(外山惠理)へー!
(西寺郷太)1月にやるんで、ぜひ来てください。
(外山惠理)そして三位が岡村靖幸さん。
第三位:岡村靖幸
(西寺郷太)そうですね。岡村さんもここ4、5年仲良くさせてもらって。で、僕らここで『(小島慶子)キラ☆キラ』っていうラジオをやらせてもらっていた時に、僕の音楽コーナーとかすごく好きで。むしろ岡村さんの方から『会おうよ』って言ってくれたんです。
(サイプレス上野)はい。
(西寺郷太)その時に、『ビバナミダ』っていう岡村さんのシングルを僕と共同で歌詞を書いたのがもう出ているんです。2年前に。で、ライブとかでも割と人気のある曲に仕上がったんですが。その時に、まず僕が最初に書いた歌詞に岡村さんが『これじゃないの、もう1個ないかな?』って言ってきた時に、歌詞を書く時に、聞いている人に問いかけるような。松本隆さんの歌詞で『どうだい、僕と指切りしないか?約束なんてなにもないけど』っていうのをメールで送ってきてくれて。『どうだい、僕と指切りしないか?』って向こうに問いかけていると。
(サイプレス上野)はい。
(西寺郷太)で、よくよく考えると、『電話なんてやめてさ、六本木で会おうよ。いますぐおいでよ』とかっていうのとかも、岡村さんの『カルアミルク』っていう代表曲でも、いろんな曲で『○○と思うかい?』とか、『○○しましょう』とか、『しようよ』とか、『こっち来いよ』とか。たしかにこう、問いかけているんですよね。岡村さんの作詞って。
(サイプレス上野)はいはい。
(西寺郷太)だからこそなんか、聞いている人がドキッとしちゃうというか。最初はすごく心をえぐられるというか。それでだんだんハマッていくみたいなのは、そういうヒントがあるのかな?っていうので。それで、そういうアドバイスを受けて僕が半分書いたのが『ビバナミダ』。その後に岡村さんが付け足されたんで。そういう意味で言うと、作詞の時も思い出しますね。『聞いている人に問いかけろ』という。
(サイプレス上野)問いかける。いや、なんかすごい勉強になりますね。本当に(笑)。
(西寺郷太)勉強になるでしょ?ビッグネームばっかりなんでね。
(外山惠理)本当にね。そして二位が湯川れい子さん。
第ニ位:湯川れい子
(西寺郷太)はい。これは割と2、3年前。湯川さんの別荘に呼んでいただいて。別荘に温泉がついているんです。その温泉に僕を入れてくれて、待ってくれていたんです。そんで、いろんな話をしていて。湯川さんは作詞家としても、もちろんいろんな。『恋に落ちて』とか。もちろん『ランナウェイ』とか『六本木心中』とか、いろんなヒット曲があるんですが、ほとんどがメロディーに歌詞をつける。メロディーがもともとあるものに歌詞を乗せる。『曲先』っていう付け方をしてきたらしいんです。
(外山惠理)へー。
(西寺郷太)何曲か『詞先』っていって歌詞だけ書いて、それに曲をたのんだことが何回かあったと。だけど、やっぱりその歌詞をもらった人がちょっと縮めたりとか。『ここ、ちょっとハマらないんで、書きなおしてもらえますか?』っていう作曲家が多いんですって。そういう場合。だけど、『私の歌詞を変えずにメロディーをつけてくれたのは京平先生だけよ』っていうことで。
(外山惠理)へー!
(西寺郷太)京平さんは『センチメンタル・ジャーニー』っていう松本伊代さんの曲を付けられたんですが、『伊代はまだ16だから』とかってあれ、歌詞が先だったらしいんですよ。それに、『伊代はーまだ、じゅーろくだーからー♪』って。だからあれ全部、湯川さんが手書きでいつも書かれるんです。その書かれた歌詞が最初に来て。普通、作曲家だったら『伊代はまだ16だから?』って思うじゃないですか。『どうすんの?』って。
(サイプレス上野)うん(笑)。
(西寺郷太)それに変えずに、ピチッとメロディーを付けてきたのは京平先生だけよっていうのが。すごいそれ、かっこいいことなんですよ。作曲家としては。『お願いします。ちょっとここ、短く』って。それはすごいダサいっていうのが湯川さんに教わって。で、今回の錦織さんの舞台の『JAM TOWN』っていうので湯川さん作詞の曲が1曲、あるんですよ。
(サイプレス上野)へー。
(西寺郷太)それをお願いしたんです。僕が。『湯川さんとかダメかな?』って錦織さんに言われて。その場で僕、電話したんです。で、詞先で湯川さんが書いてくれた歌詞があるんです。これでメロディーつけるの、僕なんです。歌詞、一字一句変えられないでしょう?
