FPM田中知之 印象的なレコーディングの思い出トップ5

FPM田中知之 印象的なレコーディングの思い出トップ5 ザ・トップ5

Fantastic Plastic Machineの田中知之さんがTBSラジオ『ザ・トップ5』にゲスト出演。活動20周年を迎えられた田中さんが印象的だったレコーディングの思い出トップ5を紹介していました。

(外山惠理)ここからは、今夜のゲストご提供によるこんなランキングです。活動20周年。FPM田中知之が選ぶ、レコーディングの思い出トップ5。
第五位:ロンドンのスタジオでのレコーディング
第四位:ニューヨークのスタジオでのレコーディング
第三位:フィラデルフィアでのレコーディング
第二位:スカパラと結成したグループ、スピードキングのレコーディング
第一位:京都で住んでいた家でのレコーディング
以上、今夜のゲスト。活動20周年。FMP田中知之が選ぶレコーディングの思い出トップ5でした。

(中略)

(外山惠理)この番組、ザ・トップ5。様々なランキングから今をキャッチしていく番組なんですが。ゲストの方にもトップ5にこだわっていただくということで、FPM田中さんご提供のトップ5。解説をね、お願いしたいんですけど。

(田中知之)はい。もちろん。あの、僕、今年でちょうど活動20年になりまして。

(サイプレス上野)おめでとうございます。

(田中知之)実は明日、3枚組のベスト盤をリリースするので、そのプロモーションも兼ねてここに寄らせていただいているんですが。

(外山惠理)きれいなね、CD。

(田中知之)ありがとうございます。3枚組の、カラープラスチックの。45曲入り3枚組で4000円と、意外とお安いプライスで。

(外山惠理)おおー!

(サイプレス上野)むちゃくちゃ安いですよ。

(田中知之)あの、これが意外に安いっていうのは、上野さんだったらわかっていただけると・・・

(サイプレス上野)そうっすね。CD出している身としては、これはレコード会社、もう大変ですよ。

(田中知之)avexに本当、泣いていただいて。まあ、もう20年もやっているといろんな場所でレコーディングさせてもらうことがあったんですけど。まず五位。ロンドン。ロンドンに僕、ファーストアルバム、セカンドアルバムってレコーディングに行ったんですけど。ちょうど、ワールドカップのシーズンだったんですよ。

第五位:ロンドンのスタジオでのレコーディング

(サイプレス上野)はいはい。

(田中知之)ワールドカップのシーズンって、誰もが働かずにテレビを見るんですよ。で、ちょうどいい感じでレコーディングしてる時に、いきなり、『あ、ご飯食べよう。いまから。お腹減った!』とか言って。で、食堂に行ったらちょうどイギリス戦の。

(外山惠理)サッカー。ワールドカップ。

(田中知之)始まるんですよ。で、メシを牛歩戦術のように。なんか、チャイニーズのチャーハンみたいなのを頼んだんですけど。エンジニアが。一粒ずつ食ってたんですよ。

(サイプレス上野)(笑)

(田中知之)で、1時間半食ったんですよ。

(外山惠理)えーっ!

(サイプレス上野)ちゃんと、試合が終わるまで(笑)。

(田中知之)そういうナメられた。僕がナメられた話です。

(外山惠理)(笑)

(田中知之)これが五位です。

(サイプレス上野)結構レコーディング、それ、キツいですね。それ。いちばんいい時に。

(外山惠理)(笑)。面白い!

(田中知之)で、第四位もこれ、ナメられた話で。

(外山惠理)ニューヨーク。

第四位:ニューヨークのスタジオでのレコーディング

(田中知之)ニューヨークのですね、コードスタジオという、結構マイケル・ジャクソンとかがレコーディングしている。西寺くんも憧れのスタジオがあるんですけども。ここに行って。まあ、日本人じゃないですか。僕。パッて入って行ったら、エンジニアがもう完全に、まず遅刻してくるんですね。で、その後、卓の、ミキサーの上に足をこう、バーン!と置いて。『ジャップがこんなスタジオ使いやがって』みたいな態度をとってたんですね。

