増田明美 現役時代を振り返る

たまむすび
増田明美 海外の選手の取材・ネタ収集方法を語る

増田明美さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。ご自身の現役時代をピエール瀧さん、赤江珠緒さんと振り返っていました。

(増田明美)(自身のプロフィール紹介を聞いて)すごく詳しく説明してくださって、うれしいです。私、昔すごかったんですよ。この12回とか13回日本記録って聞くと、『えっ?どうして?』って思うじゃないですか。でも、自分が作った日本記録を、また自分で塗り替える・・・

(赤江珠緒)はー!

(ピエール瀧)自分越えを繰り返す。

(増田明美)自分越え(笑)。そう。『天城越え』ならぬ。

(赤江珠緒)(笑)。もう十分に面白い大人ですね。

(ピエール瀧)もう、後半は敵は自分ってことになっちゃう?

(増田明美)そうですね。時代も良かったんですよ。ほら、黎明期でしたから。いまみたいに選手層が厚くない中で自分越えしてましたからね。本当、こうして改めて・・・だって、結構ほら、それでマラソンで失敗しちゃったから。オリンピック途中棄権しちゃって。だからこういうのを知らない後輩たちも多くてね。こうやってラジオなんかで言ってくれると、『すごいだね』とかって。

(赤江珠緒)(笑)

(増田明美)で、もっとすごいのは、私、自分で言うのも何だけど、この日本記録の中で最後まで破られなかったのが、トラックの5000メートルなんですよ。で、それがね、もうだから30年前なんですけど、15分38で、30年前に走ってるんですよ。で、それはいまのこの時代でも早い方なんですよ。高校生で。

(赤江珠緒)高校生で!?

(増田明美)で、これを聞くと、結構聞いてる人が『ええー、すごいじゃない!あの人、そうだったんだ』って。15分38はいい記録です。最後まで。

(ピエール瀧)はー!でも、いい記録とはおっしゃってますけども、もともとのきっかけが、テニス部から助っ人として出場っていうわけですから。やりたくて始めたわけじゃないんですよね?陸上って(笑)。

(増田明美)そうなんです。そうなんです。だって、大好きなスポーツは軟式テニスだったんですもん。で、その頃、陸上部なんて隣で練習してましたけど、なんかただ走っているだけで、つまらなそうっていうのがあったんで。だけど、そう。助っ人で活躍したんですよ。3人ぐらい、高校生のお兄さんをごぼう抜きして。

(ピエール瀧)(笑)。なるほど!

(赤江珠緒)えっ、それはもう本当に・・・

(ピエール瀧)もう極端に言えば、テニスウェアーの女の子が。中学生の。ピューッてお兄さんたちをごぼう抜きしていくわけですよ。

(増田明美)そう。

(赤江珠緒)助っ人で呼ばれるぐらいですから、小さい時からもう、とにかく足が早いのは目立ってらっしゃった?

(増田明美)そうですね。短距離はダメでしたけど、長距離はね。自然環境でね、小学校まで2.5キロありましたし。で、あと私、癖としてよかったのは、すごい忘れ物が多い子供だったからね、しょっちゅう忘れ物を取りに家に帰っていて。だいたい、週に半分ぐらい、4キロぐらい?

(赤江珠緒)(爆笑)

(ピエール瀧)余計にね、走らなくちゃいけない。しかも、あわてて行かなくちゃいけないから。必然的に走っちゃうっていう。

(増田明美)そうなの。だからね、いま、アフリカの選手なんか取材してるとね、ケニアの女性たちが子供の時にね、水くみにね、沢まで4回も5回も行きましたとか。男性が羊を追ってましたとかって言ってるんですよ。だから、やっぱりね、生活習慣っていうのはね、結構関係しているなって。

(ピエール瀧)忘れ物でしょ!?水くみと羊追いと忘れ物(笑)。

(増田明美)そうなんだけど(笑)。でもほら、鍛えられるじゃないですか。足をね。

(ピエール瀧)たしかにね。そうなんですね。じゃあ、苦じゃなかったんですね。走るのが。

(赤江珠緒)そうかー。でもどんどんそうやってね、頭角を現されて。もう、女瀬古さんと呼ばれるまでになって。で、もう日本代表ですから。でも、そうなってくると今度はもうちょっと助っ人で・・・っていうレベルじゃなくて。本格的に練習が始まるわけじゃないですか。

(増田明美)そうですね。やっぱり女瀬古っていうのはプレッシャーでしたね。当時、瀬古さんが大スターでしたから。で、そういうニックネームなんかもらっちゃったから、余計一緒に出場したロスアンゼルスオリンピック、期待が大きいわけですよ。女瀬古だから。

(ピエール瀧)はい。

(増田明美)だからやっぱりね、あのプレッシャーは経験したことがなかったので。もう助っ人なんかみたいにニタニタしている場合じゃなかった(笑)。

(赤江珠緒)(笑)

(ピエール瀧)そうですよ。しかもプレッシャーって、たとえば100メートルの、もちろんプレッシャーはあるでしょうけども。10秒そこらで終わるじゃないですか。そのプレッシャーって。

(増田明美)あっちもすごいと思いますよ。

(ピエール瀧)でも、マラソンはそのプレッシャーの時間がもう半端なく長いじゃないですか。ずーっとっていう。だから、しんどさも半端ないっすよね?だからね。

(増田明美)だから本当はフルマラソンなんかでスタートに並んだ時にプレッシャーを感じてちゃ行けないんですよ。先が長いから。2時間半あるわけですから。もう、だけどね、あれでしたね。時代が時代だったから、やっぱりみんなプレッシャー感じちゃいましたよね。

(ピエール瀧)そりゃそうですよね。

(赤江珠緒)日本選手への日の丸だ!っていうようなイメージも、やっぱりいま以上に。

(増田明美)いまとはもう対照的でしたよ。あの、個人じゃないですか。で、やっぱり自分ががんばって、応援してくれてるみなさんが喜んでくれたらうれしいって。いまの選手はやっぱり、『私らしく』とかね。言いますよね。みんな。当時は、どちらかと言ったらいまよりも60年代に時代は近いから。円谷幸吉さんとか君原健二さんの。だから、『日の丸に恥じないように』とかね。『選ばれた責任を果たすように』とかの時代だったから。それはやっぱりね、80年代は60年代に近かったので。私みたいにゴールまで行かないと、もう成田空港についた瞬間に指さされて、『非国民!』って。

(赤江珠緒)うわー!

(ピエール瀧)もう『命がけでやるように!』みたいなことが言われちゃう感じ。いや、そうですか。走れなかったら非国民って言われちゃったんですか。

(増田明美)そうですよ。ピエールさん、でもプレッシャーに強い方でしょ?

(ピエール瀧)僕ですか?僕、プレッシャーあんまり感じない方かもしれないです(笑)。

(増田明美)(笑)。そういう人はいいんですよ。やっぱり大舞台向きです。それは。

(ピエール瀧)そうですかね。ただ僕の場合、大舞台がぜんぜん用意されてないっていう(笑)。

(赤江珠緒)切ない(笑)。残念な感じですけども。

(ピエール瀧)強いはずの舞台がどこを見てもないんです(笑)。

(増田明美)いや、だけど舞台はいっぱいあるんじゃないですかね?

(赤江珠緒)いやー、だけどね、そういうのも経験されているから。だからいまの選手の・・・それぞれのお国柄でいろいろありますからね。そういう方への思い入れとかもね、仕事をされていてね。

<書き起こしおわり>


増田明美 現役時代を振り返る
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