作詞家の秋元康さんがTBSラジオ『タマフル』に生出演。5千曲近くの作詞楽曲を持つ秋元さんが、その作詞術を宇多丸さんに話していました。
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— tamafle954 (@tamafuru954) 2015, 6月 13
(宇多丸)今日は、まあ作詞家としてお招きしようということですね。なぜまず、今回作詞家としてという特集を思いついたか?と言うと、実は前回インタビューをさせていただいた時にですね、放送を聞いた僕の仲間のミュージシャンでNONA REEVESというバンドをやっている西寺郷太という男がいまして。彼から、非常に面白かった市、このタイミングではこういう内容になるのはしょうがないんだろうけど、本当はもっと作詞術の話とかを聞いてほしかったみたいなことを、プロのミュージシャンとして言っていて。たしかにその視点でやるのはぜんぜんできるはずだよなと改めて思ったというのがありまして。
(秋元康)ええ。
(宇多丸)まあ、作詞家として日本でも最大のヒットメーカーの1人なわけですけど。どうですかね?ご自身で作詞家っていう部分にスポットが当たるというか。そこに絞った話の機会ってあまりない感じ、しますか?
(秋元康)まあでも、時々インタビューでやっぱり作詞ということもありますよね。で、僕も『肩書を』って言われた時に『作詞家』っていうので。作詞家ってわかりやすいじゃないですか。この詞を書いた人だから。でもなんかこう、プロデューサーとか、なんかそうするとわかりにくいかなと。わかりにくいっていうか、怪しいなっていう感じがするの。
(宇多丸)何の仕事をしたかはちょっとわからないですもんね。形跡がね。作詞家としての仕事の部分にいちばん自信があるっていうのはあるんですか?
作詞家という仕事
(秋元康)どうですかね?あんまり考えていないですね。これが自信があるからとかっていうのはあんまり・・・どちらかと言うと、高校2年、大学付属高校の2年から仕事をしてるんで、ずーっとなんかアルバイト感覚なんですよね。
(宇多丸)アルバイト感覚?
(秋元康)アルバイトっていうのは要するになんか違うことがあるんじゃないか?と思いながらやっている感じ、ありますよね。
(宇多丸)ああ、本当に、たとえば本職とすべきなにかはあるけど、いまは取りあえずこれをやっているみたいな?
(秋元康)だからつまりほら。これが僕がどこかの作詞家の先生について、カバン持ちを何十年やって・・・とか。あるいはどっかの専門学校で勉強したとか。何の根拠もないわけじゃないですか。その何の根拠もないところが僕らのあやふやな仕事だなと思いますよね。
(宇多丸)たとえばその作詞術であったりとか技術みたいなのに関して始める時に、どなたかのアドバイスを仰いだりとかは?
(秋元康)ないですね。
(宇多丸)ない。じゃあもう完全に独学。
(秋元康)独学というか、自分の思う通りに書いてきてるんでしょうね。やっぱり。
(宇多丸)最初ってやっぱりやり方、わかんないとかありました?
(秋元康)わからないですね。わからないけどでも、ほら。正解がないから、いいじゃないですか。だからこれ、いいところでもあり、悪いところでもあると思うんですよね。これがたとえばほら、医者とか、弁護士とかってところで、国家試験があるわけだから。『あなたは違いますよ』ってなるけど。別に作詞家って『今日から作詞家です』って言えるわけですよね。
(宇多丸)あえて言えば、まあその継続して依頼が来る程度ですね。
(秋元康)そうですね。だから、たしかに継続するかどうかっていうのはたぶんプロフェッショナルかどうかの差だとは思いますけども。
(宇多丸)なるほど。と言ったあたりでですね、今回は特に作詞家としての技術論がうかがいたいと思っています。具体的な。なので、そのお話と今夜は秋元さんが作詞された、もう何千曲ですか?4千曲とかあるのかな?その中から・・・ちなみにご自分の作品の作品数ってカウントとかされているんですか?
(秋元康)カウントしてないですね。でも、たぶん5千曲近いんじゃないですか?
