Base Ball Bear小出祐介が語る NUMBER GIRLと『青春』

宇多丸が語る CDJ13/14のBase Ball Bear小出祐介のグズりっぷり 宇多丸のウィークエンド・シャッフル

Base Ball Bearの小出祐介さんがTBSラジオ『タマフル』に出演。バンドNUMBER GIRLの歴史と、自身の青春時代をクロスさせて語っていました。

(宇多丸)『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル』、今夜はBase Ball Bearの小出祐介さんをお招きして、『自分のアルバムが出るのになんですが、改めてNUMBER GIRLについて語ろう特集』をお送りします。小出祐介さんの作文がね。『僕とNUMBER GIRL』。始まるということで。ちょっと、お願いしますよ。

(小出祐介)はい。ええとですね、今回NUMBER GIRLについて分析してみようと思ったんですけど、どうしても身の上話を引き剥がせなかったと。なんで、まあ作文というか、作文的な感じで、今回はNUMBER GIRLの歴史と僕、小出祐介の歴史をですね、クロスオーバーさせて(笑)。ちょっとね、振り返っていこうかなという風に思っています。ちなみに、NUMBER GIRLについてなんですけども、来月、他局なんですけど、向井さんご自身で今回のリマスター盤の発売記念に際して、1ヶ月ぐらいかけてしゃべるらしいんで。そっち聞いてください。はい。

(宇多丸)詳しくはね。

(小出祐介)そっち聞いた方が早いということで。じゃあまず、はじまりなんですけど1995年ですね。NUMBER GIRLが福岡で結成されました。メンバーは向井秀徳、田渕ひさ子、中尾憲太郎、アヒト・イナザワの4名なんですけど。ライブハウスでバイトをしながら、バンドを組みたいと思っていた向井さんがメンバーに連絡して誘った。バンドに誘ったらしいんですけど。実はね、後から聞くと、周りのバンドですごく上手かった人たちっていうのを集めたというか。スターバンド的なニュアンスだったらしいんですよ。

(宇多丸)あー、そうなんだ。なんか自然発生的に友達同士でやったグループというよりは、意図的に組んだ。

(小出祐介)そうです。もうスターバンドだったらしくて、向井さんが誘った形でメンバーを集めたと。で、この時の福岡のライブシーンというか、働いていたライブハウスですね。に、椎名林檎さんとかも出入りしていて。で、向井さんがPAやっていたりとか。

(宇多丸)へー!

(小出祐介)で、スタジオの予約を中尾さんがやっていたりとか。田渕ひさ子さんは椎名さんのライバルバンドのギターだったりとか。っていう、実はそういうシーンがあった。

(宇多丸)シャ乱Qが元々別のグループだったみたいな。

(小出祐介)みたいなことがあったという話ですね。で、その頃の、一方僕は・・・小学校5年生ですね。

(宇多丸)これは、どう?小学校5年。音楽は?

(小出祐介)やってないです。ぜんぜん。バスケットボールやってました。11才ですね。で、この時の僕の最大のトピックスといえば、夕方受験をしていたので。

(宇多丸)中学受験ね。

(小出祐介)そう。塾に行くのにご飯を食べながら、エヴァンゲリオンを見ていたんですよ。で、それが僕とエヴァンゲリオンの出会いで。まあ、夕方の最初の放送ってことですね。元々特撮好きだったのもあって、まあウルトラマンっぽいな、みたいなところから好きになってったんだと思うんですね。ちなみになんですけど、エヴァンゲリオンは僕の中でね、NUMBER GIRLもそうなんですけど、三大・好きすぎるから語りたくないの内の1個なんですね。

(宇多丸)えっ、ちょっと待って。NUMBER GIRL、エヴァンゲリオン、あと1個はなに?

(小出祐介)乙葉です。

(宇多丸)えっ!?

(小出祐介)(笑)

(宇多丸)ちょっと待って・・・意外なところ、来たよ!なんかこう、違うところから来て。あ、乙葉さん。藤井隆さんの奥さんの乙葉さん?

