吉田豪 タモリとヒクソン・グレイシーの共通点を語る

吉田豪 長野美郷にヒクソン・グレイシーのサムライっぷりを語る たまむすび

吉田豪さんがTBSラジオ『たまむすび』でタモリさんとヒクソン・グレイシーの間に見出した共通点について語っていました。

(赤江珠緒)さあ、今日豪さんのテーマ、タモリさんとヒクソン・グレイシーさんということですけども。

(吉田豪)これがですね、半年ぐらい前にタモリ論バブルみたいなのがあったんですよ。

(博多大吉)いっぱい出ましたよね。

(吉田豪)タモリ本が山ほど出たんですけど。その中で文藝別冊の『タモリ』っていう本が出て。それで僕、原稿をたのまれたから、すごい気軽に今回のテーマの原稿を書いたんですよ。そしたら、出てから気づいたんですけど、すごい真面目な本だったんですよ。

(博多大吉)(笑)

(吉田豪)ええとですね、筒井康隆さんとか坂田明さんとか山下洋輔さんとか大橋巨泉さんとか、本当にタモリさんと深く関わった人たちが語る本みたいな感じで。僕のこんな妄想原稿みたいなのがすごい浮きまくってて(笑)。

(赤江珠緒)がっつり正攻法でみんな攻めたんですね。

(吉田豪)そうなんですよ。しくじった!っていう感じで。だから、ここでちゃんと紹介した方がいいかな?こっちならハマるだろうと。大吉さんから見て、タモリさんはどんな方ですか?

(博多大吉)いや、あんまりお付き合いないんですけど。僕は正直。もう、あのままとしか言いようがなくないですか?テレビで見るまんま。

(吉田豪)なんか、九州方面のつながりとかは?

(博多大吉)あの、うちの相方が中学校の先輩にあたるということで。タモリさん、森口博子さん、博多華丸さん、氷川きよしさんが、4人でタモリさんの家でメシ食ったとかあるらしいですけど。僕はもう、言ったら中学校違うんで。

(吉田豪)(笑)。あ、そういう。

(赤江珠緒)そこで区別されるんですか。

(博多大吉)だから『お前は別だもんね』みたいな感じなんです。

(赤江珠緒)うわっ、狭き門ですね、それはちょっと。

(博多大吉)でもそれも嫌な感じとかじゃなくて、普通なんです。『だってそうだろ?中学違うんだから』って。だから、なんて言うんでしょう?ずーっとテレビで見るまんまでしたね。変わってないですよ。

(吉田豪)赤江さんもいいとも何回か出てますけど、どうでした?

(赤江珠緒)そうでした。出させていただきましたけど、本当になんか大吉先生がおっしゃるように、あのまんまで。で、私はメイク室で二人きりになった時とかに、なんかちょっとお話した方がいいかな?と思って話しかけると、それに本当に丁寧に答えてくださって。『タモリさん、字キレイですね』とか言うと、『ずーっとね、僕は小さい時から書道をね、人のやつを上からなぞってね、練習したんですよ』みたいな。淡々と話してくださる方でしたね。うん。優しいっていう印象ですけど。

(吉田豪)僕もだから、接点は微妙で。タモリ倶楽部に3回出たことと、アルタで打ち合わせまでしたのにいいとも出演の話が何度か流れたっていうだけの接点なんですよ。

(博多大吉)打ち合わせまでして。しかもアルタで。

吉田豪とタモリの接点

(吉田豪)で、テレビに出るタモリさんを至近距離で見るたびに思うのは、その圧倒的な自然体ぶりなんですよね。僕が最初にタモリ倶楽部に出たのが、いまから15年前の1999年6月8日放送の『収集家の宴 第1回ものタメ王座決定戦』っていう、いろんなコレクターが集まる回に出たんですよ。その時に印象的だったのが、収録中にテープチェンジのタイミングでタモリさんが隣にいる、みうらじゅんさんもゲストだったんで、みうらさんに話しかけていたのが、『俺この前、変な夢見たんだよ。誰かに追いかけられて、逃げる時高いところから飛び降りた瞬間に、プリッとウンコが漏れて。それで、「あっ、俺、ホモだ」って気づいたんだけどさ』っていう。

(赤江珠緒)(笑)

(吉田豪)本当、死ぬほどどうでもいい話をずーっとしてるのを、カメラとかスタッフの人がみんな待ってるんですよ。っていう状況がすげーいいと思って(笑)。なんのオチも無い話をずーっとみんなが聞いている感じ。