(宇多丸)5千曲とかですか。はい。その中からですね、ご自身の好きな曲というか、思い入れのある曲など、その代表曲的なものを5曲、ご自身でちょっとチョイスして頂いたので。後ほどちょっとその曲と選んだ理由などをうかがっていきたいと思います。よろしくお願いします。
(秋元康)よろしくお願いします。
(宇多丸)で、まずはですね、そこに行く前に作品の技術論をうかがっていきたいんですけど。まずちょっと、素朴な疑問です。多くの人が思っていることだと思いますけど。量産。文字通りの量産ですよね。ここまで量を書くのを可能にするものっていうのは何ですか?
(秋元康)うーん。それは、作詞の考え方がいろいろありますけれども。僕の作り方って、カメラみたいなもんで。写真を撮影するということで言うと、街には撮りたいものがあふれているということだと思うんですよね。
(宇多丸)発想の源みたいなところって具体的にあったりするんですか?
(秋元康)よく言うんですけど、要するに日常の中で歌にすることではなくて、何が面白いと思うか?ということの方が大事なような気がする。だからたとえば具体的に言うと、『アボガドじゃないんだ。アボカドなのか』っていうのに気づいた。教えてもらったり気づいた時に、これは面白い!ってことがもうインプットされるんですよ。だから『アボガドじゃねーし』っていう歌ができる。
(宇多丸)ああー。
(秋元康)だからそこに面白いと思うものがなくなったら、量産できないんでしょう。面白いと思うことが世の中にいっぱいあったら、面白いなと思いますよね。だからたとえばいま、『ああ、宇多丸さんはやっぱりずっとサングラスを外さないんだな』っていうのがあると、『夜、サングラスをかける人』っていうので1曲できるなと。
(宇多丸)なるほど。なるほど。それはそうですよね。いま、そう思われると、急にすいませんって外したくなりますけど。なるほど。じゃあたとえば特に、これは歌の題材に合うとか合わないとか、そういうことではなくて。
(秋元康)ではないです。だから、みんな不真面目に書いているとか、何を書いてるんだ?とか言われるんだけど。僕の中では『犬のウンチを踏んじゃった』っていうことも、面白かったんで。手を抜いているわけでもなんでもないんですよ。
(宇多丸)うんうん。
(秋元康)でも、僕にとっては『犬のウンチを踏んじゃった』っていうのは面白いなっていうことなんですよね。
(宇多丸)その、たとえば面白がりのアウトプットとして、犬のウンチだったり、アボガドとか。夜でもサングラスをかけている男っていうのがあるのはわかるんですけど。例えば、秋元さんの曲。たとえば青春の中の恋を歌った曲だと、まあある感情を歌っていたりするじゃないですか。感情の引き出しって、そんなに人間一人ひとり、多くない気もするんですけど。
(秋元康)でも、これおんなじですよ。だから同じで。たとえばラブソングだったら、『私はあなたが好き』。これしかないじゃないですか。だけど、『私はあなたが好き』っていう同じ山を登るのに、『私はあなたが好き』って言っちゃったら、作詞にならないので。『この紙マッチが消えるまで君を見ていたい』って言ったら、同じ、『私はあなたが好き』っていうことを遠回りして言っているわけじゃないですか。だからその回り道がいくつ、何通りあるか?っていうことじゃないかと思うんですよね。
(宇多丸)なるほど。そっか。じゃあその引き出しが何個もあるというよりは、やっぱりその1個の普遍的ななにかにアプローチする回路を開いておくっていうことなんですかね?
普遍的なもの
(秋元康)だから、自分が中学生、高校生の時にどんなことを思って。こういう感情、あったよなとか、あるいは20代、30代になって昔のガールフレンドなり昔のことを思い出して、こうだったよなっていうことは、これは普遍的で変わらないと思うんですよ。それはたぶん、宇多丸さんの世代も僕らの世代も、いまリスナーのみなさんも変わらないと。それを、どう・・・『あ、なるほど。上手いこと言いやがるな』とか、『あ、こんな比喩から来たか』とか。
(宇多丸)はい。
(秋元康)つまり同じ山を登るのに、『こんなところから登ってくるとは思われなかった』っていう感じを考えているのかもしれないですね。
(宇多丸)実はついさっき、本当についさっきなんですけど。Base Ball Bearっていうロックバンドのライブにちょろっと出ていて。小出祐介という曲を作って、ボーカルギターの男がいて。で、秋元さんにゲストで来ていただくので、何か聞きたいことはある?って。『好きな曲はなに?』って聞いたら、『「君の名は希望」が好きだ』と。前からね、いろんなところで言っているみたいですけど。
(秋元康)はい。
(宇多丸)で、僕が先週、ここ近年の秋元さんの曲でいちばん好きなのは『君は僕だ』っつって。この曲のどこがいいのかねっていう話をしていて。やっぱり、ちょっと似ているねって言っていたのは、ある人を好きになった時に、自分のことも、それまでの自分の人生も全体に改めて肯定できる。この感じがいいんだよね、みたいな。で、それってすごい普遍的だよね、なんて話をしていたんですけど。まあ、まさにそういうことですかね?
