香川照之 テレビAD時代の思い出を語る

香川照之 テレビAD時代の思い出を語る たまむすび

俳優の香川照之さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。俳優になる前、テレビ番組のADをしていた時の思い出を語っていました。

(玉袋筋太郎)香川さん、俳優になる前、制作の方で、裏方さんでやってたんですよね。

(香川照之)そうです。

(小林悠)ADさんとか。

(香川照之)当TBS。

(玉袋筋太郎)そうそうそう。

香川照之のTBSのAD時代

(香川照之)この『流星ワゴン』の枠の日曜劇場で。当時は石井ふく子先生がプロデューサーで、鴨下信一ディレクターという。あと、井下さんとか、もうそうそうたるメンバーの中で。この世界入ったことなかったんで、ちょっと母親にたのんだら、石井ふく子先生にたのんで。『ADをやってみたらどうか?』と。

(玉袋筋太郎)これですよ。AD。

(香川照之)まずは現場を知らないんで。全く。で、どうやってテレビを撮っているか?もわからなかったの。で、なんだかわからないけど放り込まれるわけですよね。で、当時はリハーサルがあるわけですね。かならず、月曜日?なんかリハーサルなんですよ。かならず。

(玉袋筋太郎)ホン読みとかじゃなく?

(香川照之)ホン読みもあって、立ちのリハーサルが緑山の1階か、TBSの赤坂のどっかであったんですよ。

(玉袋筋太郎)はいはい。古い頃のね。

(香川照之)で、まあ12時間ぐらいずっと立ちっぱなしなんで。そっからまず、こう、大変な世界だなと。ADは。大変だなと。

(小林悠)座れないですもんね。

(香川照之)で、もう合間に泉ピン子さんの厳しい攻撃があるわけですよ。

(玉袋筋太郎)来ました!

(香川照之)(モノマネで)『何待ちなんだよ、オイッ!?』とか言われて。『すいません、ピン子さん。申し訳ございません。いま、ちょっとですね、いろいろなものがありまして・・・』『あたしはもう待てねえんだよ!』みたいな。

(小林悠)(笑)

(玉袋筋太郎)はー!これをね、できるのは香川さんだけですよ。もう、ピン子さん、いじれませんから。

(小林悠)仲がいいからこそね、できるということです。

(玉袋筋太郎)そん時にあれですか?やっぱこう、浜さん(浜木綿子)の、要するに息子だから・・・っていうようなことは、なかったんですか?隠していた?

(香川照之)それをまあ、別に言わなくてもあれですけど。おいおい、そういうのが露呈していくわけですけども。そうするとまあ、みなさん態度がお変わりになるという。

(玉袋・小林)(笑)

(香川照之)これがまた、芸能界の縮図をここで見るわけですね。

(玉袋筋太郎)縮図ですよね!

(香川照之)一応、お勉強にはなるわけですよ。こういうことか!ということで。まあまあ、でもやるべきことは大変で。技打ちとかから出るわけですよ。

(玉袋筋太郎)すごい!

(小林悠)技術さんの打ち合わせですね。

(香川照之)そうすると、まあ台本の上に線が引いてあって。カット割りがしてあって。もう『MS』とか『LS』とか、なんかいろいろなことが書いてあるわけですよ。で、それよくわかんないのがいろいろあって。これがだから『ドリーでやっておいて、ルーズショットでやっておいて、それをポン寄りしといてから、長玉のルーズ、ちょっと引き目の長玉で・・・』とかもう、わけわかんないの。

(玉袋筋太郎)(笑)。わかんない。

(小林悠)長玉(笑)。

(香川照之)この人たちは何を言ってるんだろう?って話になって。ずっとわかんないまま、こう立っているわけですよ。

(玉袋筋太郎)偉いなー(笑)。

(香川照之)で、当時はその、僕、5番手。4人いたADの中の5番手だったんですよ。

(小林悠)いちばん下じゃないですか。

(香川照之)いちばん下だったんですけど。でも、4番手の男の子が実家に不幸が・・・とかで途中で辞められたりとかですね。

(玉袋筋太郎)あ、それ逃げたな。

(小林悠)厳しい世界ですから。

(香川照之)いろいろそういうのがあったり。でも、その5番目でやっていると、2週間ぐらいたって、6番目に後々の行定勲監督が入ってきたという、すごい話で。

(玉袋筋太郎)うわっ、すごい!

