プチ鹿島 時事ネタ理解の為に知っておきたいプロレスラートップ5

プチ鹿島 時事ネタ理解の為に知っておきたいプロレスラートップ5 ザ・トップ5

時事芸人のプチ鹿島さんがTBSラジオ『ザ・トップ5』に出演。サイプレス上野さんと、時事ネタを正しく理解するために知っておきたいプロレスラーのとトップ5を紹介していました。

(外山惠理)ここからはプチ鹿島さんご提供による、こんなトップ5をご紹介していきます。時事ネタを正しく理解するために知っておきたいプロレスラートップ5。

第五位:北斗晶・佐々木健介
第四位:棚橋弘至
第三位:馳浩
第二位:鈴木みのる
第一位:貴闘力

以上、今夜のゲスト、プチ鹿島ご提供。時事ネタを正しく理解するために知っておきたいプロレスラートップ5でした。

(中略)

(サイプレス上野)はい。ランキング。

(外山惠理)もういろいろ書いていただきました。

(プチ鹿島)まあ、時事ネタというかいまの世の中、社会の空気というところまで広げて考えていただければと思うんですが。まあ、なんとなく知っているプロレスラー。ああ、なるほど。昔から見ている人はそんな見方もあるんだねという、そういうランキングでございます。この第五位の北斗晶さん、佐々木健介さん。まあ、北斗さんのことなんですが。

(サイプレス上野)はい。

第五位:北斗晶・佐々木健介

(プチ鹿島)北斗さん、先日乳がんの告白をされて、いま闘病。手術成功されて、闘病されてますけども。20年ぐらい前。現役の頃から見ている僕からすると、なんかこう、久しぶりにプロレスラー北斗晶を思い出したんですよね。というのはその、おそらく多くの方は『鬼嫁』というタレントのキャラクターの北斗さんしかご存じないと思うんですけど。あの方は全日本女子プロレスのトップレスラーだったんですよ。

(サイプレス上野)はい。

(プチ鹿島)ただ、最初からエースではなかったんですね。なんだったら中堅どころで、マニアには人気があったっていうそういう人なんですが。90年代はじめに対抗戦ブームが起きる。他団体と戦うブームが起きて、その時にグッとこう、名前と顔。なんだったらファンを捉えたのが北斗晶なんです。

(外山惠理)へー。

(プチ鹿島)その時、何をやったか?というと、北斗さんっていうのは問題提起。言葉を使った問題提起と人前での振る舞いをものすごく特化して上手い人だったんですよね。当時の女子プロレスというのは、まあ宝塚と同じような感じで女性ファンが圧倒的だったんですよ。女子プロレスファンっていう方が圧倒的だったんですが、北斗が何をしたか?っていうと、さっきプロレス週刊誌がすごい売れてたって言いましたよね?

(外山惠理)はい。

(プチ鹿島)それはやっぱり活字で、『この試合の意味は何があるのか?』とか『このレスラーの発言の後ろには何があるのか?』とか。そういう行間を読む・・・マニアのプロレスファン、大好きだったんです。そこで北斗さんはマイクアピールとか、あと、マスコミを通じてプロレス観の披露とか。次の試合にはこんな意味があるとか。もしくは柔道日本一だった神取(忍)さん。他団体の神取さんにケンカを挑む。試合を。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)とにかく男性ファンが、それまで女子プロレスに興味なかった男性ファンを巻き込むアピールをしだすんですよ。それで結局当時というのはアントニオ猪木さんがセミリタイア状態で、カリスマがいなかった状態なんですね。そこに専門誌とかが『これは女猪木だ』と。言ってみればこれだけ大衆を扇動する。で、試合を見れば過激な試合をする。一気に成り上がったんですよね。

(サイプレス上野)うん。

(プチ鹿島)で、それはもう北斗さんのセルフプロデュースというか、自分の見せ方。ここで自分が何を言えば、どう振る舞えばファンはチケットを買ってくれる。試合に感動してくれるっていう、とにかく言葉の天才だったんですよね。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)で、今回、ブログでガンを告白した時に、こんなことを書いてらしたんですよ。『女性の12人に1人は乳がんになるとも言われます。もしかしたらそれを大勢の人に伝えられる私だから、乳がんに選ばれたのかもしれません。そう思うしかありません』。これってもう完全に、やっぱり社会的にじゃあもっとどんどん検査行こうよとか。もしくはいま病気を患っている人に対しての勇気が出るメッセージですよね。だから自分がどう振る舞えばこの問題が動くとか。たとえば乳がんの検査にしても、実際その後すごくお医者さんには受診の人が増えたっていうニュースがありますよね。

