TBSラジオ『ウィークエンドシャッフル』で軍歌研究家の辻田真佐憲さんが宇多丸さんに軍歌を紹介。数ある日本の軍歌の中でも、とりわけおかしなことになっている作品をチョイスしています。
(宇多丸)TBSラジオ ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル、今夜は『聞け!人類史上最強のポップスを。あなたの知らない軍歌の世界』特集をお送りしております。今夜のサウンドナビゲーターは軍歌研究家の辻田真佐憲さんです。よろしくお願いします。
(辻田真佐憲)よろしくお願いします。
(宇多丸)はい、というわけで後半。わが国の歌たちを聞いていってもらいましょう。こんな感じです!
(MC RYUナレーション)Pick up Japanese GUNKA!
(宇多丸)はい。またRYUに登場して・・・FM番組調にお送りしております。ここからはピックアップ・ジャパニーズ軍歌のコーナー。いわゆるJ軍歌のコーナーです。J-Gです。ここも本題に入る前に、日本にとって軍歌とはどんな存在だったのかを辻田さんに教えていただこうと思います。
(辻田)そうですね。ここで主に紹介するのは1930年代と40年代の曲ですね。
(宇多丸)1930年代と40年代。当然、戦争の機運が高まっている時期ですね。
(辻田)そうなんですね。1931年満州事変、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争的な、受験的な知識もありますけど。まあ、戦争の時代ですよね。しかし、この時代は同時に日本が音楽大国でもあったんですね。
(宇多丸)ほおー。
1935年 日本のレコード製造数が世界トップになる
(辻田)具体的に言うと、たとえば1920年代、その前ですけど。から1930年代初頭にかけて、いまにあるようなレコード会社。たとえばキング、コロンビア、ビクター、テイチク、ポリドールみたいなのができた時代で。で、それがいまにつながっているわけです。で、しかも1935年にはですね、日本のレコードの製造数って世界トップになるんです。
(宇多丸)へー!あ、それは知らなかったですね。
(辻田)輸出も含めてなんですけど。製造しているのは単純に世界トップだっていう風に当時の内務省の検閲官が言ってるんですね。新聞で。
(宇多丸)じゃあ、音楽産業全体が盛り上がっていたというか。
(辻田)そうですね。かなり、世界的に見ても大きな音楽産業のある国で。たとえば、当時の音楽雑誌の数って20誌以上あったりとかですね。フランスよりも音楽雑誌の発行が早かったりとか。つまり、音楽大国としてすごい盛り上がっていて。レコード会社も規模が大きく、そして歌手とかもいっぱい養っている中で戦争がドーン!ときたわけですよ。つまり、必然的に軍歌大国になると。
(宇多丸)なるほどなるほど。
(辻田)で、普通のね、勇ましい軍歌もあったんですけど、ちょっとおかしくなっちゃってですね。変な曲を作ってしまうってことがあって。
(宇多丸)やっぱりね、いっぱい作るとその中にはね、変なのも混ざってきちゃうっていう(笑)。
(辻田)そうです。やっぱり規格なので毎年、ダメだなと思っても作らざるを得ないんですよ。どうしても。作らないと会社が潰れちゃうんで。
(宇多丸)回していくためには。
(辻田)そうですね。で、今回はそういった意味ではおかしな軍歌っていうのを選抜してみたので。
(宇多丸)変わり種を。
(辻田)そうですね。で、日本軍歌の多様性っていうのを聞いていただければなという風に思っております。
(宇多丸)ちょっとみなさんがイメージしてるのとは違うかもしれないっていうことですね。はい。それではそんな日本の軍歌の中から、辻田さんがレコメンドするナンバーを聞いていきたいと思います。まずはどんな?
(辻田)えー、萌え軍歌。
(宇多丸)萌え。いわゆる今でいう『萌え』ですね。
(辻田)女の子萌えみたいな。少女軍歌みたいな。
(宇多丸)萌え・・・そんなのがあるんですか?