(秋元康)そうですね。普遍。もうだって、感情は普遍的ですよね。だけど、この山を登ろうって、まずどの山をどういう風に登るかを考えるんですよね。だからだいたい、いま99%メロディーを先に選ぶので。そのメロディーに合わせて、たとえば前田敦子がこれは映画の主題歌だったんですけども。その映画の主題歌だった時に、うーん、どうしようかな?と思った時に、なんか前田の・・・なんかこう、下手くそな生き方というか。そこを考えるんですよね。
(宇多丸)うん。
(秋元康)で、こうメロディーを考えている時に、『夏っぽいよな。でも、夏って何で変わるかな?』と思った時に、『木漏れ日の密度で・・・』っていう。『あ、この木漏れ日の密度っていうのはこれはいいんじゃないか?』とかっていう風に少しずつ考えていくんですけどね。
(宇多丸)この、ねえ。まさに後ほど、うかがおうと思っていたことでもありますけど。冒頭で、やっぱり状況というか、季節感とか、登場人物は誰で何を考えているとかって、冒頭4行ぐらいでもう、説明しちゃうみたいなのはありますか?テクニックとして。
(秋元康)あの、まあテクニックじゃないんですけど。たとえば、高倉健さんが『自分は不器用で・・・好きです』って言ったら、それに勝るものはないですよ。だから、ストレートにやることも。たとえばシンガーソングライターの方が、たとえば同じ言葉を重複して歌うのも、これはメッセージなんですよ。
(宇多丸)『何度もこの言葉、出てくるね』も。
(秋元康)そうそう。あるいは、一人称が変わったりすることも、それもありだし。あるいは言葉を間違えて使っているのもありだけど。僕らはやっぱりそこを整理しなきゃいけないんで。同じ言葉が出てくるとか、クドいとか。まあ簡単に言うと、テクニック論で言うと、もしもね、それがなんだろうな?参考にしていただける・・・自分はそこまで考えてないんだけれども、後で考えるとですよ、カメラが動いているか?っていうことを考えますよね。
(宇多丸)カメラが動いているか?
(秋元康)だからはじめは俯瞰で、この主人公はこのカフェのこのテーブルに座っていると。で、それをずっと引きっぱなしだったら、伝わらない。
(宇多丸)まあ、感情移入もしづらいですよね。引きのショットだけだと。
(秋元康)だからその時に、寄った時に何に寄るのか?と。その時に彼女は何を持っているのか?とか、そこにはどんなものが置いてあるのか?何を飲んでいるのか?とか。で、あるいはそこで1コーラス目いったら、2コーラス目がずっとこのままじゃ嫌だから、回想を入れようとか。回想で、じゃあちょうど1年前はどうだったのか?とかっていう、その映画とかの編集に近いかもしれないですね。
映画的なアプローチ
(宇多丸)これまさに、我が意を得たりというかですね。あの、後ほどもうかがおうと思っていたんですけど、結構時間経過というか、曲の1曲の中に時間間隔。たとえば1年前はこうだったというものおっしゃった通り、そうですし。1曲の中で時間が変化していく場合もあるし。かならず時間の変化が入っているとかも特徴としてあるなと思って。それって、映画がお好き・・・そもそも映画監督になりたかったとか、そういうところがあったとか?