(外山惠理)うん。

(プチ鹿島)だからそれはやっぱり、これは乳がんすら、自分のマイナスすら全部さらけ出して問題提起した。言葉でいろんな人を、なんだったら励ます。これ、北斗晶ひさしぶりにここにありだな!って思ったんですよね。

(サイプレス上野)おおー。

(プチ鹿島)これ、同じことをやっています。で、北斗さんの旦那さんの佐々木健介さん。この人は正直言うとプロレスはあまり上手くなかった人なんです。不器用で、ぶっきらぼうで直線的なファイトしかできなかった人なんです。

(サイプレス上野)はい。

(プチ鹿島)ただ、この人の才能っていうのは、パートナーに恵まれる才能。現役時代、佐々木健介さんは馳浩さん。いま、大臣になった。馳浩さん。で、プライベートでは北斗晶というどちらも鼻につくほどプレゼンが上手い人と一緒になるんですよ。で、それぐらい上手い人と一緒になると、朴訥な健介っていうのが味が活きてくるわけですね。

(外山惠理)うんうん。

(プチ鹿島)だからいまの鬼嫁に対する、別に健介、面白いこと言いませんよね?ただ、こうニコニコ笑っている。あれでいいんです。でも北斗のそういう、健介っていうボケ役がいるから、プロレス時代と同じようにマイクアピールを健介を壁にしてやっているわけですよね。おんなじことをやっている。だから僕、タレントとして絶対にすぐに売れると思いましたね。

(外山惠理)へー。

(プチ鹿島)それは北斗さんは昔から言葉と問題提起で自分の人前での振る舞い。どう振る舞ったら人が勇気づけられるか?動くか?っていうのをやっていた人なんです。90年代に。で、成り上がった人なんです。女子プロレスの客席風景も変えた人。それをまた新たにやっているんだなって思いましたね。

(サイプレス上野)いや、行きましたもん。自分も行きましたもん。本当に。

(プチ鹿島)ねえ。すごかったですよね。あのカリスマ人気って。男性ファンがもう女子プロレスの会場に駆けつけるんですから。これ、ものすごく構造変換ですよね。

(サイプレス上野)そういう性的な目とかじゃなくて、本当にかっこいい人を見に行くっていう。

(プチ鹿島)そう。次になにを言うか?とか、なにを仕掛けるか?とかね。そういうことですね。

(外山惠理)そうだったんだー。

(プチ鹿島)はい。で、そういう意味では第四位の棚橋さんも同じですね。棚橋弘至さんっていうのはこれ、ご存知の方、写真を見ていただければわかるんですけど、チャラいんですね。

第四位:棚橋弘至

(サイプレス上野)チャラいですねー。

(外山惠理)女性から好かれすぎちゃった人ですよね?

(プチ鹿島)好かれすぎて、ちょっと後ろから刺されて・・・まあ、力道山以来だったんですけど。刺されるっていうのは。

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(サイプレス上野)(笑)。生きててよかったですよね。

(プチ鹿島)生きててよかった。そうです。で、そういう人だったんですけども、こういうチャラい人ですから、どんなにがんばっても、いわゆる新日本プロレスですから。猪木さんが作った団体ですから、やっぱりもう、猪木しか認めねえ。猪木みたいなストロングスタイルしか認めねえっていうゴリゴリの硬派のファンしかいなかったわけですよね。

(外山惠理)うん。

(プチ鹿島)そういう人からすると、棚橋さんが出てきてどんなにやってもブーイングが飛ぶわけです。その、セレモニーとしてのブーイングじゃなくて、心から。『お前なんか消えろ!』っていうブーイングなんですよね。

(サイプレス上野)ですね。

(プチ鹿島)で、そこで何度も何度も棚橋さんはくじけそうになったんですが、彼が考えたことは、『じゃあ、もう客層を変えればいいんだ』っていうことなんですよ。いろんな、たとえば全国津々浦々プロレス、興行をしますよね。たとえば北海道に行ったら、北海道にチケットを売りに行く営業部員について行って。たとえば地元のラジオに飛び込みで出させてもらって。『とにかくプロレスのことを知らなくていいから、僕のことを見に来ください』と。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)っていうアピールをずーっと営業部員と一緒にしてたんです。で、その結果、新日本プロレス。あれだけゴリゴリの昭和ファンが多かったものが、女性ファンがもうほとんど。で、女性ファンもしくは男性ファンでも、最近プロレスを好きになった人が今、主流になって。見事に別物になっている。新・新日本プロレスになっているんです。