(サイプレス上野)すごいですねー。

(田中知之)で、うわっ、ナメられてる!と思って。そしたら、ちょうどその時、レコーディングをお願いしていたアーティストが、ボブ・ドローっていうそれこそマイルス・デイヴィスとかと一緒にやったこともある、すごいベテランのアーティストで。それ、一緒に来たのがジョン・サイモンっていって。すごい有名なニューヨークトップのプロデューサーだったんですよ。その2人を見て、急にそいつが『うわっ、この日本人、ハンパない!』ってなって。それで急に、いままで足を置いていたのがグッと背中が伸びて。で、一生懸命レコーディングやってくれて。最後に、『最初は偉そうな態度をとってごめんな』って言ってくれたっていう、いい話。

(外山惠理)へー!

(サイプレス上野)全世界共通っすね。そういうやつ。

(田中知之)(笑)。あ、僕、1人生き急いでます。すいません(笑)。

(外山惠理)いやね。人によって態度が違うやつって、腹立つよね。本当、いやだわ。

(田中知之)はい。

(サイプレス上野)ちょっと・・・(笑)。姉さんがすごい怒ってしまって・・・

(田中知之)すいません、外山さん。

(サイプレス上野)『人によって態度を変えるやつは嫌いだ』というので。

(田中知之)ですよね。

(外山惠理)本当ですよ。

(田中知之)本当、そうです。ありがとうございます。うれしいです。ここで外山さんにかばってもらえただけで、俺はそこでナメられてよかったなって思います(笑)。

(サイプレス上野)(笑)。いい土産話みたいな。

(田中知之)本当ですよ。ありがとうございます。

(外山惠理)(笑)。で、三位がフィラデルフィアですよ。

第三位:フィラデルフィアでのレコーディング

(田中知之)フィラデルフィア。これはですね、フィラデルフィアにシグマサウンドスタジオっていうすごく有名な。フィリー・ソウルっていうね、70年代に一世を風靡した、フィラデルフィアからいろんな音楽が発信された時期があって。ちょうど、1972年にデビッド・ボウイがヤングアメリカンズっていう。フィリー・ソウルに憧れて、シグマサウンドスタジオを訪れてアルバムを1枚録っているすごい由緒あるスタジオがあって。で、そこに僕、憧れて。で、どうしてもそこでストリングスを録りたいと思って。まあ、フィラデルフィアまで行かせてもらって。

(サイプレス上野)へー!

(田中知之)で、行ったんですけども。なんか、そのスタジオに入ったら、もう、おじいちゃんおばあちゃんがいっぱいいて。で、なんだろう?と思ったら、そのおじいちゃんおばあちゃんが全部ストリングスのプレイヤーなんですけど。まあ、言わば1972年のデビッド・ボウイのレコーディングとかにも参加しているようなメンバーがいまだにやってらして。

(外山惠理)へー!

(田中知之)だから、もう完全に病院の待合室みたいになってるんですよ。

(外山・上野)(笑)

(田中知之)スタジオのロビーが。で、大丈夫かな?と思って。なんか、演奏中に死ぬんじゃないか?っていうおじいさんとかいたりとか。でも、なんかレコーディングに入ったんですね。そしたらもう、目の覚めるような素晴らしい演奏をしてもらって。っていう、なんかそれは素敵な思い出です。

(外山惠理)そこのスタジオの抱えているというか。そういう。

(田中知之)そうですね。結構、スタジオの抱えているスタジオミュージシャンみたいな人が。結構、名だたるゴールドディスクを取ったソウルの楽曲であったりとか。まあ、逆にロンドンから来たデビッド・ボウイのレコーディングであったりとか。そういうのにも、数多参加していて。もう結構、いろいろ参加してるんですけども、クレジットとかが出ないような人たちなんですが。ただ、たぶん一人ひとりに聞いてみたら、すごいレコーディングに参加しているような人たちばかりだったという話何ですよね。