(博多大吉)どんなタイミングでもタモリさんがしゃべりだすとね、みんなちょっと、1回作業を止めるというか。聞いちゃうんですよね。本当、どうでもいい話(笑)。

(赤江珠緒)本当、どうでもいいな。この話は(笑)。

(吉田豪)放送にも使われないっていう。で、2度目が2007年11月9日放送のタモリ倶楽部『カール・ゴッチ追悼 ジャーマンスープレックス大賞』っていうのがありまして。浅草キッドさんと山本小鉄さんがゲストで。キッドさんと小鉄さんと僕で雑談をしてたんですよ。そしたらそこにタモリさんが合流してきて。キッドさんが素早くエスケープしたんですよね。で、逃げ遅れた僕がタモリさんと小鉄さんのゴルフ談義に巻き込まれて。話に入ることもできなくて困り果てたっていう(笑)。

(博多大吉)ちょっとね、中座するわけにもいかないし。

(吉田豪)っていうかもう、タモリさんが横に来ちゃったんで出れないんですよ。

(博多大吉)なるほど。間に挟まれて。

(吉田豪)そこでずーっとゴルフの話に頷いているしかなくて(笑)。うわー、全く・・・どうしよう?っていう。本番が始まったら、タモリさんが前田日明後援会やってたんですよね。そういう話とか、田辺エージェンシーとアントントレーディングっていうタバスコとかマテ茶とかを取り扱っていた猪木さんの貿易会社があったんですが、それがマンションの隣同士で、いろいろ関係があったっていうこととかを突っ込んだら、『そうなんだよ!』って笑顔で答えてくれたのは覚えてるんですけど、タモリさんが具体的になにを話したのか?とかの記憶がほとんどないんですよ。正直。

(博多大吉)いいリアクションはしてくれたっていう記憶はあるんですね。

(吉田豪)面白がってはくれているんだけど、タモリさんがなにを言ったかな?って。いつもだいたいそうなんですよね。3度めが2011年11月26日放送の『もしアイドルヲタクがタワーレコードの社長だったら』っていう。

(博多大吉)いろんな企画、あるなー。タモリ倶楽部。

(吉田豪)タワレコの嶺脇社長っていうのがアイドルヲタだったっていう話のやつなんですが。その時のタモリさんについては、スッと現場に現れて、スッと本番に入って、スッと終わらせて、スッと帰っていったっていうことしか覚えていなくて。

(博多大吉)たしかに。特にタモリ倶楽部、そうですよね。いつの間にか来て、いつの間にか帰っちゃうんですよ。だから毎回、一応誘われるかな?と思って、タモリ倶楽部の後は仕事を入れないように、実は華丸と二人でやってるんですけどね。1回も誘われたことないです。

(吉田豪)(笑)。飲みに行ったりとか、あるらしいですけどね。

(博多大吉)ね。なんもない。スーッと帰られる。ものすごい動揺する。だから。いつの間に!と思うぐらいね。本当にタモリさん、そうですよね。

(吉田豪)そういうところから、このひたすら肩の力を抜いて自然体のまま億単位のギャラを稼ぐ最強の男っていう意味で、タモリさんとヒクソン・グレイシーには通じるものがあると思ってるんですよ。

(博多大吉)自然体で。

(吉田豪)自然体です。

(赤江珠緒)はー。なんか仰々しさみたいなのは全然ないんですね。スーッと。

(吉田豪)そうなんですよね。そういうわけでヒクソン・グレイシーについて説明してみたいんですけど。ヒクソンはブラジル出身の柔術家で、1959年生まれの現在54才。通称400戦無敗の男で、ヒクソンが日本で一躍有名にしたのは1997年10月11日、PRIDE1での高田延彦戦。高田になにもさせることなく、1ラウンド4分47秒 腕ひしぎ十字がためで一本勝ちしたというね。大吉さん、あの試合はどんなスタンスで見てました?

(博多大吉)僕、福岡にいて、その当時。で、福岡にいるプロレスファンって、なんて言うんでしょう?映画見てるような感覚だから、あんまり現実味がないんですよ。で、こん時に忘れられないのが、97年の10月11日。僕、中洲のスナックで、三沢光晴さんと飲んでたんです。

(吉田豪)ええーっ!?

(博多大吉)で、東スポか日刊スポーツの方がいらして。やっぱり僕もプロレスファンで、この日三沢さんと飲んでるけど、やっぱり気になるじゃないですか。

(吉田豪)当然。三沢さんも気にはなっているけども・・・

(博多大吉)どうなのかな?で、なんか東スポの人たちが速報が入ったみたいで、結果をコソッと教えてくれたんですけど。三沢さんにも言ったんですよ。そしたら三沢さんが、本当に顔色をひとつ変えず、『ふーん』って言って、なんかそのまんま女の子としゃべりながら飲みだしたから。

(吉田豪)(笑)