(秋元康)まあ、まったくないんですけど。映画はすごい好きです。
(宇多丸)すごい映画っぽいなと思うんですよね。さっきカメラっておっしゃいましたけど。
(秋元康)映画的な要素とかっていうのは、あるかもしれないですね。
(宇多丸)まさにこの、『木漏れ日の密度でもうすぐ夏だよって・・・』と始まる『君は僕だ』で言ったら、最初木漏れ日を映しているカメラがスッと下りてきたら登場人物がいるとか。そういうようなイメージですが。それを映像で描く感じですか?
(秋元康)映像が多いですね。つまり、いちばん他の作詞家のみなさんと大きな違いは、他の大好きな、たとえばなかにし礼さんとかは、やっぱり文学なんですよね。もともとフランス文学を学んでらした方だし。だからたとえば『夜と朝の間に』とかっていいフレーズだなと思うし。『むく犬よ』だからね。むく犬が鳴くわけだから。
(宇多丸)うんうんうん。
(秋元康)つまり、僕だったら『むく犬』っていう言葉がポンと入ってきた時に、『それ、意味がわかるかな?』ってなるんだけど。でもやっぱりそれはなかにしさんは『むく犬よ』ってなる。それが、やっぱり文学だと思うんですよね。僕はそれじゃあ何が違うのか?っていうと、たぶん僕は放送作家だからだと思うんだよね。
(宇多丸)おおー。ほうほうほう。
放送作家としての発想
(秋元康)だから放送作家だから、歌がひとつひとつがなぜこの歌が成立するか?っていう企画を考えるわけですよね。
(宇多丸)やっぱその企画をいかに的確にわかりやすく伝えるか?ってことを考えるってことですかね?
(秋元康)だから、たとえば作詞家の文学的な表現をなさる方は、たぶん言葉を一生懸命選ぶ。でも僕は、どこに行くか?なにを見ているか?っていう、そっちが好きなのかもしれないですね。つまり、『恋するフォーチュンクッキー』っていう、『フォーチュンクッキー』っていう言葉が使いたくてしょうがないとか。
(宇多丸)その、使いたい言葉発想っていうのも当然あるわけですもんね。カチューシャとか。
(秋元康)ありますね。ありますね。シュシュとか。『あ、これシュシュっていうんだ』とかっていうところがあるでしょ?たとえばフラゲなんてまさにそうですね。
(宇多丸)『フラゲという言葉があるんだ。じゃあ、「フライングゲット」で行こう』ということですか。それはじゃあ逆算というか、その最初に企画。フライングゲットで曲を作るとしたら・・・みたいなところで?
(秋元康)それはね、だからよく『企画のメモを取るんですか?』って言われるんですけど。まったく取らないのは、それはね、やっぱり浮いちゃうんだよね。たとえばフラゲを使いたくて使いたくてしょうがないとか、カチューシャを使いたいとかフォーチュンクッキーを使いたいとか。それは、自分の記憶の中で風化させるぐらい忘れちゃうぐらいの時がちょうどいいんですよ。で、それで、曲を聞いて、よし今回の曲はこういう曲にしようと。フィラデルフィア行くか?モータウン行くか?とか、なんかそういうようなことを考えて、いろんな曲を作ってアレンジしている時に、さて、これを・・・だから詞がいちばん最後なんですね。
(宇多丸)あっ、うんうんうん。
(秋元康)だから要するにそこに至るまで、たとえば『僕たちは戦わない』でも、こういう感じでこういう風にしたいんだっていうのを・・・
(宇多丸)なんとなく曲の方向性というか、トーンの方が先にあると。
(秋元康)そうそうそう。特にプロデュース作品に関しては。それから、詞を・・・だから詞はどうにでもなるという風に、きっと自分が作詞家だから、そこに至るまでが手探りなので。
(宇多丸)そこまでのレールを間違えさえしなければ、詞は、要するに最後のピースは正確にはめられるということですかね。先ほどのその、『君は僕だ』の話がどうしても多くなっちゃうんですけど。これ、最初に聞いた時にAメロが6小節展開で、ちょっとイレギュラーな曲じゃないですか。これを選ばれたのって、だから前田さんのちょっと変わり者感っていうか。なんかそういうのって意識されて選んだのかな?と思ったんですね。ちょっと曲の変わった感じみたいなのが合っている、みたいな。
(秋元康)ああ、ありましたね。それも。それとやっぱり、明るさというか、前田敦子が乗っている感じがほしいなと。本当はこれ、主題歌用に・・・ええとね、たしかね、『右肩』の方を先に出したんじゃないかな?を、主題歌にしようかな?と思ったんだけども、ちょっと、なんかもうちょっと前田の明るさが出た方がいいかな?っていうんで、急遽変えたような気がするんですよね。
(宇多丸)まさにね、卒業タイミングでもあるわけだし。そこも含めて、企画性もありつつの、レールを敷いて。で、情景描写なりなんなりっていうピースをはめていくみたいな。そういう順番なんですかね。
(秋元康)そうですそうです。
(宇多丸)あと、これ先ほど『感覚は普遍的だ』っておっしゃってましたけど。学生時代。秋元さん、だってもう成功されてから長いじゃないですか。その、一般人の生活感覚からの乖離みたいなのって怖くないですか?