(辻田)あるんです。『太平洋行進曲』って、曲自体はすごく有名な・・・有名っていうか私の中でですけど(笑)。
(宇多丸)(笑)。ご存知!ご存知!みたいな。
(辻田)ご存知。海軍の軍歌の中でいちばん有名な曲の内の(ひとつ)なんですけど。まあ、普通は男の人が歌ったものなんですが、それを女の子がカヴァーしたっていうのがありまして。私が勝手に萌え軍歌と名づけてるんですけど。
(宇多丸)歌声そのものに萌え要素があると。
(辻田)はい。聞いていただければ萌えの素晴らしさというのはわかっていただけるかなと。
(宇多丸)はい。では聞いていただきましょう。萌え軍歌で『太平洋行進曲』です。
萌え軍歌『太平洋行進曲』
(曲がかかる ※動画なし)
(宇多丸)ああー。
(辻田)素晴らしい。これは、芸術だと思うんですね。
(宇多丸)いや、いいですね。なんかね。
(辻田)キリストとか遥かに越えてる感じがします。ギューンと。
(宇多丸)いやいやいや。あ、なるほどね。歌が始まった瞬間に、ちょっと脱臼感があるっていうか。これがやっぱりいいですね。
(辻田)当時こういう曲、いっぱいありまして。太平洋行進曲だけではなくて、それこそ子供のオリジナル曲っていうんですか。これはカヴァーですけど。たとえばオリジナルの曲だと、まあ酷いのだと『お手々つないで日独伊』とかですね。
(宇多丸)(笑)。
(辻田)普通ね、手をつなぐと野道とかに行くはずなんですけど、なぜか戦前の日本では日独伊にいってしまっているという。
(宇多丸)嫌だなー。それ。
(辻田)残念な感じになってしまっていて。
(宇多丸)でも子供もね、やっぱりそういう、巻き込まれちゃっているっていうこともありますし。あとやっぱり女の子にね、『お国のために戦って!』って言われると、やっぱり『オーイ!』ってね。僕、よく思いますもん。萌え文化がそれに利用されたら怖いぞって思ったら、実際利用されていたわけですね。
(辻田)そうなんですよ。だから、最近だとそれこそ、ミリ萌え。萌えとミリタリーをくっつけた、それこそ『艦これ』みたいなのがありますけど。そういうのは実は、いまだと『キモいオタクの妄想でしょ?』って言われて、『はい、スイマセン』って感じなんですけど。当時は実はあったんですよ。しかもこれは動員に使われることもあるんだということですよね。
(宇多丸)子供たちも動員されていくと。
(辻田)そうですね。
(宇多丸)はい。ということで、萌え軍歌にジャンル分けしてもらいました。太平洋行進曲をお聞きいただきました。それでは次のナンバーをお願いします。
(辻田)次はですね、失敗軍歌ということで。
(宇多丸)失敗?ちょっと待って下さい。戦争、軍歌で失敗しちゃいけないんじゃないですか?だって。
(辻田)実はこれ、大失敗して。太平洋戦争が始まった時に、当時のNHKが歌謡番組をやっていたんですね。それを心機一転して、国民合唱だったかな?っていう風に番組を変えて、その最初の曲として作った、すごいやる気に満ち溢れた。歌詞は当時の大政翼賛会のですね、標語。『此の一戦なにがなんでもやり抜くぞ』っていうのに、曲をつけた。で、当時一流の作曲家だった信時潔とかですね。『海ゆかば』っていう軍歌を作曲している人なんですけど。
(宇多丸)はい。
(辻田)まあすごい気合の入った曲なんですよ。ところが、実際これを聞いてみると、『此の一戦なにがなんでもやり抜くぞ』っていう短い歌詞を延々と繰り返すだけという、完全に頭のおかしい楽曲になっていて。で、あまりにも不人気すぎて途中で打ち切りになったと。放送が。っていうのをちょっと聞いていただこうかなと思っております。
(宇多丸)失敗軍歌ということでございます。『此の一戦』、お聞きください。