(小出祐介)そうです。

(宇多丸)これ、実はね、乙葉さん特集も考えているんですけど。これ、ヤバいじゃん。これ、コイちゃん呼ばないわけには・・・

(小出祐介)あ、タイムリーですね。

(宇多丸)うん。本人、来てもらうか?みたいな話ですよ。

(小出祐介)マジか、ヤバいな・・・

(宇多丸)それ、マズい?

(小出祐介)死ぬ。

(宇多丸)(笑)。いまも、CMの間中『ウェーッ!』って言ってたのに。そりゃヤバいね。

(小出祐介)そうなんですよ。実はね。そういう、三大・・・

(宇多丸)エヴァ、NUMBER GIRLときて。なんかQuick Japan的な流れがあるじゃない。乙葉さんって来ると思わなかったから。

(小出祐介)もう本当、結婚すると思ってたんです。僕。乙葉さんと(笑)。まあまあ、そんなね、3つのうちの1つのエヴァンゲリオンとこの時に出会いましたよということでございました。そして1997年。NUMBER GIRLがファーストインディーズアルバムですね。『SCHOOL GIRL BYE BYE』ですね。リリースいたしました。インディーズアルバムでこそあるんですけど、NUMBER GIRLのライブ。最後まで必須レパートリーになっているような名曲がたくさん入っているようなアルバムでした。たとえば『omoide in my head』だったりとか、『IGGY POP FAN CLUB』だったりっていう曲が入っていて。あ、いまこれ流れてきましたね。これ、『omoide in my head』ですけど。

(宇多丸)うん。

(小出祐介)あの、当時はまだギターポップ的な鳴り方をしているというか、音の佇まいだったと思うんですけど。で、でもこの頃からこの出音がもう完全にNUMBER GIRLなんですね。もう仕上がっているんですよ。

(宇多丸)それは具体的に説明すると?

(小出祐介)まあ、このなんて言うんですかね?ギターのサウンドだったりとか、ドラムが暴れまくっていたりとか。で、女の子のギターなのに弾きまくってるとか。あと、日本一すごいダウンピッキングのベース、中尾憲太郎っていう姿がもうここにあったりとか。っていうのがもう、見て取れるアルバムだなと思っております。そして・・・

(宇多丸)97ね。ええと、ちょっと待って。95の時点で小5の小出少年はNUMBER GIRL聞いてないんだよね。

(小出祐介)まだ聞いてない。交差してないです。別々です。福岡と東京の話です。

(宇多丸)了解了解。場所は知らねーけど(笑)。で、この時は?

(小出祐介)で、僕13才なんですけど、中1ですね。で、私立中学に受験して入りました。で、これが僕にとって最大の転機なんですよ。ある意味、ここに入っていなかったら僕、NUMBER GIRLにきっと出会ってなかったというか。

(宇多丸)中学に入って、出会った。それはなんで出会ったんですか?

(小出祐介)いや、まだ出会ってないんですけど。あの、中学に入ったこと自体がきっかけなんです。っていうのも、僕はバスケやってたんですけど。だから、バスケやりたくて選んだ学校なんですよ。

(宇多丸)そんなスラムダンクみたいな。

(小出祐介)まさにそうです。スラムダンク世代なんですけど。で、まあそこそこ上手かったし、部の感じでもすごく良くて。いい感じだったんですね。で、バスケ部ですごい仲良かった連中っていうのが、結局クラスでもスクールカースト上位の連中だったんですよ。だから、その彼らと仲良くしていることで結果的にスクールカースト、クラスでもピラミッドのてっぺんにいたんですね。なんですけど、それが秋口になって、なにがきっかけだったのか、いまでもしっくり来てないんですけど。急に、その部活で仲良かった連中から無視されるんですね。

(宇多丸)あー・・・

中学で完全孤立

(小出祐介)で、結果クラスでもみんな誰とも俺としゃべってくれないみたいな。完全孤立みたいな。

(宇多丸)マジで?それは・・・ひでーけど、まあ、あるね。なんか中学ぐらいの時ってね。

(小出祐介)そうなんですよ。だから中1の夏過ぎ、秋口あたりなんで。そっから残りの半年間、もう地獄みたいな。誰もしゃべってくれないみたいな時期で。

(宇多丸)ああ、そう。それは辛いわ。

(小出祐介)で、結局部活も辞めちゃったんですよ。そんなあれで。で、それでやることがなくなっちゃったから、僕、ギターを始めたんですよ。で、ウチの親父が元々フォーク世代で。バンドやってたんで、家にアコースティック・ギターがあって。それでギターを始めるっていう。

(宇多丸)それはお父さんにちょっと習ったり?