(秋元康)ぜんぜん感じたこと、ないですね。
(宇多丸)いや、そうですか?だってこう、たぶん暮らし、わかんないですよ。秋元さんがどう生活されているのか、僕ら想像もつかないけど。たぶん、だってコンビニで変なメシとか買わないでしょう?みたいな。
(秋元康)いや、買う。買う。
(宇多丸)いや、買う(笑)。
(秋元康)コンビニ大好きだし。それは、買う。
(宇多丸)たとえば、できるだけ、もちろんね、我々とは比べ物にはならないお金持ちなんだけど、そういう暮らし、乖離するような暮らしをしないようにするとか、そういうのってあります?
(秋元康)ないですね。
(宇多丸)そういうのも、ない。
(秋元康)その、たとえば、うーん。若い人の文化とか若い人の言葉を知りたいからって言って、取材する人、いるじゃないですか。グループインタビューしたり。
(宇多丸)そういうことをしてる?
(秋元康)まったくないよね。
(宇多丸)あんだけ若い人、いるわけだから、してるのかと思ったんですけど。そうでもない?
(秋元康)あのね、ちょうど、僕はいま57才ですけど。57才のおっさんがちょうど耳に入ってくるぐらいがちょうどいいんだって。
(宇多丸)なるほど(笑)。
街鳴りを意識する
(秋元康)たぶん僕は、放送作家であり、やっぱりこの大衆なんだと思うんですね。大衆が好きなの。だから、よくCDの、レコード会社との会議で言うのは、『街鳴りがどうされるか?』って。街でどう鳴るか?
(宇多丸)街鳴り?街鳴りっていう言葉、初めて聞きましたよ。街でどう鳴るか。
(秋元康)街でどう鳴っているか。
(宇多丸)街でどう機能するか?っていう感じなんですかね?
(秋元康)うん。鳴っているか。音が。で、昔だったらそれが有線放送で流れていたり、テレビから流れていたり、ラジオから流れていたり、パチンコ屋さんから流れるじゃないですか。で、それが大事なんですよね。だから『恋するフォーチュンクッキー』っていうのはもうその街鳴りね。街鳴りを考えてました。つまり、いろんなところから流れてくる感じを。それは、阿久悠さんがおっしゃったんだけど、『ヘッドフォンステレオができてから、音楽が変わった』と。つまり、街鳴りがしなくなった。
(宇多丸)うんうんうん。たしかに飲食店とかでね、みんな流れていて。誰でも知っている曲っていうのがあったわけだけど。
(秋元康)それが、やっぱりね、自分の好きな曲を自分の好きな人たちだけが聞く時代になったじゃないですか。
(宇多丸)はいはい。じゃあそういう音楽の聞かれ方の変化みたいなのは結構敏感にチェックされていたりします?
(秋元康)そうですね。聞いてますけど。
(宇多丸)いまなんかまさに激動期じゃないですか。本当にまた、さらに。
(秋元康)でも、だから特別なことはしないですよ。特別なことをするのはダサいと思うんですよね。
(宇多丸)むしろ、その変化をまあ普通に感じながら・・・っていうようなことですかね?
