ディーン・フジオカ インドネシア音楽を語る

ディーン・フジオカ インドネシア音楽を語る block.fm

ディーン・フジオカさんがblock.fm『Smooth Navigation with EMPORIO ARMANI』に出演。タケル・ジョン・オトグロ(TJO)さんとご自身がチョイスした曲について話す中で、インドネシア音楽の奥深さについて言及していました。

Hope you enjoyed & now you can check achieve??Thank you Mr. Dean??Next show will 25th Apr.?? 、 昨夜のスムナビEAありがとうございました!ゲストのディーン・フジオカさん、人気スゴ過ぎてサイトアクセス過多なったけど??今日から昨日の放送が1ヶ月以上、無料でフル尺でいつでも好きな時に聴けます??ディーンさん、本当に音楽好きなの伝わってきたし、同世代としてスゴくしっくり来た選曲で、この日の俺のMixも確実に彼のセレクトに影響されました??そして何よりここまで?!って深いところまで話をしてくれて、彼の正直で素敵な人柄も感じられました。ホントまだまだ話し足りないぐらい??きっと他では聴けないディープな選曲&トークになったと確信してます。改めてアーカイブたっぷりお楽しみください??次回は4/25(月)また素晴らしいゲストお招きしますので聴いてね?? 、 【まとめ】 ①アーカイブ(再放送)、撮り下ろし写真、インタビュー、選曲リストはこちらから→ http://eas.block.fm ②またiPhoneのblock.fmアプリではディーンさん選曲+俺繋ぎによるここでしか聴けないDJ Mixも公開中→ http://block.fm/app/ #TJO #blockfm #スムナビEA #DEANFUJIOKA #ディーンフジオカ #sugarbitzartist #bitzcam

TJO (Takeru John Otoguro)さん(@tjo_dj)が投稿した写真 –

(ディーン・フジオカ)当時、台湾のマネジメントの会社と一緒に仕事をして、テレビドラマだったり映画とかをやらせてもらっていたんですけど。まあ、一度契約を更新せずにフリーランスになって。

(TJO)あ、そうなんですね。

(ディーン・フジオカ)で、自分は音楽、自分が作詞作曲してやってみようと思って、まあいろいろ放浪の旅にまた出たわけですよ。

(TJO)あ、そこからまた旅に出たんですね。

(ディーン・フジオカ)で、ちょっといろいろ紆余曲折あったんですけど、結局インドネシア、ジャカルタに落ち着いて。自分の、実は3月の末にアルバムを出すんですけど。それはもう全てインドネシアで制作したやつなんですよ。

(TJO)あ、ジャカルタで。ほー!

(ディーン・フジオカ)はい。で、だいぶ時間はかかったんですけど。その過程は全てジャカルタでやって。途中で他の国で俳優の仕事をしながら……みたいな感じで。

(TJO)じゃあ、結構あれですか?ジャカルタで制作された時にも、やっぱりこういった、ライヒ(Steve reich)だとかは本当、極端ですけれども。やっぱりこういった音楽たちにもすごく刺激をされた?

(ディーン・フジオカ)僕はですね、実はインドネシアを最初、ナメてたんですよ。

(TJO)ほう。ナメてた?(笑)。

最初はインドネシアをナメていた

(ディーン・フジオカ)うん。まあ本当、言葉その通りで。香港とか台湾に住むと、まあもちろんUSとかウェスタンの国でもそうだと思うんですけど。やっぱりインドネシアってメイドさんの国みたいな。本当、失礼ですけどね。僕、嫁がインドネシア人なんですけど。最初、自分が当時持っていたインドネシアに対するイメージって、なんかちょっと、これからの国なのかな?って勝手に思っていたんですけど。

(TJO)うん、うん。

(ディーン・フジオカ)住んでみて、もうぶっ飛ばされたわけですよ(笑)。

(TJO)ぶっ飛ばされたんですか?

(ディーン・フジオカ)もうなんか、「自分はなんて狭い世界に生きていたんだ!?」っていう。それで、まあいろんな人に出会って、気付かされる日々があって。まあ、音楽的にもDJ SUMOっていう僕のアルバムを一緒に作ったパートナーがいるんですけど。彼みたいなDNA的にはチャイニーズ・インドネシアンですよね。華僑のプラナカンっていう人たちですよね。でもまあ、国籍だったり、教育は全てボストン、USでやっていて。国籍も両方持っていて。トップ40みたいな曲も作れるし、インドネシアのそういう民謡というか。まあ、ダンドゥットみたいなのとか、ファンコットみたいなのもやれば……

(TJO)はい。

(ディーン・フジオカ)やっぱり華僑の影響の大きい国じゃないですか。東南アジアの方。インドネシアとか。だから、マンダリンポップスだったり中華圏のことも仕事として普段やったり。で、プンジャビとかああいうヒンズー系っていうんですかね? ああいうこともやるし。なんか、びっくりしたんですよね。なんか、「ダイバーシティっていうのがこういうことなんだ」って思って。

(TJO)うん。

(ディーン・フジオカ)で、音楽的に自分がバリとか、バリだけじゃないですけど。ジョグジャとか、ジャワ島の方でも、ガムランってインドネシアの民族曲じゃないですか。それをいち早く取り入れて現代音楽の中でその魅力を伝えた人ってやっぱりスティーブ・ライヒのこの曲(『music for 18 musicians』)だと思ったんで。なんか、決して毎日この曲をジャカルタで聞いているか?っていうと、そういうことじゃないんですけど。自分にとってその、何が先に行ってる、何が遅れているとか、どっちが上とか下とかの概念って、自分の見方でどうにでも変わるっていうんですかね?