(小出祐介)あ、しました。

(宇多丸)これがあれだ。そのバスケ部との事件が後に、あれだね。俺らスタジオに一緒にいる時に、『じゃあ、誰が殺したいか話しようぜ!』っていう。あれだ。

(小出祐介)そうですよ。『誰が殺したいか』の話になって、出てくるのはだいたいこの時の連中ですよ(笑)。

(宇多丸)(笑)。ねー。本当に殺しませんからね(笑)。

(小出祐介)気持ち的にね。

(宇多丸)気持ちの話です。はいはい。これが97。

(小出祐介)っていうことがありましたね。で、まあそれがきっかけで結局音楽を聞くようになって。で、ロックを聞くようになって。

(宇多丸)それ、なんかそこで友達が、でなくて。自分で、もうしょうがないから雑誌とか読んで、みたいな?

(小出祐介)もう完全に1人だったんで、僕、1人で音楽聞いてたんで。

(宇多丸)情報源はなんだったんですか?

(小出祐介)雑誌でしたけど。で、僕その時聞いてたの、ハードロックだったんですよ。で、ディープ・パープルがいちばん好きで。で、リッチー・ブラックモアっていうギタリストになりたいと思って。で、部屋にリッチー・ブラックモアのポスター貼ったりとか。『Player』っていうちょっと渋い雑誌読んだりとかして。もうどんどん孤立していくっていう(笑)。

(宇多丸)ちょっと13才っていう感じじゃないもんね。

(小出祐介)まあまあ、っていう13才でしたね。そして翌年。98年。この年、NUMBER GIRLが上京してきます。きっかけはですね、東芝EMIの加茂啓太郎という人がいまして。で、その人がレコ屋でポップに『ズボンズを食った』って書いてあったらしくて。ズボンズっていう、まあバンドなんですけど。そのポップに惹かれて、『SCHOOL GIRL BYE BYE』を聞いたっていう。

(宇多丸)『食った』っていうのは、なんかのイベントかなんかで?

(小出祐介)そこもね、情報あやふやらしいんですけど。『なんかズボンズを食ったらしいよ』みたいな。

(宇多丸)なんか、そのMCバトルみたいなさ、話あるのかな?って。まあでも売りとして、『あのズボンズを超えた!』みたいな。

(小出祐介)みたいなポップが書いてあったので、気になって視聴もせずに買ったと。で、それを聞いて、一発目で、omoide in my headのド頭のイントロを聞いて、『あ、このバンド違げーな』と思ったと。で、それがきっかけで、後にディレクターになる吉田さんが福岡に行って、向井さんと飲んだりとかして。で、『東京にちょっとライブ来たりとかしてよ』みたいな話になっていって。で、その後に上京につながっていくっていうことらしいんですけど。で、『この時のライブ、どうだったんですか?』みたいな話をちょっと加茂さんに聞いたんですね。で、聞いたら、お客さんとしてはコアファンみたいな。すごいロック好きのコアファンみたいな人が20人、30人いるぐらいだったらしいんですけど。ライブを見に来た媒体とか、関係者の人たちがもう軒並み絶賛だったらしくて。

(宇多丸)うんうん。

(小出祐介)『あ、もうこのバンド、ヤバい』じゃないですけど。『あ、これ来た!』みたいな様子を常にされていたと。『この後、ライブもハシゴしなきゃいけないんで、ちょっと何曲か見て出ます』みたいなことを言っていた人が、『もうすごすぎて、最後まで見ちゃいました』とか。

(宇多丸)いいなー!そんな出だし、いいなー!

(小出祐介)っていう、まあすごい・・・まあ、そこで初めて関係者の方たちも見る人がほとんどだったんだけど・・・

(宇多丸)俺らなんか、やっている最中に出てかれたことばっかりですよ!いいなー!

