鳥嶋和彦と堀井雄二 ジャンプのゲーム紹介ページ立ち上げを語る

鳥嶋和彦と平信一 エンタメの生み出す価値を語る TOKYO M.A.A.D SPIN

堀井雄二さん、鳥嶋和彦さんが2025年1月25日放送のJ-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』で榎本一夫さん、土居孝幸さんと『ジャンプ放送局』時代を振り返り。ジャンプがゲーム紹介ページを立ち上げたきっかけを話していました。

(Naz Chris)うんうん。その特集ページがゲームになっていったのは、ファミコンが出たぐらいの時ですよね?

(鳥嶋和彦)いや、そのもっと前から。

(Naz Chris)PCゲームからか。

(堀井雄二)『トランシルバニア』とかね。アップルのね。

(鳥嶋和彦)とにかく機械が高くて。編集部では買えないんで秋葉原のショップの店頭に撮りにいくわけよ。で、お店が10時に開くってなったらその前、8時ぐらいに行って。光が漏れないようにダンボールをこう、筒状にやって。そこで撮らせてもらうっていう。

(堀井雄二)当時、たぶんその記事を読んでも子供たちはそのゲーム、できないのよ。高いから。でもね、反応が良かったんだよね。

(榎本一夫)じゃあ、興味はすごくあったんですね。

(鳥嶋和彦)元々は堀井さんをさくまくんから紹介してもらって。堀井さんがズタ袋から分厚いベーマガ(ベーシックマガジン)を……。そこから始まって、プレゼントページで任天堂のゲームウォッチをプレゼントするからっていうので。「鳥嶋くん、ゲーム、好きだよね?」「はい」「悪いけどそれ、ページを担当してくれる?」って言われて。それで単にプレゼントページをひとつ、作ってもしょうがないから。そこで堀井さんの顔が浮かんで。コラム……簡単な特集を作って、記事を書いてもらったのが付き合い始まり。

(堀井雄二)そうそうそう。で、ゲームの記事を書くようになって。プレゼントをやってっていうね。

ゲームのプレゼントページきっかけで堀井雄二さんに仕事を発注

(鳥嶋和彦)それでPCのゲームの特集をしていて。「堀井さん、これ、なかなかあれだよね? 限界があるよね。子供は買えないし……」って言ってる時。「もうそろそろこれ、ダメだから閉じようか」って言っている時にMSXとファミコンが出てきて。

(堀井雄二)そうそう。VSでやったんだよね。

(鳥嶋和彦)それで、ファミコンがよくできいて。それこそ9時、10時に撮影が終わってその後ずっと朝までファミコンで遊んでたっていうね。

(Naz Chris)はいはい。時は83年ですよ。発売が。

(堀井雄二)あの画面を見たらショックで。『ドンキーコング』だったと思うんだけど。「これが家でできるんだ!」と思ってね。ゲーセンのゲームが。

(鳥嶋和彦)あとさ、ピタッとコントローラーでキャラが止まるんだよね。それまではジョイスティックはさ、ぶれちゃうから落ちたり、やられたりするんだけどピタッと止まるの。それで感心して。

(Naz Chris)あの十字キーが。

(土居孝幸)あのコントローラーが全てだったんだね。ファミコンは。

(Naz Chris)1万4800円ですよ。当時の価格で。

(堀井雄二)謎のマイク機能もあったね。

(榎本一夫)あった!

(鳥嶋和彦)叫んだよね。マイク機能もあったよね。

(榎本一夫)なんかたけしのゲームとかさんまのゲームとか。

(Naz Chris)ハットリくんとかも。

(鳥嶋和彦)それで1回、ページを閉じて。ゲームと堀井さんとの仕事が。ところがある時、副編に呼ばれて。「鳥嶋くんさ」「何でしょうか?」「コロコロが最近。この袋とじっていうんで売上を急速に伸ばしているんだけど。これ、ジャンプでできるかどうか、研究してくれない?」って言われてさ。それで堀井さんを呼んで、研究したのよ。で、いわゆる裏技っていうので。コマンドを入れてどうこうっていうのでさ。

で、「コロコロが2色だったら、ジャンプは4色だな」って。そうすると、これぐらい袋とじがちっちゃくなっちゃうんだよ。「これでは全く見栄えがよくないよね」って言っていて。で、話をして。「そういえばゲームはさ、4000円とか5000円も払って中身がクソなゲームがたくさんあって。中身がよくわかんない。じゃあ、僕らが実際に遊んでゲームのミシュランをやろう」って言って。それが『ファミコン神拳』ですよ。「あたた!」ってね。

(堀井雄二)あと、最初の袋とじがゼビウスの不死身モードだったんだよ。これが大反響だったんだよね。

(榎本一夫)それでメーカーと喧嘩して。

ゼビウス無敵モードで編集部に問い合わせが殺到

(鳥嶋和彦)そうそう。その前にまず、編集部中の電話が3時に全部、鳴り響くわけ。子供が学校から帰ってきて。で、全部埋まっちゃうわけ。それで「コマンドが入らない」っていう。でも、編集部で誰も答えられないの。僕しか答えられないから「鳥嶋くーん!」ってなって。で、もう無理だから堀井さんと宮岡くんにお願いして。時給3万円でアルバイトを……(笑)。

(堀井雄二)アルバイトね(笑)。

(Naz Chris)いい時代だなー(笑)。

(鳥嶋和彦)だから当時、電話をかけてきた何人かは堀井さんに説明を受けていたっていう(笑)。

(Naz Chris)すごいですねー。面接官をやったり、オペレーターをやったり(笑)。

(中略)

(鳥嶋和彦)そんな、あれだよね。今、思えば遊びながら仕事をしていた。大変だったけど、楽しかったよね。

(Naz Chris)なんか部活の話を聞いてるみたいですもんね、これ。

(榎本一夫)鳥嶋さん、なにか思いつくとね、打ち合わせの部屋に電話が置いてあるんですよ。そこへ電話がかかってきて、出るじゃないですか。そうすると「まだ仕事してんの?」「ええっ?」「いいよ、いいよ。明日できること明日やればいいんだから。◯◯で待ってるから、早く来いよ」って切られて。土居くんに目で合図して。「ちょっと今、電話あったよ。待ってるみたいだよ」って(笑)。

(土居孝幸)そうですね。そこから六本木に行っちゃうパターンですね。

少年ジャンプ、ファミコンきっかけでゲームを扱うようになったのかと思いきや、アップルなどPCゲーム時代からゲームを紹介していたんですね。少年誌を買うような年齢層には高嶺の花すぎてほとんど買えなかったでしょうけど、憧れも含めて子供たちは興味津々だったのかもしれません。しかしゼビウスの不死身モードの問い合わせ電話を堀井雄二さんが受けていたなんて面白すぎです!(笑)。

TOKYO M.A.A.D SPIN・2025年1月25日放送回

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