(TJO)たしかに、たしかに。

(ディーン・フジオカ)自分のその器でどうにでも価値観なんて変わってしまうっていう。それをすごい気付かされたっていう象徴でこれを選んだ感じですね。この曲を。はい。

(TJO)ちなみに、その今回のアルバムを制作するにあたって、そのDJのパートナーの方……

(ディーン・フジオカ)「SUMO」って僕は呼んでますね。スマントリーっていう名前なんですけど。まあ、体型を含めて(笑)。スモウレスラーっぽいから、「SUMOでいいんじゃない?」みたいな感じで(笑)。

(TJO)SUMOさんとは何をきっかけで出会ったんですか?

(ディーン・フジオカ)そうですね。結構その時、台湾香港周りのミュージシャンといろいろセッションをしていたんですけど、たまたま中華圏だと当時って、台湾のテレビドラマとかコンテンツって強かったんですよ。台湾でエクスポージャーがあると、アジア全体にディストリビュートされていたから。それでプロモーションとかでマレーシアとかシンガポールとかインドネシアも行っていたんですね。撮影とか。で、なんか横のつながりでいろんなミュージシャンに出会ったんですけど、SUMOと直接会ったきっかけはいまの自分の妻が知り合いだったということもあって。

(TJO)なるほど。うん。

(ディーン・フジオカ)まあ、自分がセッションバンドみたいなのをジャカルタで組んでいた流れの……そっからつながったわけじゃないけど、そのモードの延長線上でなんか知り合って。

(TJO)そこからもう、がっつり彼とコラボレーションというか、本当にコンビみたいな感じでやってますよね?

(ディーン・フジオカ)もう、ユニットみたいな感じでやっていますね(笑)。

(TJO)今回、たとえばアルバム的には、音楽的にはどういった感じのジャンルでやられているんですか? ひとつのものには、まとめきれてないと思うんですけども。

(ディーン・フジオカ)あの、自分が2008年にやろうって決めてたのが、自分がポップスをやったらどうなるんだろう?って思って。ポップスのアルバムを作ろうって決めてやったんですね。縛りはそこ。それまで、あんまり、1人でも多くの人に届けたい音楽っていうものをあまり自分の中で意識して掘り下げていなかったんですけど。まあ、自分の音楽を作っていく時に、その縛りでやって後は自由にやろう、みたいな感じで作ったんで。まあ、ポップスって僕は思っています。

(TJO)なるほど。でも、あれですよね。ポップスって実はいちばん難しいんじゃないか?っていう。

(ディーン・フジオカ)難しいですよね! 歌詞もそうだし、うん。

(TJO)でも、あれですか? 歌詞なんかはもちろん日本語で書かれる時もあれば、英語で書かれる時もあると思うんですけど。特にインスピレーションを受けるアーティストとか、いらっしゃいます?

(ディーン・フジオカ)そうですね……いい質問ですね。歌詞のインスピレーションは……なんか具体的にこの人をロールモデルにしているっていうのはないんですけど。もしかしたら、すごく間接的にバイブルが自分の歌詞のインスピレーションの源なのかもしれないですね。

(TJO)あっ、バイブルっていうのは……

(ディーン・フジオカ)聖書っていう意味で。

(TJO)そうなんですね。

(ディーン・フジオカ)決してその聖書で言っていることと同じことを言ったりはしていないし。ああいう、古典英語みたいな形のことでもないんですけど。

(TJO)やっぱりそこは感じるんですね。自分で、やっぱり。

(ディーン・フジオカ)うーん。いろんなスタイルとかフォームってありますよね? で、自分の場合は曲によっては中国語も入っていたりするんですけど。なんかこう、歌っていることの……当時はそう思わなかったんですけど。いま、これだけ時間が開いて冷静に見ると、やっぱり許すこととか、なにか間違いが会ってそのセカンドチャンスとか。愛することの大切さとか。結構シンプルだけど、なかなか、その輪郭を使えにくいコンセプトたちっていうのを自分なりにがんばって伝えようとしていたのかな?っていう。

(TJO)はいはいはい。

(ディーン・フジオカ)で、そのスタイルとかフォームに関しては、自分の人生の日記みたいな感じで書いたっていうが、いま改めて思い返すとそういうことだったのかもなって。

<書き起こしおわり>

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