曲制作を始めたきっかけやこれまでのアルバムの制作裏話などをしていました。

(TJO)実際にまりんさんが曲制作をし始めた時っていうのはいつぐらいからですか?

(砂原良徳)自分で曲を作り始めたのは高校生の頃ですね。中学校の頃はバンドはやっていたんですけども。その頃は、もうコピーです。人の。

(TJO)なんの?

(砂原良徳)YMOのコピーですね。

(TJO)完全にもう、YMOをやられていたんですね。ちょっとお聞きしたいのは、いわゆる楽曲制作を始めて、曲を作ろうとか、こういう路線で僕は行こうって思ったきっかけになった音楽家とか楽曲って何ですか?

(砂原良徳)あのね、まあYMOが好きでやっていたんですけど、YMOの曲って結構難しいんですよ。坂本さんとかがいて、コードが複雑だったりして。その後、もっとアイデアひとつで行くみたいな音楽も結構出てきて。たとえば、アート・オブ・ノイズ(Art of Noise)みたいなバンドだとか。もう、エンジンのサンプリングだけで行くぞ、みたいな。ああいうのが出てきてから、「こういう感じだったら僕もアイデアとしてはできるな」っていう風に。

(TJO)へー。

(砂原良徳)ただ、テクノロジー的に全然追いつかなかったですけど。楽器高かったですから。

(TJO)当時ってどれぐらいするんですかね? いまでこそ、いろんなソフトがありますけど。

(砂原良徳)そうですね。一通りやろうと思ったら、まあ4、50万はないと無理だったと思いますね。だから高校生で4、50万っていうと結構大変なんですよね。だから、友達で、「お前はこれ買って。俺はこれを買うから」みたいな。

(TJO)なるほど。手分けして。それで。で、みんなで集まって使い回すっていう?

(砂原良徳)そうです。使い回すっていうことですね。

(TJO)そうなんですね。で、いろんなキャリアを経て、まりんさんは電気グルーヴに参加されるじゃないですか。で、その後にソロに転身されて。まりんさんにとって、自身にとって、すべてのキャリアにおいて、ここがターニングポイントになったっていうのは、どこですか?

(砂原良徳)うーん……まあ、ターニングポイント的なところっていうのはいくつかあると思うんですけども。やっぱり電気グルーヴで活動して、すごく……アマチュアの時代ってやりたくなかったら別にやらなくてもいいじゃないですか。でも、デビューしちゃうとずーっと続いていくんで。その中で鍛えられたのは随分大きかったと思いますね。やり続けなきゃいけないっていうかね。

(TJO)はいはい。

(砂原良徳)なんかこう、表面的に考えてやりたくないなっていうようなことでも、なんとか自分の中で上手く消化して、それを乗り切るとか。そういう経験もしたと思いますし。

(TJO)結構消化できました?

(砂原良徳)うーん。若い頃は大変だったですけど。いまは割と、対応できることの方が多いと思います。

(TJO)僕、個人的にすごく印象的だったのは、もともといちばん最初のまりんさんと僕との出会いは電気グルーヴの作品だったんですね。で、その中でも、やっぱりまりんさんが手掛けられた楽曲っていうのはすごくカラーが感じられて、大好きだったんですよ。で、95年に『CROSSOVER』、あの作品が出て。その後に『TAKE OFF AND LANDING』ってセカンドが出てっていう時に、本当にもう、まりんさんの世界観をすごく感じられて。「なに、これ?」っていちばんびっくりしたんですよ。

(砂原良徳)ああ、そうですか(笑)。バンドの時はやっぱり混じっているんで。僕1人で何をやっているのか?っていうのはわかりにくかったと思うんですよね。それで1人でやると、そこがやっぱり濃く出るんで。そういう風に思ったのかもわかんないですけど。

(TJO)打ち込みは打ち込みなんだけれども、そこにすごくモンド感とかラウンジ感とかあったりして。

(砂原良徳)そうですね。そういう時代だったですね。

航空会社テーマの三部作

(TJO)あとはいわゆる航空会社をテーマにされてやっていたじゃないですか。しかも、そのテーマが1回だけじゃなくて、三部作ぐらい?

(砂原良徳)そうですね。続きましたね。

(TJO)あれは、自分的なモードがずっと続いていた感じですかね?