(サイプレス上野)そうですね。

(プチ鹿島)だからテレビのない、ゴールデンタイムのない時代に、これだけどん底から客席をV字回復させた、もしくは入れ替えて自分がトップに立ったという意味で、もうプレゼンの凄さですよ。だから棚橋さん、いま、本も出しているんですけど。普通の企業から講演会の招きが多いらしいですね。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)で、今年1月、僕、トークライブで一緒にお話もしたんですけど、やっぱり考えていることが自分のことだけじゃなくて、プロレス界全体。誰がどう動けば、で、こう動けばプロレス界のためになるっていう、そういう考え方なんですよ。そういうプレゼン王という意味で四位。棚橋さんですね。

(外山惠理)すごいですね。よかった。ただのチャラい人じゃなくて。

(サイプレス上野)チャラい人じゃないですよ。本当に。

(プチ鹿島)だからチャラい人でもいいじゃないかっていうのを逆にプレゼンして。で、試合は面白いですし、強いですから。最終的にやっぱり、『ああ、棚橋すごい!』っていう風になるわけですよ。

(サイプレス上野)完全に塗り替えましたからね。

(プチ鹿島)アンチを黙らせた。

(外山惠理)だって見に行ったこと、あるもん。

(サイプレス上野)ああ、ありますか?

(プチ鹿島)で、面白いでしょ?

(外山惠理)面白かったです。

(プチ鹿島)ねえ。その日、見に行っても面白いプロレスをやっている人なんですよ。

(サイプレス上野)当初はもう本当、嫌いでしたからね。

(プチ鹿島)だいたいファンはそうですよね。

(サイプレス上野)『ぜんぜん乗れねえ!』とか思ってたんですけど。でもいま、普通にもう、泣いちゃいますから。もう。

(プチ鹿島)10年かけたら、こうですからね。客層が変わって。すごいです。この人は。で、いよいよ三位の馳浩さん。

(サイプレス上野)はい。来ました。

第三位:馳浩

(プチ鹿島)この方はあの、まあ大臣になられましたけど。僕はやっぱりいろいろプロレスラーから議員になった人。もしくはタレント議員っていると思うんですが。まったく別枠だと考えた方がいいと思います。もうプロ政治家だと思った方がいいと思います。

(外山惠理)そうですか?

(プチ鹿島)っていうのは馳さんっていうのは、もともとオリンピックにアマレスで出て。それから星稜高校で国語の教師をして。で、専修大学のつながりで長州力さんがやっていた団体にスカウトされたんです。鳴り物入りで。で、そこから始めた人なんですよね。で、最初はやっぱりエリートに対して、プロレスファンってね、なんかあんまり最初から認めないじゃないですか。

(サイプレス上野)そうですね。

(プチ鹿島)だからやっぱり馳さんもブーイングだったんですよ。ところが1990年にバックドロップっていう技を食らって。もう本当に、命を落とすんじゃないか?ぐらいのさまよったんですよね。で、そっからなんか開き直ったのか、黄色いパンツになって。明るく楽しいプロレスになったんです。それは90年代初め。

(外山惠理)ふーん!

(プチ鹿島)で、武藤さんとか橋本さんとか蝶野さんがいた闘魂三銃士っていう下にいた選手で。馳浩自体はすごくプロレスが上手い人なんですよね。鼻につくほど上手いんですよ。だから、明るい楽しいプロレスって、僕ら昭和から見ていますから。『馳なんかのプロレスなんか見るかよ』っていう感じで見ていたんですけど、試合が始まるとドキドキワクワクして。固唾をのんで見守っちゃうっていう。それぐらいの上手さがあるわけですよ。

(外山惠理)へー!

