5時に夢中!大川貴史P 番組誕生秘話とマツコ・デラックス発掘を語る

5時に夢中!大川貴史P MXテレビらしさを語る たまむすび

MXテレビのプロデューサー大川貴史さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。『5時に夢中!』の立ち上げのきっかけや、マツコ・デラックスさんを発掘した経緯などについて話していました。

(玉袋筋太郎)じゃあ、行こう、行こう、行こう。まあ、10周年を迎えた『5時に夢中!』ですよ。これ、もうすごいじゃないですか。

(大川貴史)いえいえ。

(小林悠)この番組も大川さんがお作りになった番組と。

(大川貴史)そうなんですよ。

(玉袋筋太郎)きっかけは?

(大川貴史)きっかけが、だからなんか結構夕方だったんで。で、もともと、有楽町にああるビックカメラの中にエフエム東京さんのちっちゃいスタジオがあって。そこを、要するにグループ会社なんで、昼間はラジオで使うから、夜はお前たち使え、見たいな。

(玉袋筋太郎)ほうほう。

(大川貴史)っていう感じで始まって。で、やっぱり当時の上層部の人はやっぱり夕焼けニャンニャンのイメージしかないんですよね。夕方っていうのは。

(玉袋筋太郎)夕方ニャンニャン。

(大川貴史)サテライトだから、中高生が集まるような番組をやれ!みたいなことで。で、なんかいろんなアイドルさんとかを出してやっていたんですけど。まあ、そのうち、うちの会社がお金がなくなっちゃって。で、もう番組がなくなるっていう風になったんですよ。なって、で、なおかつ、狙った中高生がやっぱりあんまり来ないわけですよ。実際。まあ、生活が違うわけですよ。その昔とは。

(玉袋筋太郎)うんうん。

(小林悠)リズムが変わっちゃったんですね。

(玉袋筋太郎)当時は。俺たちの時代はそうだったけど。ど真ん中だったけど。

(大川貴史)なんで、1回だけマーケティング。普段あんまりぜんぜんマーケティングしない会社なんですけど。まあ、マーケティングしたら、あの時間はすごい主婦が多いっていうことが初めてわかって。

(玉袋筋太郎)おお。

(大川貴史)そしたら、ちょっと主婦向けのワイドショーみたいなものをやればいいんじゃないか?っていう風になって、まあ無理やり立ち上げたっていう感じですよね。3月の2週目くらいに、『やっぱりやれ!』って言われたんですよ。

(小林悠)ギリギリじゃないですか。

(大川貴史)だからそれまでは『やめろ』って言われて(笑)。で、突貫工事で。

(玉袋筋太郎)突貫工事ですよ!それが当たっちゃったんだから。

(小林悠)本当ですよね。そこから人選をしていくわけですね?

(大川貴史)そうですね。で、結局やっぱりたのめる人が、その前までの番組ってやっぱりいろんなしがらみっていうか・・・

(玉袋筋太郎)しがらみ。ねじ込み。

(大川貴史)ねじ込み(笑)。そういうの、だから1回そこで、3月の2週目ぐらいでキレイになったわけですね。もうなくなっちゃうっていう。そこで初めて、自分主導で人選ができたっていうか。要するに自分が興味がある人に出演をお願いするようになれたんですよね。

(玉袋・小林)ああー!

(大川貴史)だから、それがたまたま。結局でも、自分に近い人の。たとえば徳光さんの息子さんとかって、友達の友達だったりとかして。本当、そういう延長でやっていて。そうなんですよね。

(玉袋筋太郎)だけどね、スターを生み出しているわけですよ。

(小林悠)本当です。

(玉袋筋太郎)そりゃあもう、マツコ・デラックスっつったら。

(小林悠)マツコさんの産みの親と言われておりますが。

(玉袋筋太郎)産んじゃった(笑)。

(小林悠)まあ、見出した人なんですが(笑)。

(大川貴史)だからマツコさんも、それこそ徳光さんの息子さんのいとこがミッツ(・マングローブ)さんじゃないですか。

(玉袋筋太郎)あ、ミッツさんだね。そうだそうだ。

(大川貴史)で、ミッツさんとマツコさんってコンビっていうか。2人でショーとかをやられていたんですよ。当時、二丁目で。で、ある時に、なんかゲストの方にドタキャン。前日にまったく連絡取れなくなって。『明日、どうしよう?』みたいな。もう4月で始まって、4月の2週目でさっそくそういう状況になって(笑)。

(玉袋筋太郎)ヤバいな、それ!

(小林悠)うわー、怖い怖い怖い。

(玉袋筋太郎)ギリギリ、タイトロープだよ。

(大川貴史)したら徳光さんが、『いや、この前会ったマツコさんっていう人が、ミッツさんと一緒に会ったんだけど。超面白かったよ』って言って。前日に電話をして、『明日、出てもらえませんか?』みたいな。で、東北にちょっと巡業に行っていたらしいんですよ(笑)。

(玉袋筋太郎)巡業(笑)。

(大川貴史)なんかわかんないですけど。ドラッグクイーンとして。それがたまたま、帰りの新幹線って東京駅に着くじゃないですか。で、やっぱり有楽町まで近いから間に合うよって言ってくれて。それでそっからですね。そもそも。

(玉袋筋太郎)はー!長い付き合いになったんだからね。それで。

(小林悠)そこでじゃあ、マツコさんに初めて会って?

(大川貴史)会って。だから普通に楽屋で初めてお会いして。当日の。で、やっぱりオンエアーがめちゃくちゃ面白くて。ただ、その時はレギュラーではなかったんですね。

(玉袋筋太郎)あ、そうなんですか。イレギュラー。

(大川貴史)そうなんです。で、当時、高山さんっていうプロレスラーの。

(小林悠)おっきい人。

(大川貴史)高山さんが、おっきい人が、ラジオのスタジオだったんで、でっかい人を出しておけば面白いかな?と思ったんです。最初は。

(小林悠)(笑)

(大川貴史)サテライトだから。

(玉袋筋太郎)アメリカンプロレススタイルだね!デカけりゃいいっていう。

(大川貴史)高山さんがすぐ、NHKの大河ドラマ決まっちゃったからもう出れないってなって。

(玉袋筋太郎)へー!

(大川貴史)なったんですよね。で、それで、その次に大きい人って。したら、マツコさんっていう(笑)。

(玉袋筋太郎)すんごい!デカけりゃいい。わかりやすいよ。いいですね、それ。

(大川貴史)したらもう、バツグンにやっぱり面白くて。そこからですね。お付き合いは。

(小林悠)うわー、すごいなー。

(大川貴史)だからあんな大スターになっちゃって。すごいですよね。

(小林悠)引っ張りだこですもんね。

(玉袋筋太郎)いくらぐらいキックバックはあるんですか?

(大川貴史)全くないですよ!(笑)。

(玉袋・小林)(笑)

(大川貴史)むしろ、だってマツコさんとかってたぶん当時から、衣装の方が絶対高かったと思うんですよ。すんごい自腹で出てくれてたんだなって思いますよね。

(小林悠)えっ、ギャラヨリモですか?

(大川貴史)多分、そうなんですよ。最初なんて。だからもう本当に、お車代ぐらいのお金しか、うちはちょっと出せないんで。

(玉袋筋太郎)毎週そうですよ!僕なんて。

(大川貴史)そうなんですよ(笑)。本当、申し訳ないですけど。

(玉袋筋太郎)いやいやいや、そんなことない。そんなことないけどね。

(大川貴史)でも、本当そういう感じでなんとか、みなさんのお力でやらせていただいております。

<書き起こしおわり>


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