(サイプレス上野)変えれないっすね(笑)。この話を聞いた後だと。
(西寺郷太)聞いた後に。で、変えずに『夢のDream Boat』っていう曲を作って。これはまあ、ミュージカルで歌うんです。もう、もちろん変えない。2人目になろうと思って(笑)。
(サイプレス上野)おおー!すごい作業ですね、本当に。
(西寺郷太)すごいプレッシャーでしたけど、楽しかったですね。それはでも、歌詞とか曲の話だけじゃなくて、なんでもプロが真剣に出してきたものを、わざわざ1個意見を足したりするのはダサいっていう風に僕もそれから思って。なんかその、たのんで、向こうが『これや!』って出してきたものを、そのままちゃんと飲み込んだ上で自分の仕事をするっていうのは、プロフェッショナルってそういうことなのかな?っていう。湯川さんとかのレベルの人のね。
(サイプレス上野)ああ、はい。
(西寺郷太)京平さんとかの話を聞くと・・・っていうのは結構、なににおいても思い出すようにしてるんです。これは。そうなんですよ。
(サイプレス上野)いやー、もうね。さっきのホットラインの話もすごいですけど。すぐ電話したっていう(笑)。
(西寺郷太)すぐ電話して。もう。(モノマネで)『いいわよ。先に私が詞、書くのどう?』って言われて(笑)。『私、ニューヨーク行かなきゃいけないから』って言われて。ビクッ!ってして(笑)。『それ、あのパターンですやん!』っていう(笑)。そうなんです。でも、できました。
(サイプレス上野)すげー。
(外山惠理)そして第一位。ルイス・ジョンソンさん。
第一位:ルイス・ジョンソン
(西寺郷太)はい。このルイスさんは昨年かな?お亡くなりになっちゃったんですけども。マイケル・ジャクソンの『Billie Jean』だったり、いろんな曲でベースを弾かれている天才ベーシストですね。まあ『Thriller』とか『Off The Wall』の頃の専属ベーシストと言っても過言ではない。もともとはブラザーズ・ジョンソンっていうグループをお兄さんと一緒に組んでいて。クインシー・ジョーンズがプロデュースして、『We Are The World』なんかも弾いている方なんですが。
(サイプレス上野)うん。
(西寺郷太)その方がたまたまですね、これも、いままでの筒美京平さん、錦織一清さん、岡村靖幸さん、湯川れい子さんはプロになってから会った人たちなんですよ。まあ、なかなか会える人でもないし。ルイス・ジョンソンは僕、もう19ぐらいの時に、まだ大学1年生とか2年生の時に、実家が京都なんですけど、なぜか・・・たぶん奥さんが日本人だったようなんですね。黒人ベーシストでスーパーベーシストなんです。
(サイプレス上野)はい。
(西寺郷太)『チョッパー』っていう。いまは『スラップ』っていう、指で弾くようなベース奏法で一世を風靡した方なんです。その人が京都で実はライブがある。シークレットライブがあるっていう話を僕がたまたま実家に帰っている時に、僕の先輩でマイケルとかを教えてくれた人が『郷太。一緒に行かねえか?』って言ってくれたんですよ。プロなんかにぜんぜんなる前で。ただの学生でバンドも組めなくて。もうどうしようかな?って思っていた時期で。
(サイプレス上野)うん。
(西寺郷太)そしたら、そのルイス・ジョンソンさんがベーシストなんです。もう爆音でジャミロクワイとかビョークをかけて。それで、ベースが2本置いてあるんですよ。ステージに。1人しかいなくて。その、売っている普通のCDを爆音でかけた状態に、ベースだけ自分で生で乗せるっていうライブだったんですよ。
(サイプレス上野)すげーライブですね(笑)。
(西寺郷太)ジャミロクワイとかビョーク。当時、だから新進気鋭というか、いきなり、むちゃくちゃ流行ったんですが。そこに彼がベースを乗せていく。でも、あんまりお客さんもシークレットでいなくて。僕、めっちゃ感動したんです。そしたら終わって、話しかけに行ったら、『いや、僕はバンドもぜんぜん組めなくて。ぜんぜん僕のやりたいような音楽をやってくれる仲間が東京に行ったらいると思ったけど、いないんですよ』とか言ったら、たぶん僕、19、18だったんで。すげーちっちゃく見えたんだと思うんですね。
(サイプレス上野)うん。
(西寺郷太)日本人だし。そしたら、『自分もチョッパーを始めた時、みんな「ノイズだ、うるせえ!」とめっちゃ否定されたし、バンドも何回もクビになった。だけどある時、すごく流行ってからはみんなが「チョッパーをやってくれ!」って急に変わったんだ。だからお前がやっていることもずっと我慢してやっていたら、そういう時代が来るかもしれないよ』って。で、最後、結構仲良く話を聞いてくれて。『Boy, Believe Yourself.』って言って帰っていったんですよ。僕、すごい感動して。
(外山惠理)うん。
(西寺郷太)で、その後に帰っていまのノーナのメンバーとか、学生の友達に『こう言われたんだ。「Boy, Believe Yourself.」って言われたんだよ!』とかって言ったら、『それ、「がんばれよ」って言われただけちゃうんか?』みたいな(笑)。
(サイプレス上野)(笑)
(西寺郷太)でもなんか、すごいかっこよかったんですよ。『Boy, Believe Yourself.』って。まあ、10代だったんで。まだ。だから、いつもこのことを思い出すんです。なんか否定されたりしても、そのままやっていればいいことがあるんじゃないか?っていう時に。それこそ、マイケルのことを応援してたのもそうですし。いま、こういう音楽も、まさにこういうことがやりたかったんだけど。やっぱり一時期は古いと言われていた音楽なので。なんか、そういう意味ではこの『Boy, Believe Yourself.』はすごく思い出すし、あともう1個は、ライブ終わった後にファンというか、子供みたいな連中が話しかけてきても、そこまで親身に話してくれるっていうのに感動したので。
(サイプレス上野)そうっすよね。
(西寺郷太)できるだけ自分も余裕がある時はかならずそういうクラブとかで会っても話を聞くようにしてるっていうのはこのルイスの教えですね。
(外山惠理)へー!いるんだな。そういう人ね。
(サイプレス上野)すごい。俺もね、ラップを書く人間としてすごいためになる話で。五位から一位まで。なんかそういう先輩は俺、本当好きっすね。ちゃんと親身になってくれる先輩っていうのは。
(西寺郷太)うん。ねえ。
(サイプレス上野)いいところは見習おうっていう。
(西寺郷太)そうなんですよ。
(外山惠理)はい。まだね、続きますが。以上、NONA REEVES 西寺郷太さんご提供『尊敬する音楽家から受けた名アドバイストップ5』でした。
<書き起こしおわり>