(サイプレス上野)うちの兄貴もすごい嫌ってましたもん。

(プチ鹿島)だいたい嫌ってましたよね。

(サイプレス上野)すっごい嫌ってましたよ。『あんなのよ!』って。

(プチ鹿島)嫌ってるけど、リングに上がるともうスポーツライクなプロレスをして、惹きつけるんですよ。

(サイプレス上野)だから最初、俺も洗脳されていたんですよ。『あいつはダメだ』って言われていたけど、見ていたら面白いんですよ。試合が。すごい面白いんですよね。

(プチ鹿島)で、その馳浩の特徴っていうのはもうひとつあって。メインイベントでも使えるし、別に中盤どころでも使えるんですよ。トップじゃないから。で、タッグマッチに出たら、自分が試合をどんどん作って。プロレスが上手い人ですから、どんどん試合を作って。美味しいところをタッグパートナーに渡す。だからもう自分が汗をかいて美味しいところを渡す。これ、もう完全に政治家のいやらしい雑巾がけと同じなんですよ。

(サイプレス上野)(笑)

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)で、本当に95年。絶頂の時に森喜朗にスカウトされて。あっという間にプロレスからいなくなっちゃったんです。だから、馳さん。この間もあの頃を知っている記者の方と話したんですけど。馳浩ってあの頃、すごく見ていて面白いしワクワクするけど、なんかここにいて、心ここにあらずみたいな。なんかどっか消えるんだろうな・・・みたいなことをみんな思っていたんですよ。

(外山惠理)そうだったんですか。

(プチ鹿島)ある意味、みにくいアヒルの子感。馳はね。俺は、なんだったらプロレスを利用して、なんか次にステップアップしてやるぐらいの。あったんです。そしたらもう、95年。同じ石川県の森喜朗さんからスカウトされて。もうすぐに、政界に行っちゃって。で、あれから20年ですから。政界でやっていることっていうのは別に目立つことはないでしょう?

(サイプレス上野)そうなんですよね。

(プチ鹿島)いわゆる森喜朗の下の文教族で。向こうで言う雑巾がけっていうのを粛々とやって。だから、自分がプロレスでやっていたことですよね。タッグパートナーで試合を作って、で、大事なところは上に渡すみたいな。だからそういう、良くも悪くもプロ政治家なんですよ。だから、したたか。

(外山惠理)ねえ。いまや、ねえ。

(プチ鹿島)だから、こういうことになったんだと思うんですよね。

(外山惠理)大臣だもん。

(サイプレス上野)そうですね。イメージがないですもんね。その、プロレスラーだったみたいな、もう。完全に政治家としてのし上がっているっていう。

(プチ鹿島)したたか。だから僕は本当に政治家って、やっぱりいい人は向いてないと思うんですよね。ある意味、嫌なやつぐらいじゃないと。そういう意味で馳さんはすごくぴったりだと。

(外山惠理)ちょっと(笑)。

(プチ鹿島)いやいや、褒め言葉ですよ。したたかで。だからさっきの中国との話じゃないですけど、どう、チクっとやるか?ぐらいの。それぐらいの人ですよ。やっぱり。

(サイプレス上野)子供ながらに感じていたのが、いま、なんか解決できました。『この人、ぜったいに嫌なやつっぽいな』と思いながら見てた。

(外山惠理)(笑)。子供にもわかっちゃうんだ。

(プチ鹿島)そう。でも、それは褒め言葉なんですよ。『したたか』っていう。いやらしいぐらい鼻につくけど、でもやっぱり、目立たないようにして。この間も、オリンピックでね、有識者会議っていうのを森喜朗さんがずーっと出て、叩かれてましたよね?7月。いよいよ馳浩が森喜朗の代わりに出席してるんですよ。で、その時に舛添さんに何を言ったか?っていったら、舛添さんはその時、反対だったんですよね。オリンピックの新国立競技場。

(サイプレス上野)はい。

(プチ鹿島)そしたら、これ朝日新聞に載っていたんですけど。馳浩が舛添さんの耳元で、『知事、神宮の再開発と一体化。あわせて一本ですよ』って言って、舛添さんがその後、論調が変わったんですから。だからこれは全部、森喜朗の命を受けて動いているんですよ、だから。これ、別に褒めているわけじゃないです。それぐらい、昔懐かしいしたたかな、昭和自民党の動きをする人。だから僕、大臣になるのは当たり前だなと思ってました。

(外山惠理)ふーん!