(砂原良徳)そうですね。あとはやっぱり、音楽を世の中に聞いてもらうためのプレゼンテーションっていうんですかね。その形として、どういう風にして作品をプレゼンテーションしようか?っていうことを結構考えていたと思うんですよ。普通に楽曲を作って、普通に僕の名前だけ付いているだけなのと、航空会社のロゴがズラッて並んで店に並んでいるのだと、全然違うと思うんですよね。やっぱり。

(TJO)たしかに。

(砂原良徳)そういうことを考えていたと思うんですよね。

(TJO)それはもう、ご自分でも考えられた?

(砂原良徳)自分で考えました。自分で考えて、結構ね、面倒くさかったんですよ(笑)。

(TJO)それは、「面倒くさかった」っていうのは、やりだしたらそのテーマを続けるのが面倒くさかったのか、それとも考える時にどのテーマで行こうかって考えるのが面倒くさかった?

(砂原良徳)あの、考えるのは勝手に思い浮かぶんで面倒くさくないんですけど。あの、航空会社とかに交渉するのが大変だったですね(笑)。

(TJO)そうなんですね(笑)。

(砂原良徳)はい。あれ、全部やるの、大変ですよね。

(TJO)あ、そうか。あれ、オフィシャルの。そうですよね。パンナムとか。

(砂原良徳)オフィシャルです。これはオフィシャルじゃなかったら意味がないからっていうのを僕ね、プレゼンテーションの時に言ったんですね。これが架空の航空会社の名前だったら、これは全然意味がないからっていう。

(TJO)(笑)。それ、じゃあ結構交渉、だいぶ時間かかりました?

(砂原良徳)最初はね、僕、自分でやっていたんです。自分で航空会社に電話して。

(TJO)えっ、本当ですか?

(砂原良徳)そうです。ただ、これをやっていると音楽を作る時間がないっていうことで。途中でスタッフを立ててやってもらったんですけど。だからね、もういまはなきトランス・ワールド航空っていうところにね、僕、交渉の電話したんですけどね。2時間ぐらい粘りましたね。それでダメだったんですけど(笑)。

(TJO)そうなんですね(笑)。

(砂原良徳)「僕、直接成田に行きます」とまで言ったんですよ(笑)。

(TJO)(笑)。えっ、でもそれ、ダメだったんですね。

(砂原良徳)そうですね。ダメだったところもあれば、なんか僕が話をすると、「ああ、それは素晴らしいストーリーですね。我が社もその空港に乗り入れさせていただきます」って言ったのはね、カンタス航空だったんですよ。

(TJO)すっごい夢ありますね!

(砂原良徳)それでね、こんなね、資料を送ってきてくれたんですよ。何冊も、厚い本を。本当、ありがとうございました。本当に。

(TJO)素晴らしいですね(笑)。そんな、音楽以外の部分もこだわられているのはすごいなって。全然意外でした。

(砂原良徳)ああ、そうですか。でも、聞いてもらうために、そういうところまで本気でリアルさが出ていた方がいいなと思ったんですね。

(TJO)そうなんですね。僕も当時、幼かったんですけど。子供心にやっぱり、いわゆるジャケ写も含めて、中も見ていてカラフルだし。世界観が……音を聞いてパンフレットを見て、さらに広がる感覚って言うのはすごい……

(砂原良徳)ありますよね。昔、レコードもLPがダブルジャケットで、ちょっとブックレットみたいになって。で、いまでこそ、ビデオとかインターネットとかいろいろありますけど。当時は、メディアがあんまりなくて。レコードで体操をするためのレコードとか。なんか、ヨガのレコードとか、世界で架空の旅をするレコードとか。なんかそういう別の目的で、音楽メディアっていうのが使われていたので。なんかその時の感覚にもちょっと近いような感じになればなっていうのがあったわけですね。

(TJO)なるほど。しかも、そこで描かれている絵とかがすごく味があったりとか。それを集めるだけにレコ屋に行ったりとかっていうのも?

(砂原良徳)ありました。全然ありました。内容関係ないっていう(笑)。

(TJO)なんか、あったんですか? 音楽性は関係なくて、こういうジャケを見ちゃうとついつい買っちゃうみたいな?

(砂原良徳)飛行機ものはもう、ほとんど買ってましたね。

(TJO)なるほど(笑)。

集めたくなるレコード

(砂原良徳)あとは、オーディオテストのレコードですかね。周波数とかが入っていて。「ピー↓、ピー→、ピー↑」とかっていうのとか。あと、レフトとかライトとかサウンドテストとか。そういうレコードとかも書いましたよ。

(TJO)ああいうレコードも、いろんな種類があるんですか?

(砂原良徳)いろんなのがありますね。各社、RCAとかも作っていましたし。いろんな会社がやっていましたね。

(TJO)ちなみにまりんさんはサンプリング、結構されるじゃないですか。やっぱりそういう周波数の音とかもサンプリングしたりとか?

