(宇多丸)おっ、やりすぎちゃってる。
(辻田)このやりすぎちゃってる感じを聞いていただこうかなと思いまして。
(宇多丸)ええ。それじゃあもう、実際にまずは聞いた感じ。
(辻田)そうですね。聞いていただければわかると思います。
(宇多丸)はい。では、『万歳ヒットラー・ユーゲント』。
北原白秋『万歳ヒットラー・ユーゲント』
(辻田)まあ、最初はいいんです。オチなんです。最後が面白い。
(宇多丸)オチが酷い。
(辻田)オチだけです。
(宇多丸)憧れだったでしょうからね。当時はね。
(辻田)そうですね。
(宇多丸)『輝くハーケンクロイツ』。
(辻田)ヤバい感じですね。
(宇多丸)すいませんね!これ、分析用ですから。
(辻田)全くその通りですね。で、これしかも当時、ヒットラー・ユーゲントの人たち来た時に、ハーケンクロイツって日本語発音はダサくね?っていうのが問題になって。で、もっとドイツ語っぽく歌おうよっていう風に入ったんですよ。介入が。で、白秋先生、ブチ切れ。『これは大和魂で作った歌詞なんだ』と。
(宇多丸)ハーケンクロイツでいいんだと。
(辻田)(曲に合せて)来ましたね。万歳。
(曲の歌詞)『万歳!ナチス』
(辻田)っていう感じですね。ここだけです。
(宇多丸)(笑)。『ナーチースー♪』って(笑)。嫌ですよ!歌うのも嫌だよ!もう、ちょっと。
(辻田)こういう発音が日本人っぽいからやめろよと。恥ずかしいっていう。
(宇多丸)『ナーチースー』ってノペーッとした音の乗せ方ね。
(辻田)そうなんですよ。ただ、白秋先生はブチ切れて。これが日本語なんだと。
(宇多丸)J-POP風の乗せ方とか、嫌だと。横文字発音とか嫌だと。
(辻田)『ドイツごときの巻き舌で巻かれてなるものか!』とかですね。当時新聞に発表しちゃってですね。
(宇多丸)『ごとき』って言っちゃあね。だって迎える曲なのにね。
(辻田)そうなんですよ。白秋先生ね、この時期完全にナショナリストになってしまっていて。こんな曲ばっか作ってたんですよ。
(宇多丸)あー。でも、ナショナリスト。バランスが良くないですね。いろいろね。
(辻田)そうなんですよね。この酷い歌詞だと思うんですけど。
(宇多丸)これ、素で言ってキツいっていうのがありますけどね。
(辻田)まあ、白秋先生戦時中に死んでしまったので。まあ戦後にいろいろと引っ張らなくてよかったんですけど。
(宇多丸)たしかに。これ、後から叩かれちゃいますね。こんなのね。
(辻田)戦後言い訳不能ですよ、これ。
(宇多丸)まあ、ホロコーストとか知らなかったから・・・とかね。言い訳は一応あるかもしれませんけどね。はい、ということで北原白秋先生作詞の『万歳ヒットラー・ユーゲント』でございました。
(辻田)そうですね。
(宇多丸)はい。では次、行きましょうかね?
(辻田)次ですね、シャウトする軍歌。
(宇多丸)シャウト。まあ、勇ましく声張ったりとかはするんでしょうけど。
(辻田)最後にですね、まあ途中まで歌ってるんですよ。ところが最後に突然叫びだす。
(宇多丸)叫ぶ。本当に文字通り。
(辻田)そうですね。で、タイトルは『進め一億火の玉だ』。
(宇多丸)すでにもう勢いがありますからね。
(辻田)これ、ちなみに戦争始まったばっかりの時の曲なんですけども。なぜかもう負けそうな雰囲気・・・
(宇多丸)まずさ、始まったばっかりで『一億』とか言われちゃうと、なんかね・・・
(辻田)燃え上がってますからね。
(宇多丸)もう総力戦な感じがちょっとしちゃってますけども。
(辻田)燃えてますからね。火の玉ってどういうことなんだ?って思いますけどね。
(宇多丸)じゃあちょっと聞いてみましょう。はい。『進め一億火の玉だ』。
『進め一億火の玉だ』
(辻田)まあ、途中までは普通の曲なんですけども。当時、大政翼賛会が作詞したものなんですね。ここから、だんだんシャウトが始まってくる。
(宇多丸)ん・・・?