三沢光晴の高田・ヒクソン戦結果速報に対する反応

(博多大吉)マジか!?と思って。だから、あれ?これプロレス界にとって大変なことが起こったはずなのに・・・

(吉田豪)大変なことですよ。馬場さん、怒ってましたよ(笑)。

(博多大吉)でも中洲で三沢光晴は、もう本当に微動だにしなかったです。『ふーん』っつって、飲んでました。

(吉田豪)三沢さん、だってね、『俺はヒクソンを投げられると思う』って言ってましたもんね(笑)。

(博多大吉)『まあ、高田じゃああだろうな』ぐらいのことを思って真露を飲んでいたかはわかりませんけど。それはね、すごい覚えてます。

(吉田豪)まあとにかく、この試合もそうなんですが、ヒクソンが衝撃的だったのはそれまでの格闘家と違って、とにかく肩の力が抜けてるんですよ。で、スッと相手の懐に入って、あっさり勝負を決めるっていう。で、なんでそんな戦い方ができるようになったのか?っていうのが、彼の著書『ヒクソン・グレイシー無敗の法則』っていう2010年ダイヤモンド社の本なんですが。これを読むとわかるんですよ。ヒクソンがそうなったきっかけは、ヨガの先生から動物の動きを真似する独自の呼吸法のレッスンを受けたことらしいんですけど。大吉さん、ちょっとヒクソンになったつもりで次の文章を読んでください。

(博多大吉)ヒクソンになったつもりで?ちょっとできるかわかりませんが。『それは、私が習ったことのある伝統的なヨガとは違っていた。この拳法の先生から教わったのは、動き方と呼吸法だ。猿のように歩く、ジャンプする、蛇のようにじっとしている、いろんな動物の動きを真似しながら呼吸をする。先生に「自分が猿になったところを想像して」と言われると、私は物に抱きつくなど、いろんな動きをした』。

(赤江珠緒)これで・・・強くなる?

(博多大吉)マジっすか?

(吉田豪)で、これをさらに極めていくんですよ。まずは鷹になって、それから違う動物になってくるっていうのを続けていくらしいんですけど。最終的にどこまで極めたのか?っていうのをちょっと大吉さん、これも読んでください。

動物になりきるヨガを極める

(博多大吉)続き、あるんですね。わかりました。『20回以上のレッスンを重ねたある日、いつものように先生が指示を出した。「動物の動きを始めたら、目は見ているものを素通りするはずだ。なんの分析もしてはいけない。ここに誰かがいることはわかる。でも、いくつなのか、若いのか、年寄りなのかはなにもわからない。動物のように見るだけだ。なにかが存在することはわかっても、分析しない。動物だから、なんの感情もなく、ただ性質を感じるだけだ。」その時、電話がかかってきた。先生は「いいからそのまま続けて」と言い残して出て行った。私はそれを続けた。「やり遂げた!」と感じた時、私は窓枠にのっている自分に気づいた。部屋を見渡すと、先生が泣いていた。私は1時間15分もそんな状態だったのだという。全く意識が無いままで』。

(赤江珠緒)えっ?えっ?

(吉田豪)ヒクソンが鷹になりきって、窓枠にのって1時間15分そんな状態だったんですよ(笑)。

(博多大吉)で、それを見て先生が泣いていた。

(吉田豪)泣いちゃった。『こいつはここまで鷹になりきるとは!』っていう。すごいですよね。無意識で、窓枠にのっちゃうんですよ。で、鷹のフリしてたんです。ずっと。あのヒクソンがあの真面目な顔で。

(赤江珠緒)ええっ!?そうですか・・・

(吉田豪)最高じゃないですか。その光景を想像するだけでヒクソンが好きになれるっていう。

(博多大吉)へー。意識なく、鷹になっちゃうんですね。

(吉田豪)で、このエピソードは『ヒクソン・グレイシー 心との戦い方』っていう、これ2013年新潮社の本なんですが。こっちにも登場してまして。そっちだと、ヒクソン曰く『目をつぶり、頭の中にサル、ライオン、トラ、カエル、ヘビなどを思い浮かべ、その動物になったつもりで一心に動いた。体をくねらせて歩き、急に走り出したり、両手をバタバタさせて飛ぶような格好をしたり、宙返りをしたりしているうちに我を忘れ、それを見ていたヨガの先生がこう言った。「もうこれ以上、君に教えることはない」』という。

(赤江・大吉)ほー。

(吉田豪)だからヒクソン曰く、『それはエンプティ・マインド、もしくは無我の境地と呼ばれる状態で、グレイシー一族の中でも無我の境地に達したり、動物のような呼吸法を習得したのは私だけだった』ということなんですけどね。僕が思うに、タモリさんもイグアナの真似を極めたりとか、間寛平さんと共演するとお互いサルになって戦ったりしているうちに無我の境地に到達したんじゃないか?というね。

(赤江珠緒)あ、なるほど。

(博多大吉)言われてみればタモリさんも。

(吉田豪)やけに動物になりますよね。そしてなった時は本当無我の境地でやり過ぎるじゃないですか。テレビだってことを忘れるぐらいの長時間やっている感じの。

(博多大吉)たまにね、アルタのお客さんを置いてけぼりにする時もありましたもんね。

タイトルとURLをコピーしました