(砂原良徳)いや、基本的にはなんでもやります。音であればなんでもやりますね。そのへんのをマイクで拾うこともありますし。ええ。なんでもやります。

(TJO)僕はすごく、まりんさんの最初の航空会社テーマの時代にいちばん面白かったのは、ずっとテクノの曲の合間に、いろんなコラージュが急に入りこんだりとか。特に『TAKE OFF AND LANDING』とかも多かったじゃないですか。

(砂原良徳)はいはい。ありましたね。

(TJO)ああいうところで、「サンプリングかっけーな!」っていうのを改めて思い知らされて。しかもそれがちゃんとリズミカルに描かれた上で、作品を壊さないでいきなり入ってくる感じ。壊れているんだけど壊れていない、みたいなんですけど。そこから、その三部作以降に『LOVEBEAT』を2000年に入って出された時に、音数が一気に少なくなって。

(砂原良徳)はい。なりましたね。

(TJO)変わりましたよね。で、そここそが僕はターニングポイントなのかな?って勝手に……

(砂原良徳)でも、それもまあ、そのひとつだったとは思いますよ。なんか90年代。いろいろサンプリングとかあって、いろんなジャンルがグチャグチャになって。本当に楽しかったんですけど。なんかだんだん飽和する感じになってきて。このまま同じことを続けても、なんかフレッシュさがないっていうか。なんか、やっぱり脱皮しなきゃならない時ってあるような気がするんですよ。それでそのタイミングかな?ってやっぱり思ったわけですね。

(TJO)ああ、思ったんですか。

(砂原良徳)だからいままでやっていたことを、ちょっと1回捨てて。全く違うことをっていうのはありましたね。

(TJO)それは、あれですか? いままで自分がやってきたことに自分で飽きたからなのか、そろそろ変えなきゃなって何か意識的にそう思ったのか……

(砂原良徳)やっぱり基本、全てを変えなきゃならないっていうことはないとは思うんですけど。変えなきゃならないところもあったんですね。そういう意味では、一度掃除するような感覚っていうんですかね。部屋を使っていると、やっぱり汚れてくるじゃないですか。物が増えてきたり。

(TJO)ええ。

(砂原良徳)それを一度、整理したいっていうのと、あと、時代的にちょうど2000年とか2001年で大きい数字の変わり目っていうんですかね。それに引っ張られたのもあると思うんですけどね。

(TJO)なるほど。

(砂原良徳)まあ、千年に1回ですからね。

(TJO)たしかにそうですね。なかなかないタイミングですね(笑)。でも、僕的にはすごく面白かったのは、サンプリングも結構多用されて作品を作られていた頃もそうですし、一気にミニマルな感じになった時も思ったのは……『LOVEBEAT』なんか特にそうなんですけど、こんなに音数が少なくて、こんなに機械の音を使っているのに、なんでこんなにソウル感があるんだろう?って思って。

(砂原良徳)ああー。どうなんでしょうね(笑)。

(TJO)僕は、だから子供心に「本当にこれ、めちゃめちゃヤバいソウル・ミュージックだな」みたいに感じたんですよ。無機質なはずなのに、なんかグルーヴもしているし。

(砂原良徳)ただ、やっぱりアメリカのアーティストとかで、そういうソウルっぽいアーティストとかで、実は歌を取っちゃうとものすごい機械的なトラックみたいなものって、結構あるじゃないですか。そういうのはね、僕、聞いてたと思います。結構。

(TJO)なるほど。結構影響を受けていたりも?

(砂原良徳)したと思いますね。

(TJO)当時で言うと、結構ヒップホップ、R&Bと……じゃなくて、もうずっとヒップホップ、R&Bはもともと?

(砂原良徳)そうですね。ヒップホップはだから出てきた頃から。Run-D.M.C.のシャツとかは着てなかったですけども。でも、ヒップホップは出てきた時からものすごく気になっていて。で、一時期迷ったんですよね。だからシンセサイザーで行くか、ターンテーブルで行くかっていうので。

(TJO)あ、本当ですか?

(砂原良徳)迷ったことがあって。ただ、やっぱりどっちに行くにしても、出家っぽいって言うんですかね?(笑)。そういう感じなんで。ただ、ターンテーブルになっちゃうと、できることが限られてきて。自分がやりたいことはターンテーブルだけじゃできないなと思って。それで、サンプラーとかシンセの方に行ったっていうことですね。

<書き起こしおわり>

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