(外山惠理)へー!でもなんか、そういう、お年なんでありがとうございましたってやらなくて、そこのスタジオも・・・

(田中知之)そうですね。いまだにずーっとその人たちを使かっていて。その人たちも、なんか和気あいあいとレコーディング。『ああ、今日は日本人のレコーディングか。そうかそうか』みたいな感じで。

(サイプレス上野)へー!そういうノリなんですね。

(田中知之)そうそう。いい感じなんですよ。素晴らしかったですよ。

(外山惠理)すごい、でも由緒あるスタジオでって、どこもきっとそうだと思うんですけど。そういうところでやりたいですって言ったって、別に普通はできないわけでしょ?そこでできちゃうっていうのは・・・

(田中知之)まあ、本当にね、一時CDを作る現場っていうかね、そういうCDがまあまあ売れた時期が。本当に僕みたいなそういう端っこの方のアーティストですら、ある程度の数が売れて、制作費がかけれた時代があったんです。本当にバブルだったと思うんですけどね。CDの現場としては。たぶん、いまからやっぱり20年近く前ぐらいが、本当に売れる・・・200万枚とかって売れるCDが乱発されたような時代なので。我々ですら、ほどほどにリクープできるぐらいの数字が稼げたからできたことで。いまはとてもとても・・・っていう感じではありますけどね。

(外山惠理)へー!で、第二位ですけども。スカパラと結成したスピードキング。

第二位:スカパラと結成したグループ、スピードキングのレコーディング

(田中知之)はい。これ、スカパラとね、99年にスピードキングというバンドを結成したんです。これ、スカパラがちょうど全国のホールツアーが決まってて。しかも、アルバムを作ろうっていう話になって。それを手伝ってくれっていう風に言われて。メンバーに。『ああ、いいですね。やりましょう』ってなったんですけど。『どうせだったら、なんか一緒にバンドやりましょうよ。スピードキングっていうバンドを作ろう』ってなって。で、それを覆面バンドにしようっつって。僕とかスカパラのメンバーが黒いつなぎを着て、フルフェイスのヘルメットをかぶって。それでみんな、楽器を始めた瞬間、ギターの人たちがディープ・パープルの『Smoke On The Water』っていう曲を弾くんですけど。

(サイプレス上野)はいはい。

(田中知之)それを、『Smoke On The Water』を演奏するグループを作ろうっつって、本当に作っちゃったんです。で、ホールツアーが決まっていたもんだから。いろんな、たとえば大阪フェスティバルホールとか、名古屋市民会館ホールとか、すごいところを回って。最終的に武道館まで行ったんですよ。

(外山惠理)ええーっ!?

(サイプレス上野)すげえ(笑)。

(田中知之)で、僕らデビューもしてないバンドで、武道館でライブをやったって。まず、それがすごいんですけど。その時に、武道館でライブのレコーディングをしたんです。そっから3ヶ月後に、そのスピードキングのデビューミニアルバムが出たんですけど。そこには武道館のライブが入っているっていうね。まあ、もちろんスカパラの力を借りてなんですけども。スピードキングっていう謎のバンドがデビューしました。でも、そこには『Live In 武道館』の音源が入っているっていう。

(サイプレス上野)すげえ。あ、すでにやっているっていう。

(田中知之)そう。やっているっていう。そういう話なんですけど。

(サイプレス上野)すげー仕掛けっていうか、すごいっすね!

(田中知之)いやいや、そういう悪ふざけがね、通用した時代だったんですよね。

(外山惠理)でも、結果わかっていたんですか?みなさんは。

(田中知之)あ、もちろんバレてますよ。スカパラのライブもあって、僕のDJもあって、最後にスピードキングっていうのが出てきて、やるんですけど。一応でも、口が裂けてもそれ、FPMと東京スカパラダイスオーケストラデスとは言いませんという。そういうスタンスでやっていたんで。