(曲の歌詞・シャウト)『進め!一億火の玉だ!行くぞ一億!どんと行くぞ!』
(宇多丸)最初からちょっと・・・緒戦からちょっと・・・
(辻田)負けそうですよね。
(宇多丸)テンションが高くなりすぎているっていう。
(辻田)まだこの頃、日本勝っていたはずなんですけど。もうすでに・・・
(宇多丸)悲壮感がね。
(辻田)完全に追い詰められているというね。
(宇多丸)悲壮感、日本人好きだからなー。そういうの、あるのかな?
(辻田)初めからこう、負けそうな雰囲気を漂わせている。っていうか、こういう曲、多いんですけどね。米英DISっていうんですかね。『アメリカ爆撃』もそうですし。『目指すはワシントン』とかですね。『行くはロンドン』とか『叩き潰せ米英』とかですね、そんな曲いっぱいあってですね。私もここ来るまで、『叩き潰せ米英』を聞いてきたわけですが(笑)。まあ、気分は盛り上がる。でも、当時の人はたまったもんじゃないですね。灰になっちゃいましたからね。
(宇多丸)本当ね・・・
(辻田)という感じですね。
(宇多丸)じゃあちょっと、ラストに。
(辻田)行きますか?最後はですね、キャラソン。
(宇多丸)キャラソン?
(辻田)軍神=キャラ。
(宇多丸)軍の神と書いて軍神。
(辻田)そうですね。当時、そういった人が新聞で讃えられて、キャラクター化されてしまったんですね。
(宇多丸)なるほど。ヒーロー化というかね。
(辻田)そうですね。その典型的な例が、肉弾三勇士。爆弾三勇士とも言いますけど。これは『肉弾三勇士の歌』というですね、当時朝日新聞が作った歌。軍歌ですね。
(宇多丸)じゃあ、聞きましょうか。『肉弾三勇士の歌』。
『肉弾三勇士の歌』
(宇多丸)まあ、ヒーローもののテーマソングのような。
(辻田)まあ、当時としてはヒーローですね。作曲は山田耕筰ですね。
(宇多丸)あ、山田耕筰。やっぱりすごい人が。
(辻田)山田耕筰も戦時中、ちょっと軍歌作りすぎちゃって。軍服着て刀引っさげて大暴れしたので、戦後いろいろと痛い目にあったんですけど。
(宇多丸)あー、これやっぱね。
(辻田)これは朝日新聞が募集してですね、なんと歌詞の応募が12万あったと。
(宇多丸)公募で。
(辻田)そうですね。で、こういうのが当時流行りで。いろんな人を、国民一般から歌詞を募集するっていうのが流行っていてですね。そのきっかけとなったのが、この企画。
(宇多丸)ああ、なるほど。
(辻田)ちなみにこの年はオリンピックの年でもあって。この年はロス五輪ですね。バロン西とか言われていたあたり。つまり、バロン西もキャラクターなんですよ。オリンピックの。それと同じ感じで、この肉弾三勇士っていうのもキャラクターだったと。つまり、キャラクターとして当時のマスメディアがプロデュースしたのを、大衆が消費するっていう、その形式が実は軍歌の中にあらわれていると。
(宇多丸)なるほどなるほど。
(辻田)メディアミックス。だからそれは現代にもつながる問題で。だから決して戦時中の軍歌っていうのが異常な世界ではないという。その象徴なのかなっていう。としてこの曲を紹介・・・
(宇多丸)まあ、さっきの萌えといいね、全然現在の我々と地続きの。要するにそりゃそうですよね。当時の日本人も普通に暮らして。
(辻田)そうですね。やっぱりさっきのレコード会社もそうですけど、1920年代初頭から大衆文化っていうのが広がってきて。それとの連続性が現代につながってあるということなのかなという風に思いますね。
(宇多丸)そういうのを実感する意味でも、軍歌研究、そして軍歌放送ね。J軍歌放送。これ、意義があるんじゃないかということですかね。
(辻田)意義はね、バリバリありますけどね。
(宇多丸)じゃあ辻田さん、あっという間に時間が来てしまったんですけどね。ということで、今日はこの番組的にはかなり攻めた聞き面になったと思いますが。本当に辻田さん、ありがとうございました。
(辻田)こちらこそ、ありがとうございました。
<書き起こしおわり>