(香川照之)知らなかったんですけど。僕は。

(玉袋筋太郎)へー!

(香川照之)で、僕は2週間ぐらい先輩だったので。その時に。夏休み。熊本から上京してきた田舎もんの行定勲が。まだ19才ですよ。で、僕は22で。それでまあ、大学4年生で。たった2週間とはいえど、先輩面をふかしたらしいんですね。

(玉袋筋太郎)それはふかしたでしょうね。

(香川照之)『行定くん!これね、ピン子さんはね、肉の弁当だから!ピン子さんに魚持っていっちゃダメだよ!』みたいな。

(玉袋筋太郎)(笑)

行定勲に先輩面をふかす

(香川照之)そんなことをずーっとずーっと言っていたら、10年後ぐらいに・・・15年後か。行定さんの映画に出た時に、『香川さん、覚えてますか?』って言われて。『えっ、なんのことですか?』『実は、こうこうこうで・・・』って。全く覚えてなくて。彼が行定さんだってことを覚えてないわけですよ。

(小林悠)雰囲気も変わるでしょうしね。

(香川照之)で、その後に彼は『GO』で映画賞を総ナメにしたっていうのを経て来たわけですから。したらもう、僕のことをテスト100回くらいやりましたよ。

(玉袋・小林)(笑)

(香川照之)『あっ、香川さん。なんか違いますね。芝居が』って言われて。

(玉袋筋太郎)復讐だねー(笑)。

(香川照之)ものすごい、時間をかけた復讐が。だから人生いろいろ。僕の中でのAD物語というのが。

(玉袋筋太郎)いい話!

(香川照之)ADブギと言われてます。僕の中で。

(玉袋筋太郎)ほら、来た!これだ!

(小林悠)そういう裏方の経験があるからこそ、俳優のいまの仕事に活かされている部分もあるんじゃないですか?

(香川照之)いや、でもね、その時に、ADほど辛い仕事はないなと思いましたから。俳優の方がたぶん楽だろうと思ったんですね。まあ、後々どの仕事も楽ではないってことがわかるんですけど。その時はやっぱりADがすごい大変だったなと思って。いろんなことを見させていただきましたよ。

(玉袋筋太郎)だからもう、香川さんなんてADに対する応対っていうのは、やさしいんじゃないですか?

(香川照之)やさしいですよ。もう、靴磨いてますから。僕。

(玉袋筋太郎)ADさんの(笑)。

(香川照之)まず行ってから。

(玉袋筋太郎)偉い!これだよ!

(香川照之)チーフが当時、荒井光明さん。いま、プロデューサーになり、偉くなられましたけど。光明さんなんか見ると、いまも最敬礼・・・ピシッともう、気をつけ!ですよ。僕はもう。

(玉袋筋太郎)(笑)

(小林悠)緊張が抜けないわけですね(笑)。

(香川照之)僕は光明さんから初めて業界用語の逆さにするっていうのをね、聞かせていただいて。

(小林悠)ああ、『シーメー(メシ)』だとか。

(玉袋筋太郎)シーメーだとか。そうですよ。

(香川照之)あの、『四谷怪談』っていうドラマをその時、役所広司さんでやられて。坂口良子さんがヒロイン。その時に、『壁に蛇をはわす』っていうのを荒井光明さんが『じゃあこのベーカーにビーへーをはわしまして・・・』って普通にシレーっと言って。

(玉袋筋太郎)(笑)

(香川照之)これが業界用語だ!と。22才の僕は初めて聞いて。隣にいる行定くんに『行定くん!あれが業界用語だからね!』って。

(小林悠)ちゃんと使うように!って。

(香川照之)はい。どっぷりその後、業界に浸かる2人がですね、そんなことを荒井光明さんから教わっていたと。

(玉袋筋太郎)昭和ですよー!

(香川照之)昭和。うん。

(小林悠)みんな真面目に使っていたわけですよね?

(香川照之)真面目に。荒井光明さんは真面目に。真面目にそういう話をしてました。

(小林悠)『ベーカーニビーヘーを』ね(笑)。

(玉袋筋太郎)『グーニングモーヒーコ』だからね。

(香川照之)はいはい(笑)。

(小林悠)あっ、『モーニングコーヒー』?わかんなくなっちゃいますよ!

(香川照之)わかんなくなる(笑)。

(玉袋筋太郎)いや、香川さんそうやってね、俳優になってったと。

<書き起こしおわり>

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