(外山惠理)おもしろーい。

(サイプレス上野)めちゃくちゃ楽しそうですね、それ!うらやましすぎるんだけど(笑)。

(田中知之)あのね、武道館を使って遊んでいたみたいなね。

(サイプレス上野)超楽しそう!うらやましい、本当(笑)。心の声、出ますよ。本当。

(田中知之)いやいや、あの時代だからこそできた・・・

(外山惠理)ねえ。贅沢な遊びですよね。

(田中知之)ですね。はい。

(外山惠理)で、一位が京都で住んでいた家。

第一位:京都で住んでいた家でのレコーディング

(田中知之)そうなんですよ。あの、いい思い出とは言えないかも知れないですけど。ちょうど、いまから21年前ですけど。デモテープを自宅の、僕、京都にその時、住んでいて。一軒家を借家で借りていて。狭い狭いところで、FPMっていうのを始めよう!って、デモテープを作っていたんですね。しこしこ。ちょうどですね、朝方まで一生懸命やっている時に、グラグラグラッ!って。地震がきて。それが阪神・淡路大震災で。

(外山惠理)あら。

(田中知之)そう。それがね、ちょうど自分がデモテープ作っていた楽曲の思い出と一緒になっちゃって。だから本当に、あの時はびっくりしたんですけど。本当、起きていて。で、結局その時に作ったデモテープをピチカート・ファイヴというグループが。それこそ、今度ね、小西さんがTBSでまた番組を。この後の時間帯にやると聞いてるんですけど。

(外山惠理)そうですね。この後に。

(田中知之)小西康陽さんというすごいプロデューサーさんに声をかけてもらって。『あ、いいね。このデモテープ。じゃあ、僕たち今度アルバム出すから、そこの中に入れてあげるよ』って言われて。僕が今年20年っていうのは、そのピチカート・ファイヴの『ロマンティーク96』という、95年9月30日に出たアルバムの中に1曲、Fantastic Plastic Machine名義の曲を入れていただくというすごくイレギュラーな形でデビューしたということで、僕は明日、ちょうど20年を迎えると。

(外山惠理)うわー!

(サイプレス上野)おめでとうございます!

(外山惠理)じゃあこの『京都で』っていうのは本当に最初の時?

(田中知之)はい。まだぜんぜん東京に出る前。京都で、そういう雑誌の編集の仕事をしながら、夜はDJやったり、そういう曲を作ったりとかっていうのをやっていたんですよ。

(サイプレス上野)そうなんですね。

(外山惠理)ちょうど明日?

(田中知之)そうなんですよ。それで同じようにそのデモテープをもうひとつ、テイ・トウワさんにお渡ししたんですよ。テイ・トウワさん、そしたらビョークの『Hyperballad』っていうすごい大ヒット曲があるんですけど。そのリミックスをテイさんが頼まれて。『じゃあ田中くん、なんか面白いことやってるから、一緒にやろうよ』って、『ビョークの「Hyperballad」のイントロのリミックスを手伝ってよ』って言われて。

(サイプレス上野)へー!

(田中知之)僕、京都の自宅の枕元で最初にリミックスという仕事をやらせてもらったの、ビョークのリミックスだったんです。

(外山惠理)ええーっ!?

(田中知之)もちろん、名義としてはテイ・トウワさんの名義なんですけど、お手伝いさせていただいて。

(サイプレス上野)すげー!この話。

(田中知之)そうなんですよ。

(外山惠理)最初から、そんなに?

(田中知之)そう。ラッキーなんですよ。僕、ラッキーなんです。すごくはないんですよ。全然すごくはないんですけど。

(外山惠理)人とのつながりってことですか?

(田中知之)そうなんですよ。そういう、なんかラッキーな。

(外山惠理)へー!

(サイプレス上野)以前からDJとかでつながっていたりとか?

(田中知之)そうなんですね。最初DJでやってつながっていて。で、『デモを作りなよ』って言われて作って渡して。小西さんとテイさんに渡して。お二人からそうやって・・・

(サイプレス上野)その2人から、もうそういうのが来るって、相当なことですよ!

(田中知之)いえいえ。本当、ありがたい話なんですけど。

(外山惠理)へー!すごい話を聞いちゃいました。

(サイプレス上野)そう。いますごいの聞けましたね。なんか。

(田中知之)すいません。もう。

<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/30515

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