(秋元康)おじさんがこういう、たとえば普通にどっかのお店にいて、それが流れてきて。『これ、かっこいいな。これはなんなの?』『これはEDMですよ』っていうのはあるかもしれないけど。『いま、最近流行っているのは何だ?CD持ってこい』とかっていうのはまったくないんですよ。だってそれ、追いつくわけないし。
(宇多丸)うん。まあ、そこでは勝負しようとしてないってことなんですかね?あとですね、これ、ちょっと素朴な疑問。これ、どうしても聞いておきたかったこと。AKBの楽曲なんですけど、基本男性一人称じゃないですか。まあ、『僕』とか。あれはなんでなんですか?
(秋元康)それ、よく聞かれるんですけど。なんのあれも考えてないですよ。狙っているわけでもなんでもなくて。
(宇多丸)他のアイドル。たとえばおニャン子とか、別にそんなことなかったですし。
(秋元康)たぶんね、その時によって自分の中のマイブームがあるのかもしれない。
(宇多丸)ブームでもずいぶん続いてませんか?ずーっと僕じゃないですか。
(秋元康)うーん・・・別に考えているわけじゃないですよ。なんか狙って意図しているんじゃなくて。なんとなく曲を聞きながら書いているうちにそうなることが多いです。だから、君と僕だけで書こうっていう気もないし。
(宇多丸)あ、そこは別にロジックがあるわけでもないんですね。なんかその、異性感みたいなものをやたらに出さないとか。
(秋元康)だから、それがすごい楽しい。たとえば、宇多丸さんたちがいろいろAKBの楽曲とか、ねえ。クソ曲も含めていろいろ・・・
(宇多丸)私の用語じゃないですから。それね。
(秋元康)それもすごい僕にとっては楽しいの。僕はぜんぜん意図してないことまで、いろいろみんな考えてくれるじゃないですか。あるいは、論じてくれるじゃないですか。だから、多くの方が、『なぜAKBは君なんだ?僕なんだ?それは男性目線でいるから、その距離感がいいんだ』とか。ああ、そういうもんなのかって逆に、思う。
(宇多丸)ああ、そうですか。こここそすごい、計算があるのかって思っていたんですけど。そうでもないんですね。
(秋元康)うーん、計算はないかな?計算は本当、なくて。計算があるとしたら、なにが残るか?ってことは考えますよね。
(宇多丸)なにが残るか?
なにが残るか?を考える
(秋元康)その曲が、AKBならAKB、誰々で歌った時に、すごく多くの曲が世の中に流れるわけじゃないですか。その中でこの曲が引っかかるとか、この曲を覚えていただくとか。この曲は何なんだろう?っていう風に、そこだけは思いますね。
(宇多丸)うんうん。それは、どういう風に具体的に作品に盛り込んで、仕掛けとして作っていくところなんですか?
(秋元康)だからたとえば、仕掛けではないんですけど。つまり、納得度の問題。だからずーっとこれ、本当にね、量産とかって言われるけども。量産している意識もないし。結果、数は多いのかもしれないけども。なんかこう、よくほら、おまんじゅうみたいなのを作るのに、パッタンパッタン思い入れなく作っているように・・・
(宇多丸)機械的に作っているように思われるけれど。
(秋元康)実はすっごいこれ、直してるんですね。しつこいぐらい。で、もう場合によっては発売日変えたりしてるぐらい。どうしても気になるとか。それはまず、僕が詞を書きます。詞を書いて、仮歌のお姉さんが歌います。それを聞いて直します。もう1回、それを仮歌のお姉さんに歌ってもらいます。それを直していって、そのうちに今度、だんだん撮影が間に合わなくなっていくんでメンバーが歌います。メンバーが歌って、ミュージックビデオを撮影したんだけど、どうしてもあそこを変えたいと。
(宇多丸)うんうん。
(秋元康)そうすると、『いや、でもミュージックビデオのリップシンクを撮っちゃっているんです』『その間を逃げろ、他の画で!』って。
(宇多丸)『別のカットを入れろ!』みたいな。
(秋元康)そうそう。そこまで粘りますね。
(宇多丸)あの、NHKのドキュメンタリー拝見したら、実際ね、綱渡り作業をしてまでずーっとこだわって直されて。僕、ぶっちゃけ、『秋元さん、それはダメですよ!』って思いながら見てましたけど。なんだけど、あれは何にそこまでこだわってらっしゃるんですか?
