俳優の香川照之さんがTBSラジオ『たまむすび』に出演。俳優になったばかりの頃、共演した松田優作さんと思い出や、教わったことなどを語っていました。
(小林悠)そうですよ。そんな中で、その2(の筋)に行きましょうか。俳優の松田優作さんから『お前は俺になれる』と言われたことがあると?
(香川照之)これはですね、そのまあADのブギがあってから1年後ぐらいですね。
(玉袋筋太郎)あ、1年後ですか。
(香川照之)まあ、俳優に転向しようと。転向っていうか、俳優になろうとは決めてたの。で、俳優になって、なにがなんだかわかんないですよ。やっぱり。全くわかんなくて、右も左もわかんない中で、松田優作さんのまさにいちばん最後の。彼にとってのいちばん最後のお仕事にご一緒させていただくという幸運に。
(玉袋筋太郎)ジョイナーの。
(香川照之)ジョイナー。フローレンス・ジョイナーという当時の陸上の女子のスプリンター。メダリストが女優として出るっていう売りのドラマで。優作さん、それが『ブラック・レイン』の後の、最初で最後になった一本なんですけども。それにまあ、本来僕の役は仲村トオルがやるはずだったんですよ。
(玉袋筋太郎)おっ。
(香川照之)で、仲村トオルは当時、松田優作さんと同じ事務所。セントラルアーツという、『あぶ刑事』の流れをくむチームですよ。
(玉袋筋太郎)あ、そうですね。
(香川照之)で、そのチームがですね、トオルを指名したんですけども。仲村トオルは僕と同い年なんですけど。全く、その前に僕たち映画でも一緒でしたし。仲良かったんですけど。トオルは降りたんですよね。トオルは優作さんの病気のことももちろん、誰も知らなかったし。まだまだ長く生きられると思った中で、『僕は優作さんともっと力ついてからやるから、俺は降りる』って言って降りたらしいんですよ。
(玉袋筋太郎)えー。
(香川照之)後々聞いたんですけどね。これは。で、僕はそんなことを知らずに、まあ僕がキャスティングされて。こうこうこうなった・・・ってトオルに話してたりしたんですけどね。で、トオルは降りたことは何も言わずに、『ああ、よかったね』っていう話をしてたのが1989年の夏あたりですよ。
(小林悠)はい。
香川照之が松田優作からもらった言葉
(香川照之)それで、まあ優作さんと出会って。まあ、なんだかわからないけど、いろんなことを教えていただいて。
(玉袋筋太郎)おおー!
(香川照之)だから、いろんな言葉があったんですけど。この言葉の他にも、『とにかく何でもいいから同じことをひとつやれ。毎日』と。『何でもいいから、ひとつやれ』ってことを言われて。
(玉袋筋太郎)たとえばそれはどういったことなんですか?
(香川照之)何でもいいらしいんですよ。『つまんないことでもいいから、同じことをひとつやれ。毎日』っていうのが、いまだに深い含蓄のある言葉で。なかなか人間、出来ないじゃないですか。
(玉袋筋太郎)まあ、そうですね。
(香川照之)ぜったいにいつか、サボったりとか。つまんないことは毎日やっているかもしれないけど。で、もう、『やれ!』って言われて。
(玉袋筋太郎)優作さんはなんかやってたんですかね?そん時。
(香川照之)優作さんは、なんか人ぶん殴ってたんじゃないですかね?
(小林悠)毎日?(笑)。
(玉袋筋太郎)毎日。毎日、ぶん殴って。
(香川照之)(モノマネで)『やんなきゃいけねーから!』って。
(玉袋筋太郎)下北のバーで。
(香川照之)すんごいですよ。『太陽にほえろ』の話で。まあ優作さん、当時23とかですよ。
(玉袋筋太郎)ジーパンですよ。ジーパンよ。
(香川照之)ジーパン。殉職するまでの間、たぶん1年とかです。あれ、1年サイクルで若手が。
(玉袋筋太郎)それしかないんだもん。だけどすごい印象を。
(小林悠)強烈な印象が。
(香川照之)印象に残って。『優作さん、本当にあの時は大変でしたでしょう?』っつったら、『俺もあの時は口が出る前に手が出ちゃったから・・・大変だったよ』『やっぱそうですか。やっちゃいましたか?』『うん。山さん以外全部やっちゃったよ!』って。
(小林悠)ええっ!?