(小出祐介)(笑)。関係者の方に。まあ、そんな伝説の幕開けだったと。やっぱりまあ、加茂さんも言ってましたけど、スターバンドだったっていうのもあって。

(宇多丸)技術的にもすごい。

(小出祐介)すごい上手かったし。曲もまあ、すごいし。あと、佇まいのオーラというか。

(宇多丸)向井さんという方ね、ご存知ない方にいうと、なんて言うか、ちょっと年の割には不思議な・・・なんつーんですかね?

(小出祐介)そうなんですよ。僕、ずっとだから向井さんのことを本当、40才ぐらいだとずーっと思っていたぐらいなんですけど。

(宇多丸)なんかその、落ち着いた感じもあるし。メガネして。なんかこう、この時代のどこにこの人はいたんだろう?じゃないけど。どっから来たんだ、この人は?っていう感じ、ありますよね。まあ、そんな感じ。98。

(小出祐介)で、僕もですね、14才です。この時、中2になって、ウチのギターの湯浅と出会いまして。で、OASISのコピーバンドをやることになりました。で、その中でやっとバンドのメンバーの影響で邦楽ロックを聞くようになったりとかして。で、それでたくさん。当時、97年、98年ってたくさん。その新時代に突入していった時期だったんですよ。

(宇多丸)そうですね。だからいわゆるハイスタとかさ、そういうのもありますしね。

(小出祐介)まあたとえば、くるりだったりとか。Dragon Ashだったりとか。斉藤和義さん 中村一義さんとか。が、出てきたのもまさにこの時期だったっていうので、僕も日本のロックシーンをだんだん聞き始めた頃という感じで。そして、99年。NUMBER GIRL、とうとう東芝EMIよりメジャーデビューしました。で、ファーストシングル『透明少女』をリリースした後、メジャーファーストアルバム『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』。今回、リマスターされてますね。が、リリースになりました。で、もうその時から、もうやっぱり他のバンドとはぜんぜん違ったらしくて。当時、加茂さんっていうA&Rをやられていた・・・

(宇多丸)もう、伝説のね。いろんな人を手がけている。もう並べていったら笑うしかない、伝説のA&Rです。

(小出祐介)で、その加茂さんが、それまでたくさんディレクターとしてもいろんなアーティストを担当してきたけど、こういうやり方初めてだったなということがたくさんあったと。たとえば、いまだとそんな珍しくないですけど、事務所に入らなかったんですよ。で、もう完全に自分たちでやって。あと、加茂さんがマネージャー的なことをやって、みたいな感じだったと。あと、そのメジャー的なことだったりとか、いわゆる、メジャーっぽいことを。

(宇多丸)プロモーションとかで、あれかな?『カウントダウンTVをご覧のみなさん、こんにちは!ライムスターでーす』みたいな。

(小出祐介)とかってことも、基本的にはお願いしてやる感じではなかった。だからもう、気に入ったら使ってください、みたいな感じでのプロモーションだったんだけど、やっぱり音がすごいから、どんどん仕事が来たと。っていうことだったらしいんですけど。で、あとはたとえば、メジャーのアーティストだったらプロデューサーつけて、いいスタジオでいいエンジニアで、みたいなことが普通なんですけど。この『透明少女』っていう曲も、最初は東芝EMI。当時溜池に自社ビルがあったんですけど。そこの最上階に『3スタ』っていう伝説のスタジオがあったんですよ。ここ、もう名スタジオで。卓とかもビンテージの古い卓で。それ、後々ビル解体する時に山下達郎さんが何チャンネルか買い取ったっていう逸話があるぐらいのスタジオなんですけど。

(宇多丸)へー。

(小出祐介)で、そこで最初録ったんですけど。要は、音がキレイだったのかわかんないですけど。

(宇多丸)良すぎるっていうやつね。

(小出祐介)なんか気に入らなかったっていうことで、これ結局、ボツにしちゃうんですよ。で、ボツにして、その後地元福岡の、日に3万円だったかな?3万円のスタジオで6日間でファーストアルバム全部録っちゃったと。っていうような(笑)。で、むちゃくちゃに思えたんだけど、音を聞いたら、たしかにこっちの方がテイクいいってなるし。じゃあ、これで行こう!ってことになったってことらしいんですけど。で、その間にもPVを向井さんが監督したりとか。あと、スタイリストとかヘアメイクも、最後までつけなかったと。全部衣装も自前だし。ひさ子さんなんか、常にスッピンだったらしいんですね。だからまあ、基本的にそういうのもいらないです、みたいな感じで。