失敗軍歌『此の一戦』
(曲がかかる ※動画なし)
(曲の歌詞)『此の一戦!此の一戦!なーにがなーんでもやり抜くぞ!』
(宇多丸)(笑)
(辻田)実に残念な感じになっている。
(宇多丸)どこまで続くの?これ。
(辻田)これは4分間、延々と続きます。
(宇多丸)ええー・・・この一言(此の一戦 なにがなんでもやり抜くぞ)しかないんですか?本当に。
(辻田)そうなんです。これは完全にもう、負けそうな感じがしますね。
(宇多丸)(笑)。あの、なにかが萎えてきますよね。やっぱりね。
(辻田)完全に戦意が後退しますよね。で、実際不評で、当時の音楽雑誌にも酷いと。酷評の例でいうと、たとえば『ああいうものを日本の文化として持つことが極めて低級だと思う』とかですね。あとはまあ、当時の言葉をそのまま使うとですね、『橋の袂で乞食があたかも一銭くれとねだっているような歌だ』とか。
(宇多丸)(笑)。やめなさい、そのたとえは。
(辻田)ボロクソですね。
(宇多丸)まあ、浅ましい。とにかく。しつこいわと。でも、あれですね。軍歌的に作られたものが、全体にそのありがたいものとして崇められていたわけでもなくて。批評の対象ですらあったと。
(辻田)酷い曲はやっぱりね、潰されるんですよ。やっぱり軍歌のイメージって上から無理やりドスンと与えられて、国民全員嫌々歌わされていたっていうイメージがあるかもしれないんですけど。そうじゃなくて、ダメな曲は粛清されるわけですよ。割と。で、いい曲だけが残るというシステムっていうのは、実は戦時中も機能していたと。
(宇多丸)(笑)。まだ歌ってるんですけど。
(辻田)これ、延々に続きますよ。
(宇多丸)でもこれさ、構成とかさ、女声が入ってきたり、ちょっとアシッド感がありますよね。
(辻田)たぶん芸術としてはいいと思うんですけど。
(宇多丸)なんか繰り返し感。ちょっとハウスミュージック的な・・・
(辻田)そうですね。でも軍歌としてはどうなのよ?っていう問題が。
(宇多丸)トランス感があります。ボーッとしてくるっていう。
(辻田)で、それこそ当時の雑誌のだと、批評家の方が床屋にいたと。で、髪切ってたらラジオからこの曲が流れてきたと。で、床屋のオヤジが無言でラジオに近づいてパチン!とスイッチを切ってしまった。不人気の象徴であるって。
(宇多丸)(笑)。あー、それはもう、まごうことなき失敗ですね。失敗軍歌ッて言うって大丈夫か?と思ったけど、当時の人からも烙印を押されてるんだっていうことですね。此の一戦(笑)。
(辻田)これ以上ね、我々もかけるとヤバいので。
(宇多丸)僕も頭、くらくらしてきました。次のナンバー、行きましょう。次は何でしょうか?
(辻田)次はですね、黒歴史。詩人の黒歴史といいますか。作詞した人にとって完全な黒歴史になってしまったといいますかね。
(宇多丸)ああ、書いたことを後からほじくり返さないでくれという。
(辻田)もうやめてくれと。
(宇多丸)その件はもう、若気の至りでございましたと。
(辻田)そうなんです。作詞したのが北原白秋という、割と有名な詩人なんですけども。タイトルがですね、『万歳ヒットラー・ユーゲント』。
(宇多丸)やっちゃったな・・・
(辻田)ヤバい!要するに、当時防共協定を結んでいて、同盟国だったんで。
(宇多丸)そりゃそうだ。しょうがないですけどね。
(辻田)そうですね。で、ヒットラー・ユーゲント、日本に来たんですよ。それを歓迎するために作ったのがこの曲と。
(宇多丸)まあ、当時のね、日本の立場。別に全然しょうがないんだけど。未来人の特権としては、やっちまったなと。
(辻田)ただちょっと白秋先生、やりすぎじゃね?っていう。