(プチ鹿島)少なくとも、その前任の人よりはぜんぜんしたたか。したたかっていう面では面白いと思いますね。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)この間、だからやっぱりね、身体検査ということで。大臣になると、いろいろ記事が出てきますよね。で、献金を受けていた。たとえば国の補助金を受けていた企業から献金を受けていたっていう話が出ましたよね?で、まあ釈明してましたけど。これ、裏を返せば、ただのタレント議員が、トップ企業なんですよ。石川県では。補助金を受けるぐらいの。そういうところから献金をもらう政治家って、タレント議員じゃないでしょ?っていうことですから。どれだけこの20年間、地元に食い込んでいたか?っていう。その証明になったんですよね。

(サイプレス上野)ほー!

(外山惠理)面白い!

(プチ鹿島)だからすごい馳さんは、こう言うといつもみんなに聞かれるんですけど。『好きなんですか?』とか、『支持してるんですか?』『期待してるんですか』って。そうじゃないです。『認めざるをえない』っていうのが正直な。だから結構、巧妙に動きまわると思いますよ。で、バックが森喜朗さんですからね。ちょっとこれは、いちいち動きが見逃せないですね。

(サイプレス上野)すげーな。楽しみです。本当に。

(外山惠理)へー!

第二位:鈴木みのる

(プチ鹿島)あと、二位の鈴木みのるさんですね。これはまあ、時事ネタというか、いまこれだけ情報が多い社会でどう生きていくか?っていうことで関連付けてお話したいんですけど。この鈴木みのるさんって、見たことあります?顔写真ぐらいは。ちょっとまあ、ヒールっぽいというか。独特の・・・もともと格闘系の団体、パンクラスっていうのをずーっとやっていて。結構、30すぎてから、いわゆる王道のプロレス界に戻ってきた人なんです。ここ10年ぐらいで、フリーなんですけどトップになっている人なんですね。

(外山惠理)ふーん。

(プチ鹿島)で、この人の試合っていうのは、技をあんまり出さないんですよ。ですよね?

(サイプレス上野)ですね。

(プチ鹿島)間合いとか、お客さんの反応とかを上手いこと計算しながら、それでいかに技を出さないか。本人は『引き算のプロレス』って言っているんですけど。これだけ、技が高度になっているんです。いま、大技になっているんですよ。どんどんどんどん技を出していかないとファンが納得しない試合風景の中で、逆に鈴木さんっていうのは昔の昭和のシンプルなプロレス。技をあんまり出さない。で、最後は一撃必殺のパイルドライバーっていうのをやるっていう、そういうスタイルなんですけど。それが、いまこれだけ情報が多い、もしくは高度化した社会の中では、ものすごく新鮮に見えるんですよ。

(外山惠理)ふーん!

(プチ鹿島)だからよく鈴木さんは『足し算のプロレス、引き算のプロレス』って言うんですけど。みんないま、やっぱり足し算の発想なんですよね。これ、プロレスだけじゃないと思うんですよ。どんどんどんどん情報とか、全部知らなくちゃいけない。どんどん自分は知って答えなくちゃいけない、身につけなくちゃいけない。あれはどうだ、これはどうだって足していくっていう感じなのが、鈴木さんは『みんながそうなら、自分は何を引いていけばいいか?何をやらなければいいか?というのが、目立つだろ?』っていう。そういう見方をしてるんです。

(外山惠理)へー。

(プチ鹿島)だからこの間も9月に大阪でビッグマッチがあって。僕、どうしても見たくなっちゃって。

(サイプレス上野)ああ、行かれたんですか?

(プチ鹿島)新幹線で、もうフラーッて行きましたけど。あれ、見てよかったですよね。それも結局、山場っていうのが張り手とかエルボーの応酬で。それだけで、ものすごく
館内が揺れるんです。それまで、客席の心をコントロールしてるから。何にもっていうか、間合いとか。これはまあ、昭和の偉大なレスラーの共通点なんですよね。猪木さんにしろ、大仁田厚さんにしろ、長与千種さんにしろ。なんにも、ほとんど15分、20分やってないですよ。あの人たちって。

(サイプレス上野)うん。

(プチ鹿島)で、相手の攻撃を受けて、最後自分が反撃しだすっていう。で、面白いのは鈴木さんって新日本プロレスに入った人なんですけど、入ってすぐ、格闘系を志した団体に移籍してしまったんで。プロレスラーとしては、昭和末期の若手・前座レスラーが冷凍保存されたままだったんです。その後、格闘技団体に行ってましたから。で、それが平成の、2000年代になって冷凍保存とかれたら、みんな新鮮になったっていう、その面白さです。で、ご本人もそれに気づいたっていう。『ああ、なんだ。足していかなくていいんだ』っていう。

(外山惠理)へー!