(玉袋筋太郎)(笑)
(小林悠)ええっ!?
(香川照之)『マジっすか!?ゴリさんもやっちゃいましたか!』『ゴリさん、やっちゃったよ』。
(玉袋筋太郎)うわー!
(香川照之)『山さんはやんなかったですか?』『山さんはね、素晴らしい人だったよ・・・』。
(玉袋・小林)(爆笑)
(香川照之)まあ、もちろんボスは別格ですよ。
(玉袋筋太郎)ボス(笑)。そうでしょう。
(香川照之)山さん以下、もう全部ですよ。
(玉袋筋太郎)デンカからなにから。
(香川照之)デンカもゴリさんも全部!やっちゃったっていう話で。
(玉袋筋太郎)ええーっ!?いい話だー。はじめて聞いた。それ。
(小林悠)ですね。
(香川照之)『でも、いまはもう大人になったから・・・』って。39才。その時、優作さん。それで39才で『俺はもう口が出て、手は出なくなったから』とかなんとか言ってるんですけど、あるシーンで、すごく監督の演出が気に入らなくて。その監督が村川さんっていう優作さんとずーっと一緒にやっている方なのに。現場に入った瞬間に、これもよーいドン!でラジオ録りだしましたけど。入った瞬間に、『役者がまだ馴染んでいない』っていう話になって。村川さんが撮りだそうとしたら、『おい、ちょっと待て村川ぁ!』って話になって。
(玉袋筋太郎)来た!
(香川照之)『役者が馴染んでねーだろ、コラッ!』っつって。村川さんの座っている、こういう椅子あるじゃないですか。それをドンドンドンドン、ずーっと。『村川!オラッ!』って。
(小林悠)足で蹴るんですか?
(香川照之)蹴っているうちに、セットの隅の方に村川さんがどんどんどんどん・・・
(玉袋・小林)(爆笑)
(小林悠)車輪ついてるから(笑)。。
(香川照之)で、『村川さんがどんどん行っちゃった・・・』みたいな話になって。『優作さん、たしかに手は出てないけど、足出てるな』みたいな。
(玉袋筋太郎)(笑)
(香川照之)とかをまあ、いろいろと見て。
(玉袋筋太郎)現場でね。
(香川照之)いろんなことを毎日、優作さんと飲んで。聞いた中で、優作さんは『お前は俺とはタイプが違うけど、全く役者の質は違うけど、俺になれるから』ってことを、たぶんエールも込めて言ってくださったんだと思うんですよ。
(玉袋筋太郎)うーん。
『お前は俺とはタイプが違うけど、俺になれるから』
(香川照之)で、僕はなれるとも思っていないし、なっているとも思っていないけれども。この言葉をもらったのは、やっぱり仲村トオルじゃなくて僕がもらったんだっていう意味ですごくこう、宝として持っていますね。で、なれるかどうかはどうでもいいんです。本当にこの言葉をもらった僕が、こういうことをこういうラジオで言えたりするのが宝だと思っているんで。
(玉袋筋太郎)おおー!でもまあ、実際ね、優作さんの齢をはるかに超えちゃっているわけじゃないですか。
(小林悠)そうですね。追い抜かして。
(香川照之)そうなんですよ。そうなんですよ。だからもう、こんなありがたいことはなくて。優作さんができなかったことを、こんなに時間を引き伸ばしてやらせていただいているってだけで、もう本当ありがたいんで。まあ優作さん、僕の中で本当にもう、いちばん最後に仕事できた、本当にすごい人でしたね。
(玉袋筋太郎)ですよね。
(小林悠)忘れられないですよね。
(香川照之)『もう、僕が女だったら付き合ってますよ、優作さん!』って言ったんですよ。そしたら、『うれしいよ!』って。
(玉袋・小林)(笑)
(香川照之)言ったんですよ。
(玉袋筋太郎)わかる。でもそういう気持ち。『俺が女だったら』っていう気持ちはわかりますよ。ええ。
(小林悠)抱かれてもいい!っていう。
(香川照之)そうそうそう。
<書き起こしおわり>