(宇多丸)僕、当時ビデオがとにかく異様なビデオで。なんだこれ!?ってすごい印象がありますね。

(小出祐介)それね、向井さんが監督してたんですよ、実は(笑)。

(宇多丸)だからびっくりした。ビデオ見てて。

(小出祐介)でも要は、自分の中から出てくるものを、自分の手で最後まで形にするっていうことだったのかな?って思うんですけど。で、この後、99年末にライブアルバム『シブヤROCK TRANSFORMED状態』っていうライブアルバムが出るんですけど。2枚目のアルバムがライブアルバムなんですよ。

(宇多丸)うんうん。それも、そうだね。型破りだね。たしかに。

(小出祐介)これも結構おかしくて。インディー時代の曲と、メジャーのファーストしかないのに、もうライブ盤出すって。これ、いまじゃなかなかないことなんですけど。それぐらい、ライブを聞かせるべきバンドだという風になってたんじゃないかなと。で、その頃。僕、15才です。いよいよNUMBER GIRLに出会いました。なんでか?っていうとですね、ウチのギターの湯浅がCSで音楽番組をいろいろ録った。ケーブルテレビとか音楽番組を録ったビデオを何本も持っていて。で、それを僕に貸してくれたんですよ。僕、当時家でケーブルが見れなかったんで、それでいろいろ情報を得てたんですけど。そん中に、RISING SUN ROCK FESTIVAL 99。1999年のフェスの映像があって。そこで、『透明少女』を演奏しているNUMBER GIRLの映像を見て、なんだこれ!?となったんです。

(宇多丸)うん。

(小出祐介)で、その最初の印象っていうのが、すごい青空をバックに『透明少女』を演奏してるんですけど。まあ、なんか僕の知っている青空じゃないなというか。もうなんか、風景が違って見えたというか。

(宇多丸)普通のね、爽やかな草原の中でやるから。RISING SUNは。そういうんじゃなく見えたと。

(小出祐介)なんか、なんて言うんですかね?刺すような青空というか。とんがった青空というか。コントラストが強めの青空というか。実際に見るとそうじゃなかったと思うんですけど。

(宇多丸)でも、自分の中ではそういう風に。

(小出祐介)見えたっていうので、すごい好きになって。それからすぐCD買ったりとかしましたね。で、まあ当時あとは関係ない話ですけど。平成ガメラ3があったりとか。後は・・・

(宇多丸)3ね。3だね、だから。

(小出祐介)あとは、『LOVE & POP』ですね。庵野秀明さんの。

(宇多丸)ああ、でも時代感。時代感。

(小出祐介)時代感っていう意味で、すごい一致してるなって思ったんですよ。っていうのは、渋谷で女子高生が出てきて、みたいな映像っていうのと、NUMBER GIRLのファーストの曲は特に映像がリンクするとか。それはやっぱり向井さんが当時東京に出てきて、『東京と自分』みたいなのを曲にしていたから・・・

(宇多丸)あー、でも東京と自分っていうとさ、たとえば、それこそさっきシャ乱Qって言ったけどさ、『シングルベッド』とかさ。長渕剛さんとかあるけどさ。なんか、それと。なんだろう?うまく言葉に出来ねーぞ!でも、その『LOVE & POPとかガメラ3の時代です』って言われると、ピンと来る!

(小出祐介)(笑)。そうでしょう?なんか、あの一致する感じがあるんですよ。NUMBER GIRL。

(宇多丸)なんかヒリヒリしたというか、なんだろうね?

(小出祐介)なんか、井の頭線の駅のところがまだビルを建てている途中だったりとか。なんか、あの景色がちょっと見えてくるような気がしますけどね。ファースト聞いてると。

(宇多丸)いいね。なんか立ち上がってくる景色。

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