(秋元康)ひとつは、僕らがパソコン上で書く文字と言葉をメロディーに乗った時の響きは違う。それと、メンバーが歌う時のメンバーの捉え方とか、メンバーが歌うとこう聞こえちゃうのかっていうことでの変更もありますね。
(宇多丸)それは思っていたニュアンスと違うみたいなことですか?
(秋元康)ニュアンスが違ったり、ああ、やっぱりこれは届かないかな?っていうのはすごく変えますね。
(宇多丸)そういう時にどこまで直すんですか?たとえば、接続詞をちょっと変えるとか、そういう?
(秋元康)うーん。詞をまるで変える場合もあります。あるいは、その曲をボツにすることもある。
(宇多丸)ああー。
(秋元康)それはなんかね、自分の中でのこだわりかもしれないし。だから、あとは詞を書いている時に、拠り所がないと・・・拠り所っていうのはたとえば『君は僕だ』っていうのだと、僕はこの『木漏れ日の密度で』っていう出だしで、『あ、これいい曲だな』とか。『君は僕だ』っていうサビが見つかった時、はまった時に、これはもう、自分の中ではイケる!と思うんですよ。でも、たとえば『川の流れのように』っていう歌を作った時に、アルバムの曲なんですけど、『川の流れのように』っていうのは弱いなと思ったんですね。
(宇多丸)まあ、言葉としてはね、普通の言葉。
(秋元康)でしょう?だからやっぱりそういう、そこがたぶん普通の作詞家の先生だったら『川の流れのように』っていう言葉が弱いとか強いじゃなくて、それはそうなんですよ。でも、放送作家だと、ねえ。
(宇多丸)ああ。やっぱりちょっと1個、刺さるものを。
(秋元康)そうそうそう。そこがあざとさであり、それが嫌だっていう方もいると思うし。
(宇多丸)なるほど。でも、『川の流れのように』は、故にスタンダード感があるような曲になるとかっていう問題もありますもんね。
(秋元康)うん。だからあれは、そういうことを教えてくれましたね。つまり、ヒット曲は狙えるけど、スタンダードは狙えないなと。
(宇多丸)ああ。これはやっぱりその、いつかできればな・・・っていう類のものってことですか?
(秋元康)そうですね。だから、できるだけ普通の言葉で勝負したいっていうのもあるんですけど。でもやっぱり、放送作家出身の僕には、どこか拠り所がね。刺さるとか、企画として面白いとか。そういうのがないと、『これ、弱くないかな?』とも思っちいますよね。
(宇多丸)じゃあ、秋元さんの満足度としてはね、たとえば何をもって歌詞を良しとするか?っていうのは、もちろん売れるとかっていうのもあるでしょうけど。やっぱりその、なにか1個、自分の中で満足できる表現を見つけたとか、そういうことですか?
(秋元康)そうですね。それと、やっぱり元々がラジオを聞いているリスナーで。だから誰かが、みんなはわかってないけど、これはすごいよね!って言ってくれるのがいちばん好きかもしれない。
(宇多丸)ああ、じゃあそれは、商業的大きな成功とは別にってことですか?
(秋元康)ぜんぜん。だから、あんまりもうヒットするとかそれよりも、よくここでこれを出したよなとか。たとえば、うーん。『恋するフォーチュンクッキー』も、それまでBPM158とかあのぐらいでいっていたのを、よくここでね、このスローにやる勇気があったよなとかって。『ああ、わかってくれる!?』みたいな(笑)。
(宇多丸)ミディアムテンポ。あれ、よかったですもんね。
(秋元康)っていうようなことを、だからきっとその、ぜんぜんね、お知り合いになる前からウィークエンドシャッフルとか聞いていたのは、そこを聞きたかったの。
(宇多丸)なんと。
(秋元康)そこでみんなどう言ってるのかな?とか。だから、あれなんかも面白かったよね。映画のドキュメンタリーをみなさんが語っているのを聞いていて。
(宇多丸)まあ、ああだこうだ。はい。
(秋元康)なるほどな!と。『殴りあうにしても、ルールがあるんだよ』とか。なるほどなー!と。面白いなと。
(宇多丸)コンバットRECという男の言葉ですかね。ああ、面白いな。はい。ということでね、まだまだうかがっていきたいことはいっぱいあるんですが。いったんここでCMいかせていただきます。
(CM明け)