(プチ鹿島)だから、その情報の扱い方ですよね。じゃあ、俺も大技やんなくちゃいけないのか?って言ったら、そうじゃない方を選んだっていう。見事にトップに立っています。はい。で、一位ですか。

(外山惠理)はい。貴闘力さん。

第一位:貴闘力

(プチ鹿島)これは先月、いちばん僕、印象的な日があって。よりによって野球賭博のニュースが発覚した日に、貴闘力さんにばったり会っちゃったんですよね。

(サイプレス上野)(笑)

(プチ鹿島)貴闘力さんって言えば、2010年に野球賭博で相撲協会をパージされた人じゃないですか。で、あの時、実は僕、相撲も結構見ているんで。何があったか?って言ったら、貴乃花さんが理事選に出たわけですよね。それまで、一門一枠みたいな感じで無風選挙だったのが、一門を出て、貴乃花さんが理事選に、言ってみればガチンコでチャレンジしたんです。その時の番頭役だったのが、貴闘力さんなんですね。

(外山惠理)うんうん。

(プチ鹿島)で、実際に票を開けてみたら、1票差か何かで大逆転で貴乃花さんが理事に当選したんですよ。で、噂されているのは当時いた琴光喜っていう大関が貴乃花さんとは所属が違うんだけど。一門が違うんだけど、貴乃花さんに入れたんじゃないか?と。当時から言われています。その後に起きたのが、野球賭博で。で、いろんな人がやったんですけど、パージされたのが貴闘力と琴光喜だったんです。で、これなにか臭わねえか?っていうので、僕はどうしても貴闘力さんにお話をうかがいたくて。

(外山惠理)ふんふん。

(プチ鹿島)2011年ですね。まあ、トークライブハウス、ロフトプラスワンっていうのを押さえて。貴闘力さんに、ぜひ出てほしい!っていう。ただ、何の面識もないし、知名度もないですから。やり方としては、もう手紙を出すしかない。で、『貴闘力さん、今回のパージされた件、もしくは現役時代のかっこいい相撲の・・・張り手。ちっちゃい体なんですけど、張り手でどんどん大物を倒していく。あれはずっと好きでした』っていうのを言ったら、『わかった。出てやる』っていうので、出てくれたんですよ。

(外山惠理)うん。

(プチ鹿島)ただ、ロフトプラスワンの店長っていうのがちょっと、なかなか粗相を繰り返して・・・

(サイプレス上野)(笑)

(プチ鹿島)来るか来ないかっていうのがものすごく土壇場まで揉めたんですけど、ちゃんと来てくれましたね。で、その時、半年前に貴闘力さんにインタビューしたのが吉田豪さんだったんです。だから吉田豪さんにも来ていただいて。あと、居島一平の3人で貴闘力さんにいろいろ根掘り葉掘り聞いてたっていう。そういうのがあって、それは2011年。ライブをやったんですよ。

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(外山惠理)ええ。

(プチ鹿島)それ以来、この間なんか、街を歩いていたら、なんかママチャリをフラーッと運転してる大きな男がいて。あれ、貴闘力さんじゃないかな?と思って声をかけたら貴闘力さんで。覚えていてくださって。考えたら、野球賭博発覚の日だったんですよ(笑)。

(サイプレス上野)(笑)

(プチ鹿島)こんな縁というか・・・

(サイプレス上野)縁ですよ、これはもう(笑)。

(プチ鹿島)でも、あの人のすごいところは野球賭博でパージされましたけど、いま、焼肉屋さんとか、ものすごく経営して、むしろ成功しましたからね。たぶん、あれが復讐だと思うんですよね。相撲界に対するね。

(サイプレス上野)ああー。自分が成功することが。

(プチ鹿島)そうです。そうです。だからそういう意味でちょっと・・・で、プロレスデビューもしてるんです。去年。だから一応、プロレスラー枠ということで。

(サイプレス上野)プロレスラー枠。それが一位になりましたと。

(プチ鹿島)はい。

(外山惠理)(笑)

(サイプレス上野)ということで、鹿島さん、ありがとうございました。熱量がハンパないです!

<書き起こしおわり>

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