(宇多丸)ということで、作詞へのこだわり、まだまだ聞きたいことがいっぱいあるんですよ。過去の作品とのカブりとかって気にします?とか。
(秋元康)ぜんぜん気にしないですね。つまりその時に、もしも同じようなフレーズが出てきても、その時の使っている思いといまは違うし。よっぽどね、タイトルが同じとかっていうのは、『ああ、昔はこういうの書いたのかな?』っていうのはあるけれども。たとえば、街中でなにか聞いていて、『これ、いい詞だな、いい曲だな』と思うと自分だったりするっていうことはありますよ。それはつまり、同じことを考えるんだよね。
(宇多丸)まあ、同じ人が作っているし。でも、その時のあれによって違うんだからいいんだと。それ、気にしてたら4千曲、5千曲できないですもんね。
(秋元康)それと、進化している場合があるんですよ。
(宇多丸)ああ、同じ表現に見えるけれども。
(秋元康)たとえば『なんてったってアイドル』って、その前になんかぜんぜん違う人に同じようなコンセプトで書いているんですよ。だけど、自分の思ったような風にならなかったんで。もう1回、あのコンセプトでやりたい!っていう、そういうようなこともありますね。
(宇多丸)なるほど。まあ、そうですよね。実は秋元さんの歌詞をいろいろ見ていて、秋元さん、よく蛇口をひねっているなっていう(笑)。
(秋元康)うん。ひねるねー。
(宇多丸)蛇口、ひねるねっていう。
(秋元康)蛇口、好きなんですよ。
(宇多丸)蛇口、好き。だから学校、たとえば校庭。蛇口っていうと共通するイメージが浮かんでくるから。まあ便利なのかな?と思ったんですけど。蛇口、好き?
(秋元康)うん。蛇口は好きですよ。
(宇多丸)蛇口は好きっていうね。ああ、なるほど、なるほど。逆に、禁じ手ってあります?これはやらないようにしている。
(秋元康)禁じ手?まあやっぱり、誰かが使っているようなフレーズは使わないとか。最近はよっぽどのことがなければ、詞を送るとスタッフが『同じようなタイトルがありました』とかっていうのを検索してくれて。その時はタイトルを変えたり。でも、同じような・・・つまり、よっぽど狙ってないものであれば、いいんじゃないの?っていう場合もありますね。
(宇多丸)これは割と普通の言葉だし・・・とか、そういうことですか?
(秋元康)そうですね。
(宇多丸)あと、とんでもないのが時々あるじゃないですか。これも聞きたいと思っていた。AKBのね、僕、『JJに借りたもの』っていうのがあるじゃないですか。あれとかも、企画の流れっていうか文脈も全く・・・要するに『ニューヨークのゲットーで育った男が久しぶりに故郷に帰って昔の友だちに復讐に行く』って。どんだけハードボイルドストーリーなんだよ!?っていう。
(秋元康)(笑)。そうね。
(宇多丸)あのね、秋元さんの作品、いちばん多い中でもこんだけ文脈がデタラメなのは結構珍しいと思うんですけど。これ、なんですか?これは。
(秋元康)あのね、つまり1番のテーマって、AKBって何をやってもいいんだっていうね。歌の世界が。っていう、そのメッセージかな。だって、どう考えたって、この詞だけ見て、『さあ、これは誰の作品でしょう?』っていうの、思いつかないでしょ?
(宇多丸)わかるわけないですよ。これ。あ、じゃあその文脈の関係なさ具合こそがメッセージである場合もあるということですか。
(秋元康)そうですね。それもありますね。それとよく、『これはどういう意味なんですか?』とか、755とかでも言われるんですけど、まず説明しないですね。つまり、だってどう書いて、これはこういうつもりで書いたんだよって言ったって、ねえ。聞いてくださる方が違う風に思ったら、それが全てだと思うんですよね。
(宇多丸)まあ歌詞っていうのはその幅があるものでもありますよね。
(秋元康)そうですね。だからそれを解説することのナンセンスさは、ねえ。
(宇多丸)いや、今日はまさにその解説をこれからしてもらおうということなんですよね。
(秋元康)いやいやいや、しますけど。
(宇多丸)お願いしますよ(笑)。
<書き起こしおわり>
https://miyearnzzlabo.com/archives/26877